VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(174)東京のひきこもり、岐阜を歩く<7>家族話の聞き手

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私が名古屋の地を去ってから、基幹バスというのができたらしく、それ以前のバス系統は一新された。

by ぼそっと池井多

 

 

 

何度も書かせていただいているようだが、私は小学校5年生から大学に入るまで名古屋に住んでいた。

あまり好きではない名古屋は、けっして故郷(ふるさと)などとは呼びたくはないが、思春期をすごした思い出深い街である。

せっかく岐阜まで来たのだから、東京への帰り道、

「名古屋に降りて、むかし住んでいたところに寄ってみようか」

などと考えていた。

名古屋に棲んだ10代のあいだに3回引っ越しをした。最後に棲んだ家が、他よりもわずかに期間が長い。行くとしたら、そこである。

 

しかし、私がこの地を後にして40年近い歳月が経っている。

棲んでいた家は、すでに三つとも存在しない。それどころか、そこへ到るまでの道筋も存在しない。

それはこういうわけだ。

私が10代のころ、名古屋駅から今の桜通口へ出た、すぐ北の二階にバスターミナルがあった。人もバスも、わざわざ二階へ上がらなくてはならないという、たいへん使いにくい設計であった。そこから16番というバスに乗って、終点まで行くと、それが私の家の最寄りのバス停であった。

しかし今は、バスターミナルもその場所にない。16番というバスもない。たどりついても家屋もない。何から何までナイナイづくしであることが、予備知識としてわかっている。

それでも、「そこへ行きたい」「そこを訪れたい」と欲するのはなぜか。

つまるところ、「語りたい」からではないか、と思うのだ。

もし、私に人並みな家族関係があったならば、妻や子どもをかかえて、次の正月の時にでも実家へ行った時に、

「この前、仕事で名古屋を通りかかったときにね、むかし私たちが住んでいた家を訪ねてみたんだよ」

などと話をすることができるであろう。

そういった話をすれば、少なくとも「ふん、ふん」「へえ」と聞いてくれる者がいる、という想定である。つまり、両親や弟である。彼らを前に、私は語り続けるであろう。

「ほら、以前は名古屋駅から出たすぐのところ、松坂屋の二階にバスターミナルがあったろう。あそこから16番のバスに乗ったんだよね。でも、あれがもうないんだ。いまはもっと一階の奥のほうにバスターミナルがあって……」

こんな話は、ローカルもローカル、超ローカルであり、同じ生活環境であった家族だからこそ、聞く話である。他の家の者が聞いても、面白くもなんともない。聞いている時間だけ無駄にしか思えてこない。

ところが、家族というものは、関係がうまく行っていれば、こういう家族にしか通用しない超ローカルな話ができる相手でもあるのだ。

相手がいて、はじめて話は話す甲斐が生まれる、ということがある。そして、話す甲斐があるから、土産話を仕入れるために、むかし住んでいた家まで行ってみようか、という気にもなるのだ。

逆に、聞いてくれる相手もいないのなら、わざわざそんな話は話すこともなく、話す機会もなさそうなら、そんな話を仕入れる必要もなく、必要もないから、そんな体験をするには及ばず、そのため私の場合は、わざわざ名古屋で途中下車して以前住んでいた家まで行くという労作を執る気にならず、岐阜から東京へ一直線に帰ったのであった。

 

すなわち、聞き手の不在が体験のための行動への意思を萎えさせたのである。

ふだん人はこのように考えがちだ。

まず意思がある。それで行動する。すると体験が生まれる。すると体験を話したい。するとそれを聞く人があらわれる。

けれども、そのプロセスがぜんぶ逆回りでもおこなわれている。

聞く人がいない。だから話せない。だから体験してもしょうがない。行動する意思が失せる。

 

 

聞き手とは、かくも大事な存在である。

私は、「ひ老会」では、お互いがお互いの聞き手になることによって、参加者の方々は、他では話せないようなことも話す気になれるのではないか、と思っている。

話したいことがあって、話されて、聞き手が生まれる、というプロセスの逆回りで、聞き手がいるから話す気になり、話す気になると自らの意識や記憶が掘り起こされて、それまで言語化できなかったことも話せるようになる。

そういう効果があることを信じている。

 

「聞き手が居る」ということは、それほど重要である。

ふりかえれば、阿坐部村は私にとって、いつのまにか聞き手が居なくなっていた。私が何を言っても、上は治療者から、下は下級患者まで、私を否定する者、私を黙らせようとする者ばかりが屯(たむろ)する場所になっていたのだ。

それで、「何が治療機関か」と思う。

 

 

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#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

やっぱり今日もひきこもる私(173)東京のひきこもり、岐阜を歩く<6>勤勉なミャンマー人女性

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by ぼそっと池井多

 

その夜、私は大垣駅前からバスに乗った。

駅前のバス停は、東京人の私から見ると閑散としていた。私の前には、居酒屋のアルバイトから出てきたばかりの、南方系の顔をした女性が立っていた。

バスを待っている間も、彼女は日本語の教科書を手にし、並んでいる他の乗客を微妙にはばかりながら、小声で発音の練習をしていた。 こっそりと彼女の後ろにまわり、肩越しにのぞきこむと、ビルマ語の文字で発音が記された行の上に、大きなひらがなが印刷されている。

たいへんな勉強家だ。きっと彼女がアルバイトをしている居酒屋では、

「イラッシャイマセ」

「オノミモノハ、ナニニイタシマショウカ」

といった基本的なフレーズの他には、メニューのくだらない料理名を覚えさせられているくらいなのだろう。彼女は、その程度の日本語能力に満足しておらず、もっと社会的に上昇しようとしている。もっと時給の高い仕事に就くためには、まずは語学のスキルアップを志しているようであった。

そのように彼女の生活に思いをめぐらせたとき、私は身体の芯がギュンと収縮する思いがした。この収縮は、いったい何に由来するものであろうか。
「おいおい、そんなに勉強してどうするんだい」
と茶化したくなる気分が生じてもおかしくない状況で、あきらかに私は何か「緊張」をしたのだ。

べつに彼女が私に話しかけてきたわけではない。その黒い美しい瞳でじっと私を見据えたわけでもない。

おそらくまだ二十代の彼女の生きざまが、無言で私に何かを問いかけ、私を圧迫し、瞬時に私は答えに窮して「緊張」をしたのだと思われる。

それでは、私の「緊張」は何に由来するものか。

答えを探しているあいだに、バスが来た。

 


バスの中も、人はまばらであった。

停留所を四つばかり過ぎると、とうとうバスの中は彼女と私だけになってしまった。彼女は、夜の町を進むバスの中でも、そのまま日本語の勉強を続けていた。車窓の両側は、しだいに町が途切れ、ときどきコンビニの明るい灯が交差点の角に過ぎるばかりとなった。

やがて、彼女は「つぎ停まります」のボタンを押し、田んぼの中のバス停に降り立つと、家路を急いでいった。このような田舎にあるアパートならば、都市部に比べたら、家賃はタダ同然であるのにちがいない。

彼女はそうやって生活費を切り詰め、夜まで居酒屋で働いて、稼いでいる。アパートに帰ってからも勉強し、やがてその知識をもって学校にでも通うのだろうか。

こんな小さな地方都市に住んでいては、さして娯楽もないのにちがいない。恋人と繁華街を歩くこともない。ライヴや映画に行くこともない。ただ、働いて、稼いで、勉強して、暮らしを少しでも上のステージへあげようとあがいている。まるで「人生まっしぐら」とでも形容できそうな生き方、暮らしぶりである。

さらに驚いたことに、彼女はそんな人生に、いささかも疑問を持っていないように見えた。それどころか、何か希望を持って生きているようですらある。希望がなければ、とてもできない暮らし方だともいえよう。

希望とは、おそらく将来の富裕と安定である。高給の仕事につき、高給の夫と結婚して、子どもを持ち、家庭生活を送る。そんな未来が現実的に頭に描けるからこそ、今はこんな禁欲的な暮らしに耐えているのだろう。

 

彼女という存在の前では、私自身や、また私の知るひきこもり当事者仲間は、何かというと「社会がわるい」「親に虐待された」などとさまざまな理由を挙げて、「働かないこと」を正当化しているだけの者に見えてしまうのではないか。……

私がさきほど感じた「緊張」は、もしかしたら、そんな危機感から生じたのだろうか。だとしたら、これは異なことである。

貧しい国の若い女性が、こんなに勉強しているのに、自分は「働いていない」ひきこもりで、国民の税金である生活保護で生きながらえている。はたして私はそこに「罪悪感」をおぼえているのだろうか。

それとも、彼女の「人生まっしぐら」とも形容できそうな生き方に、私は「羨望」や「焦り」を感じているのだろうか。

彼女の中では「何がどうだから、私はこうする」という選択への思考はきっぱりと論理を結び、私たちの中では論理の結び目が弱い。……否、私たちの間では、それは確固たる論理であるはずなのだが、ちょうど鉄の鎖も海水に浸していると錆びて脆くなるように、働いている人たちの社会の風に吹かれると、たちまち赤く錆びて脆くなるのだ。

ああ、彼女が歩んでいるのは、なんという合理的な人生だろう。そしてその合理的な人生の先には、彼女にとっての幸福があるのだ。それに比べて、私のみならず、ひきこもりたちは、なんと合理的でない人生にはめこまれていることか。

私たちひきこもりは、合理的に物事を解決して人生を前へ進めていくことができないから苦しんでいる。その苦しみの態様が、「ひきこもり」なのである。

 

 

 

彼女が降りてしまったために、とうとうバスの乗客は私一人になってしまった。しかしバスは律義にも、バス停が近づくたびに案内放送を繰り返し、夜陰につつまれている田園地帯を行く。何も見えない車窓を見つめながら、私はふと二十代の頃を思い出した。


彼女が日本社会の中で勤勉に勉強し上昇を志す姿は、まさに二十代の私たちが欧米に対して抱いていた態度ではなかったか。1980年代のフランスで、あるいはドイツで、私はこのような努力をしている日本女性をたくさん見た。

いや、女性ばかりではない。男性である私も、「そとこもり」の最中どこへ行っても語学を勉強しようとしていた。どこにたどりついても、私は夢中になってその国の言語を独習しようとしていたのだ。私の手帳はペルシャ語アラビア語スワヒリ語アフリカーンス語などの書きつけで一杯だった。

しかし、それはいま見た彼女のように、社会的階級の上昇のためだったのだろうか。どうも違う気がする。

私の場合は、ただ言語というものに対する異様な好奇心のためだったのかもしれない。あるいは、何をやっていいかわからなかったから、とりあえず目の前にある、未知なる知識として言語に手が伸びていたのだろうか。
おそらく、他のどの若者もそうであるように、私はそのころ、自分が社会から受け取っている待遇が相応より低く、じっさいは自分がもっと高く社会に待遇されるに値する能力を持っているように、漠然と感じていた。

しかし、それは自信のなさ、自己評価の低さと裏腹であったために、それを不特定多数の他者たちに認めさせるため、血みどろになって社会に打って出ようとはしなかった。

自分というものを社会に認めさせて、収入や地位といった形で待遇や報酬を受け取るには、どうして良いか分からなかった、という面もある。

そのために同期の連中は、大企業へ就職していったのだろうが、母親から埋め込まれた時限爆弾が炸裂し、私に特有な人生観がプラネタリウムのように内から私を照らしていたので、その選択肢はすでになかったのだ。

となると、語学は自分というものを社会に認めさせる手っ取り早い入り口のように見えた。……いや、そういうと、いかにももっともらしく説明がつくが、はたしてそうだろうか。

 

今しがたバスを降りていった彼女はおそらく、やがて日本語検定試験のようなものを受け、それを履歴書に書いて、もっと時給の高い仕事に就くだろう。

私の場合、多くの言語の力は何一つ資格にも収入にも結びつかなかった。結びつける気もなかった。

 

ペルシャ語アラビア語スワヒリ語アフリカーンス語も、その言葉が話されている国や地域を離れると、もはや使う機会もなく、こちらから使う機会も求めなかった。そのうちに、しぜんと忘れてしまった。

いや、今からでも使う機会を求めれば、昔の記憶がよみがえり、また話せるようになるかもしれない。しかし、そのような外国語が話せたところで、彼女の場合とちがって、私の場合はそれがいったい何の役に立つのだろう? あるいは、それらが役に立つ場所へ、はたして自分が行きたいと思っているのか?

日本にいても接する機会の多い、世界的に流通度の高い英語やフランス語にしてからが、私はそれで何か資格を取ろうという頭はない。検定試験を受けなくてはならない、などと思うと、たちまち、

「そんな先に自分の求める人生はない!」

「そんな資格を取っている時間はない!」

といった痛烈な感覚に身を焼かれるのである。……

 

私も若いころ、彼女のように勤勉であった。

否! 今でさえ、おそらく私は彼女のように勤勉なのだ。

しかし、勤勉の方向性が、彼女とはまったくちがう。

彼女はそれを収入に結びつけ、社会的な地位の向上に結実させようとする。また、そういう姿勢が、彼女の場合は国際社会的にも承認され、賞讃される。

かたや私は、それを収入に結びつけることや、社会的な地位の向上に結実させる気にはならず、ただひたすら、自分の記憶の奥深くに埋め込まれた、親や主治医による虐待の傷を、言葉にして体表の外へ出すことに力と時間を費やしたいと抗っているのである。

そして、そんな姿勢は、国際社会的には承認されず、賞讃もされない。

「いつまでも過去のことにこだわってるんだ」

などと馬鹿にされるのがオチである。

しかし、私はそれをせずにはいられない。私にとって「生きる」とは、そういうことになっている。

 

……。

……。

 

ここには、国家目標が持ちやすいミャンマーという国の「若さ」と、すでにそんなものは持てなくなってきた日本という国の「老齢ぶり」も関係しているといえよう。

去年の暮れに、大阪の道頓堀で見かけたベトナム人の青年とも共通するマクロな感慨もおぼえた。

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ひるがえって、いま乗っているバスの外は、大阪・道頓堀とは打って変わってネオンサイン一つない、真っ暗闇であった。

後方へ流れゆく闇を見つめ、身体レベルで感じた緊張感の淵源を、私はじっと考え続けていた。

 

 

 


 

 

 

 

治療者と患者(318)(復刻版)「誰にも必要とされない男性は自殺せよ」という精神科医  

 by ぼそっと池井多

 

Yahoo!ブログからはてなブログへの引っ越しの際に、このシリーズのなかで「治療者と患者(315)」の記事がどこかへ行ってしまったことを、先日書かせていただいたところ、ほんとうにありがたいことに、愛読者の方がたまたまテキストを保存しておいてくれたことがわかった。

 

これは、私の主治医であった齊藤學(さいとう・さとる)という精神科医がおこなっていた精神療法なるものの本質をえぐっている重要な証拠であるため、そのテキストを元に記事を復刻(一部加筆)してみる。

 

保存しておいてくださった方に厚く御礼申し上げる。

 

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

 


 

齊藤學(*1)

誰にも必要とされていない男性には
自殺をお勧めする。
(*2)

 

  • *1. 斎藤學(さいとう・さとる)

     

    精神科医。1941年東京都生まれ。1967年慶應義塾大学医学部卒。同大助手、フランス政府給費留学生、国立療養所久里浜病院精神科医長、東京都精神医学 総合研究所副参事研究員(社会病理研究部門主任)などを経て、1995年9月より、家族機能研究所代表。1990年代に「アダルトチルドレン」の概念を米国より日本に導入し脚光を浴びる。

    医療法人社団學風会さいとうクリニック理事長。日本嗜癖行動学会理事長。同学会誌「アディクションと家族」編集主幹。JUST(日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン)理事長。

    著書に、『児童虐待』(金剛出版)、『家族依存症』(新潮文庫)、『「自分のために生きていける」ということ』(大和書房)、『「家族」という名の孤独』(講談社)『封印された叫び』(講談社)、『家族の闇をさぐる』(小学館)他多数。

  • *2. NPO法人JUST発行「JUST通信」100号

    2019年5月8日 発行 p.8

 

これは、私の主治医であった精神科医

齊藤學(さいとう・さとる)の言葉である。

 

もしこれが、齊藤學を批判する立場からの記述ならば、

読者のみなさんはこう思うかもしれない。

 

「嘘だろう。

 いくら何でも、

 精神科医たる者が、

 患者に対していう言葉ではないだろう。

 それは、それを書いた者の被害妄想じゃないの?」

 

と。

 

しかし、これは、

齊藤學という治療者に対して

忠実な下僕のようになっている患者の側の記述である。(NPO法人JUST発行「JUST通信」100号 p8)

 

したがって、この記述の信憑性は十分すぎるほどある。

 

被害妄想の類いではない。

嘘やフェイクニュースの類いでもない。

 

だが、これを聞いて、私はなんら驚かない。

 

じつは、私も齊藤學の医療機関に足しげく通っていたころ、

これに類する言葉をいつも聞かされていた。

 

本ブログにも掲載したことのある、

私自身が聞いた言葉はこうであった。

 

「体内受精をすれば、

 子どもを作ることは、女性だけでもできる。

 

 男性は、ほんらい要らない性。

 

 だから、男どもはみんな生ゴミとして袋に詰めて

 燃やしちまおうか」

 

齊藤學が、そういって女性患者たちの笑いを取っていたのは、

2002年のNPO法人JUSTの年次フォーラムの壇上であった。

 

すっかり自分が古参の患者だと思いこんでいる、

流全次郎などが阿坐部村へやってくるよりも、

はるか以前のことである。

 

私は、精神科医のこの言葉を聞いたとき、

なぜか映画『ソフィーの選択』の一シーンを思い出したのである。

 

広く知られるように、『ソフィーの選択』とは、

メリル・ストリープ主演で、

アウシュビッツにおけるユダヤホロコースト

あつかった作品だった。

 

ポーランドの平原に見える地平線。

そこから立ち上るひとすじの煙。

煙の立つ方角へ黙々と向かっていく列車。

 

煙は、人間を大量に焼く場所から立ち上っていた。

要らなくなった人間たちが

ゴミとして粗末に処分されていく。……

 

治療者、齊藤學の言葉を聞いて、

おそらくその共通点から、

私はその映画のシーンを無意識に回想したのだろう。

 

齊藤學がやっている治療共同体の中が、

著しい女尊男卑であり、

そこに長く通っていた私のような患者は、

すっかりその空気に影響されてしまい、

いまも後遺症が残る。

 

しかし、このことは、その治療共同体の外、

すなわち一般市民の皆さまには

おそらくほとんど理解されることがないだろう。

 

おりしも時代は

#Me Too旋風などといって、

これまで社会に虐げられていた女性たちが

声を挙げることの波に乗っている。

 

「そこでは、男尊女卑でなく女尊男卑である」

 

と指摘や告発をするだけで、

その指摘や告発をする者は、

フェミニストたちに弓を引く頑迷な性差別主義者

というレッテルを貼られかねない。

 

「そんな時代に、

『私の精神科は、女尊男卑です』だと?

 

いったい何をおかしなことを言ってるんだ。

 

やっぱり、精神科に通うくらいの人だから、

頭がおかしいんだよ、きっと……」

 

などと解釈されるのがオチである。

 

時代的なタイミングとしては、

まさにそういう不利を背負った指摘であり、告発である。

 

 *

 

齊藤學が、

「誰にも必要とされない男性には自殺を勧める」

あるいはそれに類する言葉を言い、それを聞いて、

実際に自殺をしてきた男性患者はたくさんいる。

 

両手の指では収まりきらないことは確かである。 

それは、その患者村で長年過ごしてきた者だから知っている。

 

しかし、告発する者がいないから社会的に問題になることもない。

 

患者が自殺すると、この治療者は、

 

「あの患者の死因は自殺だから、私の知ったことではない」

 

という態度を取って、逃げる。

 

たとえば、12.7会談(*3)において、

私が齊藤學に質問した

NPO法人JUSTの元事務局長の死の真相については、

彼はそのようにごまかした。

 

*3. 12.7会談:参照「治療者と患者(29)」

vosot.hatenablog.com

および「治療者と患者(194)」

vosot.hatenablog.com

 

 

そのくだりは、まだ公表していないが、音声データにおさめられている。

 

死の前日まで、その患者の精神世界を把握し、

操作してきたはずの精神科医が、 

「ああ、あの患者の場合は、死因は自殺だったので、

私はなぜ死んだのか知りません」 

などと、なぜシャアシャアと言えるのであろうか。

 

しかも、空間的にも同じビルの同じ階、

治療者である彼のすぐそばで

その前日あたりまで「勤務」していた患者である。

 

その患者が何を考え、何を悩んでいたか、

精神科医であり上司である齊藤學が知らなかったわけがない。

 

それをわざわざ知らなかったフリをするということは、

原因は齊藤學自身にあり、

斎藤がその男性患者を死に追いやった、

と考えられるのである。

 

逆に、もし知らなかったというのなら、

そんなに毎日顔を合わせる、密接な関係を持つ患者に対して、

齊藤は治療者として

いったいどういう「治療」をしていたのか、

という点が問題となる。

 

ここで、冒頭の言葉に立ち返ってくる。

 

誰にも必要とされていない男性には
自殺をお勧めする。

 

これで、ようやくつながるのである。

 

 * 

 

じつは、その事件は、氷山のほんの一角である。

 

それに類する事件は、

その治療共同体で無数に起こってきた。

 

ところが、こうした事件は、

まったく社会的に問題になることがない。

 

なぜならば、まず第一に、

患者村の患者たちは、

守秘義務」を課せられているからである。

 

ほんらい精神医療における「守秘義務」とは、

患者の利益を守るために設定された概念だが、

ここでは治療者の利益を守るために使われている。

 

第二に、自殺する患者は、

自分がなぜ自殺するかを

つぶさに書き残すことがないからである。

 

感情がエスカレートして、

その勢いで死んでしまうのだろう。

何かを言語化するには、

あるていど感情をコントロールする理性が必要である。

 

逆にいうと、

自分がなぜ自殺するか、つぶさに言葉にできるような患者は、

自殺をしないで済む。

 

言葉にすることによって、

感情のピークを乗り越えるからである。

 

たとえば私が、いまだに自殺していないのは、

時間をかけてでも、少しずつであっても、

齊藤學によって何をされたかを

言葉にできているからである。

 

いっぽうでは、こういうこともある。

 

たとえ、さいとうクリニックで過去に自殺していった

男性患者たちが、

何かを書き残していたとしても、

それが齊藤學の持つ治療者の権力のおよぶ範囲内であると、

もみ消されたり、

発表するにしても歪曲されたりしてきた。

 

JUST事務局には、私が書いたものがかなり蓄積されていたが、

齊藤學の指示をうけた春日局などの上級患者によって、

それらは抹消されてしまった。

 

そういうことが、

「薬をつかわない安全な精神医療、精神療法」

を看板にかかげて運営されている

治療共同体のなかで起こっている実態である。

 

そこで私は、

齊藤學が患者から症例にまつわる証言を誘導し、

さらにそれを歪曲していた事実に関して、

時間をかけて

春日局や押上たちにわからないように、

物的証拠をおさえていったわけである。

 

 

 第三に、そこまで勇気のあるメディアがまだいない、

ということがある。

 

いままで多くのメディアの方が関心を示してくださっているが、

はっきりした形で告発しようという記事や番組は、まだない。

 

* 

 

齊藤學の

 

「誰にも必要とされない男性には自殺を勧める」

 

という言葉は、

相模原事件の植松被告の主張にも通じる、

優生学的な発言と言ってよい。

 

しかし、

誰にも必要とされない者は、

生きていてはいけないのだろうか?

 

ひきこもって、この社会の片隅で、

誰にも必要とされずにひっそりと

男性が生きていてはいけないのだろうか。

 

生きているためには、

必ず誰かに必要とされなくてはならないのだろうか。

 

私は、ぜったいそれはちがうと思う

 

 

ここで齊藤學が「女性」と言わず、

 

「誰にも必要とされない男性は、……」

 

といっている意味は、

 

「女性はまだしも出産し、人口の再生産に寄与できるから」

 

という理由に基づくものと考えられる。

 

だから齊藤學は、

「赤ちゃんの舟」などということをやっているのである。

 

これはすなわち、

 

「子どもを産まない女性は、

 男性と同じように無価値である」

 

という思考につながるものであり、

けっきょく

「私は女の味方だから」

と触れて回っている精神科医、齊藤學は、

「女性は子産み機械」だと2007年に発言した

柳沢元厚生労働大臣と同じ思想の持ち主だということがわかる。

 

 * 

 

「誰にも必要とされない男性には自殺を勧める」

 

精神療法家、齊藤學のこの一言には、

多くの角度から検討すべき課題が凝縮して詰まっている。

 

齊藤學は、

彼のおこなってきた「精神療法」の実態を告発する私を、

弁護士をつかって圧力をかけている(*4)が、

今後とも私は、

彼の発言を考察していくつもりである。

 

 

 

コメント(1) [NEW]

 

 この斎藤という方ですが、どうも彼を上回る能力(知力や体力を総合した男性力)を近くにみると、脅威を感じているのではないでしょうか。それが自殺に追いやるような言動につながっていると思いました。きっと女性には脅威を感じないのでしょう。

 斎藤氏の父親がどのような人だったのか興味があります。

 

    [ aon*_*85 ]

 

    2019/8/3(土) 午後 0:32

やっぱり今日もひきこもる私(172)「ひきこもりUX会議」によるひきこもり・生きづらさ実態調査2019へのご案内

by ぼそっと池井多

 

一般社団法人「ひきこもりUX会議」さんが「ひきこもり・生きづらさについての実態調査2019」を始めました。ひきこもり当事者・経験者の皆さまはぜひご応募してあげてください。

これまで国や行政による「ひきこもり」の調査が行われたことはありますが、採取したサンプル数が少なすぎて、あまり私たち当事者の全体像をリアルに数値化したものとはいえない感じがしました。


また、メディアが伝える「ひきこもりの当事者像」についても、一部のジャーナリストが自身の政治的な思惑から、当事者の像を恣意的に歪めて報道しているものも目立ちました。

今回、「ひきこもりUX会議」による調査は、このような問題を取り除き、十分な数のサンプルを採取し、当事者・経験者によって客観的な当事者・経験者の全体像を浮かび上がらせるための試みであるように思われます。

ウェブ版でも紙版でもアンケートにお答えいただけるようになっているようです。10月31日まで。

 

お知らせ:協力者募る!!「ひきこもり・生きづらさについての実態調査2019」 : 一般社団法人ひきこもりUX会議 オフィシャルブログ

http://blog.livedoor.jp/uxkaigi/archives/1075820811.html

 

 

やっぱり今日もひきこもる私(171)東京のひきこもり、岐阜を歩く<5>バーキアンとしての明智光秀

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岐阜城金華山のふもとにある織田信長居館跡。いくら城が拠点といっても、毎回、山の頂上まで登って帰るのは、信長にとっても大変だったと見え、ふだんは麓に住んでいたらしい。

 

by ぼそっと池井多

 

 

昨日は「東京のひきこもり、岐阜を歩く<4>」において、私が小学校5年生のときに放送されていたNHK大河ドラマ国盗り物語』に出ていた斎藤道三織田信長のことをたっぷり書かせていただいたので、もしかしたら私が日本の男性によくある「信長ファン」であると思われた読者の方がいるかもしれない。

vosot.hatenablog.com

 

じつは私は、織田信長はまったく好きではないのである。

 

「歴史上、誰と酒を飲んでみたいですか」

といったアンケートがおこなわれると、織田信長坂本龍馬と答える日本男性が多い。

自分も、彼らと同じくらい能力があると思って、「飲めばきっと話が合う」などと思っているのだろう。

ああ、なんと単純な脳細胞であることか。

もしほんとうに生きている織田信長坂本龍馬と酒を飲む機会があったならば、「彼らと飲みたい」などと答えている者は、たちまち相手に嫌気がさすのに決まっている。

「ついていけねえ、あいつ。コミュ障!」

などと言い捨てて、逃げていくのにちがいない。

 

 

先にも言ったように、私は個人的にまったく織田信長は好きではない。
「いっしょに飲みたい」

などと、さらさら思わない。酒を酌もうと酌むまいと、話が合わないことは目に見えている。こちらが話を合わせてやるのも、疲れる。

 

 

信長の生涯は、合理主義の限界を表出したものだったと考えられる。

稲葉山金華山と、加納を岐阜と改めるまではよかったが、比叡山を焼き討ちするという「合理主義」がどのような結果を招くか、ということが教訓として私たちに与えられた。

教訓の授与に手を貸したのが、当時の知的な文化人である明智光秀であったと思っている。

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明智光秀 像(本徳寺 所蔵の掛け軸の一部)By Wikimedia
光秀の死後31年経った年に描かれている。ということは、まだ本人の容貌を憶えている者がたくさんいた時代に描かれた肖像である。

というわけで私は、少年のころから戦国武将では明智光秀がもっとも好きであった。

イギリスでは、たんなる保守主義者でもなく、だからといって破壊的な革新でもない古典的自由主義者のことをバーキアン (Burkian) という。18世紀当時に活躍した政治思想家、エドマンド・バーク (Edmund Burke)にちなんだものである。

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エドマンド・バーク (1729-1797)

日本で同じような混乱の時代、戦国時代の後期に、私は明智光秀はバークのような存在だったのではないか、と思うのである。彼は足利幕府の再興を願ったが、それもやみくもな復古思想ではなく、彼なりに当時の時代に即した政権構想があってのことだった。それは絶対王政を批判しながらも、隣国フランスで進行する極端な革命の波及を防ごうと考えたバークに似ているのである。

「なぜ明智光秀を主人公をする大河ドラマが生まれないのだろう。最終的に敗者になるからだろうか。でも、人はみんな最後は敗者ではないのか。豊臣秀吉だって、一種の敗者として終わったのだ」

と、私は中学生のころから思っていた。

 

そうしたら、なんと来年は明智光秀を主人公とする大河ドラマが放送されるというではないか。

岐阜市内にはあちこちに、再び岐阜が大河ドラマのロケ地になることをお知らせするポスターが貼られていた。

NHK大河ドラマ麒麟がくる」主人公の明智光秀は、知的な風貌の長谷川博己が演じるというのも期待できる。光秀の正室の煕子(ひろこ)を木村文乃今川義元片岡愛之助木下藤吉郎佐々木蔵之介足利義昭滝藤賢一というあたりも役が合っている。

斎藤道三吉田鋼太郎は、と思っていたら、この人は松永弾正で出るらしい。すると道三と信長、それに濃姫は誰になるのだろうか。
個人的には、濃姫には新垣結衣、光秀の娘である細川ガラシャには本田翼をおすすめしたい。

 

近年の大河ドラマはどれも面白くなくて、今年など第1回を見ただけでやめたのだが、こういうことであれば来年はぜひ期待したい。

来年は、巷ではオリンピックなどという騒がしい行事をおこなうそうであるから、何も楽しいことがなくなる。せめて大河ドラマは面白くあってほしい。
大河ドラマに始まり大河ドラマに終わった、私の岐阜探訪であった。

 

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岐阜城より東方を望む。はるかこの方向に明智の郷があったはず。

 

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やっぱり今日もひきこもる私(170)東京のひきこもり、岐阜を歩く<4>拒む岐阜城

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by ぼそっと池井多

 

この「東京のひきこもり、岐阜を歩く」というシリーズでは、やたら城の話ばかり出てくる、と前回<3>に書いた。

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今回はその極めつけ、岐阜城である。

 

 

急峻な山の頂にそびえる岐阜城は、私の人生において、いつも私を拒んできた。

 

小学校5年生の時に、『国盗り物語』というNHK大河ドラマを見て以来、岐阜城に登ってみたくて仕方なかった。山の頂にあるので、岐阜城というのは「行く」のでなく「登る」ところなのである。

城は、本質的に人を拒む場所でなければならない。親しみやすく、誰でも入れる場所は城にならないからである。

峻厳な山頂に孤立する岐阜城は、まさに私が思い描いた城のあるべき姿であった。

 

当時は、岐阜からほど近い名古屋に住んでいたが、中学受験勉強に追い立てられ、このような近隣の町ですら遊びに来られる時間はなかった。

やがて中学に入り、一人であちこち鉄道に乗りに出かけるようになったが、こんどは中学生の私にとっては、名古屋から岐阜は「近すぎて」行く気がしなかった。

 

 

やがて20代の私は、大学を出て企業へ就職するというレールから逸脱し、あてどもなくアフリカその他の海外を放浪する「そとこもり」の歳月を送るようになった。

アフリカで知り合った、スウェーデン人の旅友がいた。はるか後年、2007年に、彼は二人の子どもを連れて日本にやってきた。

彼の次男はひきこもりで、よくあるパターンでアニメおたくになっており、日本文化にやたら詳しかった。そこで私が彼らの案内役を務め、岐阜と京都をめぐることになった。 

鵜飼いを観て、長良川を下ってきた舟から岐阜に入ったのは、夜暗くなってからである。鵜飼いは、夜の闇の中に照らされるかがり火の幽玄が魅力であるから、どうしても夜になる。

漆黒の闇の中に、岐阜城のそびえる金華山の影が見えた。しかし、もう登れる時間ではない。

私は、少年のころからあこがれていた岐阜城のふもとまで行ったが、このときはあきらめざるを得なかった。

 

その2年後であったか、再び岐阜を訪れる機会があった。今度は親しい人たちとの旅であり、私が希望すれば岐阜城へ登ることは可能であったのだが、折しも台風がやってきて、それどころではなくなった。こうして少年時代からのあこがれは、またしても断念せざるを得なかったのである。

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目標としてそびえたつ岐阜城

織田信長も、何度も岐阜城を攻め落とそうとして失敗している。

少年のときに見た大河ドラマ国盗り物語』の中で、高橋英樹の演じる織田信長が、ある夜とつぜん起き上がり、家臣らを集め、

「これより稲葉山城を攻める」

と宣言するシーンがあった。

前後のつながりは忘れてしまったが、度肝をぬくようなドラマの展開であったせいか、このシーンは憶えているのである。

こうして信長は、稲葉山城を治めていた斎藤義龍を追放する。そして「稲葉山」を「金華山」、そのふもとの町「加納」を「岐阜」と、それぞれ中国風に改称した。

金華山」も「岐阜」も、当時の日本語の感覚からするとピッカピカに輝いていて、なじまない語感があったのにちがいない。ちょうど今の日本語でいえば、山手線の新駅を「高輪ゲートウェイ」とした以上の違和感があったと想像できる。

それでも新しもの好きな信長は、その改称を断行し、楽市楽座の町づくりをおこなった。岐阜はこうしてできた。

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9合目付近から城を見上げる。

織田信長に、美濃を治める後継者の夢を見たとされる斎藤道三は、もともと稲葉山城に拠していたが、息子の斎藤義龍にゆずって、ふもとで隠居していた。しかし、ここに父―息子葛藤が起こる。

斎藤道三は、息子義龍を無能と侮り、言うことを聞かないため、少ない兵で挙兵して討ち果たそうとする。このとき娘、濃姫を嫁がせた尾張織田信長に応援を頼んでいる。

しかし息子の斎藤義龍は、父・道三が考えるほど無能ではなかった。信長の援軍が着く前に、道三は馬鹿にしていた息子・義龍の軍に討たれてしまう。それも、かつては自分の家臣であった者たちに討たれるのである。

国盗り物語』におけるこのシーンも、50年近く経つが私の脳裡に残っている。

林のなかで、平幹二郎演ずる斎藤道三がじっと敵を待っている。

足元にはアリの大群がカブトムシに襲いかかっていた。そこに道三は自らの宿命を見る想いがしていた。

やがて木立の間から、

「御屋形様。お命頂戴つかまつります」

と言上して、かつての家臣が飛び出てくる。

道三は、

「取れるものなら、取ってみることだ」

といって、おもむろに太刀を抜いた。

二人の干戈は、いっときは道三の有利にかたむく。

ところが、そのとき一騎の騎馬武者が遠方から名乗りもせずに駆けてきて、道三を突く。これによって勝敗は決まった。道三はゆっくりと倒れていったのである。

なぜ、幼い頃に観た映像は、半世紀たってもここまで詳しく憶えているのだろう。我ながら不思議である。

 

カブトムシとアリが出てきたものだから、私は斎藤道三の討たれた戦いは、稲葉山のなかで起こったものとばかり思ってきた。しかし、急峻な山の斜面では、あのように「騎馬武者が遠くから駆けてくる」ということがむずかしい。

実際は稲葉山のふもと、長良川河畔で討たれたようである。それならば、あの描き方も史実に近いものといえよう。

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現在の長良川河畔。

こうして私はついに宿願を果たし、岐阜城天守閣まで登ることができた。

城そのものは、もちろん近年に改築されているが、高さは斎藤道三織田信長が登ったものと同じはずである。

彼らはこうして豊かな濃尾平野を眺め渡し、この地で富と勢力をたくわえ、やがて天下を布武することを夢見たのだろうか。

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前方には養老山地、左端に木曽川

 

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やっぱり今日もひきこもる私(169)続・台風接近とひきこもり

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by ぼそっと池井多

 

昨日のように大型台風が接近してくるときには、得も言われぬ不気味な感覚がある。

家から出ることはできない。せまりくる災害。しかしその全貌はまだわからない。不確定さが、緊張と興奮をもたらす。こわいのだけど、何をやってよいかわからない。期待と不安。

きっと二人して家に閉じこもっている若いカップルのなかには、このように強烈な台風が接近してくるあいだに、雨戸を閉め切った部屋のなかで、激しいセックスをして時間をつぶしていた者がたくさんいるにちがいない。

「他にやることが思い当たらない。これからあちこちで被害が出る。にもかかわらず、自分たちは安全なところでこんなことをやっている。」

そんな背徳感から、よけい駆り立てられるということもありうる。

 

テレビやインターネットを見れば、「地球史上最大の台風」の旺盛に発達した衛星写真があちこちで目に入る。

しかし、私の棲む東京郊外では、事前の天気予報がいうようには、雨の量も増えていかなかった。昨日の昼過ぎになっても、ようやく梅雨時のシトシトと降る雨に、毛の生えたような降水にとどまっていたのである。

当初は暴風雨が予報されていた夕方18時ごろになっても、いつもの風の範囲内であった。

近くの川が、微妙に危険水位に近づいていくのが見えるのみである。

つまり、「危険だ。避難しないといけない」とはいうものの、その根拠として示されるのは、日常生活からはまったくの別世界である宇宙から送られてくる巨大な雲の渦巻きの写真と、目の前を流れる川のわずかな増水だけである。

「これくらい、大丈夫だ」

という「正常バイアス」が災害時に大きな被害を呼ぶことが叫ばれるが、それはこういうところからもやってきている。

 

 

「避難所へ行きたくない」

という気持ちが錨(いかり)のように重く在った。

私はひきこもりとして、近所づきあいを避けて生きている。

本ブログやひきポスで「あなた何してる人」というシリーズで書かせていただいたように、唯一の例外として隣の邸宅の老婦人から一本のキュウリをいただいたのみである。

しかし、この住宅地にかれこれ20年近く住んでいるので、近所の人、とくに私が恐れてやまないオバサンたちは、私の顔は知っているものと思われる。

私の被害妄想も入っているかもしれないが、ときどき私が買い物などに出かけると、近所の道の角で二人、三人と群れて立ち話をしているオバサン連中を見かける。

ところが、オバサンたちは私の姿を認めるとハタと話をやめ、すっと分散することがある。これは、私の顔を認識している証拠だと思う。

 

 

さて、今回の台風のような災害のときに避難所へ行くとなると、そこにいるのは近所のオバサン連中である。

近所の人と顔を会わせたくないから、わざわざ遠方の避難所へ行くことも考えられるが、そもそも遠方へ出かけられない天候状態であるから避難所へ避難するのである。

となると、避難するとなると、もうこれはどうしても近所のオバサンたちと顔を会わせなくてはいけない。

これが、いやだ。

これがいやなために、私は避難所へ行きたくなかった。

結局、行かずじまいだった。

 

東日本大震災のとき、津波が迫っているのに避難をしないで、家ごと津波に呑まれてしまったひきこもり当事者が何人もいる。

今年の3月には、そんなひきこもりのお父さまにあたる方のインタビューをさせていただいた。

津波が迫りくるなか、彼らはいったい何を考えていたか」

私は乏しい想像力を駆使して、それを何度も考えた。

しかし、他人の頭のなかにうごめく想念として、そのことを考える必要がなくなった。

昨日のような台風が近づいてくるときに、己れの頭のなかにどんな想いが去来し、肌にどんな感覚が走るかを、省みてみればよいのである。

 

……。

……。

 

結果的に、私が棲む所では、9月上旬に来た台風15号のほうが激しかった印象がある。

夜21時に台風の目が頭上を通り過ぎたものと見え、一時的に風が極まったが、すぐに収束に入り、23時には散歩に出られるほど平穏になった。

町は雨に洗われてピカピカに光っていて、月が出ていた。

 

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