VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(155)イエ文化による社会的排除の構造

by Reimei34

 

Reimei34:


can***** 様


とても丁寧な返信、本当にありがとうございます。

「イエ文化による社会的排除の構造」は、私の問題意識ともバッチリ(笑)適合しております。


特に近年は、政治に携わる人々が臆面もなく「親学」を信奉したり、少子化問題の切り口として「理想の家族像」(ひどく時代錯誤な、セクシズムに満ちた「理想」ではありますが)を悪用したりと、個人の権利や幸福を大事にしたい人間にとってはますます生きづらい、住みにくい国になりつつあると感じています。

 

そこに生きる人々のために国家があるはずなのに、何故か反転して国家のために労働人口を〜、国のために役立つ人間を〜などと考える人が政治を動かしているから、簡単に「役立たずは死ね」など殺伐とした世の中となり、結果的に少子化も加速している気がしますし。


それなのに「理想の家族」思想など押し付けられても、その理想の家族とは単に「隷属に疑問を持たないどころかそれを幸福と感じる人間」生産システム以外の何なのだろうと思ってしまいます。


そして虐待親の目標もまた、往々にして親に隷属する子どもを作り上げることであったりするので、そこで原家族と自分が暮らす社会がリンクし、吐き気と絶望感が込み上げてしまう感じです。
一つの鳥かごから逃げてみても、そこはまだ、元よりちょっと大きい鳥かごの中だったようなものですから。

 

「自分」と「国」の間には自分を取り巻く友人や知人といった実在の人々がいますが、そういう人たちに「母とは二度と関わりたくない」という事情を理解してもらうのは難しいですね。
「親子なんだもの、話し合えばきっと理解し合えるよ」
という善意のアドバイスなども、傷口にものすごくしみる塩の一つです。

 

私が思い切って親から離れ、自立しようと決心できなかった理由の一つに、どこへ行っても結局は逃げ切れない、何らかの形でどこまでも追いかけて来られてしまうと感じていたから、というのがあります。
特に母一人子一人の私の場合、お互いに関する責任はお互いが背負うしかない、と。


それができなければ道義的に大問題、人間としても失格でとんでもない「役立たず」である、というのが理想家族神話の教義の一つで、思いっきり洗脳されていたのだと今は思いますが。


それでも実際問題として、住処を見つけるのにも仕事を見つけるのにも何かにつけて「血縁者の保証人もしくは連絡先」が必要な日本のシステムは、非常に厄介です。その意味で、自分は「難民」なのだと痛感しています。

 

それから、過度に恩着せがましい「感謝の強要」風潮も激しく私を消耗させます。

「生んでやった」「育ててやった」「あれもこれもしてやった」のに、何故感謝しないのか?
「自分が今ある」のは親のおかげでしょ?

…でも、そもそも私がこの世に存在したというか、せざるを得なかった件について、私の意志などカケラも介入してないのですけどね…。
(「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくる♪」式の発想は、とんでもない虐待親の元に生まれてしまう子どものことを考えると、全く容認できません)

 

何というか、元々は誰もが自分の意思とは無関係に存在してしまった者同士、あるいは人々同士で、協力したりしなかったり、まぁ何とかそれぞれが快適に生きる術を模索して行きましょうかね、くらいのスタンスの方が物事が円滑に進む気がするのですが、どうしてこうもベタベタとウェットで何もかもがんじがらめにしてしまうやり方が横行するのでしょうね。

 

ベタベタと言えば、ぼそっとさんが以前「母-娘」関係に比べて「母-息子」関係の問題は軽視されているとおっしゃっていらした時にも、日本の「♪おふくろさんヨォ」的な気色の悪い(失礼)、息子が盲目的に母親を慕い賛美するのが大変な美徳であるかのようなベタベタした風潮も、問題を隠蔽するのに一役買っているのでは、と思いました。

 

かくいう私も鬱が酷い時は、別方向にウェットではあるのですが(>_<)
このコメントもマズイ方向に行きかけて、何度か修正しました。
それでもまとまりがなく取り散らかった内容で、申し訳ありません。

 

 

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