VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(385)第11回「ひきこもり親子 公開対論」名古屋編を終えて

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会場セッティング。左手が対論する壇上、右手にスクリーンという異色な空間構成は、リアルとオンラインの会場が分離しないように工夫されたもの。

 

by ぼそっと池井多

 

昨日、名古屋駅前の安保ホールで「ひきこもり親子 公開対論」が開かれるお昼どきの東海地方は、梅雨時とも思えない、まるで台風を思わせるどしゃぶりの雨であった。

アスファルトの平板な歩道には河のような流れができ、ふつうの靴で歩いていると水が靴下に浸透してきてしまう。

 

よくイベントの開催時に、主催者が、

「本日は足元がお悪い中をご参集いただき、まことにありがとうございます」

などというが、歩道の色が軽く変わる程度の小雨のときは、それはただの社交辞令として響き、毒づきたくなる。

「いったいどこが足元がお悪いんだよ」

と。

 

しかし、昨日は文字通り足元がお悪いことこのうえない状態での開催となったため、このような豪雨のなか誰も来ないのではないかと危ぶんでいたが、ありがたいことに予想を超える人数の方々にお集まりいただき、リアルとオンラインあわせて40名余りの参加者とともに第11回「ひきこもり親子 公開対論」を開催することができた。

 

 

 

 

リアル会場とオンライン会場をつなげるハイブリッド開催というと、私のいままでの経験では、リアル会場とオンライン会場が分離してしまうことが多かった。

すなわち、オンラインで参加した人は、リアル会場で何が進行中なのかわからない。逆に、リアル会場の参加者をそっちのけにして、オンラインだけで盛り上がってしまう場合もあった。

こういう分離を防ぎ、両方が一体となって開催するにはどうしたらいいかということで、今回の開催を取り仕切ってくださった名古屋のスタッフの方々は知恵を絞ってくれたのである。

その結果、4台のパソコンと3台のビデオカメラを接続することによって、スライドが映されるスクリーンも、登壇者の様子も、会場の様子も、オンライン参加者たちの様子も、すべてリアルとオンライン、みんなで共有して進行させることができた。

オンライン参加者の方の音声も、リアル会場全体にしっかり聞こえていた。

すばらしい運営であった。

 

はじめに子の立場から、学校へ行きたくない論理と、親世代との社会観のギャップが語られたあとに第2部となり、親の立場からのご登壇となった。

この「ひきこもり親子 公開対論」は、たいてい「斜め対論」といって、自分の親・子ではない、別の家庭の親御さん子どもさんと対論することが多いが、今回は親の立場からご登壇くださったお母さんは、当事者である自分の息子さんを連れてきてくれた。

息子さんの快諾により、母子ともに登壇してそれぞれの立場の気持ちを語ってくれることになったのである。まさにこれこそ「公開対論」というコンセプトの面目躍如といったところである。

 

息子さんがひきこもった高校2年生のころ、お母さんの自分の父親(息子さんからすると祖父)から、

「お前の育て方が悪いから、あの子がひきこもった」

というような責めをさんざん受け、家に帰れば帰ったで、このお母さんは攻撃的になっている息子から責められ、夫は家の中のことにあまり関わらず、孤立無援の状態となって、

「もう仕事先から家に帰りたくない」

という気持ちに毎日襲われていたという。

 

そのころ、息子さんはそういうお母さんを、あるいは家庭の中をどう見ていたのか、聞いてみた。すると、

「自分のことで精いっぱいで、とてもではないけれど、周りのことまで考える余裕がなかった」

とのことであった。そうだと思う。私はどちらかというと、子どもの立場の視野が想像しやすい。

 

この「ひきこもり親子 公開対論」では、過去2回にわたって

「ひきこもりと強迫性障害

をテーマに取り上げている。

それは、日本社会では「ひきこもりと発達障害」はさかんに関連が指摘されるけれども、それと同じくらいの割合がいても不思議ではない「ひきこもりと強迫性障害」については、ほとんど取り上げられないからである。

取り上げられないから、強迫に悩む当事者はその話題をあまり出すことがないという悪循環におちいっているきらいもある。

 

昨日に登壇してくれた息子さんも強迫に苦しんでいることが、ひきこもりの重要な原因となっていた。しかも、その強迫はいじめられ体験に由来している可能性がある。

そしてまた、彼は二人兄弟の上、長男である。

私自身との共通項がひじょうに多く、彼の話にはおおいに共鳴させていただいた。

 

ずっとひきこもっていた人だというから、いきなり壇上に出てきて、ちゃんと話してくれるだろうか、といった危惧も少しだけ持っていたが、そんな心配はまったく無用であった。

本人は「緊張しまくり」とのことであったが、声もしっかりとして、話もわかりやすく、リアル・オンラインを問わず多くの参加者の共感と理解を得ていた。

 

ひきこもりには、いざとなれば多人数を前にしても、ちゃんと自分の考えを発言できる人が一定の割合いる。

ただ、いつもはそういう機会がないだけなのである。

もちろん、不特定多数を前に話すという経験は、日常生活のなかにあまりないから、緊張はするだろうけれど、それは周囲のサポートで何とかなる。

 

これが、たとえば心にもない社交辞令や、自分と関係のないビジネス・トークといった内容になれば、話はまた別かもしれない。大人数を前に語れない。

しかし、ほんとうに自分が考えていることであれば、たとえ不特定多数を前にしようとも、緊張をやらわげ、言葉を吸収する用意のある空間が用意されれば、ちゃんと言葉にして話してくれるのである。

そういう見地からも、私はこれからも「ひきこもり親子 公開対論」をあちこちで開き、当事者のホンネと親御さんのホンネを掛け合わせる場をつくりたい。

 

今日、ご登壇いただいたお母さんも、

「壇上で、はじめて聞けた息子のホンネの部分もあり、よかったです」

とおっしゃっていた。

それが私が望む公話(ポリローグ)の力なのかもしれない。

 

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やっぱり今日もひきこもる私(384)東京のひきこもり、名古屋へ帰る<1>貧困と絆

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私たち家族が住んでいた名古屋のアパート 撮影・1999年

 

by ぼそっと池井多

 

今日からしばらく名古屋へ行く。

じつは名古屋へは、頻繁に出かけている。

一昨年の10月に岐阜へ講演にお招きいただいたときも、帰りに私は名古屋に降り立った。

しかし、駅ビルの立ち呑みで地酒をひっかけただけで、名古屋の街からしっぽを巻いて退散するように、東京へ帰ってきたのである。

そのときの心境は、こんな記事に書かせていただいた。

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また、同じ年の3月にも名古屋で講演させていただいている。

このときも、名古屋駅周辺から一歩も出ることなく東京に帰ってきたため、私のふだんの行動パターンを知っている地元の方は、

「あれ? 今日はそのまま帰っちゃうんですか」

と拍子抜けした顔をされていた。

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私は怖気づいていたのかもしれない。

実家のあった土地にしっかりと向かい合うことを。

 

いま私は、

「ご実家はどこですか」

と訊かれると、

「横浜です」

と答える。

 

しかしそれは、両親や弟など「実家」を構成する家族メンバーがそこに住み、私の本籍地も勝手にそこへ移されているから、

「実家は横浜にあります」

という表現になるだけの話であって、私の頭の中ではいまだに実家は名古屋にある。

私が実家を出た40年前は、実家は名古屋にあったからだ。

だから、名古屋へ行くときには、いつも私の体感としては「名古屋へ帰る」なのである。

そして、「名古屋の実家」には今、誰も住んでいない。

 

 

 

 

もともと私たち一族は関東の出で、名古屋には縁もゆかりもなかった。

ところが、私が小学校5年生に上がるときに、小さな異変が起こった。

母は、父の会社の社宅でも塾を営み、おおぜいの生徒をかき集めて繁盛していたのだが、どうやら同じ社宅の妻たちの嫉妬を買い、それぞれの夫を通じて会社の人事部に垂れこまれたらしいのである。

そのため、父は名古屋営業所へ左遷となった。

これで痛手を被ったのは父よりも母である。

父の月収の3倍はあった母の収入が、とたんにゼロになった。

 

こうして私たち池井多家は、平社員の父の月収だけで、まったく知己のいない名古屋に放り出されることとなった。

父の月収だけで一家四人が生活していく、というのは、ほんらい社宅の他の家庭が暮らしている生活水準になった、というだけのことである。

だから、客観的に考えればそんなに嘆くことではないのだが、母は屈辱であったのか、しきりに生活の落差に打ちのめされていた。

こうして、もともと私に対して虐待的であった母は、名古屋へ引っ越すとますます傾向を強め、それを受けて私の強迫神経症もさらにひどくなっていったのである。

 

 

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名古屋へ引っ越した時に住んだアパート(2階隅) 撮影・1999年

 

名古屋の新居は、私たちが引っ越す前から父の会社によって決められていた。

それまで住んでいた千葉県松戸市の社宅の一戸建てよりも、格段にプアな貧乏アパートの一室である。

1973年4月、引っ越してきた当日、私たちは鍵を開けたが、その狭さに両親は無言になった。

別送した家財はまだ着いていなかった。

 

父はすぐに職場へあいさつに行かなければならなかった。

「じゃあ、ちょっと会社へ行ってくるから。

あとで8時にイケシタという駅の改札で待ち合わせよう。

家財がないから、今夜は旅館に泊まろう」

と父は言い残して出ていった。

 

母と私は、狭いアパートのなかを少し掃除して、翌日の家財の運び入れに備えた。

母は無言だった。

私もなぜかみじめな気分になった。

3歳の弟だけが元気であった。

 

すぐに日は落ちて、あたりは知らない町の夜になった。

松戸では女王のように居丈高だった母は、この未知なる大都市では、すっかり借りてきた猫のように臆病になっていた。

こうなると、小学校5年生の私が、母と弟を無事に父との待ち合わせ場所に連れていかなくてはならない。

そのように意識したわけではないが、いつもはけっして私にイニシアティブを取らせない強気な母が不能になっているので、しぜんと私が一行を引率していく格好になった。

 

父は、「イケシタ」という駅へ来いと言っていた。

たぶん「池下」と書くのだろう。

でも、どっちへ行けばいいのかわからない。……

 

当時はスマホのような便利な代物はなかった。

私は電柱の灯の下で、東京で買ってきた名古屋市区分地図を広げた。

池下駅は南方にあった。

歩いていくには遠そうである。

 

「あ、あそこの通りにバスが通ってる!」

私は遠方に、市営らしきバスが走っていくのを発見した。

そして母と弟をバス通りへ引っ張っていった。

 

しばらく行くとバス停を見つけた。

そこに立っていると、いろいろなバスがやってきた。

「栄」「名古屋駅前」など、さまざまな行き先表示を正面に出している。

もしかしたら、それらのバスでも「池下」を通るのかもしれないが、バスの側面に書かれている運行図を見ても、土地勘のない他所者にはルートがわからない。

 

すると「今池」と書いたバスがやってきた。

「きっと、これだ!」

と私たちは思った。

なぜなら「池」がついている。

きっと「今池上」「今池下」といったバス停があるのにちがいない。

 

ドアが開いて、まず母が乗りこもうとした。

ステップに片足をかけながら、母は必死な形相で運転手に訊いた。

「池下へ行きますか」

「行きゃあせんて! 前に『今池』って書いてあるでしょう?」

運転手は、なぜそんなわかりきったことを聞くのか、と苛立った様子で答えた。

私たちは名古屋弁がまだわからなかったが、「行かない」と言っていることだけは理解した。

そして、バスはドアを閉めて行ってしまった。

 

もはや停留所に取り残されているのは、私たち三人だけとなった。

聞き慣れない方言が、冷たく耳に残った。

母はへこんで、ほとんど泣きそうになった。

 

そのときである。

横に立っていた私は、無言ではあったが、「大丈夫だよ」というように、母の手を握ったのである。

意図してやったことではない。

自然にそうなった。

 

 

私が自分から母の手を握ったのは、記憶のかぎりでは、後にも先にもそれ一度きりである。

ほどなく「池下」と正面に掲げたバスがやってきて、私たちは駅で父に再会するのだが、あのバス停で数十分待っている間の心細さが、私たちの名古屋生活の出だしを如実に物語っていた。

 

のちに1999年に家族会議を開いたとき、私がこのときのことを語ると、すでに名古屋でも塾稼業で成功していた母は、

「そんなこと、あったかしら」

と傲然と言い放つのみであった。

いちばん心細かったときに長男に助けられたことなど、憶えてはいなかった。

 

しかし、名古屋へ転居した直後の生活が、貧乏で、不安で、みじめであったことは、母も父も後年、事あるごとに繰り返し嘆いていた。

けれども私は、池井多家がもっとも貧乏だったあの時代こそ、私たち家族の絆がもっとも強まったときだと思うのである。

私は、子どもの立場だからかもしれないが、貧乏はまったく苦しくなかった。

そこには、まるで異国の珍しいスパイスのような、いっしゅ強烈な臭いの幸福感すら漂っていた。

 

なくてよいモノがなくても、何も困らない。

私はどうやら、持っているものだけで幸福を感じようとする生来の志向性があるようだ。

言い換えれば、自分が手に入らないモノをそれほど欲しいと思わないらしい。

そのような性癖が、のちに私がアフリカ大陸を放浪することにもつながるのだろうし、今に至るまでの「健康で文化的な最低限度の生活」にも影響しているのだろう。

 

よく貧乏や貧困というのは、人生や生活を悲劇にした理由として語られる。

けれど、私はあまりそう感じないのである。

小学校5,6年生の日々は、私にとって人生の中でもっとも暗黒な2年間であったが、その理由は貧乏とはちがう所にあった。

 

 

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やっぱり今日もひきこもる私(383)ひきこもりは遠出を前に緊張する

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photo by KJa

by ぼそっと池井多

 

今週末、19日に、名古屋で「ひきこもり親子公開対論」を開催する予定である。

いつも同じことを書いているようだが、何日かひきこもり部屋を離れ、遠方へ出かける予定が近づいてくると、私は心がざわついてくる。

コロナ禍で、昔にも増してひきこもっている最近となると、とくにそうである。

 

4日に1度のスーパーへの買い物以外、まったく外出をしない生活がすっかり習慣化してしまっている。

最寄りの駅から電車に乗って都心へ出かけることもない。

電車に乗ることじたい、昨年秋に北海道へ行ったきり8ヵ月ぶりなのだ。

行動範囲のせまい、判で捺したような同じ生活を何ヵ月をくりかえしている者にとって、そのパターンを崩すのは思い切りがいる。

 

 

どこから準備を始めるかというと、まずは睡眠時間帯の調整である。

移動や活動は、ふつうの人々が動いている時間帯になるので、朝に起きて夜に寝る生活に身体を持っていったうえで、旅立ちの日を迎えるのが望ましい。

ところが私は、もともと睡眠時間が12時間と長いうえに、昨今は持病のうつが梅雨時のために悪化していて、一日のうち頭が満足に働く時間はせいぜい3,4時間ときている。

そのあいだに活動を集中させなくてはならないのだが、これがなかなか難しい。

 

 

また、イベントの時間だけ、名古屋へ日帰りで行って帰ってくるということは、できるだけしたくない。

ふつうの人々にとっては、東京駅から新幹線に乗れば1時間40分で着く街などは、近所のショッピングモールと同じように、日常的な行動範囲なのであろう。

しかし、それではせっかく366kmもの距離を移動する甲斐がないのである。

どうせ行くなら、ゆっくりとていねいに行きたい。

それに、名古屋はかつて住んでいた土地なので、どうせ行くのだったら、しばらく滞在して、以前暮らしていた界隈にも寄ってきたいのである。

それは私にとって、虐待され、強迫神経症に苦しんでいたころの風景に身を置くことを意味するが、人生を再構成するには、そういうことにも意味があると思うのだ。

 

 

何日か留守にするとなると、冷蔵庫のなかを始末していく必要がある。

それはきっと私のような貧民ならではの発想だろう。

食糧を無駄にしたくないので、出発日までに生鮮品を食べ尽くしていく計画を立てるのだ。

あと卵が何コ、キャベツが何分の1、牛乳が何cc、などと。

 

 

 

 

今回の公開対論を企画したのは2月で、

「そのころには、もうコロナ禍も終わっているだろう」

と高をくくっていた。

ところがコロナ禍は続き、それでいて、五輪は強行開催へ向けてまっしぐらに進んでいる。

緊急事態宣言の延長につぐ延長で、なんと公開対論の当日はぎりぎりで、まだ宣言下に入るようになってしまった。

これはどうしようかと思ったが、ビジネス・パースンは皆、平時のように他県移動を行っているという。

東京から岩手、東京から島根などのように、感染リスクの落差が大きい移動は、それなりに過敏になるべきだと思うが、東京と愛知ではほとんど差がない。

また私の生活ぶりでは感染リスクはゼロに近く、しかも直前の抗体検査で陰性を確認し、新幹線ではなく空席の多い高速バスで行く。

飲食をともなわないイベントの開催は安全と判断して決行することにした。

 

しかし、「公開対論」は高齢の親御さんが参加されるかもしれないので、そこはスタッフ全員、じゅうぶんに気をつけている。

そして、今回ハイブリッド開催だが、宣言下で当日を迎えるため、リアルな参加者は少ないと思われる。

 

ハイブリッド開催のイベントは、とかくリアル会場とオンライン会場で分離が起こりがちである。

すなわち、リアル会場だけで盛り上がってオンライン視聴者は蚊帳の外という状態になるか、その逆でオンラインだけで盛り上がりリアル会場は何が進行中かわからないといった状態になるか、どちらかに偏りがちだ。

そこで今回の名古屋のスタッフさんの中に、IT機器に詳しい方が参加してくださり、このような分離が起こらなくして、リアル参加でもオンライン参加でもほぼ同じだけの参加体験ができるように、何台ものパソコンやカメラを接続して開催するのだという。

頼もしい。

 

 

あ、そういえば大事なお知らせがあります。

 

✨🌟⭐🔔 受付期間が延長されました 🔔⭐🌟✨

6月19日開催予定の「ひきこもり親子公開対論」名古屋篇に関しまして、

チラシでは6月8日申込み締切となっていましたが、

 

リアル参加……当日でも

オンライン参加……6月17日までの申込みでも


に変更されました。

というわけで、まだお申し込みができますので、申込みそこねた方はどうぞご検討ください。

 

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やっぱり今日もひきこもる私(382)第1回VOSOTオンライン対話会「ひきこもりは恋愛したらいけないの?」を振り返って

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 by ぼそっと池井多

 

おとといは、第1回VOSOTオンライン対話会「ひきこもりは恋愛したらいけないの?」を開催させていただいた。

性別を問わず、多数ご参加いただき、予定の時間を大幅に超えて、たいへん力のある議論が交わされた。

 

話題は多岐にわたったが、大きく次の二つのカテゴリーにまとめることができる。

すなわち、

 

・恋愛弱者としてのひきこもりとその真実

・2月のネット暴力事件(*1)についての憤り

 

の二つである。

 

*1. 2月のネット暴力事件とは

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私としては、2月のネット暴力事件のことが今回の話題に出るとは、あまり予想していなかった。

もっぱら前者の「恋愛弱者としてのひきこもり」という話が対話空間を占めるものと思っていたのである。

参加される方の多くは、2月のネット暴力事件を知らないか、関心がないのではないか、と考えていた。

ところが蓋を開けてみると、ほとんどの方が知っていたし、私の予想をはるかに超える大きな関心を寄せてくださっていたのがわかったのだった。 

やはり今回の対話会は、2月のネット暴力事件があったために開かれたという経緯は否めないので、当然そちらの話にもなっていったわけである。

 

 

 

 

私がいうのもおかしいが、私は2月のネット暴力事件の直接の被害者だったから、私があの事件のことで怒るというのはよくわかる。

ところが、私以外に、事の推移を見守っていて、加害者たちに憤りをおぼえ、怒りを共有しておられる方が多くいるとわかったのは、私にとって大事な収穫であった。

 

なぜ、2月のネット暴力事件がこれだけ多くの方々の関心を誘うことになったのか。

 

一つには、炎上事件の特色として、そこで投げつけられた暴言の数々がネット上に残されているので、リアルタイムで事件を目撃できなかった人でも、あとからさかのぼっていくらでも検証できるからだと思われる。

これによって、人々は伝聞によって曖昧に事件を知るのでなく、各自の眼でそれぞれの言葉を読み、しっかりと事件を検証できるわけである。

 

二つめに、これがやはり非常に現代的な事件だからではないか。

 

いや、「現代的な」という形容は、時期的にかなりの幅を許してしまう。

たとえば、26年前に起こったオウム真理教のテロも「現代的な事件」といえそうだ。

私が申し上げたいのは、もっと時間のレンジがせまいのである。

たとえば、ここ二、三年とか。

だから、「現代的」ならぬ、「いまどきの」事件というべきか。

 

インターネットを舞台にしているということも、フェミニズムや性暴力を小道具としていることも、著しく「いまどき」なのである。

 

「2月の事件」というと、すでに過去の事件のように響いてしまうが、実際にはそうではなく、いまも現在進行形で続いている。

加害者たちはまったく反省を見せる様子もなく、執拗に攻撃をつづけているのである。

 

そのために、今回の対話会の開催にも、参加者をよそおって攪乱目的の者が入りこんでこないように、お申込みいただいた方々には心苦しくも電話番号までうかがい、暴力締め出しのためセキュリティに万全を期したのであった。

 

 

 

 

首謀者たちは全員、

1.発端となった事件の現場にはいなかった。

2.男性(ゲイをふくむ)である。

という特徴を持つ。

 

したがって、まず

「被害にあった女性が勇気をもって声をあげた」

という性格の事件ではないことが明らかである。

被害者として声をあげた女性など一人もいない。

また、事件の現場にいた人は誰一人、そこで性暴力が起こったなどとは言っていない。

 

すなわち、首謀者たちが拡散している性暴力や性被害は起こっていないのである。

 

なぜ、存在しない被害を捏造してまで、女性ではない男性が「女性の被害」や「フェミニズム」や「反LGBT差別」を口実として、こうした集団いじめの暴力事件を起こしているのか、という問題を考えていかなくてはならない。

そこには彼らの存在誇示があるかもしれない。

勢力拡大、もしくは「女性に取り入ろう」とする意図など、非常に「男性的な」動機も考えられる。

 

今回の対話会では、2月のネット暴力事件についてさまざまな見方が語られたが、個々の発言については会の外へ持ち出さないことにしているので、これ以上は筆を留めておこう。

しかし、「今」という時代を読み解くために、2月のネット暴力事件はもっと深く考えていった方がよいと思うので、今後ともそちらの方に私の脳内キャパシティが割けるときには考察をつづけていこうと思う。

 

もう一つの話題、すなわち「恋愛弱者としてのひきこもり」という問題も、語れる場を確保するのはとても大事である。

ひきこもり界隈で恋愛や性を語ることをタブーにして、こういう現実を語ることすらできなくなってしまったら、ひきこもりは精神的にドン詰まりの地獄へ追いやられてしまう。

 

今回を第1回として開催してみたVOSOTオンライン対話会であったが、非常に好評だったので、

7月31日(土)14:00 - (16:00)

に、第2回VOSOTオンライン対話会を企画してみたいと思います。

 

何か「こういうテーマを取り上げてほしい」というようなことがありましたら、ぜひ教えてください。参考にさせていただきます。

 

 

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やっぱり今日もひきこもる私(381)本日、第1回VOSOTオンライン対話会を開催、それと余談。

by ぼそっと池井多

 

先日、「やっぱり今日もひきこもる私(375)」でお知らせしたように、本日第1回VOSOTオンライン対話会「ひきこもりは恋愛したらいけないの?」を開催させていただく。

 

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しかしオンライン開催なので、開催者としても出かけていく必要がないのは、ひきこもりとして本当にありがたい。

その気になれば、14:00開催なので、13:30ごろまで寝ていられるのである。

 

この記事も、いつもと同じように朝7:00に出るだろうけれど、いつも記事は前夜までに仕込んでいるので、書いた当人はたいてい昼まで寝ている。

 

これがもしリアル開催となると、当たり前のことだが会場までたどりついていなければならないから、ちゃんと朝のうちに起きなくてはならない。

これがたいへんな苦痛である。

それに加えて、身づくろいという仕事が待っている。

玄関を開けて外を歩いても、人々に後ろ指さされない格好に着替えなければならないのだ。

これでいつも軽くパニックになる。

「そもそも、外へ着て行ってもみっともなくない服なんて、どこに片づけたっけ?」

という自問から始め、押入れを引っかきまわさなければならない。

 

しかも昨今はコロナ禍で、外へ着ていく服は「ウィルスがついているかもしれないもの」として、部屋の中で着る服とははっきり峻別しているので、そういう意味からも外着に着がえることには一種、強迫的な面倒が加わるのである。

 

コロナ禍になって1年3ヵ月、かつては会社まで通勤していた皆さまも、すっかり自宅からリモートでお仕事なさるようになってきたらしいが、会議の最中、画面に映る上半身はビシッとビジネス・スーツを着こなしていても、みんな下はほとんどパジャマのままだという。

それもそうだろう。

ウェブカメラに映らないのに、わざわざ窮屈なハイヒールやらスラックスやら履くわけがない。人間だもの。

 

だったら、いっそのこと上半身も部屋着かパジャマのまま会議に臨めばいいようなものだが、みんな、そうはしない。

リモートでも、いちおう上半身だけ格好を整える。

 

そして屋外では、人の見ているところではあわててマスクをつける。

マスクの色は、おしゃれにしたければ、服やネイルなどどこかの色とワンポイント合わせる。

それがコロナ社会の服飾文化になっているようである。

 

 

 

 

自宅からリモート・ワークの人は下はパジャマでよいが、テレビ局のような公共の場所に出勤して放送するアナウンサーの場合はどうか。

ところが、そんなアナウンサーも机からの下はスーツを履いていない、ということが先日の Huffinton Post で報道された。

BBCの初老のニュースキャスターが、峻厳な印象をあたえる上半身とは打って変わって、下半身は半ズボンにスニーカーというラフな格好で放送している、というのである。

 

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いずれも以下のYouTube画面より。

youtu.be


 これを、

「カメラがうっかりニュースキャスターの腰から下を写してしまった」

というふうに、一種の放送事故ととらえる向きもあったかもしれないが、そうではないだろう。

これはきっと確信犯だ。

ニコリともせずに言ってのける、イギリス風のユーモアだと思うのである。

ただ、もしそうであれば、できればキャスターの下半身を写すのは、始まるときではなく、すべてのニュースが終わってから、番組の終わりにカメラがパーンしていくときにしてほしかった。

そして、半ズボン姿でニュース番組が終わるのである。

その方が笑える。

 

 

もし日本でNHKがこれをやったら、セクハラ問題で大騒ぎになるかもしれない。

 

  

 

 

 

外国のうつ・ひきこもり事情(158)フランス女性ひきこもりにとっての「近所」~ 対人恐怖と社交不安

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Photo by Bastien Marie

by ぼそっと池井多

 

「地域で支えるひきこもり」運動みたいなものに危機感を募らせている私は、本ブログでもときどきその話題を取り上げてきたし、ひきポスでも「地域で支えるひきこもり」を考えるシリーズを連載させていただいている。

 

そこで私がよく使うのは、おそらく本ブログの皆さまにはおなじみとなった、この図である。

 

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ようするに、ひきこもりにとって最も怖い他者とは、見知らぬ遠方に住む人よりも、地域の近所に住んでいる人なのである。

なのに、なぜこのようなゾーンの他者でひきこもりを「支える」などということを企てるのか。

そんな疑問を投げかけるために作った図であった。

 

私は、海外ではこのあたりの感覚はどうなのだろうと思い、英語版とフランス語版を配信して、それぞれの言語圏のひきこもり当事者たちに訊いてみた。

 

フランス語圏の方が関心が高かったようである。

なかでも、みずみずしい表現でコメントをくれたのが、フランスの女性ひきこもり当事者フランソワーズ(仮名)であった。

 

フランソワーズ

そう、そう! まさにその通りです。

私の場合、一番怖いのは、近所の人。

それから、市場へ買い物に行くときや郵便局に通う(*1)ときに、いつも会う人。

 

「他人は基本的にみんな怖い」

と思っている私でも、よそへ出かけたときなんかは、まるで他人が見えないかのように、ぜんぜん恐怖の対象にはなりません。

 

自分が住んでいる地域では、

「何かまずいことをしたら、みんなが覚えていて、この世の終わりまで笑われる」

というモードで暮らしているから不安が起きるのだと思う。

 

*1. 郵便局に通う フランスの地方では、私書箱を持っている家が多く、そういう家では郵便物は家まで配達されるのでなく、自分が郵便局へ取りにいくものとなっている。

 

ぼそっと池井多

「何かまずいことをしたら、みんなが覚えていて、この世の終わりまで笑われる」

というのは、うまい表現ですね。まさに、そういう感覚。

 

自分の言動や人生が、すべて他者に記憶され、蓄積していくかのような錯覚が「地域」にはある、というわけですね。

 

 フランソワーズ

そうなのです。

そして、近所の人たちと会うたびに、過去の自分の失敗がデータとして投げ返されてくる感じがします。

たとえ、その人が何も言わなくてもね。

 

私は初対面の人には、とても快活でフレンドリーに接します。

歴史も背景も何もない、まっさらな他人だからです。

 

ところが、同じ人と2回目以降に再会するときは、私はまるでアイス・キューブのように固まってしまいます。

その人のあいだに歴史ができ始めているから、もう少しもミスをしてはいけない、と緊張するんです。

 

そのため、多くの人が、私は初対面の時とその後ではまるで印象がちがう、といいます。

初対面ではみんな、私のことをとても人なつっこくて明るい性格だと思うのですが、2回目以降は私はすごく冷たく距離を置く人で、まるで別人になる、というのです。

きっと、その冷たさは、

「私に関するデータを蓄積しているからには、今にも拒絶されるのではないか」

という私の不安からくるものなのでしょう。

私としては、冷たくしているつもりはなくて、むしろ私に関するポイントを高めてほしくて、緊張している状態なのですが。

 

ひきこもり傾向を持った人の対人的な緊張を、これほど的確に表現した言葉があろうか。

深く共感するのであった。

 

じつは、フランスのひきこもりで「対人恐怖」らしき感覚を、ここまで具体的に話してくれたのは、フランソワーズが初めてである。

これまで私に話を聞かせてくれたフランスのひきこもり当事者は、なかでもアエル(*2)が最も典型的だが、「外に出るのがこわい」「他者がこわい」という感覚を「社会恐怖」という側面から説明する人が多かったのである。

 

 

それも、ごもっともだと思われた。

よく知られるように、近年のフランスでは、イスラム系移民に関連したテロ事件が頻発している。

本ブログでも2015年に取り上げたシャルリーエブド事件では、週刊紙「シャルリーエブド」に掲載されたイスラム教の風刺画に怒りをおぼえた過激派が新聞社を襲い、編集長以下12名が銃撃されて殺された。

以後、ユダヤ系の食糧品店が襲撃されたり、「表現の自由」の概念を教えていた高校教師がイスラム系の生徒に殺害されたり、パリでは同時多発テロ事件が起こって500名近くの死傷者が出たり、まさに日常生活のどこでテロが起きるかわからない状態がつづいていた。

コロナ禍で外出が規制されるようになった昨年以降は、テロも起こっていないようだが、コロナ禍が終われば、また再燃する恐れがある。

 

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2015年11月パリ同時多発テロの実行犯容疑者の住居への警察の突入準備 Photo by Chris93

このような国では、外に出たくないひきこもりの心情としては、近所の人に対する「対人恐怖」よりも、一歩外に出ればいつどこでテロに遭うかわからない「社会恐怖」の方がまさってくるだろう。

 

そして何よりも「対人恐怖」は、日本の文化に根差した、日本にしか起こらない精神症状であるということになっているのである。

そのため、英語でもローマ字書きで「taijin kyofu sho」と書く。

DSM-IV(*3)には、このように書かれている。

 

日本における文化特異的な恐怖症であり、DSM-IVの社交不安とある意味で類似している。この症候群は、自分の身体、その一部またはその機能が、外見、臭い、表情、しぐさなどによって、他の人を不快にさせ、当惑させ攻撃的になるのではないか、という強い恐怖によって起こる。この症候群は、公的な日本の精神疾患の診断システムに取り入れられている。

 

*3. DSM-IVとは、1994年に発表されたDSMの第4版を指す。最新のものは2013年発表のDSM-5だが、何でもかんでも精神疾患にしてしまうということで批判も浴びている。

DSM (Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders / 精神障害の診断と統計マニュアル)とは、アメリカ精神医学会が発表している精神疾患の分類表のようなもの。世界中の精神医療の医師たちはこれと、WHO(世界保健機構)が発表しているICD(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)にもとづいて、患者の病名、すなわち診断名を決めている。

 

「そんなことはないだろう」

というのが私の感覚である。

私はそとこもり時代に、おもにヨーロッパでいろいろな人と会ったが、私から見れば対人恐怖症の人もいた。

ただし、DSMは「社会恐怖」とは別に「社交不安」という症状も設けており、日本国外における「対人恐怖」はこれだ、という見方を採用しているようである。

 

「私が何かまずいことをしたら、近所の人がみんな覚えていて、この世の終わりまで私を笑う」

という感覚をもっているフランソワーズは、おそらく「社交不安」という診断名をつけられるかもしれない。

 

では、「対人恐怖」と「社交不安」はどうちがうのか。

私から見ると、その二つは精神症状として異なるのではなく、ほんらい患者が示す反応としては同じものなのだが、その患者が置かれている社会的な文脈がちがうために、観察者である治療者には「対人恐怖」「社交不安」という違いを以って見えるというだけなのではないか、と思うのである。

  

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当事者活動を考える(44)ひきこもりに主体を持たせたくない専門家

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Photo by Mika Korhonen

by ぼそっと池井多

 

先日、ひきこもりの専門家とされるある大学教授が、自分の論文が国際的に権威ある雑誌に載ったことを自慢してこう書いていた。

 

論文作成にあたってHikikomoriについて英語で書かれた論文を71本読みました。

Hikikomori(ひきこもり)という言葉は国際的に使われるようになっています。

ただ、私は、" 社会的孤立 social isolation" という表現の方がしっくりきます。"ひきこもり" はひきこもっている主体がいるようなニュアンスがあり違和感を感じます。

 

彼女のいうことに、私はおおいに違和感をおぼえた。

 

論文を何本読むよりも、一人でも多くの当事者に話を聞く方が、ひきこもりとは何かを知るためには重要なのではないか。

 

また、同じ論文を読むにしても、わざわざ英語の論文を選ばなくても、ひきこもりの研究は日本がいちばん進んでいるのだから、日本語の文献でいいではないか。ことさら「英語の論文をたくさん読んだ」とアピールするあたり、自身の西洋コンプレックスを丸出しにしているのではないか。

 

そもそも「違和感を感じる」なんて日本語を教授が書いている大学って、いったいどんな言語「教育を教えて」いるのか。(ちなみに看護大学のようである。)

 

……などなど、ツッコミどころ満載なのだが、そんな些末な所にいちいち突っかかっていると、何かというと揚げ足を取り因縁つけてからんでくるチンピラと同じになってしまうので、それはやめておこう。

全体の文脈を眺め渡し、大事な所だけ指摘させていただく。


" 社会的孤立 social isolation" という表現の方がしっくりくる。

"ひきこもり" だと、はひきこもっている主体がいる(からしっくり来ない)

というくだりである。

 

「社会的孤立」という表現は、それはそれでいいけれど、そこで「ひきこもり」を排する理由が引っかかるのである。

 

ひきこもっている主体がいてはいけないのか?

 

この教授にかぎらず、ひきこもり専門家・支援者の中にはかなりの割合で、ひきこもり当事者がみな非主体的で、可哀想で、恵まれない存在であってほしい、と心の底で願っているような人がいる気がしてならない。

なぜならば、ひきこもりに主体がない方が、支援者の仕事がそこに在るように感じられるからではないだろうか。

ひきこもりが主体的に苦悩する人間存在であると、当事者に対して支援者が優位に立てず、自分の仕事がなくなってしまう、と心のどこかで恐れているのではないか。

 

 

 

 

昨年の秋に実施された東京都の調査で、都内の包括支援センターや民生委員など、行政によるひきこもり支援の最前線に立たされている人々が、中高年のひきこもりへの支援でどのようなことが課題であると感じているかを複数回答してもらったところ、

 

家族から相談があっても、本人が相談・支援を望んでいない 75.1%
相談・支援に至るまで長期間経過しているケースが多く、対応が難しい 59.2%
本人・家族の抱える悩みが多岐に渡っているため、対応に時間がかかる 39.4%
ひきこもりに関する知識や支援ノウハウを有していない 18.8%

 

という数字が出た。(*1 赤字は引用者)

 

*1. 介護のニュースサイト JOINT 2021.05.26

www.joint-kaigo.com

 

4人に3人が「本人が相談・支援を望んでいない」と感じるというのは大きい。

 

多くの専門家や支援者たちをがっかりさせるであろう、この数字は何を意味するのか。

つまり、専門家・支援者が期待するほど、当事者は支援を望んでいないのである。

 

「当事者はどんな支援を望んでいるか」

という調査はひんぱんに行われているが、

「なぜ当事者は支援されることを望まないか」

という否定要因へ踏みこんだ調査を、私は聞いたことがない。

 

そのため、ここは想像になるが、こういった理由が考えられる。

 

・相談したところで行政が解決できる問題ではないと思うため。

・自分が望むような解決を行政が用意できると思わないため。

・「支援される」という関係性がいやであるため。

・自分が失敗だと思っていない状況が、支援を受けることによって失敗と認めさせられることになり、さらにそれが支援者という他者の実績とされることが不快であるため。

 

一人の当事者として、私だったら最後の項目を挙げるだろう。

 

支援者の「支援をしたい」という気持ちは、社会的には「善行」と意味づけされることがほぼ保証されている。

しかし、ひきこもりから見れば、それは往々にして「支援者が支援という善行をしたい」という欲望の充足、あるいは自己の実現として感受されるのだ。

支援者という他者の自己実現のために、自己実現できていないひきこもりである自分が、自分の人生を提供してあげることはないだろう、という反発がここで起こる。

それで、ほんとうに自分の人生を良くしてくれることが約束されているならばまだしも、それはほとんど期待できない場合、自分の人生を支援者のために投げ出したくはない、というのは、ひねくれているわけでも何でもなく、極めて自然な感情だと思う。

 

 

 

 

支援者のためのシンポジウムやフォーラムといった場では、さかんに

「どこどこの市では、ひきこもり支援でこういう成功例がある」

といった事例の報告がなされる。

 

それは、支援にたずさわる人々が真摯に方法論を模索している姿に見えるが、裏を返せば、それだけひきこもり支援といっても何をやってよいかわからない人たちが多く行政による支援の現場に立たされている、ということだ。

 

そして、何よりも重要なのは、そういう場で発表される、ひきこもり支援として成功している事例というものは、客観的・絶対的な意味での「成功」ではなくて、「支援者から見たときの成功」であるのにすぎないということである。

当事者の立場から見れば、それらは成功例どころか、これまたツッコミどころ満載なのである。

たとえば、あまり具体的に指摘するとマズいだろうから適当にボカして書くと、日本のひきこもり支援の代表格として世界に知れ渡っている、北日本の山奥でやっている行政支援も、私のまわりの当事者のあいだでは、

「あれって、ようするに就労支援じゃね」

ということでさっぱり語られなくなってしまった。

また、大阪のほうで成功しているとされる地域密着型の行政支援も、私がじっさいにその町へ行って当事者の皆さんと懇談したときには、誰の口からも出なかった。

 

すなわち、あれらの「行政によるひきこもり支援」が成功としてさかんに賞揚されているのは、いわゆる支援業界の中だけのことであり、支援者たちがお互いにお互いのやっていることを讃えあい、持ち上げあって、内輪で盛り上がっているだけに見えるのである。

その脇で、ひきこもり当事者たちは白けた横目で眺めている。

 

その空気が、先ほど挙げた

本人が相談・支援を望んでいない 75.1%

という数字にも間接的に流れてきているように思う。

 

 また、支援者の中には、

「当事者が相談や支援を望まないということは、人生をあきらめるということ」

と考えている人が多い気がするが、これもとんでもない間違いだ。

 

従来の支援に頼らないで自分の人生を何とかしようと考えている当事者は多い。

当事者活動、自力更生など、方法もいろいろ考えられる。

しかし、それらの方法は、ひきこもり当事者に「主体」があってこそ拓けてくる道である。

そういう抜け道があると、自分たちの存在価値がなくなるようで気が気でない支援者や専門家がいるのである。

そこで、「ひきこもりに主体があってはならぬ」という願望をひそかに抱くようになるのではないか。

冒頭に挙げたひきこもり専門家の大学教授の言葉の裏には、そんな願望が隠れているように、私は感じるのである。

 

 

 

 

看護学にしても、社会福祉学にしても、支援に関わる学問というものは、どうも

 

善い人かわいそうな人を 助ける

 

という図式を、支援という行為の前提として持っているように思えてならない。

 

その図式がいやなので、支援を受けたくないという被支援者はきっと多いはずだ。

それは、ひきこもり支援に限ったことではない。

被災地支援など、その最たるものであった。

当然だと思う。

 

そこで、何かしか人生の中で罪悪感を抱えていて、このさい「善い人」になりたい人というのも支援に参加してくる。

なぜならば、「善い人がかわいそうな人を助ける」という構図である以上、支援する側に回れば、自動的に「善い人」になれるからである。

一方的に「かわいそうな人」という役割に押しこめられて、「善い人」にもなれない被支援者の中の敏感な人は、

「たまったものではない」

と思うようになる。

 

ほんとうはここで、「支援という関係性」や「支援学という学問体系」を、根本からひっくり返す必要があるのだ。

ようするに、「善い人がかわいそうな人を助ける」のではない、新しい関係性の体系を打ち立てるべきなのである。

神奈川の大御所、丸山さんが以前から言っている「非・支援」というのも、このへんに通じるものを持っているのかもしれない。

 

たとえばフロイトは、それまでの心理学の体系をひっくり返して精神分析学を創始した。

ソシュールは、それまでの言語学をひっくり返して近代言語学を創始した。

マルクスは、それまでの経済学をひっくり返して唯物史観を創始した。

 

国際的に権威ある雑誌に論文が載って、ツッコミどころ満載の文章をくっつけてヌカ喜びするのもいいけれど、そんなふうに、誰かこれまでの社会福祉学看護学をひっくり返し、根本から新しい学問体系を打ち立てようとする者は、アカデミズムの世界にいないのか。

 

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