VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(366)庵-IORI- 「何をやればいいかわからないからひきこもった人いる」テーブル開催のご報告

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by ぼそっと池井多

 

昨日はオンライン開催の庵-IORI- で、

「何をやればいいかわからないからひきこもった人、いる?」

のテーブルを開かせていただいた。

 

本ブログの読者の方々はよくご存じのとおり、このテーマは、私があるひきこもり当事者の方から聞いた話から生まれたのだった。

韓国のひきこもりの方の、

「兵役が終わってから、何をやればいいかわからなくなってひきこもった」

という話である。

 

私はいちおう昨日のテーブルの進め方を事前に考えていたが、庵-IORI- の本会が始まる10分前になって、その計画をガラリと変更することになった。

というのは、この時になって、このテーマの出発点といってよい、上に掲げた言葉を語った韓国のひきこもり当事者ご本人が、昨日の庵-IORI- に参加しているという情報が飛びこんできたからである。

 

オンライン開催だと、海を超えなくても他国のイベントに参加できるという利点がある。

 

 

庵-IORI- の規定により、参加者の個人名を書くわけにいかない。イニシャルでもまずいだろう。

そこで、韓国(South Korea)から取って、かりに「Kさん」としておこう。

Kさん本人が実際にテーブルに参加されるのなら、私が自分の体験談を長々と語るよりも、Kさん自身に語ってもらった方がよい。

そう考えて、私は急遽、用意してきたスライドの大半を棚上げにし、その時間はKさんに話をしてもらうことにしたのである。

 

 

 

 

韓国社会は日本よりも儒教的なので、父親が強い。

Kさんの父親は、Kさんが中学のころまでは「あれをやれ、これをやれ」とやかましかったという。

ところが、Kさんが高校へ入ると、父親はとたんに放任的になり、何も言わなくなった父に、Kさんはかえって調子が狂ったくらいだった。

もともとKさんは人づきあいが少なく、中学・高校・大学の時代にもひきこもり傾向があった。

しかし学校は、日本でいう「苦登校」でやりすごしていた。

兵役も、苦しいと思いながらも、逃げるわけにいかないので、いちおう終えることはできた。

兵役を終えたあとに、かねてより潜在していたひきこもり傾向が人生の前面に出てきたというのである。

 

 

先日「海外ひきこもりだった私(33)」で、私のひきこもりは「自由からの逃走」という側面があったという解釈を書かせていただいた。

vosot.hatenablog.com

その点、Kさんにとって「自由」とはどのようなものに見えていたかを訊いてみた。

すると、兵役を終えてからしばらくの間は自由を謳歌していたという。

しかし、自由とは、遊び暮らすこととイコールではない。

やがて己れの人生を選び、仕事を選び、お金を稼がなければならない。

そのときになって、就職活動などするうちに、

「自分は結局、何もできないのではないか」

という無力感に打ちのめされ、それでひきこもりになっていったというのである。

 

 

 

 

日本のひきこもり当事者・経験者の方々からも、それぞれの体験が話された。

非常に濃密なテーブルとなった。

 

「ひきこもりになった理由は、ひきこもりの数ほどある」

と私はよく申し上げるのだが、それがぴったりとあてはまるほど、それぞれがひきこもりになった経緯は細かい点で多様であった。

しかし、Kさんや私も含めて、表面的な違いを取り払い、この根底に古い地層のように横たわっている理由の共通点を探っていくと、次のようなことが浮かび上がってくるように思われた。

 

すなわち、

「何をやればいいかわかる」

というのは、ここでは

「職業として何になればいいかわかる」

ということになる。

けれど、ひきこもりは

「何にもならない」

という状態に踏みとどまる。

ところがそれは、

「自分は何にもならないぞ」

と信念をもって選択しているのとはちがう。

 

もし私が、ひきこもりになりはじめた20代に、

「なぜお前は何にもならないのか」

と正面から問われ、なおかつ、私に答えを言葉にする能力があったなら、私は次の三つを答えたのではないかと思う。

 

一つめは、

「何かになっても報酬がないから」、

二つめは、

「何かになるのを決める『私』がいないから」、

三つめは、

「何かになってしまうと、母親の虐待を追認することになるから」

である。

 

一つめに出てくる「報酬」に関しては、ひきこもりと縁のない順風満帆な人生を送っている方は、きっとこのように疑問に思うことだろう。

「え? そんなの、たとえば『会社員になる』と決めて、その会社に勤めれば、その会社から給料が出るよね。その給料が報酬なんじゃないの?」

と。

 

ちがうのである。

そんな会社の給料ごときが(と言うと薄給の金額をバカにしたように響くかもしれないが、そうではない)報酬ではない。

少なくとも私の場合は、たとえ金銭的な価値がなくても、何かもっと激烈な報酬を求めていた。

それが何であるかよくわからないが、それまで虐待を受けてきた半生の激烈な傷を縫合し癒すのに足る、激烈に光り輝く時間でないと、求めるのにふさわしい報酬と思えなかった。

内定をもらった企業に入社しても、そんなものは得られない。

 

二つめの、何かを決める「私」がいない、というのはどういうことか。

それは、それまでの人生で何かを決める「私」を育てられてこなかった結果である。

主体性、自主性、自律性などなど、さまざまな言い方が浮かぶだろうが、ともかく私の場合は、つねに母親の顔色をうかがい、母親の意向を忖度して生きてこなければならなかった。

母親が描いた絵を、自分が描いた絵として学校に宿題として提出したことなどは、その象徴的な例である。

そんなことをすれば自分の首を絞めるだけなのに、あたかも母親の意志が自分の意志であるかのようにけんめいに装った。

主体的、自主的、自律的であることは、少年の私にとってはすなわち、母の意に沿うことであり、ほんとうの自分の意志はその存在すら探さずに生きていくことであった。

 

こうして真の主体を認めない環境によって「私」が無化されていった。

学校も社会も、家庭における母親と手をたずさえて私のまわりに包囲網を築きあげ、私の「私」を絞め殺していたのである。

それでは自由を楽しもうにも、楽しむ器がなかった。

それでは何をやればいいか、わかるはずもなかったのである。

 

 

私にとっての母親が、Kさんにとっての父親だったのではないだろうか。

 

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しかし、これはけっして公式化できるものではない。

参加者の方からは、自由放任主義の親御さんからニートの子が育つ例なども語られた。

もっとも「放任」にもいろいろあり、愛情のない放任はただのネグレクトに限りなく近いようにも思う。

そしてその「愛情」は、往々にして「支配」と取り違えられているのだ。

 

日本のひきこもり当事者の方々から語られた話は多岐にわたり、とうていすべてをご紹介することはできないが、

「親も自分を生きていない」

「自分を生きている大人のモデルが周囲にない」

という共通項があるように思った。

これらもやはり、表現する角度こそ異なれ、何をやればいいかを決める主体の圧殺に通じているようにも思う。

 

参加者の皆さまもオンラインでの開催に慣れてきて、自分の意見や体験談を発表するときのために画像を用意し、Zoomの画像共有の機能で他の人たちにも見せてくれる方もあった。

コロナ禍の副産物といえるだろうか、オンライン開催というものが、一つの文化様式として整いつつあるようだ。

 

いずれにしても、

「何をやればいいかわからないなら、何をやればいいかを上から教えてやる、与えてやる」

という短絡的な見地から、

「何をやればいいかわからないなら、つべこべ言わずに、とにかく働けばいいのだ」

などというのは、まったくの的外れなのである。

すると、

「では、どうすればいいのか」

という反問が必ずや出てくると思うのだが、これに応えようとすると、また長く莫大な言葉を必要とする。

私にとってこの問題の思索は、まだまだ続きそうである。

 

 

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やっぱり今日もひきこもる私(365)「働けない」のではなく「働く気になれない」

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Photo by Safar Karki

 

edited by ぼそっと池井多

 

最近いただいたコメントを、編集してご紹介させていただきたい。

異なる記事へいただいたコメントも一つにまとめさせていただいた。

 

ぼそっと池井多

何をやってよいかわからないからひきこもりになった」

というのと、

やるべきことが山のように押し寄せてきてひきこもりになった」

というのは、いっけん正反対のように見えて、じつは一枚のコインの裏表のように同じことを語っているのではないか。

 

o-bayashi

私は、

「やるべきことが押し寄せてくる」

というよりは、

「なぜそれらをするのか意味がわからない」

という感覚が苦痛です。


働くことについても、何回か試してみましたが、

「なぜこの作業をするのか。どうせ死ぬし、地球もそのうち無くなるのに、なんでこんな面白くもないことをやんなきゃいけないのか。別に今これを苦労してやらなくても何も問題はない。」

という感じで終了します。


ひどいときには、今ここで呼吸して存在してる意味がわからなくて混乱します。パニックです。だいたい無理に何か続けるとこうなります。


自分の興味のある分野だとしても、あらかじめ決まったやり方を納得できずに続けるのは苦しい。だからといって、方法を変えるほどの技能と権力は自分にない。そんなときは、ひたすら掃除と拒食に逃げます。

 

自分の興味のままに探索して、思うようにやるのは楽しい。掃除ではそれができる。 身の安全が保証された世の中で、とくに生命として日々やらなければいけないことは食事や風呂や掃除くらいしか存在しないので、なかなか会社や組織のもとで働こうとは思えません。

 

ゴギョウ

私はそういう不快な切迫感に追いまくられて生きていくことが嫌だからひきこもりになったのだと思います。 

 

言い換えれば、不快な切迫感から逃れつつも、人生そのものから逃れるのではなく、命を永らえる術として、「ひきこもり」という困難な血路をやっとの思いで切り拓いたのだ。 

 

この言葉には、私は二つのことを思い出しました。

一つめは、自分がひきこもりを始めた動機の半分以上を「自殺の代用・延期」が占めていたことです。

二つめは、その原因として社会システムや親から切迫感ばかり煽られ、結局、彼らのその時々の都合で、自分には不適合な選択肢へ追い立てられるのが嫌になったということです。

 

やり直すつもりで引きこもりましたが、成功とはいい難い引きこもり生活で別の切迫感に追い立てられ、仕事依存症の変形みたいな精神状態になって、ハウツー本などを異常に集める「本ホーダー」と化していて、それが形を変えて続いています。

 

支援者が考えつくようなことは、もうとっくの昔に考えたり試したりしている

という記述も、その通りだなと思いました。 

 

あと、全寮制就労移行施設なのですが、やはり私は反対の立場に立つでしょう。仮に自分がそこでいい思いをしてもです。

何故かと言うと、結婚を例に考えてみれば分かると思います。 例えば、監禁型結婚相談所という物があったらどうでしょう?

社会問題にならないでしょうか?

 

(……中略……)

 

私も「なぜ働かない」と訊かれたときに、

「あなたはその理由を自分でわからないのか」

と言ってやるべきでした。そう問い返す事も出来たのだと、今更ながら気が付きました。

 

「普通」から逸れたにしろ、自立欲の非常に強い私が「就労しない」という選択までしたのは、「働け」と 言い続けている側の人達(代表例は親)がはまっているのが、どう考えても悪循環にしか見えなかったからです。

そして、その被害を私が受けたからでもあります。

 

しかし、私自身も世間並みに働くとなると悪循環を起こす働き方以外を知らず、それを拒否しているものの、どうしていいか分からないというのが実情です。

 

 私が知る限りでは、このような悪循環があります。 


1.本人の持続力を越え、世間の基準に合わせて働き続けると、仕事以外の全てがやっつけ仕事なって乱雑を極める。 


2.1の結果、ストレスなどから安易な浪費を始め、手元に金が大して残らない。

疲労から判断も鈍くなり、人間関係も攻撃的で険悪なものになって、生活が荒れ、労働と報酬の価値が薄れる。 


3. 2の結果、仮に仕事を変えようにも、助力、資力、気力、時間のどれもがなく、問題を解決しようとしてますます限度を超えて働こうとしてしまう。

 結果的に過労で止まるか、燃え尽きるか、だらだら他者を攻撃したり搾取しながら続けるか、労働の報酬を無どころかマイナスにしてしまう。

 

私はそんな事例を身近に見ているので、働くのに過度に慎重にならざる得ないのです。

 

昼行灯

親は、世間体を気にしてしまいます。

私の親は、教師で、「社会的には理想の教師」として地域の人から尊敬されています。

しかし、ひきこもっている私自身の苦しみを理解するどころか、人格を無視した暴言を吐きます。

 

私は、愚痴をこぼすことがあっても、絶対に家庭内暴力ということはしません。むしろ、理性的に自分のこれまでの苦しみを訴えようとするのに、親はそれを遮り、私自身の人格特性を冒瀆するような発言を浴びせるのです。

 

親は市役所の福祉関係者に相談し、入れ知恵されているようですが。お役所のひきこもり支援など、建て前的に綺麗ごとに過ぎないように思えてなりません。

親亡き後の人生を心配するのは分かります。しかし、私の奪われた青春は、もう帰ってこないのです。

 

(……後略……)

 

引出し屋と呼ばれる組織に自らの身を委ねるのは、純粋な心を持った当事者だと思います。

他人が、お膳立てしてくれた、解決プログラムのようなものに、私は、絶対乗っかかりたくありません。

 

(……後略……)

 

ひきこもりは、「働くことが当たり前」という価値観に異議申し立てしているのではないことは、よく理解できます。

「LGBTには生産性がない」

という発言が、社会的にバッシングされました。しかし、

「ひきこもりが働かないこと」

に対しては、偏見や差別が、根強く残っていると思います。


父親と母親は、働かない私に対して異常なまでに暴言を吐きます。

教師として人権問題に取り組み、それなりの評価をされてきた人間とは到底考えられない態度です。

今すぐに働け。働けなければ「障害者手帳を交付してもらえ」。

そういう二者択一を迫ってきます。

 

ハローワークなどに行っても、不本意な仕事しかあてがわれないのが現実であり、私は働く気になれないのです。 

団塊の世代として、それなりにリベラルな物の見方をする人間が、「働くこと」に対しては、旧態依然とした価値観に囚われているのは、皮肉のように感じてならないのです。

 

ぼそっと池井多

昼行灯さま コメントをどうもありがとうございます。 

ハローワークなどに行っても、不本意な仕事しかあてがわれないのが現実であり、私は働く気になれないのです。 

 

この言葉は核心を語っていると思います。 

私たちのようなひきこもりが働かない理由は、なにも「職能」や「技能」がないからにかぎったことではないでしょう。

ひとたび働く気になれば、自分から職能や技能を身につけるだけの能力は、多くのひきこもり当事者は潜在的に持っていると思います。

働かないひきこもりの多くは、働くもっと手前の段階で、たとえば

「なぜ自分はこの人生で働くのか」

というような、いわば哲学的疑問に行き詰って、働く気になれないように思います。

だから「就労支援を受けさせて職業訓練をする」というのが、いかにひきこもり支援として的外れであるか、ということです。


また、今はコロナ禍で特殊な状態にありますが、もっと長いスパンで考えると、必ずしも「日本経済が悪くて雇用がないから働けない」というわけでもないでしょう。

発展途上国はもちろんのこと、フランス・イタリアなど他の先進国のひきこもりと話していても、私はそのように思います。

だから、政府がひきこもり支援として中途採用の雇用創出などに力を注いでも、直接的な効果があらわれないのは当然です。 

ハローワークへ行けば、そして仕事を選ばなければ、仕事はあるかもしれない。けれど、それらの仕事は、さんざん教育虐待を受けて育ってきた者が、人生が報われる感覚を持つに足る労働内容ではないことでしょう。

それでは、これまで生きてきた人生とは「帳尻が合わない」という感覚が生まれるから「働けない」のではないでしょうか。 


こういうことをいうと、きっとすぐに、

「贅沢だ」

「喰うのに困らない世の中になったから、そんなことを言っていられる」

などと言われてしまうことでしょう。

しかし、この「職はあるけど働けない」という実態を無視して、ただの雇用問題に矮小化していては、ひきこもり現象を語れないように思います。

このあたりのことを、もっとすべての人がわかる言葉に解きほぐしていきたいと考えております。

 

 

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 明日は庵-IORI- で

「何をやればいいかわからないからひきこもった人いる?」

というテーブルを開きます。

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やっぱり今日もひきこもる私(364)視線から感染する病気?~「目で殺す」

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Original photo by Sbringser

by ぼそっと池井多

 

本日、ひきポスから

「1000文字小説」

を一篇、発表させていただいた。

www.hikipos.info

 

この「1000文字小説」というシリーズは、もともとひきポスのライターである喜久井ヤシンさんが、さまざまなイラストレーターとコラボしながら連載しているものであり、いわゆるショート・ショートと呼ばれる短編小説である。

1000字から、多くてもせいぜい1300字ぐらいで、エスプリの効いた一つの寓話を語るというのは、なかなかむずかしい文芸である。

……そう、芸なのだ。

昭和の時代には、このジャンルに星新一といった巨匠がいた。

 

喜久井ヤシンさんに、他のライターでもこのシリーズで書いてもよいかと尋ねてみたところ、快い返事をいただいたので、菲才ながら私も一作、ためしに書いてみたという次第である。

もちろん、拙いものしかできない。

寓話であるから、SF(サイエンス・フィクション)のような正確さはなく、突っこみどころ満載である。

 

しかし、「視線でうつる病気」というのは、私がまったく一からこしらえた虚構ではない。

ちゃんとヒントになる先例があった。

なんと過去において、

「この感染症は視線で伝染する」

と専門家によってまともに論じられた病気があったのである。

 

 

 

 

ペストであった。

これは、1894年にペスト菌が発見されるまでは、原因が特定されない病気だった。

さらに、パスツール1861年に細菌を発見するまでは、すべての伝染病の原因は謎のままで、人類はあらゆる可能性を疑っていたのである。

そして何千万人もの人がペストで死んでいった中世、1349年にこのような解説書が書かれていた。

 

この疫病は、空気によって、つまり病人と話をしたり、その呼気を吸ったりすることで感染する、と言われている。

しかし、この疫病の最も恐ろしい所、すなわち、いわば「即死」をもたらすのは、患者の目から発した一種の霊気が、患者のそばにいて、その患者と目を合わせた健康者の目を撃った場合である。


エウクレイデスの「視線学」に関する著作を読んだことのある者ならば誰でも、疫病がこのようにして起ることに疑いを抱く者はあるまい。

これはごく自然に起こるのであって、けっして何か神秘的な力によるのではない。

 

太字部分は引用者である私による。

これは、今のフランス南部にあたる、当時の司教領モンペリエに住んでいた医師によるペストの論考である。医師の名前はわかっていない。

 

こうして、

「ペストは視線でうつる」

とされたため、病人を介護する者や見舞いに来た者は、けっして病人の目を見ないように気をつけていたらしい。

見舞客はまだしも、看護師は大変であった。

横向きで病人に接し、患部を見ないでさまざまな処置をしたという。

 

文中に出てくるエウクレイデスとは、古代エジプトの数学者である。

彼によってつくられた「光学」という名の学問は、「視線の学問」「眼差しの学」であった。

 

「目で殺す」

といえば、田原俊彦にそういう歌があったらしい。

 

www.youtube.com

 

もっと古くは江戸時代に、

 

大阪本町 糸屋の娘
姉は二十一 妹は二十歳はたち
娘二人は目で殺す

 

などと言われ、美女が流し目を投げて男をたちまち惚けさせてしまうことを「目で殺す」と言っていた。

そういうことは今日でも起こる。

私などはしょっちゅう殺されていることになる。

 

しかし、そのように殺されて喜ぶ事例だけでなく、ペストのように誰もが感染したくない病気が視線でうつるということが、かつては大まじめに論じられていたわけである。

 

今日はエイプリル・フールだから、私が根も葉もないことを書いて読者の皆さんをかついでいると思われるといけないので、出典を挙げておく。


参考文献:村上陽一郎『ペスト大流行』岩波新書 1983年  p.112

 

 

  

 

やっぱり今日もひきこもる私(363)庵-IORI- テーブル「何をやればいいかわからないからひきこもった人いる?」開催のお知らせ

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Photo by Dylan Gillis

by ぼそっと池井多

 

本ブログでしばらく前から話題になっている、

何をやればいいかわからないからひきこもったのか?

という問題について語り合うテーブルを、次回(4/4)開催の庵-IORI- で開かせていただきます。

 

 

人生で何をやればいいか 

わからないからひきこもってしまった

という方 いますか

 
何になろうと

今の世の中では自由なはずなのに

何にもならないでひきこもりになった

という方 いますか

 

 

それって 苦しいですよね 

なぜ そうなるのでしょうか 

 

 

そういうことを語り合うテーブルです

 

 

開催日時:2021年4月4日(日) 14:00~16:45

オンライン開催、参加無料です。

ご関心のある方は、日本全国どこからでもご参加ください。

 

参加申込みの方法

メールでお申し込みください。


宛先:hikiiori.online@gmail.com


メールに下記を必ずお書きください。

1. 当日参加する時に使用するお名前(ニックネーム可)
このお名前でオンライン会場への入室をOKとしますので、必ずご記入ください。


2. 人数
自分だけの場合は「1人」。

複数人の場合は、人数とそれぞれのお名前。


・参加希望者が定員80名を超えた場合は抽選とさせていただきます。


・申込み締め切り4月2日(金)←重要


・参加可否のお知らせ:4月3日(土)昼頃
 参加可となった方に、当日のZOOMのアドレスをお知らせします。


※ 主催は庵-IORI- です。

  VOSOT(チームぼそっと)ではありません。

 

このテーブルで話された内容は、個人を特定される情報を除いたうえで、本ブログやひきポスなどの当事者メディアやシンポジウムなどの場で「当事者の声」として紹介させていただくことがありますので、その点、あらかじめご諒承ください。

例外的に紹介NGという話は、そのつど個別にご相談ください。

 

また、庵-IORI- はどんなことでもタブーなく話せることを主旨とした対話の場です。

他の方が、あなたが好きなことを言うとはかぎりません。

あなたが不快に思う事柄が話されても、運営側も他の参加者も責任を負いかねますのでご諒承ください。

なお、あなたは不快に思った場合、いつでもテーブルから退出することができます。

 

ご参加申込みをお待ちしております。 

 

庵-IORI- のホームページ

iorihiki.wordpress.com

 

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言葉に掘り起こされる私(7)ハーマン・メルヴィル『書記バートルビー』"I would prefer not to"

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b5/Wall_street_1867.jpg/1024px-Wall_street_1867.jpg

1867年ごろのウォール街 画像:Wikimedia

 

by ぼそっと池井多

 

これまで私は、メルヴィルという作家をよく知らなかった。

『白鯨』というひどく難解な大作を書いたらしい文学史の中の人物として名前を知るのみであった。

一作も読んだことがないばかりか、『書記バートルビー』などという短編小説にいたっては、題名すらも知らなかったのである。

 

ところが先日、フランスの高学歴ワーキング・プアであるルシアン・クエイリューの文章を翻訳しているうちに、この「バートルビー」という登場人物の名前と、作中で彼が何度となくつぶやく、

"I would prefer not to" 

という言葉が出てきた。

以下の記事のことである。

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翻訳者がそれを知らないまま翻訳を発表するのも無責任だと考え、あわてて図書館で借りて読んでみたのだった。

 

原作は Bartleby, the Scrivener : A Story of Wall Street というタイトルであり、いくつも日本語訳が出ている。

訳者によって、タイトルは、

バートルビー

「書記バートルビー

「書写人バートルビー

「代書人バートルビー

などと、さまざまな邦題がつけられている。

 

ようするに、scrivener という職業をどう訳すかである。

これは、まだコピー機がなく人が手書きで文書を書き写していた時代に、その書き写しを職業としていた事務員のことである。

この小説が書かれたのは1853年というから、ちょうどアメリカからペリー提督に率いられた黒船が日本へやってきた年である。

 

 

作中の語り手は、ニューヨークのウォール街で法律事務所を経営し、市民的な徳目を身につけた法律家の紳士である。

いまもウォール街といえば世界の金融の中心として名高いが、日本では江戸時代後期にあたるこの時期にも、すでにウォール街は資本が集中し、アメリカの金融の中心地だったようである。

そういう街に舞台を持ってきたところにも、作者メルヴィルの意図が潜んでいる。

 

さて、その法律事務所にバートルビーという青年が就職してくる。

しかし彼は仕事を命じられると、

「やらずに済めばありがたいのですが(I would prefer not to)」

と拒否する。

さまざまな状況で、雇い主が何度、どんな用事を頼んでも、同じ言葉によって彼は拒否するのであった。

語り手が、たまたま休日に事務所に寄ってみると、誰もいないはずの仕事場に人の気配がする。

どうやらバートルビーは自宅へ帰らず、少ない所持品とともに事務所に住んでいるようである。

語り手はなんとも不気味に思う。

やがて、仕事をしない彼に、雇用者である語り手はとうとう解雇を言い渡すが、そのときもバートルビー

「去らずに済めばありがたいのですが」

と言って事務所から出ようとしない。

しまいには警察が呼ばれ、バートルビーは刑務所で食事を拒んだまま息絶える。

 

 

 

 

何度となくバートルビーの口から言われる

"I would prefer not to"

という重要なセリフは、訳者によって訳し方がちがう。

 

光文社古典新訳文庫から出している牧野有通氏は、

「しない方がいいと思うのです」

と訳している。

 

しかし、would は仮定法である。

だから私は、

「やらずに済めばありがたいのですが」

の方が原文のニュアンスに近いように思う。

 

アメリカ英語からすれば、かなり丁寧な表現である。

"I don' wanna do it!"(やりたくねえよ!)

"Give me a break."(勘弁してくれよ)

"I'll reject it"(拒否します)

などなど、いくらでも拒絶の表現はあるだろうに、あえて

"I would prefer not to"

バートルビーは言う。

 

ルシアンはここに「ひきこもり」を見るのであった。

ひきこもりは積極的に社会へ反旗をひるがえしているわけではない。

ただ、「生産翼賛主義 productionism 」とでもいおうか、働いて、動き回って、何かを生産することに、無条件に価値を認め、それを賞讃する社会の風潮に、できるだけ加わりたくない、という気持ちをひきこもりは持っていることが多い。

そして、それを控えめに表明する。

それは、無為や破壊といった、生産に対して積極的に対峙する価値を打ち出しているのではない。

バートルビーの「I would prefer not to」という仮定法は、そのようなことを示唆しているというのである。

 

また、バートルビーがわずかな所持品とともに、職場から動かず、そこに住んでしまっているというのも、あまり動きたくないひきこもりならば、なんとなくわかる心性である。

私はそとこもりの最中に、同じようなことをあちこちの都市でやっていた。

 

しかし、一回だけバートルビーが小さな反旗をひるがえすときがある。

雇い主が、

「なぜ働かない」

と問い詰めったとき、

「あなたはその理由を自分でわからないのですか」

と反問するのであった。

これは、資本主義経済なり自由競争社会なり、「こちら側」である一般市民の原理で動き回ることを当たり前に考えている語り手には、何のことやらさっぱりわからないまま終わる。

けれども、読み方によっては、これはひきこもりの側から「ふつうの人」の価値観を鋭く問い詰めた瞬間ということになるだろう。

 

ひきこもりはめったにそういうことはしない。

しかし、まれに懐中の刃を取り出すように、そういう問いを光らせることがある。

バートルビーの反問は、そういう瞬間だったのである。

 

メルヴィルの作品は、どれもいろいろな読み方が可能な文学作品ということで知られているらしい。

謎に満ちたこの作品もそうである。

ブランショデリダドゥルーズといった20世紀フランスの現代思想家にも影響を与えた作品だと聞いても、「なるほど」と思わせる。

 

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 原文は、以下のサイトで無料で読める。

en.wikisource.org

www.hikipos.info

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やっぱり今日もひきこもる私(362)明日「ひ老会」をリアル開催します。

https://scontent.fkix2-1.fna.fbcdn.net/v/t1.0-9/136125803_1035359560291045_9220884755600588823_o.jpg?_nc_cat=104&ccb=1-3&_nc_sid=825194&_nc_ohc=DgmvTmWz2-sAX_Gek9M&_nc_ht=scontent.fkix2-1.fna&oh=c94790c4c44d08352c39b091a925d03a&oe=6080D256

 

by ぼそっと池井多

 

明日、第23回「ひ老会」をリアル会場で開催させていただく。

これは、とくに緊急事態宣言が解除になったからリアルで開催する、というわけではない。

緊急事態宣言下であっても、100人以上入る大きな部屋で、20人足らずの人数がお互いじゅうぶんな間隔を取って、たしょう寒くても換気もたえず行なって開催するぶんには、コロナ感染のリスクは非常に小さいと判断し、これまでもリアルで開催してきた。

 

しかし、場所を借りている公共施設が、緊急事態宣言のために夜間は閉館となっていたため、これまでは会が終わると、あわただしく退出しなければならなかった。

その点、明日からはもう、会が終わってからも、あわてて退出する必要がなくなったため、その場に残ってだらだらと会話することができる。

 

 

 

 

この一見つまらない点が、じつは重要なのである。

私たちは「第2部」だの「アフター」だのと呼んでいるが、会が終わってから、なんとなくその場に残って、たいして意味もなさそうなおしゃべりに興じる時間から、私などは多くのことを学ぶ。

 

もしそうならば、初めから「第2部」だけやればよいように思うかもしれないが、それではダメなのである。

やはり「第1部」があって、初めて「第2部」が成立する。

ちょうど何かのイベントがあって、初めて打ち上げ会が成立するようなものである。打ち上げだけやっても、盛り上がらない。

 

コロナ禍で私たちが奪われたものの一つは、この「第2部」のような時間ではないだろうか。

老子がいった「無用の用」とは、こんなことを指すのではないかと思う。

意味がないように見える時間に、もっと玄妙な意味が潜んでいるのである。

そういう高次な意味への希求は、たいてい「不要不急」である。

 

けれども、緊急事態宣言が解除され、その場にだらだらと残ることができるようになったとはいえ、明日はまだ本格的に「第2部」を復活させることができない。

以前のように、靴を脱いでくつろげる和室の中で、いささか密なムードで「第2部」ができるようになるのには、まだしばらくかかりそうである。

 

 

スパゲッティの惨劇(89)責任恐怖症だった私 ~ なぜ自由から逃走したのか?

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責任は注射である。 写真:PhotoAC

 

by ぼそっと池井多

 

なぜ「自由からの逃走」をしたのか

先日「海外ひきこもりだった私(33)」では、ひきこもりを「自由からの逃走」という視点から考えてみた。

vosot.hatenablog.com

 

しかし、そもそも一般的には、「自由」は良いものとされ、心地よいものと捉えられている。

なのに、なぜ人は自由から逃げ出そうとするのだろうか。

 

フロムは『自由からの逃走』という大著で、それをていねいに解き明かしていったわけだが、私が自分の体験からおおざっぱに語ると、私が自由から逃げてひきこもったのだとすれば、それは、

「責任を取らされるのがいやだから」

という答えにまとまるのである。

 

では、責任とは何か。 

日本語で責任は「められる務」と書くから、

「責められるのは、誰だっていやなのは当たり前」

などと単純に片づけてしまいたくもなるが、そんなに簡単な代物ではない。

 

一方では、英語の「責任」responsibility の語源であるラテン語の respondere(応える)や、日本では室町時代あたりから使われ始めたらしい漢語の「責任」にさかのぼって、ミシェル・フーコーふうに

「責任の歴史」

を叙述するというのも、ちょっと大変すぎる。

 

そんなことは今、どうでもいいのである。

ここではただ、私にとって「責任」はわけのわからないお化けのようなもので、ただひたすら恐ろしかった、ということを語れば十分なように思われる。

 

責任とは注射である。

もちろん、人は誰しも「責任」を不快に思うにちがいない。

「責任」が快感だ、などという人はいるであろうか。

 

たしかによく、

「大人になり、一家の主となって、責任を持ちたくなった」

などと、いかにも「責任」が好きだと聞こえる言葉を耳にすることがある。

しかしそれは、自らの社会的な成熟をアピールして、妻や子どもを養う一家の主としての 「大黒柱」だの「男の甲斐性」だのといった、いささか昭和的な価値に裏づけされた自己評価がほしいため、その対価である責任という不快を倒錯的に好んでいるふりをしているのにすぎないのではないか。

あるいは、自分にそういう暗示をかけているのである。

 

「社長としての責任」

といった言葉を、社長椅子に深々と座って自慢げに吐く人も同様である。

そういう人は「責任」が好きというよりも、「責任」の裏側に貼りついている権力や自由度がほしいだけである。

何の見返りもない、純粋な「責任」だけであったなら、人は誰しも逃げたいのではないか。

 

もしまともに育つことができたなら、人は大きくなるにつれて、「責任」がもたらす不快に慣れていく。

私に言わせれば、それは注射をされる時のチクッとした痛みのようなものである。

子どものころ、人は皆、多かれ少なかれ注射がこわかっただろう。それを表に出してこわがる子と、強がって我慢する子がいただけである。

しかし、大人になるにつれて「注射がこわい」と表明する人は少なくなっていく。

よほど可愛い子ぶりっこする子ぐらいしか、そういうことを言ってもサマにならないので、人はしだいに言わなくなる。

 

それでは、大人は注射を痛くないと思っているだろうか。

そうではないだろう。

大人になっても、注射が皮膚に刺さる瞬間に、ごくわずかな恐怖を感じているのだと思う。

けれど、それは子どものころに感じた注射の恐怖に比べると、問題にならないほど小さくなっているので、ほとんど自覚しないまま時間が過ぎているだけなのである。

同じように、人は大人になるにつれて「責任」をまったく不快に思わなくなるのではなく、「責任」に対しておぼえる不快が小さくなっているか、あるいは、不快感をごまかす術を心得ているだけなのである。

 

「スパゲッティの惨劇」における責任

先ほど私は、

「何の見返りもない、純粋な責任」

と書いた。

つまり、その責任を負っても、権力も報酬も何も返ってこないで、責任からもたらされる不快だけが感じられるような責任である。

「そんなものがあるのか」

と反問されるのにちがいない。

 

あったのだ、私の成育歴においては。

ただし、今となっては、

「あれは果たして『責任』だったのか」

と首を傾げざるをえないのだが。

 

それを、このシリーズのタイトルにもなっている「スパゲッティの惨劇」にたどることができる。

 

「今夜の夕食に何を食べたいか」

という質問を母に投げられるとき、私は第一声はいつも

「何でもいい」

と答えた。

食べたいものが思い浮かばなかったからだが、それは何か希望を答えて、その答えに対する責任を取らされることを恐れたために、思い浮かべなかったという方が正確である。

「何を食べたいの」

と訊いてくるとき、母の頭の中にはすでに

「自分(母)は何を作りたいか」

という計画が想定されていた。

母が作りたい献立は、その日によってチャーハンだったりラーメンだったり変化したが、スパゲッティ・ナポリタンだったことが多かったために、代表としてスパゲッティにご登場ねがい、このシナリオを私は「スパゲッティの惨劇」と名づけているのである。

 

ここで、

「スパゲッティが作りたい」

というのは、母の希望であったわけだ。

ところが母は、それを私の口から、私の希望として言わせたいために、ほとんど毎日のように、

「今夜、何が食べたい」

と私に訊くのであった。

 

それは、母の責任を私に押しつける儀式のようなものであった。

 

初めは「何でもいい」などとノラリクラリとかわしている私も、母が、

「スパゲッティを食べたくない?」

と誘導尋問してくるあたりから仕方なく

「スパゲッティを食べてもいい」

と応じ始める。

 

「そうか、そこに答えがあるんだな。早く答えにたどりついて、この尋問を終わらせよう」

という気持ちから応じ始めるのである。

 

ところが母は、

「スパゲッティを食べたいんだったら、はっきりと大きな声で

『スパゲッティを食べたいです!』

って言いなさい!」

と機嫌が悪くなってくるので、私は仕方なく、

「スパゲッティを食べたいです!」

と大きな声で言わざるをえない。

 

すると、私がそう言ったとたん、母は「しめた」と言わんばかりに、

「よし。食べたいと言ったからには、食べなさいよ。

人は自分の言葉に責任を持つものよ

と言うのである。

 

私はゾーッと全身に寒気が走るような恐怖を感じた。

 

そして、この家庭劇の展開は、いつもお話ししているように、やがて会社から帰ってくる父による私への打擲と、私が土下座させられて謝るという結末へ向かっていくのであった。

 

そのため、次の日に、

「夕食に何が食べたいの」

と訊かれても、責任を取らされるのがこわくて、私は何も希望が頭に浮かばない。浮かべないのである。

惨劇が繰り返され、パターンは再生産され、私の主体はどんどん母によって剥奪されていった。

その結果、私には「責任」というものが何なのか、さっぱりわからなくなった。

学校でも、そこまで詳しく「責任とは何か」ということを教えてくれない。

そのため、私は人間として社会的にもっとも大事な責任という概念がわからないまま大人になっていったのである。

 

そんな私にとって「責任」とはとにかく、よくわからないが、父のベルトで打たれ、何に謝っているのだかわからないまま土下座して屈辱の時間をすごすことであった。

だから私にとって「責任」は、まるでお化けのように、正体不明のまま、ただひたすら恐ろしいものでありつづけたのである。

 

 

スパゲッティとは何か

ここで「スパゲッティとは何か」という問題である。

先ほども述べたように、夕食の献立はチャーハンだったりラーメンだったりする日もあったが、このスパゲッティは母と私の関係性の中で、象徴的にもっと大きなものを指しているように思えるのである。

たとえば、「立派な会社に正社員として勤めるエリート市民」といった概念である。

 

母は、私をそういうものにならせたかったのに違いない。

それは母の希望である。

しかし母は、それを母の希望ではなく、私の希望として、実現させたかったのだ。

私の希望であれば、私がそういう大人になった責任は、母にはかかってこず、私だけにかかってくる。

 

そういうふうに母の希望を、私の希望にすりかえられながら、私はうかうかと大学まで入ってしまったが、いざ学生を終えて大人になるというときに、

「ちょっと待て。それはぼくの希望じゃない。母の希望だろう。

こんなことで人生の責任を取らされたのではかなわない」

と私の無意識が気がつき、私は動けなくなっていき、ひきこもりになったのである。

 

大学を出るとき、私の目の前には、大人として活躍する自由が始まろうとしていた。

自由と責任はセットである。

私は、その責任を負いたくないからひきこもったのだ。

 

 

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