治療者と患者
与那原恵論文を「品がない」という理由のもとに否定した齊藤學。 それでは彼自身の文章は「品がある」のか。検証する。
1990年代から齊藤學の精神医療はすでに一部で警鐘を鳴らされていた。
いままで麻布村の問題を取り上げてくれるメディアは一つもないように思っていたが、20年前にはあったのだ。
ひきこもりを社会から隔離する精神医療
母の目には、私はどのような存在として映っていたか。
幽体離脱は近親姦を受けた女性に特有な症状ではなく、主体への著しい侵害を受ければ、男性にも生じる症状である。 しかし、それを認めると、齊藤學は専門家として都合が悪い。そのため私は麻布村から追放された。
精神科医療機関における治療者を中心とした熾烈にして些細な患者たちの権力争い
はたして私はモンスター・ペイシャントか。 麻布村戦争とドラマ「ディア・ペイシャント」を徹底比較。
麻布村のことは、一見すると、日本全国、いや世界中どこにでもある人間同士のくだらないイザコザと権力争いに見える。 しかし、それが精神医療として、患者に対する治療者の絶対的優越性のもとに行われていたとなると、持っている意味ががぜん変わる。これは…
京都ALS嘱託殺人事件で、容疑者となった医師二人を批判する論者のなかには、亡くなった林優里さんはピアサポートなどで生き延びる希望を得られたはずだ、という者もいる。 「ピアサポート」というと、私は本ブログの出発点となる阿坐部村の物語に立ち返りた…
優先順位、第1位の問題テーマを、その本のために書いた。・・・
齊藤學の元患者たちは証言する。 あれはどのような「精神医療」だったのか。
私は、精神医療の治療の対象とされることに異議を唱えているのではない。治療の仕方に唱えているのである。
「治療者と患者(331)」からのつづき・・・ by ぼそっと池井多 東京・港区で1990年代から精神科クリニックを経営する精神科医、齊藤學(さいとう・さとる)と、その転移患者たちから、これまで私が受けてきた組織的な迫害と虐待については、本ブログの「治…
麻布村から迫害され追放されたことはトラウマだった。誰かに話を聴いてもらい、苦しみを薄めることができなかったから。 そこへ行くと今日のコロナは、同じ体験をしている人が周り中にいるので、話を聴いてもらえ、苦しみを薄めることができる。
渦中の当事者は語れない。環状島の内海から必死の思いで這い出て、島に内側から上陸し、内斜面をよじのぼるときに排出される言葉が当事者発信である。
コロナで勢いづく新興宗教。 麻布村も例外ではない。
精神科医、齊藤學は患者である私を「体制のスパイ」と呼んだ。
「じゃあ、他の医療機関へ行けばいいだけじゃないですか」 ところが、そうはいかない。 なぜ、いかないか。
「治療者と患者(327)」からのつづき・・・ #齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害 by ぼそっと池井多 前回「治療者と患者(327)」の最後で、私は、 麻布村の患者たちが、かんたんに転院できない理由も、麻原彰晃と齊藤學、麻布村とオウム真理教との…
25年前の今日、あの悪夢のような事件が起こった。 オウム真理教の教祖、麻原彰晃と、麻布村の教祖、齊藤學は、こんなにも共通点がある。
精神科医、齊藤學から受けた被害を、まず言葉にすることが大切です。告発は、そこから始まります。
齊藤學(さいとう・さとる)の患者たちは告発する。
「治療者と患者(323)」からのつづき・・・ #齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害 by ぼそっと池井多 前回「治療者と患者(323)」からの続きである。 vosot.hatenablog.com あほばいざー: ホーッ、ホッ、ホゥ!(笑ゥ!) リカモリング・アホバイザー…
けっして泣き寝入りしない患者たち。
精神科医 齊藤學の患者たちは告発する。 治療者のあいだではどんなに「権威」であっても、こんなに患者たちは苦しんでいるのだ。
齊藤學の元患者たちは告発する。
引き出し屋をめぐるニュースが多い。阿坐部村の塞翁先生も、「債務不履行」で訴えられるということが、今回の「赤座警部」引き出し屋裁判で明らかになった。
三菱電機の教育主任が、若手新人に「自殺しろ」といったために、自殺教唆で書類送検になった。同じ構造のことがさいとうクリニックという精神医療機関で起こっても、なぜこちらは警察から調査が入らないのだろうか。
新東名高速道路での事故から、ふたたび暴力的支援団体の問題が取り沙汰されるようになってきた。