海外ひきこもりだった私
「やることが山のように押し寄せてきてひきこもった」 と自分では考えているのだが。
私が電気カミソリを使わない理由
すでにあのことから「社会の時間」と「私の時間」は著しく別物であった。
40年前の札幌の記憶は、大通り公園でも時計台でもない。駅の南に広がる地下街のすし屋で飲んだ一本の生ぬるいビールだった。
最後に会った飲み会の席で、創一さんが何気なく言ったことばが、長らく私に突き刺さった。
私と父のあいだには、父と息子らしい熱い衝突はなかったのではないか。
なぜ「語る会」という名称であったのか。それは、支援というものの本質を向こう側に突き抜けるまで考えた、一つの結論ではなかったか。
なぜ、ひきこもりの私が「国際ジャーナリスト」などという外向的な肩書きを持っていたのか。
四半世紀前のちょうど今ごろの季節、師匠が急逝した。 私の存在基盤が崩れた。
初めてパリに行った日の記憶。……
いちばん怖いのは、知らない人ではなく、知っている人……
「親の死に目に会えない」は懲罰として機能するのか
なぜ私は海外ひきこもりになったのか。その理由の根源に迫ってみた。 在日へのあこがれ。異邦人性。そして「そとこもり」の心地よさ。……
自分という存在を峻厳に拒む「社会」へしたたかに潜入し、望まれない社会参加を企てる子どもは、両親たちが交わす謎の信号を傍受し、未知の意味体系を解析する。
「海外ひきこもりだった私(20)」からのつづき・・・ Edited by ぼそっと池井多 みるく: 深い物語には、深い物語が呼応する。 ぼそっとさんのこの珠玉のエッセイ(*1)に私も心を揺さぶられた一人ですが、そんな思いを持ってみなさまのコメントも拝読しまし…
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「海外ひきこもりだった私(14)」からのつづき・・・ by ぼそっと池井多 それでは、 鈴澤先生はいったいどのように責任をとらえていたか。 そのことを物語る、一つの格好なエピソードがある。 ときに1980年、 鈴澤先生は3度目の留学・研究でフランスへ向か…
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「海外ひきこもりだった私(12)」からのつづき・・・ by ぼそっと池井多 前回「海外ひきこもりだった私(12)」につづき、 私が大学の前期から後期へ進むとき、 つまり、大学二年から三年になるときの話である。 これは、けっこう大きな変化なのだった。 ま…
「海外ひきこもりだった私(11)」からのつづき・・・ by ぼそっと池井多 ところが、大学合格の発表を持ち帰った私に、 母はひと言も詫びるでもなく、 また、私の快挙を褒めるでもなく、 間髪入れずに開口一番、 こう言ったのだった。 「さあ、お前はこれか…
「海外ひきこもりだった私(10)」からのつづき・・・ by ぼそっと池井多 前にも書いたことがあるが、 私は物心つかないころから、母親に 「お前はヒトツバシ大学に行きなさい」 と言われていた。 もちろん、どんな大学かわからなかった。 文系か理系かも知…
「海外ひきこもりだった私(9)」からのつづき・・・ by ぼそっと池井多 多くのひきこもりは、自分の社会から撤退するのに、 部屋の中という「内」へひきこもる。 ところが、私の場合、 最初の2年をのぞいて 二十代は自分の社会の「外」へひきこもった。 海…
「スパゲッティの惨劇(61)弟の裏切り」 「貧困と人づきあい(58)」からのつづき・・・ by ぼそっと池井多 先日、本ブログを愛読してくださっている方から、 こういうご感想をいただいた。 「ぼそっと池井多さんの、 西畑酒店の酒を呑む会への『なりすまし…
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