VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

性虐待と主体(3)性虐待の「重度」

性虐待と主体(2)」からのつづき・・・

 

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

 

by ぼそっと池井多

 

 

近年、採用されている、

児童期性的虐待の「重度」を測る基準として、

以下のようなものがある。

 

 

重度I : 膣、口腔、肛門内への挿入、クンニリングス、
アナリングスなどの既遂ないし未遂
強制的である場合もない場合も含む

重度II : 性器への愛撫、擬似性交、手指挿入などの既遂ないし未遂
母をレイプしているところをみせつける
強制的である場合もない場合も含む

重度III : 臀部、腿、脚あるいは他の身体的部位への意図的な性的接触
衣服の上からの胸への接触
性器への接吻の既遂ないし未遂
強制的である場合もない場合も含む

重度IV : 入浴中の娘を覗く、視姦、性器を見せる
卑猥な言葉をかける
トイレのドアを開けるなど、接触を含まないセクシュアリティに侵入する行為

重度V : 性的虐待の可能性の示唆に留まる
(事象としての回想不能

 

 

……この基準によって「サティの話①」の体験を分類すると

「強制的でない場合であるクンニリングス」

にあてはまると思われ、

「重度I」

に相当することになる。

 

しかし、サティさん本人が被害という認識を持っていない。

つまり、

専門家がよく使う言葉でいえば

「記憶に対する意味形成」

がちがうため、

「重度(severity)

という表現を使ってよいものかどうかも

あやしいのだ。

 

 

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そこで、

「重度I」~「重度V」までの尺度は、

これ一つで性的虐待を測るのではなく、

右図のような

X軸(物象的な段階)

Y軸(体験時の意識)の2次元の座標で考える

というのはどうだろうか。

 

あるいは

サティさんのように

起こった事象としては重度Iであっても、

そのときの意識の状態が主体的であったために

後遺症がぜんぜんない

という場合があるのならば、

むしろY軸(体験時の意識)のほうが、

後遺症を発症するかどうかを決定づける

主要因として、

優先されるべきとも考えられる。

 

わかりやすくするために、

かんたんで具体的な例を示してみよう。

 

次の例1と例2の対比を見ていただきたい。

 

例1:サティさん「サティの話①
 
物象的には重度Iクリトリスを舐められる)
意識は主体的
結果 → 後遺症はない

 

例2:ニャロさん(本ブログ「片づけられない私(13)」)
 
物象的には重度IV(加害者に排尿を監視されただけ。肉体的接触はない)
意識が客体的
結果 → 深刻な後遺症がある

 

こうなると、

体験が起こったときに意識が主体であったか客体であったかは、

どのくらい触られた、挿入されたといった物象的な尺度よりも

はるかに重要なのではないだろうか。

 

「な~にが、専門的知識もない、たかが一介の患者ごときに

 何がわかるものか」

と専門家の方々は小バカにするかもしれない。

 

しかし、ちょっと待っていただきたい。

 

患者も、言ってみれば、

みんな自分の専門家である。

 

たとえ幼稚で単純な言い方でも、

起こった、もしくは

起こっている現象の本質を言い表すということがあると思う。

 

逆に、患者たちからすれば、

専門家たちの論文は、ときに

むずかしそうな専門用語を羅列しているだけで、

それらを解きほぐすようにていねいに読んでみても、結局

定義の不確かな概念を

空疎な論理に積みあげているだけ

という場合は往々にしてある。

 

 

・・・「性虐待と主体(4)」へつづく

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