VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

性虐待と主体(5)主体の剥奪

性虐待と主体(4)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

 

前回は、
「『いやだ』とは言えない環境づくりから虐待者が入る」段階を、
 
主体剥奪(はくだつ)

と呼ばせていただいた。

物象的(*)な虐待が起こる前、またはそれが起こらなくても、
主体の剥奪は起こりえるし、
現に、多くの場合において、それは起こっている。

 

物象:たとえば「殴る」「蹴る」「挿入する」といった
「目に見える物と物が起こす現象」
という意味で用いている。

「物」には、
バケツや鉛筆といった非生物的な物体だけでなく、
手、足、頭、性器など生きている人間の
身体の部位も含まれるものとする。

ほんとうは
人の身体の部位を「物」とあらわすのには
抵抗があるのだが、
いまのところ妥当な言葉が浮かばない。

ともかく「ことば」や「精神」などの
目に見えない何かと対立する
人間の一部だと考えていただきたい。

「物象的な」と形容詞的に用いるとき、
「物理的な」とはちがうつもりである。

逆に「物象的」でない虐待には、
精神的虐待、ことばの暴力などが
含まれると思っていただきたい。

もちろん、全体の文脈としては
物象的な虐待だけが虐待でない
し、またときには
物象的でない虐待の方が
被害を公認されない分だけ
被害者は長い期間、より複雑に悩まされる
こともありうるということを申し上げたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こうなると、
主体の剥奪こそが
虐待の構成要件ではないのだろうか。
つまり、
虐待を、虐待にする基本的な条件ではないのだろうか。

言い方をかえれば、
虐待でない性行動と、虐待である性虐待は、
おおざっぱにいえば、
そこに主体の剥奪があったかいなかが、
境界線になると言えるのではないか(*2)。

 

 

*2. ちなみにフロイト
性的虐待神経症の発症について述べるときに
行為の最中に「能動的 / 受動的」であったかに
スポットライトを当てているが、
それと私が述べている「主体的 / 客体的」は対応しない。
ぜんぜん別のことである。

 

たとえば、中・高校生のあいだで行われているいじめ
被害者(いじめられる生徒)が加害者(いじめる生徒)の目の前で
自分で服を脱ぎ、
マスターベーションをするように、
加害者(いじめる生徒)に強要されるというような事件がよくある。

私は被害者に深く話をうかがう機会があった。
被害者は、加害者の前で自らの手で
射精した後
魂がうばわれたような空虚感をいだくようになり、
それが後年の後遺症につながった。

 

彼がうばわれたのは魂でも精液でもなく、
主体だったのではないだろうか。
 
このような事例は、
性虐待と主体(3)」で掲げたような現在の診断基準では
重度I ~Vのいずれにも入らず
性虐待でないことになってしまう。
 
 
まず、被害者が男性だ、ということで差別される。

 

男性であっても、肛門姦ではない、
ということで治療者が重視しない。
 
さらに加害者が、被害者に指一本触っていない、ということがネックになる。
 
被害者は、自分の手でズボンをおろし、
射精にいたったのである。
 
「なんだ、そんなの自慰を見せただけじゃないか。
気持ちはよかったんだろ?
ならば、いいじゃないか」
という話でまとめられてしまう恐れがあるのだ。
 
しかし、私は
こうした事例もれっきとした性虐待に思えてならない。
 
性器への接触や挿入があるなしにかかわらず、
 
被害者の主体が、
 
性という行為を媒介として剥奪されているからである。
 
 
このように主体の剥奪があったか否かは
物象的なできごとよりも
一つの行為が性虐待であるかないかを分ける
重要なファクターではないのだろうか。
 
では、どのように主体の剥奪がおこなわれうるだろうか。
 
さきほどの「いじめ」の例は極端な例でもある。
 
家庭の中で、物象的でない方法で虐待がおこなわれるときには
主体の剥奪はもっとマイルドにオブラートがかけられ、
もっとsubtle(名状しがたい、端的に言いあらわれない)な様式で
おこなわれている。
 
それを目に見える何かにしていきたい。
つまり、言葉にしていきたいのだが、
治療者ふくめ世間の無理解は、
まるで大海の水のように圧倒的である。
 
 
・・・「性虐待と主体(6)」へつづく

vosot.hatenablog.com

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    先週のNHKクローズアップ現代で性虐待が扱われてたときも「性虐待は男女の別なく起こります」とキャスターが申し訳程度に付け加えているだけで、映像に出てくる被害者たちは女性ばかりでした
    男性とみると全て加害者だと思ってる女性もいます
    こういうふうに性に関する問題で男性が差別されているうちは真の解決はないし女性たちだって幸せにならないと思います。削除

    [ 半袖直樹 ]

    2014/7/21(月) 午後 5:51

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  •      

    半袖直樹さま コメントをどうもありがとうございます。

    「男性攻撃」「女男差別」に問題がすりかえられているうちは、性虐待もこの社会からなくなっていかないでしょうし、「性虐待の循環」に当事者の女性みずから手を貸している状態になりかねないことでしょう。

    もっと広い視野からの検討が望まれます。 削除

    チームぼそっと

    2014/7/21(月) 午後 6:40

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