VOSOT ぼそっとプロジェクト

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無差別殺人犯を読む(13)回想のひと手間

無差別殺人犯を読む(12)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

 

では、なぜ加藤智大は、
ほんとうの原因と思われる
母親からの「不適切な養育」に
もっと多くのページ数を割かなかったのだろうか。

前回、述べさせていただいた、彼の躊躇のほかに、
人間一般の記憶のメカニズムも
理由として考えられる。

 

それは、本ブログ
言葉に掘り起こされる私
でも書かせていただいているように、
ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラスの著書
玉ねぎの皮をむきながら
を読み解くときにも
共通して頭をよぎることである。

 

人はふつう、過去を思い出そうとするとき、
直近のことはかんたんに思い出せて、
多くの言葉になる。

反対に、
遠い過去のことは、
こちらが「思い出そう」とするときには
なかなか記憶として出てきてくれず、
「思い出そう」としていないときに、ふと
まざまざと記憶としてよみがえってきたりする。

 


ふとした拍子に、
まるで泉のように滾々(こんこん)と
あとからあとから
子どもの頃の記憶があふれ出てくるのである。

いわゆるマルセル・プルーストのいう
マドレーヌ体験である。

 

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ふりかえって、
加藤智大が獄中で本を書き飛ばしていく時に、
意図的に「思い出そう」としたであろうから、
どうしても、望むように
遠い記憶が出てこなかったのではないか。

直近の記憶のほうが
かんたんに思い出せて、多くの言葉になったのではあるまいか。

つまり、加藤智大にとっては、
大人になってからのこと、
各地を転々としてハケンの仕事をするようになってからのこと、
彼の掲示板にあらしが現れてから後のこと、
事件の準備として
福井にダガーナイフを買いに行き、
沼津でレンタカーを借り、
東名高速を東に向かったこと
などの経緯や情景が
記憶から取り出しやすかったのだろう。

幼い時の記憶は、
こちらが意図していないときに
ふと蘇ってきたものを、
とりあえず言葉で受け止めておく。
そのときは、とても他人のわかる言葉ではないだろう。

しかし、あとでそれを他人にもわかるように、
文章として整えていくと、
おそらくギュンター・グラスマルセル・プルーストのような
「過去を語る文章」
になるのだろう。

文章として整えていくことは、
必ずしも記憶の内容を加工することではない。

しかし、
思い出した本人が恥や抑圧の概念がそこにからめば、
記憶の内容を、そのときの本人の都合の良い方に
加工してしまうこともあるだろう。

それは「そのときの本人の都合」に他ならず、
長い目で見たときには
なんら本人の問題に解決を与えず、
ぐるぐる回りしてしまう結果をまねき、
「未来の本人の都合」にとっては
芳しくないことかもしれないが・・・。

 

とにかく、そうしたプロセスは、
記憶を言葉にするに際しての

 ひと手間

である。

 

ちょうど、料理をする人が
したごしらえをするように……。


面倒に感じる人は、それをしない。
だから、いつまでも同じ地点にとどまる。

 

加藤智大は、そういうひと手間をかけているだろうか。

拘置所の中で、
ペンを片手に幼少期を思い出そうと意図しても、
思うように記憶がよみがえってくれないことは、
きっとあるだろう。

そういうときに、そういうひと手間をかけているだろうか。

 

・・・「無差別殺人犯を読む(14)」へつづく

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  •     

    青森高校に合格した加藤智大の偏差値が仮に70 とした場合、平均から標準偏差2つ分離れているので、そうそう無いことなのです。つまり、彼なりに、虐待を受けながらも、母親の期待に応えよう、母親に認めてもらおうと努力したのでしょう。その事がやりきれなさを感じさせます。 削除

    aon*_*85 ]

     

    2018/8/3(金) 午後 11:46

     返信する
  •     

    aon*_*85さま 5件のコメントをどうもありがとうございます。

    お察しのとおり、秋葉原事件の加藤智大は、母親に受けた精神的虐待を人生の中に蓄積して、無関係な市民を大量に殺傷してしまった人物として、ある種、私自身がデフォルメされた陰画のように感じられ、当時はたいへんな衝撃を受けました。

    彼も、事件を起こすまで、自分の中の怒りをどこに向けてよいかわからなかったのでしょう。
    よく「未来志向」「前向きに」ということがやたらに言われますが、ちゃんと過去にも向かい合わないと、こういうとんでもない事件を起こしてしまうものだと思います。

    弟は自殺してしまいましたが、いっこうに表に出てこない母親は、どれほど事件の加害者性を自覚しているのかが気になります。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/8/4(土) 午前 10:10

     
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