VOSOT ぼそっとプロジェクト

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無差別殺人犯を読む(14)なぜ男は毒母を語らない

無差別殺人犯を読む(13)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多 

 

前回は、
遠い過去の記憶を

 

 言葉によみがえらせるときのひと手間

 

について考えさせていただいた。

 

しかし、もちろん
秋葉原事件の実行犯、加藤智大の叙述が、

近い過去になるほど多弁であり、
遠い過去になるほど寡黙である理由は、

それだけではないと思われる。

 

一つには、単純に
あまりに苦しい記憶だから
言葉にできない
ということがあるだろう。

 

記憶にくっついている感情を
ふたたび感じるのが苦しいから、
記憶が取り出せない、という状態である。

 

 

だが、二つ目として、

自分がされたことを
うまく言葉にできないため

ということがあるのではないだろうか。

 

人が言葉を発信するとき、
その多くは、
すでに前に誰かが言葉にしてくれた言葉を再生産している
だけである。

 

あれこれ自分なりに言葉を組み合わせて、
ほんとうに「自前の言葉」を発信している人は、
見かけ上発信している人の
ごく一部にすぎないのではないか。

 

前に誰かが、すでに言葉にしてくれていることは、
丸写しやコピペと行かないまでも、
書きやすい。
発信しやすい。

すでに頭の中にそうした言葉の流れが存在しているからである。

 

 

しかし、前に誰も言っていないことを
言いたいときはどうだろうか。

なにも、時代精神に反逆するような大したことでなくても、
すでに「言いならされたこと」でなく、
そこに「言葉の土台」ができておらず、
社会で、
「それを言ったら恥ずかしい」
とされていることだったら
はたしてどうだろうか。

 

 

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思えば、
親の支配によって生じた心的外傷によって、
生じる生きづらさが、
少しずつ社会へ語られるようになったのが
1990年代である。

 

それ以降でさえ、
そういう声を発信している主体は、
いまだにほとんどが女性である。

 

たとえば近年、とくに毒親本ブームで
母の支配を受けて傷ついた人々の声が
社会に発信されるようになったが、
声を発している主は女性である。

 

男性は、たいてい評論家にまわる。


言い換えれば、男性が、

 

「私は母親に支配されていました。
 それゆえに、いまこんなに
 無差別殺人を起こしてしまうそうになるほど
 苦しい生きづらさを抱えています。
 どうしたらいいでしょう」

 

などという声を発していることは、
いまだにほとんどないのである。

 

これは、異常なことではあるまいか。

男性の脳の構造からいって、
女性に比べて言語能力がプアだから、
ということがまずあるだろう。


「男のくせに

 『母親に虐待されて……』なんて

 めめしいこと言ってるんじゃないよ、みっともない」

 

という偏見もあるだろう。

 

それでは、そういう男性は存在しないのか
というと、
そんな馬鹿なことはないと思う。

 

げんに、秋葉原事件の実行犯、加藤智大は、
事件を起こしてしまってから、
そうしたことをボツボツと語り始めた。

私も、事件こそ起こしていないが、
そういう男性の一人である。

救われない苦しさや、
報われない悔しさを、
事件を起こさないように何とかしなければならないと思い、
このように拙いブログで、
細々と発信させていただいている。

そういう男性は存在するのだ。

けっして、性同一性障害などではなく、である。

にもかかわらず、
そういう声はほとんど発信されない。


「男からのそういう声は、

 発信されるもんじゃない。

 発信されてはならぬ」


という社会的風潮があるのではないか。


そういう声をせせら笑い、忌み嫌い、
「恥」へと封じ込める社会の空気があるのではないか。


それが原因のすべてではないだろうが、
だから、秋葉原事件は起こったのではないか?
だから、これからもそれに類する無差別殺傷事件が起こるのではないか?
だから、……。

だから、加藤智大も、
その領域の話となると、
多弁ではなくなるのではないか。

 

 ・・・「無差別殺人犯を読む(15)」へつづく

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