VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

イスラム国をめざす若者たち(6)シャルリー・エブド銃撃事件

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フランス・パリで起きた凄惨なテロ、
シャルリー・エブド銃撃事件は、
何人もの犠牲者を出して
舞台を郊外へ変えながら
容疑者たちの射殺というかたちで
いちおうの幕を閉じたかのように見える。
 
しかし、いまだ逃亡中の容疑者もいるとされ、
アルカイダとの関係も不透明なままであり、
数多くの問題を残しており、
完全に解決に至ったとはとても言えない状態だろう。
 
日本では、
 
「ああ、パリのテロ事件のことでしょ。
 あんなのはキリスト教
 イスラム宗教対立でしょう?」
 
などと対岸の火事としてのみ傍観しがちだが、
私はそれは少しちがうと思う。
 
たとえば、現代イスラム研究センター理事長の宮田律氏は、
このように言っている。
 
 
格差社会的疎外が犯罪を生むという点では、
日本も他山の石とするべきだ。
時折発生する通り魔事件なども
フランスでの事件と同じメンタリティから
発しているのではないか。

実際、「イスラム国」に参加したり、
参加しようとしたりした日本人も継続して現れた。
ロイターは10月に
イスラム国」に40人の日本人が参加していると伝えた。
(*1)
 
*1:宮田律「パリ銃撃事件から日本が学ぶこと」より抜粋・改行
2015年1月9日
 
 
つまり、本ブログの
で取り上げている秋葉原事件などの
日本における無差別殺傷事件
今回のシャルリー・エブド銃撃事件には、
背後に共通の構図があるという見方である。
 
そして、それが
このシリーズの冒頭でふれた
にも通底している、というわけだ。
 
的を得ていると言えるだろう。
 
マララ・ユサフザイのノーベル賞受賞(→本ブログ「タリバンからの手紙」)と
それに続くタリバンの小学校襲撃事件なども思い出すと、
どうもイスラム教が、
その教義的内容を超えて、
抑圧された精神世界を持つ者たちが
走り込む洞窟のようになっているような気がする。
 
このままいけば、イスラム教が、
イスラム教」という記号となって、
イスラム教そのものから乖離していくのではないか。
 
もっとも、それはどの宗教においても、
起こりうることなのだが…。
 
ともかくも、
日本とは無縁の、遠いヨーロッパの地で起こった
たんなる宗教対立の一事件として
ファイルを閉じてしまうことができない
 
それが証拠に、
フランスのイスラム教徒である文化人アシフ・アリフは、
事件が発生してまもなく
「我々イスラム教徒はシャルリー・エブドを支持する」
という声明を出した(*2)
 
 
*2:アシフ・アリフ「我々イスラム教徒は『シャルリー・エブド』を支持する」
2015年1月8日
 
 
 
つまり、テロリストたちが
イスラム教をからかった」
という理由から銃撃の対象とした出版社を、
当のイスラム教徒たちが支持する、と表明したのである。
 
これは、この一件の本質が、
宗教対立ではないことを示す
よい証拠と言えるだろう。
 
もっと言えば、
このフランスのイスラム教徒、アシフ・アリフ氏は、
この銃撃事件を宗教対立と解されないようにするために
きわめて早い段階に
あえてこの表明をおこなったのだろう。
 
勇気ある表明だと思う。
 
また、殺害された警察官もイスラム教徒で、
その遺族の方が
「過激派とイスラム教徒をいっしょにするな」
と述べておられる(*3)
 
*3:殺害された警官の家族が会見
JNN 1月12日(月)
 
 
こうしてみると、あらためて思う。
 
秋葉原男も、いっしゅの過激派だったのだろう。
 
セクトだの、宗教だの、
そういったことはいっさいなくして、
思想の見つからなかった過激派である。
 
そこで、なぜ過激派は過激派になるか、
という視点が必要になってくるのだ。
 
 
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