VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

イスラム国をめざす若者たち(9)後藤健二さんに聞きたかったこと

なぜ若者たちは
イスラム国」をめざすのか。
 
その理由の一つは、おそらく
後藤健二さんのような方が
英雄視され、聖化されるからである。
 
「おれも後藤健二さんみたいに世界中から賞賛を浴びたい」
 
「ぼくも人生を一発逆転で世界中から承認がほしい」
 
存在を承認されてこなかった者は
承認が欲しい。
たとえ、それが死後の承認であっても……。
 
 
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じつは私はこの記事を、
後藤さんの殺害が報じられた一昨日に書こうと思った。
 
しかし、その段階で
私の指先がキーボードにたたき出す言葉は、
どれもこれも
世にもつまらないきれいごとばかりだった。
 
 
のジャーナリスト…」
 
「ほんとうの勇敢さ…」
 
「後藤さんの勇気とやさしさと…」
 
「激しい憤り…」
 
 

後藤さんを個人的に知っている人ならともかくも、
そうでない人間が発すると、
こんな言葉たちは、
誰かの代理で述べているような弔辞のような、
にせものの感傷となる。

感傷はほんものであって初めて
なにがしかの価値を持つもので、
にせものの感傷など犬も喰わない。

そう思って、
配信するのをやめたのであった。

 
 
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ところがその後、私は
国際政治のことなど何も知らない
一人の中学生の女の子の口から
こんな疑問を聞いたのだった。

 
 
「後藤さんは、自分の子どもが生まれたばっかりなのに、
 
 どうして遠い国の子どもたちのことを伝えるために、
 
 そんな危ない国へ行っちゃったの?」
 
 
これは
無知無邪気な子だからこそ発することができる
根本的な問いかけである。
 
 
「だって、誰かがそういう国のことを
 
 伝えなくちゃいけないからだよ」
 
などと、
ジャーナリストの役割を教科書通りに説くようでは、
愚にもつかないお説教となる。
 
その女子中学生の疑問は、
大人が信じている社会の前提に
かすかな罅(ひび)を入れてくる。
 
 
遠い国で飢えている子どものことが気にかかり、
 
ボランティアだ、寄付だ、と走り回るのに、
 
自分の子ども一人さえ愛せない親。
 
 
また、それが高じて、
 
 
遠い国で飢えている子どものために
 
目の前にいる子どもを虐待し、
 
それがあまりに馬鹿げているとわかるために
 
目の前の現実はいっさい否認している大人。
 
 
そういう親や大人は
きっと日本にも多いはずであることを考えれば、
わざわざ遠くて危険な国にまで行かなくても、
 
報道すべき子どもの不幸
 
は、自分たちの足元にころがっているかもしれない。……
 
 
無知無邪気な女子中学生の問いは、
そういう問題を内にふくんでいるのである。
 
だからといって、
遠い世界のことを知らなくていいことにならないだろう。
 
そういう問題を
後藤さんがどう考えていたのか、
生きて帰ってきてくれたなら、
また、何かのチャンスがあったなら、
ぜひとも聞きたいと思っていた。
 
彼ならば、
そういうことを資格のある人だったと思う。
 
 
また
 
「すべては自己責任です」
 
という決意に満ちたビデオ・メッセージを背後に残していった彼は、
一連の動画投稿の中で
イスラム国」に用意された
日本国、安倍首相への要求メッセージを読み上げるとき、
自分が命を賭けている信念との喰い違いのようなものは、
なにも感じなかったのだろうか。
 
このことも
後藤健二さんが生還したら、
ぜひとも彼の口から聞きたかった。
 
これもまた、彼ならば、
そういうことを資格のある人だったと思う。
 
ほかにも聞きたかったことはたくさんあるだけに
彼のような人の死はやはり
とてつもなく残念である。
 
 
 
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今年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の2月1日放送分「志の果て」では、
 

国禁を犯して海外に渡航しようとしたために、
獄へ投じられた吉田松陰に対して、
主人公である妹がこのように言う。


なんで国禁を犯してまで
兄上は海を渡ろうとしたんですか。

見えたんは、
異国の光だけですか。

うちには大切な方たちがいます。

兄上が見たもんが
新しい国の光だと言うんなら
なんでそれは私たちを
照らしてはくれんかったんでしょうか。


兄上は、(おのれ)の慾(よく)
己を慕
(した)う者を巻き込んだ。
 
獄へ妹がひとりで訪ねていくなど、
かなり無理のある状況設定であるが、
脚本を書いた宮村優子の問題意識が感じられる。
 
 
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「こちらの世界」は「こちらの世界」で、
これもまた一つの宗教のようだ。
 
後藤さんは、「こちらの世界」の殉教者になった。
 
やがて、必ずや
後藤健二の名前を冠した基金財団ができあがるであろう。
 
そうして、彼は永久にこの世界に名前を残すだろう。
つまり、彼は死ぬことで不死となったのだ。……
 
そのような不死栄光にあこがれる若者が、
すなわち承認に飢えた若者が、
これからも必ずや出てくるであろう。
 
彼らは「イスラム国」をめざすだろう。
 
そのとき、後藤さんを殺した「イスラム国」は
もうすでにないかもしれないが、
若者は新たな「イスラム国」を求めるのではあるまいか。
 
そして、
そういう若者に嫉妬する老人もまた
必ずや出てくるに違いない。
 
 
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    顔アイコン

    彼を英雄視神聖視することは避けなければなりませんが
    彼の風貌や現場での見たままを冷静に語る語り口の奥に
    強い意志や決意のようなものを感じました
    この一連の事件があるまで彼の存在を知らなかったのでなんともいえませんが
    死してさらに英雄視され聖化されるでしょうが

    日常の中に非日常があり 非日常の中に日常があり
    日常の中の子供の不幸(非日常)より非日常の中の子供の不幸(日常)に引き寄せられていった彼の思いがどうしてなのかはわかりませんが
    人はそれぞれの何かに突き動かされて選択して生きていくのかもしれませんね 削除

    ちゃらんぽらん亀 ]

     

    2015/2/3(火) 午前 11:27

     返信する
  •       

    ちゃらんぽらん亀さま コメントをどうもありがとうございます。

    おっしゃるとおり、人が「それぞれの何かに突き動かされて選択して生きていく」中で、自分の日常にはない、遠くて見えない何かに突き動かされた行為の方が、とかく高貴で崇高であるといった考え方を人が持つかぎり、後藤さんは英雄視され、神聖視され、そうした事実をまなんで若者は象徴化された「イスラム国」をめざすことでしょう。 削除

    チームぼそっと

     

    2015/2/4(水) 午前 0:00

     返信する
  •       

    後藤さんのようなジャーナリストが遠い異国の苦境を知って欲しいという気持ちはわかるし、わかりやすいから社会的にもそちらのほうが共感されやすいし、支持もされるでしょう。


    しかし、そういう話は私にはあまり響きません。日本は日本で、中東とは違った種類の苦しみがあるからです。毎年自殺者は3万人近いし、家族もバラバラで会社や家庭、学校での希薄な人間関係の中、イジメや虐待の問題が後を立たないし、被災地の問題や経済格差の問題もあります。自分たちのテーマをほったらかしにして、やれ中東だ、アフリカだの言う気にはなれないのです。 削除

    ムスカ大佐 ]

     

    2015/2/4(水) 午後 5:57

     返信する
  •       

    ムスカ大佐さま コメントをどうもありがとうございます。

    遠くの問題は近くの問題よりも、とかく高尚で崇高に考えられがちですが、それを再考してみることに、少なくとも何らかの価値はあるものと思われます。 削除

    チームぼそっと

     

    2015/2/4(水) 午後 8:22

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