VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

無差別殺人犯を読む(22)過激派、吉田松陰

無差別殺人犯を読む(21)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多 

 

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今年のNHK大河ドラマは低調らしいが、
それでも前半の実質的な主人公ということで、
吉田松陰がふたたび脚光を浴びている。


私は依然、
秋葉原男は大義なき過激派だった、
と書いたが、
吉田松陰大義ある過激派だった、
とも言えると思う。

今年の大河ドラマでは、
どこまでお茶の間には不似合いな
吉田松陰の過激派ぶりを描くのかわからない。

ただでさえ視聴率が低いのに、
およそ家庭的でない、血なまぐさい松陰の思想を
どこまでドラマに折り込むのだろうか。

視聴率の低いドラマが好きな私は、
ささやかな期待を以て見守っている。

そして、
なぜ過激派は過激派になるのか、
過激派の生成のひみつはどこにあるのか、
を考えている。

これは、逆から考えれば、

幼時から、精神的な意味で充たされている者は

はたして過激派になるのだろうか?

という疑問でもある。

ただ「充たされていない者」と書くと、
まずは「経済的に充たされていない者」
すなわち「貧困者」と考えられてしまうだろう。

そうではないのだ。

経済的に充たされても、
精神的に充たされない場合がある。

いや、「ある」どころか
そういう場合の方が多いからこそ、
この問題は厄介なのだ。

逆に、
経済的に充たされないこと、
すなわち貧しさをかかえていても、
それが良しとできる成育環境があれば、
それも精神的に充たされないことに含まれる。


イメージ 1

 

「精神的に充たされない幼児期」
というと、
どうしても児童虐待が思い浮かぶ。

先日、死刑が確定してしまった
秋葉原男の場合は、
本人が4冊の著書で書いているように
すさまじい精神的虐待を受けてきた過去があった。


吉田松陰の場合はどうか。

叔父、玉木文之進からのすさまじいスパルタ教育があった。

これは厳格な教育ということになっているが、
今でいえば児童虐待にほかならない。

その後遺症がどこかに出てくるわけである。

後遺症とは、過激派的な思考と行動パターンである。

吉田松陰は、
世俗のぬるま湯にひたっている周囲の者たちが、
度肝を抜くような過激な行動を起こすことを

「猛を発する」

と表現し、
自らを「二十一回猛士」などと名乗った。

死ぬまでに21回は「猛を発して」やるというわけである。

生涯において、吉田松陰
それを十分に果たしたかもしれない。

しかし松陰の場合、
「猛を発する」に際して、
その受け皿となる大義がみつかった。

秋葉原男は、この時代、
その受け皿となる大義はみつからなかった。

学園紛争の時代の闘士たちも
そうだったではないのだろうか。


とかく先鋭化し、過激派となっていった闘士たちは、
元をたどれば
児童虐待を受けていたのではあるまいか。

精神的に充たされない幼児期を送っていたのではあるまいか。

彼らは「猛を発する」のに、
わりとたやすく大義が見つかった。

1960年代、「体制側」に属さないほとんどすべての人に
手っ取り早く承認してもらえる大義が見つかったのである。

それだけ、
世の中はたやすく「体制側」「反体制側」に分けられていた。

それだけ、
まだ価値観が多様化していなかった。

それだけ、
まだ世界の現実が暴露されていなかった。

今は
あらゆる欺瞞があばかれ
あらゆる幻想はうちくだかれ
あらゆる希望は組み伏せられている。

そのような中で「猛を発する」者は
もっともらしい大義を見つけることはできない。

秋葉原男は大義のないままテロに踏み切ってしまった。
そして無関係な犠牲者を出した。

吉田松陰は無関係な犠牲者を出すことはなかった。


・・・「無差別殺人犯を読む(23)吉田松陰と三島由紀夫」につづく

vosot.hatenablog.com

  •       

    驚いていることがあります。

    ぼそっとさんが、このタイミングで、松陰を出して来られたことです。

    実は私の「武士道」のクロージングは、松陰で締めくくることになっています。

    紅孔雀さんにも感じますが、それぞれにそれぞれのブログで思い思いのことを呟くと、互い互いに微妙にリンクする。

    実は私にとって、松陰こそが大和心、日本人の真面目さ、悲劇的ヒーローの象徴なのです。

    松陰は葉隠の山本常朝とも同胞です。

    私は、三島と宮崎勤の相似を自分のノートに記しています。

    それと同じようなことを秋葉原事件の犯人と松陰の相似を見る、ぼそっとさんは、やはり病んだ体験がある方だと勝手にシンパシーを感じてしまいます。 削除

    痴陶人 ]

     

    2015/2/15(日) 午後 6:00

     返信する
  •       

    凄く面白い考え方ですね。今から吉田松陰を見ます。そんな考え方持って見てみます。 削除

     ]

     

    2015/2/15(日) 午後 7:27

     返信する
  •       

    痴陶人さま コメントをどうもありがとうございます。

    > 紅孔雀さんにも感じますが、それぞれにそれぞれのブログで思い思いのことを呟くと、互い互いに微妙にリンクする。

    そうですね。出発点においては方向性はまるで違うのに、面白いことです。

    > 私は、三島と宮崎勤の相似を…

    なるほど。
    痴陶人さんは、いつも人が考えている三歩先を行く方ですね。
    私は、秋葉原男と吉田松陰を線で結んで、次は三島へ行く予定でした。

    > ぼそっとさんは、やはり病んだ体験がある方だと勝手にシンパシーを感じてしまいます。

    私(チームぼそっとの管理人)は、現在進行形で病んでいる者です。文芸評論を好むというよりは、苦しい病いの海から逃れるために、文学・歴史という小舟に縋ろうとしている者です。
    文学はけっしてお金持ちの贅沢品ではない。貧困者の必需品なのです。 削除

    チームぼそっと

     

    2015/2/15(日) 午後 11:01

     返信する
  •       

    空さま コメントをどうもありがとうございます。

    このような異端な考え方に、深く共鳴していただき、とてもうれしく感じております。

    吉田松陰も、2015年現在に生まれていたならば、はたしてどんな人になっていたか、と考えざるを得ません。 削除

    チームぼそっと

     

    2015/2/15(日) 午後 11:03

     返信する
  •       

    顔アイコン

    過激派じゃないでしょ?
    どちらも 削除

    re**u*g*2*0l ]

     

    2015/2/16(月) 午前 1:26

     
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