VOSOT ぼそっとプロジェクト

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無差別殺人犯を読む(23)吉田松陰と三島由紀夫

無差別殺人犯を読む(22)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
日本の社会でたいへん崇敬を集める吉田松陰と、
同じく日本の社会で
罵倒と軽蔑の的となっている秋葉原
過激派というワードを梃子にして
あえて比較をしてみた。
 
 
こうした比較に違和感をおぼえる方も多いだろうが、
誤解のないように言っておくと、
これはけっして吉田松陰という思想家を貶めるものではない。
 
いっぽうでは現在、
インターネット上のある掲示板などでは
秋葉原事件の死刑囚、加藤智大
のように崇敬している人々がいることも
事実として頭に入れておかなくてはならない。
 
 
秋葉原大義なき過激派だった。
吉田松陰大義ある過激派だった。
 
 
そして両者とも、
幼児期に児童虐待を受けていた痕跡がうかがえる。
それが彼らを過激派にしていったのではないか
という視点から
無差別殺人犯の形成を考えている。
 
 
イメージ 1
 
ここに、もう一人の過激派がいる。
 
吉田松陰と同じように崇敬をあつめている、
 
もはや歴史上の人物である。
 
 
澁澤龍彦は、こう書いている。
 
三島由紀夫氏は一個の過激派だったということだ。
右とか左とかいった限定なしの、
絶対追求者としての過激派である。
(*1)
*1:『絶対を垣間見んとして……』
「文芸読本 三島由紀夫河出書房新社 1975年 p74
 
 
 
三島由紀夫の場合、大義はどうだったのだろう。
 
私は、落語の謎かけふうに
 
お化けが履いてきた下駄
 
と答える。
 
すなわち、
 
あるようでない
 
 
 
三島由紀夫も、児童虐待を受けていたと思われる。
 
それは以下のページを読んでいただくとよくわかると思う。
 
 
 
 
自らが起こす大事件には
 
究極のところ大義がないことを
 
知っていただろう。
 
 
もちろん、うわっつらでは、
 
自衛隊憂国天皇主義などなど
 
いかにも大義らしき大義
 
大義を絵に描いたような大義をかかげていたわけだが、
 
まさに絵に描いたものであるからかろうじて在るわけで
 
その中空が虚であることは、
 
三島由紀夫自身がよく知っていたことだろう。
 
 
 
「自らの起こす事件には大義ない
 
と知っている点において
 
三島由紀夫秋葉原男は共通している。
 
 
 
「自分たちの起こす事件には大義ある
 
と根っから信じていた、
 
もしくは信じようとしていた、
 
学園闘争の過激派の人々や
 
宗教的過激派の人々とは
 
ここは共通して、三島も秋葉原も異なるところである。
 
 
ただし、
 
三島由紀夫の感じ方は自覚的であり、
 
秋葉原男の感じ方は無自覚的であった、
 
という大きな違いはあるだろう。
 
 
 
また大義ないということを前提に、
 
「さて、そこでどうするか」
 
となったときに、
 
次に考えることにおいて
 
三島由紀夫秋葉原男はまさに天と地、雲泥の違いを生じた。
 
 
 
 
虚構としての大義、張子の虎のような大義
 
後半生をかけて
 
知性によってちみつに捏造していった。
 
 
 
秋葉原男はそんなことはしなかった。
 
できなかった、と言った方が早い。
 
 
 
それでは、
 
秋葉原男も三島由紀夫のようにたくさんお勉強をして、
 
同じようにすればよかった、
 
と言えばよいのだろうか。
 
 
 
そうでもないように思う。
 
 
 
三島由紀夫の行動は、
 
加藤智大の行動とはちがって、
 
一回性(アインマーリヒ)のある事件なので、
 
他人が真似することはできない。
 
 
 
いくら他人がたくさんお勉強をして真似をしても
 
けっして再現できないように
 
必ずや陳腐になるように
 
もともとの事件の中に
 
精巧なプログラムが仕組まれているからである。
 
 
・・・「無差別殺人犯を読む(24)」へつづく
 
 
  • もう少し三島由紀夫吉田松陰をお勉強されてはどうでしょうか? 削除

    [ dia*0ms* ]

    2018/6/27(水) 午後 8:51

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  •   

    dia*0ms*さま コメントをどうもありがとうございます。

    たとえばこれ以上どんな所を、ですか。 削除

    チームぼそっと

    2018/6/28(木) 午前 3:22

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