VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

Dr.倫太郎の恋(2)病院経営の苦労が描かれていない

Dr.倫太郎の恋(1)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
水曜日に日本テレビで放送中の
連続ドラマ『Dr.倫太郎』
の主人公は、
精神分析の出身で
対話療法を持ち技とする
精神科医である。
 
 
 
現代の迷える子羊たちよ
 
私のもとへいらっしゃい
 
私が治してあげましょう
 
 
と宗教家まがいのセリフが
いつも冒頭に出てくる。
 
それだけ、現代の対話療法は
宗教に傾いているということだろうか。
 
私は、この部分を
たいへん生々しく受け止めている。
 
というのは、
私がここ15年以上通院している
医療機関の対話療法が、
最近とみに宗教の色彩を強めているように
思われてならないからである。
 
……いや、宗教ならば、まだいい。
宗教ビジネスの色彩を、といった方がよいだろう。
 
それには、長い話が必要となる。
 
……。
……。
 
私の治療者は、
いっしゅのセラピストになる養成講座を
系列のNPOを通じて始めた。
 
系列のNPOとは、
先週まで私が
非力ながらも貢献していたところである。
 
貢献していた、といっても
会社のように賃金労働していたのではない。
気色のわるい言い方をすれば、
「ボランティア」
をしていたのであった。
 
このブログで何度も述べているが、
日本語の「ボランティア」というカタカナ言葉には、
「社会的に善い人、正しい人」
というニュアンスがしみこんでいるようで、
私はそれを好まない。
 
だから、私自身は
そのNPOでの仕事をボランティアなどとは思っておらず、
精神科の患者の人権を社会に訴えるため、
患者自治として必要なだけだ、ととらえていた。
(現在も、そう考えている。)
 
患者自治というと、
これまた聞こえは良いけれど、
そんなにきれいごとではない。
 
自省と自戒を込めて言うのだが、
たしかに患者自治にゆだねると、
患者間のあつれきも多い。
 
しかし、人間的なあつれきは、
どこの会社にもある。
そういう現象があることをふくめて
患者「自治」なのではないか、
と思うのである。
 
……。
……。
 
ところが、たかだかここで
「ボランティア」
をするためだけにも
「養成講座」
を修了していないとダメ
ということになった。
 
そこまではまだいい。
ところが、その「養成講座」を受けるとなると、
修了までに数十万円がかかる仕組みになっているのである。
 
そのNPOで「ボランティア」していたのは、
自身も精神的な問題をかかえ、
生活保護を受けている貧困者が多いので、
数十万円というのは大金であり、
とても払える金額ではない。
 
だから、出ていくしかない。
 
外部から乗り込んできたリストラ・ウーマンは、
これが目的なのである。
 
つまり、
「ボランティアを追い出した」
と言われないように、
いちおう
「養成講座を受ければ、続けられます」
という選択肢を提示し、
 
本人がそれを選ばないので辞めていただいた
 
と外部へ言える体裁を整えたというわけだ。
 
こうして
貧しい「ボランティア」従事者たちは、
私を含めて、いっせいに解雇になった。
 
といっても、
もともと給料を払われていないので、
労働法の対象にならず、
「解雇」ですらない。
 
そのリストラ・ウーマンも「解任」と表現している。
 
「解雇」なら、まだしも
労働基準監督局に問い合わせることもできるのだが、
「ボランティア」
なので、それもできない。
 
「解任」されて、
私たちは何を失ったのか。
 
「解雇」ではないから、
失ったものは、
給料や、明日から生きていく生活の糧ではない。
 
失ったものは、
少なくとも
生きがいであり、
人間的な存在価値と呼ぶべき何かだろう。
 
そう、……
 
 
自分たちだって
 
こうして社会の片隅で
 
お役に立っているんだぞ
 
 
という、ささやかな存在価値や尊厳。
 
勝ち組女であるリストラ・ウーマンのような
社会的強者は一笑に付して済ませるであろう、
チマチマした貧乏人のケチな存在価値。
 
しかし、
一寸の虫にも五分の魂。
 
たとえ笑われようとも、
私たちにとってはかけがえのない
「私たちの」存在価値なのだ。
 
……。
……。
 
「いいじゃないか。
 そんなことは忘れちゃいなよ。
 
 生きがいなんてものは、
 うばわれても、すぐに別なものを見つければよい」
 
と人は言うかもしれない。
 
それはそうなのだが、
そこで終わらない何がしかの疑問が、
ここにあるように思われてならない。
 
 
患者の生きがいを
 
奪うような精神医療って
 
いったい
 
という疑問である。
 
生きがいを奪って
金をしぼりとっていくのは
宗教ですらない。
 
宗教ビジネスである。
 
もちろん、医療をほどこす側も
チャリティでやっているわけではない。
 
「食べていかなくてはならない」
「然るべき収益を上げなくてはならない」
という問題を持つ。
 
それを知らないほど、
私は無知な患者ではない。
 
だから、この問題はむずかしい。
 
……。
……。
 
 
 
現代の迷える子羊たちよ
 
私のもとへいらっしゃい
 
私が治してあげましょう
 
 
という精神科医Dr.倫太郎は、
ドラマで見るかぎり
大学病院の勤務医だから、
財政的な問題がからまない。
 
そこがこの話を
骨格のない、現実離れした
コメディに仕立てていると思う。
 
・・・「Dr.倫太郎の恋(3)」へつづく
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