VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

Dr.倫太郎の恋(3)患者社会が描かれていない

Dr.倫太郎の恋(2)」からのつづき・・・
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
by ぼそっと池井多
 
 
今クール放送中の連続ドラマDr.倫太郎
日本テレビ; 水, 22:00-)には、
今日の精神医療にまつわる
いろいろなディテールがちりばめられており、
私のように長年精神科へ通院する者にとっては、
リアルな光を放っている。
 
しかし、ドラマとして成立させるために
むりやり刈り込んであるディテールも多く、
いささか不自然な点も多い。
 
私が見るに、
まず患者社会が描かれていない。
(少なくとも、これまでに放送された
第4回までには。)
 
舞台は大きな大学病院であるから、
とうぜん患者同士の交流があるだろうし、
デイケアなどをおこなっていれば、
そこで一つの患者社会があるはずである。
 
それらが描かれていないという点で、
やはりしょせんこれは、
治療者の側から監修されたドラマだな、
と思わざるを得ない。
 
……もっとも、このドラマはそのように公称しているから
とくに問題はないのだが。
 
 
イメージ 1
 
それほどまでに、治療者は
患者社会が見えていないことが多い。
 
治療者から見えない、
患者社会の内部で起こっていることが、
実質上、患者の治癒や回復の方向を決定づけることもある。
 
(たとえば、現在の私の状況なども
 そうではないか
 と思っているのである。)
 
こうなると、
 
「患者の管理を厳しくして、
 
 患者社会が治療者からよく見えるようにしよう」
 
などと考える治療者が出てくるかもしれないが、
それは浅はかというものである。
 
そういう治療者は、
個々の人間は経過観察の対象としてよくわかっているつもりでも、
集団になったときの人間、
すなわち総体として人間というものが
よくわかっていないのだろう。
 
一つの例を出そう。
 
これは私が通っていたところではないが、
かつて医療機関の中に、
治療者から見えない領域をなくすために、
患者社会そのものをなくしてしまおうと病院側が考え、
患者同士のメールアドレスや番号の交換を
禁止したところがあった。
 
しかし、そんなものは、
いくら禁止したところで
何にもならない。
 
患者も人であるかぎり、
必要に応じて交換し、
治療者には黙っているだけである。
 
そのうえ、患者のあいだで起こったことを
患者は治療者にいっさい言わないようにするから、
診察のさいには
患者の話はあちこちでウソの度合いを高めることになる。
 
ただでさえ、
Dr.倫太郎」第4話でいみじくも取り上げられたように、
患者は防衛機制の一環として
治療者にウソをつくものである。
 
このウソを
ほどよく溶かしていき
真実をあばいていくところに
治療者の手腕が問われるわけだ。
 
しかし、こうして管理の手を強めると、
患者のウソはますます分厚くなるだけである。
治療者はますます治療しにくくなる。
 
そのためかどうかは知らないが、
その医療機関
それからしばらくして閉院してしまった。
 
 
イメージ 2
 
 
では、どうすればよかったか。
 
私は、
 
患者社会を一つのとして
 
治療者が尊重するべきだった
 
 
ということではないか、と思う。
 
「村」、すなわち生活共同体。
小さな政治の舞台でもある。
 
「町」や「市」としなかったのには、
さほど大きな意味はない。
人口の程度から言って
そんなものだろうだからである。
 
私が、今年で通院16年目になる医療機関では、
おそらくデイケアの登録者は
15,000人は越えているだろう。
 
まさに「村」の規模である。
 
もちろん、じっさいの「村」がそうであるように、
15,000人の人口があっても、
そのすべての人が村の生活の表に出てくるわけではない。
住民票だけ置いている人もいる。
 
村の表に出てきて、発言をし、
その村の生活を左右するような
村の生活の登場人物たりえる村人はごくごく一握り。
きっと100人にも満たないだろう。
 
しかし、それが患者の生活を語るのに
不可欠なのである。
こうした「村」の様子が、
Dr.倫太郎」には描かれていない。
 
 
・・・「Dr.倫太郎の恋(4)」へつづく
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