VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

Dr.倫太郎の恋(4)患者村の居場所代 ~ 「大金を払う」ということ

Dr.倫太郎の恋(3)」からのつづき・・・
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
by ぼそっと池井多
 
 
前回Dr.倫太郎の恋(3)では、
今クール放送中の連続ドラマ『Dr.倫太郎
日本テレビ; 水, 22:00-)を語っているうちに、
患者社会の話になった。
 
患者社会、もしくは治療共同体とは
どんなところか?
 
精神科に一定期間通ったことのない
一般の市民の方々は、とりあえず
デイケアで通う老人ホームのような場所を
思い描いていただけばよいかもしれない。
 
イメージ 1
そこには、利用者たちのあいだに
きっと一つの社会があるはずだ。
 
たとえば、老人といえども、
恋もするだろう。
喧嘩もするだろう。
慾もあるだろう。
 
利用者たちのあいだには、
恋愛や衝突や連帯や孤立が
うずまいていることだろう。
 
あるいは、利用者たちが手を携えて、
むかしの労働組合のように
管理者にモノ申すといった局面もあるだろう。
 
およそ人間社会につきまとうあらゆる現象が、
精神科の患者社会の中にも
まるで箱庭のように
小さな空間にそろっている。
 
これを私は前回、
「村」と表現させていただいた。
 
この「村」で繰り広げられるドラマが、
患者にとっては、
精神科という空間における生活の
大きな比重を占めている。
 
 

f:id:Vosot:20190716092331p:plain

 
 
 
さて、私が属する患者社会の話である。
 
Dr.倫太郎の恋(2)」でも書かせていただいたように
養成講座という制度が導入され、
それが私が属する患者社会を大きくぬりかえている。
 
老人ホームに例えて言えば、
 
良い老人になるための養成講座」
 
という制度がいきなりできて、
老人ホームの中での当番は、
その養成講座を修了していないとなれない、
というようになったと私には見えている。
 
そして、その養成講座を受けようとすると、
数十万円がかかる仕組みになっているのだ。
 
そんな制度と無縁に過ごしている私が、
その患者社会の中核をなすNPOから
放り出されてしまったことは、
前回Dr.倫太郎の恋(2)にも詳しく書かせていただいた。
 
このブログをお読みくださっている
一般市民の方々は、

f:id:Vosot:20190716092407p:plain

「そんなの、ほうっておきなさい。
だれがそんな大金
 払うもんですか
 
と思うかもしれない。
 
多くの患者が
先を争うように
払い込んでいるのである。
 
 
おそらく患者がそうすることを
治療者側がじゅうぶん計算に入れた上での
今回のNPO改編であったのだろう。
 
私は、患者仲間のそういう動きを
胡乱(うろん)な目で見ている。
 
そもそも、
もし何かを学びたいのなら
自分は大金を払ってはダメなのではないか、
という気もする。
 
せっぱ詰まっていれば、
お金など払わなくても
人は何かを学ぶ。
 
逆に、
せっぱ詰らなければ、
いくら金を遣っても
人はものごとを学ばない。
 
お金が払えるという状態は、
たいてい「せっぱ詰っていない」という状態であるから、
 
大金を払うと勉強は身につかない
 
という命題が成り立つのである。
 
 
わかりやすく言えば、
大金を払って学びに行くと、
 
 
「ああ、自分は大金を払ってここに座っているんだ」
 
 
という状態に満足してしまい、
あとは毎回、
講義をシャワーのように受けているだけ
になってしまう。
 
「お金を払った」
という事実だけが誇りとなり、
「勉強をする」
という事実が刻まれない。
 
多くの人が
「けっきょく大学では、何も勉強しなかった」
と青春を振り返るのも、このためだろう。
 
かくいう私も、多額の学費を払った大学では、
勉強したという後味はない。
 
そのかわり、私が
「ああ、勉強した」
と振り返ることができるのは
なんといってもひきこもり時代である。
 
次回は、そのときの話を少しばかり
させていただこうと思う。
 
 
・・・「Dr.倫太郎の恋(5)」へつづく
 
 
All Right Reserved (C)VOSOT 2013-2020