VOSOT ぼそっとプロジェクト

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長男の放逐(34)暴力加害男性ワークショップへ送りこまれて

長男の放逐(33)」からのつづき・・・

 

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

 

by ぼそっと池井多 

 

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2001年の人質救出作戦の翌年、
私は主治医から
あるワークショップへの誘いを受けた。
 
暴力加害男性の更生プログラムをおこなうから、
そのワークショップに入るとよい、
というものであった。
 
私は内心、首をかしげた。
 
私には、なぐるけるといった
肉体的暴力を女性にふるったことは
人生で一度もない。
 
それはなにも
私が「いい人」だからではなく、
たんに私がそういう習癖を
成長過程で学ばなかったからだと思う。
 
親類縁者から「光栄ある孤立」を保って、
まるで大海の中の孤島のように、
社宅の中の核家族として暮らしていた私の原家族では、
大人の男性は父しかいなかった。
 
その父はけっして母に
なぐるけるといった肉体的暴力をふるわなかった。
 
それはけっして父が
女性に暴力をふるわない「いい人」だった
ということに直結しない。
 
父は、東京下町の
がさつな五人兄弟姉妹の末っ子として生まれた。
一族の中から大学へ進んだものは一人もいない。
 
いっぽう母は、有名女子大出のインテリであり、
有名企業の役員のお嬢さまであった。
 
父は母に暴力などふるえなかった、
ということもあるだろう。
 
父は、私に対しては
おおいになぐるけるという暴力をおこなったが、
それもすべて父自身の意思というよりも、
後ろから母が
「その子、殴ってやって命令していたから、
その命令に従っていただけである。
 
父個人が私に怒りをおぼえて
私をなぐったことは一度もない。
 
幼い私が、あやまって
父の大切なものを壊したときも、
父は私をなぐることも、けることもしなかった。
 
つまり父は、
母がこわかったから、
母の命令にそむけないために
私に暴力をふるっていたのにすぎない。
 
それは、どうしても抑えられなくてふるってしまう
暴力嗜癖とはちがう気がする。
 
だから私は、
父になぐられている最中でさえ、
父が哀れでならなかった。
 
自分がなぐられている最中でさえ、
父がかわいそうだった。
 
大人の言葉にすれば、
「そこまで男は卑小にならなければ生きていけないのか」
とでもいうような憤りをもって
少年の私はなぐられていたのである。
 
そのために私は、
私をなぐる父を憎むこともできなかった。
 
ひとりの青年が「健康的に」いだくようになると言われる、
父殺しの感情とは、
私はまったく縁のないまま大人になった。
 
だから、私は高校時代に
石原慎太郎太陽の季節』を読んでも、
さっぱりピンと来なかった。
 
とくに『カラマーゾフの兄弟』に至っては、
「長たらしいだけで、まったくつまらない作品」
だと思い、
歴史的な名作に対してそのような感想しか持てない自分の
教養と感性のなさを露呈してしまうのを恐れ、
友人に対しては、しきりに
「あれは名作だ」
などと感心して見せた。
 
 
 
 
イメージ 3
 
 
いっぽうで私は、母からは
母の虐待の手法を確実に学習していった。
 
肉体的暴力はまったく使わなくても
相手を言葉によって支配し、
ダブルバインド(*1)をかけて困惑させ疲弊させ、
精神的にボロボロにするという虐待の手法である。
 
大人になってはじめてまともにつきあった女性、
すなわち大学時代のガールフレンドを、
私は知らず知らずのうちに
この手法によってボロボロにしてしまった。
 
じつに、いやな男であったと思う。
 
 
*1 : ダブルバインド(double bind)
二重拘束と訳される。
相互に矛盾するメッセージをかけて、
相手がどのように行動してよいか
わからない状態に持ちこむこと。
 
 
そのような次第であったから、
暴力加害男性の矯正プログラム」を主治医から勧められても、
私はまったくピンと来なかった。
 
「先生、私は女性をなぐったことはありませんよ。
 私はむしろ被害男性です。
 加害男性ではありません。」
 
と言ってみた。
 
じじつ、そのころも私は
患者社会で女性たちからさんざんいじめを受け、
一時は自殺を考えるほどであったので、
その言葉に嘘はなかった。
 
ところが、主治医は言うのであった。
 
「あなた、自分の潜在的な暴力性に気づいてないでしょう。
 それは今は表に出ていないが、
 今のうちにこういうプログラムに出ておかないと
 やがてえらいことになるよ。
 そうなってからでは、遅いからね」
 
主治医の持ち前の太い、落ち着いた、
低い、ゆっくりとした声でそう言われてしまうと、
なんとなく
 
そういうもんかな
 
と思ってしまうのであった。
 
精神科にかかったことのない人は、
「そんなバカな」
と思うかもしれないけれど、
じつは精神医療の真骨頂もここにある。
 
精神科医というと、
こちら「自分」の心の中を
「自分」よりよく知っている人、
というイメージを人はもちやすい。
 
その精神科医に、
潜在的な暴力性」などと言われてしまうと、
未来のことは予測できないから、
「そんなものはありません」
と自信をもって断言できないのであった。
 
主治医の言葉は、
けっして「そのプログラムに入れ!」という命令
「治療のために入るように」という
上から下へくだされる指示ではなかったが、
そうこうしているうちに、いつのまにか
 
「そのプログラムに入らないわけにはいかない」
 
という気持ちに持っていかれてしまったのである。
 
いまから思えば、
かえって強い命令口調で言われたほうが、
それにあらがう自我がめざめて
流れにまかせなかったのではないか、と思う。
 
強い命令指示でないからこそ
従ってしまう
ということが人の心にはあるのではないか。
 
こうして私は、
「自分は潜在的バタラー(*2)だ」
と考えるようになり、
まるで催眠にでもかかったようにフワフワと
なけなしの金をはたいて
ワークショップへ申し込んでいた。
 
*2 : バタラー(batterer)
もともとは「暴力をふるう者」の意。
「暴力」の範囲の拡大により、現在では言葉による暴力など、
肉体的でない暴力をふるう者に対しても使われることがある。
 
 
主治医への陽性転移をしているので、
「申し込まないと主治医の心象をわるくするのでは?」
という恐れも、たしかにあった。
 
……。
……。
 
 
それで、そのワークショップに行ってみたが、
どうということはなかった。
 
そこに集まっている男性も、
中にはほんとうに女性をなぐったことのある男性も来ていたが、
そういう人はむしろ少数派であった。
 
6回コースのワークショップを終えても、
私の中で何かが変わった自覚はなかった。
 
もっとも、もしあのとき、
私がそれを口に出して主治医に言っていたならば、
 
「いやいや、
 いまは、あなたは気づいていないかもしれないが、
 あなたの深い所で何かが変わったのだよ
 
などと言われて、また
 
そういうもんかな
 
などと思ってしまったことだろう。
 
 
 
 
それから3年後、
主治医が主催する地方講演会があり、
そこで自分の体験談を話す暴力加害男性が募集された。
 
患者にとって、地方講演会に呼ばれることは
おいしい話である。
 
交通費も出るし、
大きな舞台の上で自分の話をするだけで、
たくさんの人が
まぶしく自分を注目してくれるからだ。
 
「自分にはこういう症状があります」
「自分はこんなふうに生きています」
などという話は、
たとえば東京で、自分の住んでいる近所で話したら、
ただのでしかない。
 
ところが、そのように舞台をしつらえて
地方で話すと
まるでスーパースターの凱旋公演のようになるのである。
 
私は応募した。
 
ところが落とされた。
 
「あんた、バタラーじゃないだろ」
 
と一蹴されたのである。
 
 
つまり、
2002年の暴力加害男性の更生プログラムをおこなったときには
私は「暴力加害男性」であったのが、
そのプログラムが終わったならば、
すでに私は「暴力加害男性」ではなかった、
ということである。
 
 
いまにして思う。
私があの更生プログラムに入れられたのは、
たんなる人数集めだったのだな、と。
 
主治医は、私の症状や来歴と
真正面から向かい合って
対応してもらっていたのではなかったのだ。
 
あのころ主治医は、
暴力加害男性のワークショップを成り立たせることに
大きな関心をそそいでいた。
 
あのワークショップには、
某有名英字新聞の記者なども取材に来ていた。
「日本で初の試み 暴力加害男性たちが集う」
などと記事が書かれたのだろう。
 
あのワークショップが成立することは、
きっと主治医の自己実現一端をなしていた。
 
主治医の自己実現のために
枯れ木も山の賑わい」とばかりに
私はかきあつめられた一人だったのだ。
 
そう思うと、
いささか気分がめいってくる。
 
しかし、人生は
悪いことばかり見ていてもしかたがない。
少しは良いことも見なければならない。
 
あのとき私がワークショップに払いこんだ30,000円は、
生活保護で生きながらえる身にとっては大金であったが、
某養成講座に通おうとする人が払っている数十万円に比べれば、
まだしも微々たる金額である。
 
そうやって人生は、
少しでも良きものを見て
希望をつないで生きていくものではないだろうか。
 
 
・・・「長男の放逐(35)」へつづく

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