VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

長男の放逐(56)予期せぬ中断

長男の放逐(55)」からのつづき・・・
 
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
 
by ぼそっと池井多
 
セイブ(仮称,*1)というプロジェクトの中で始まった
マリナさん(仮名)の証言の映像収録であったが、
思ってもいなかった展開となった。
 
私がそこで
レイプをしたことになっていったのである。
 
*1:セイブ(SAVE)プロジェクト
仮称。NPO法人ザスト(仮称)において
2012年から2013年にかけて私が関わった
性被害者の声を社会に発信するプロジェクト
 
そのときの状況を
できるだけ事細かに記しておきたい。
 
2012年10月31日夕方から始められたそのインタビューは、
前半は順調に進んでいった。
 
マリナさんは、原家族において実母から虐待を受け、
さらに実父からの近親姦を受け、
そのため実家から遠く引き離されて、
故郷からは遠い都市の
全寮制の高校へ入れられた。
 
しかし短大へ進学したときに
切実にお金に困っていたわけでもないのに、
「お金のために」性風俗に勤めるようになり、
それが発端となって
修羅場のような青年期を送るようになった。
 
そのあたりまで話が進んだところで、
マリナさんの横にすわっていた江青さん(仮名)
インタビューの進行を打ち切ったのである。
 
江青さんはセイブにおいて
最初に証言インタビューに答えてくれた人であり、
今回のマリナさんのインタビューにおいても
会場も彼女のお店を提供してくれていた。
そのプロジェクトの中心的なメンバーであったことは
私も認めている。
 
しかし、
タレントのマネージャーでもないのに、
マリナさんのインタビューを
とつぜん横から打ち切るとは、いかがなものか。
 
ほんらい、そんな権限はないだろうに。
 
しかも、マリナさん本人は話してくれているのだ。
 
語りには勢いというものがあり、
いったん打ち切られると二度と流れは元に復さない。
 
もしこれが反対に、
たとえば、選挙カーの屋根にのぼって
演説している政治家であれば
こういう心配そのものが出てこない。
 
周り中が囂々(ごうごう)と批判していても、
語り続けなければならないところへ
政治家は自らを追いやっているからである。
 
けれど、私たちが語ることは、その正反対だ。
世間が、
 
「語るな、語るな。
お前ひとりの胸に閉じ込め、
そのまま一人で苦しんでいろ」
 
と無言の圧力をかけていることを、
私たちは語ろうとしているからである。
 
「今まで語ってこなかった、
 こんなことを語っていいのか」
 
という猜疑心と戦いながら、
ぼつり、ぼつり、と語っているのだ。
 
その途中で他人にさえぎられると、
 
「何かいけないことでもしゃべっちゃった感じ」
 
ともいうべき冷たい後味だけが残って
不安におちいるものだと思う。
 
たいてい、それは根拠のない不安である。
しかし、不安は感じる以上、そこに在る。
 
だから、そうならないように、周りの者は
「大丈夫だよ。語ってもいいんだよ」
という空気をつくりながら、
陰ながら語り手の語りを応援してあげる必要がある。
 
ましてや、マリナさんが話していたのは、
性風俗の仕事をしていた過去という
非常にセンシティブな内容である。
 
「あ、そんなこと、しゃべっちゃダメ
 
とばかりに、とちゅうで人が止めたりしたら、
いくら堅固に話す決心をしていた人でも
不安になるだろう。
 
インタビュイーが不安を残せば、
それはインタビュワーである私の責任となる。
 
……。
……。
 
「こんなところで邪魔するなよ。
それじゃあ、マリナさんが不安になるじゃないか」
 
と私は内心、舌打ちをした。
 
「なぜ、とちゅうで止めるの?」
 
私は憮然として江青さんに問うた。
江青さんは答えた。
 
「だって、J.I.さんが男を出して
マリナさんにいろいろ聞き始めたんだもん」
 
男を出して
 
どういう意味だろう。
 
私は内心、首をかしげた。
 
たとえば私が、
マリナさんが勤めていた性風俗の店について
「いくらぐらいなの」
「どんな娘がいるの」
「どんなサービスしてくれるの」
といった質問を連発していたなら、
私が「男を出して」質問していた、
などと言われても仕方あるまい。
 
しかし、私はそんな質問は一つもしていなかった。
 
長男の放逐(54)」に詳しく書かせていただいたように
幸か不幸か、
私はそういう業界にあまり関心がない男なのだ。
 
その後「お蔵入り」とされてしまい、
一般には公開されないその映像を再生すると、
私はそのとき
青年期のマリナさんの暮らしぶりについて尋ねている。
 
そのときの彼女の恋人、いっしょに暮していた男性は、
性風俗の仕事に傾斜していく彼女の変化に
何も気づかなかったのだろうか。…
 
金遣いが荒くなってきた、
ということはなかったのだろうか。…
 
仕事でセックスが続いていると、
恋人とのセックス・ライフはどうなるのだろうか。…
 
ヤクザの車から命からがら逃げて
帰ってきたこともあるという。
そんな彼女を
彼氏は受け止めてあげられたのだろうか。…
 
そんな疑問を念頭におきながら、
私は質問を繰り出させていただいていた。
 
重要なインタビューだと緊張しているのか、
それとも、今より三年若かったせいか、
私の口調もいささか急(せ)いている。
 
この点、私も聞き手として
今よりはるかに未熟であったことを
認めなければならない。
 
また、それらが
男性の視点からの質問と言われれば、
たしかにそのとおりである。
 
マリナさんがそういう嵐の日々を送っていた年代に、
私は頭の中の自分を据え、
同年代の私がつきあっていた女の子との生活を、
どこかで思い出しながら質問を繰り出していた。
 
また、映像を再生すると、
私はその日にかぎって、
よせばいいのに、なぜかふだん着ないような
派手なベストを着ていた。
 
意図的なコーディネートではなく、
家を出る寸前になって少し寒い気がして、
いちばん手前にあったベストを手に取ったのであった。
 
これが「男を出して」などと言われるなら、仕方がない。
 
しかし、ここで重要なもう一つのことがある。
映像を見るかぎり、
私はマリナさんへの質問に没頭するあまり
マリナさんの方だけに熱い視線を注ぎ、
その横に座っていた江青さんには
一瞥(いちべつ)たりともしていなかった。
 
江青さんは、
 
「なによ。ここは私のお店よ。
 これは私が主役のプロジェクトよ。
 私が一番になるように、
 発言の機会も増やし、
 もっと私を引き立ててインタビューしなさいよ」
 
と青白い嫉妬を燃やし始めているようにも
見えなくもない。
 
そして何よりも、私の質問が
「デリカシーがない」と責められても
仕方のない部分があることは、
私もじゅうぶん認める。
 
しかし、言わせていただければ、
デリカシーの有無ですら
その場の雰囲気や会話の流れで決まるのではないか、
というのが私の意見である。
 
わざわざそういうことを語るものとして設定した場に
必ずしも世間並みの尺度を用いる必要はあるだろうか。
 
世間並みのデリカシーを保っていたら、
世間並みの隠蔽がつづけられてしまう。
家庭内の虐待は、
そうやって今まで隠蔽されてきたのだ。
 
本人がよくない記憶を蘇らせそうになった時は、どうすべきか。
 
そういうときも、あわてず
本人が不安になるような唐突な打ち切り方はせず、
最後まで話を聴いて、
まずしっかりと受け止めてさしあげるべきである。
そのうえで、
話を「その場に置いていく」ようにする。
 
これは、自助グループの鉄則である。
映像は、あとからカットすればよい。
 
そもそも、数日後にご本人に映像をお見せして、
配信されてまずい箇所はないか
チェックしていただくプロセスを設けている。
 
私なりに、
そうした手続きを真摯に整えていたのである。
 
そして何よりも、マリナさんは
いくら解離が疑われるといっても、
そのインタビュー会場まで自分の足で来たのだから、
基本的に「語る」という意思はしっかりと持っている。
最終的には
自分がどうしても話したくないことは話さないであろう。
 
このインタビューの指示が、
主治医から出ているということはすなわち、
マリナさんが話さないことくらいは
自分で決める能力を有していると、
主治医が判断したということであり、
私たちはそれを信じるべきなのであった。
 
そこで、
もし、とちゅうで横から打ち切るようなことをすれば、
いかにも私がインタビューされる側の心など
何も考えていない無慈悲な芸能レポーター
突撃インタビュワーであるかのような
状況が外側から作られてしまうだけなのだ。
 

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こうして、後味わるく
その日の収録は終わった。
 
江青さんは私を、
マリナさんを不安がらせた張本人と考え、
私は江青さんを、
マリナさんを不安がらせた張本人と考える。
 
江青さんは、
「マリナさんが話したくなかったから、
私が止めてあげた」
というであろう。
 
私は、
「マリナさんが話そうとしていたのに、
江青さんがそれを横から止めた
という。
 
それでは当のマリナさんはどう思っているかというと、
そこでは何も言わなかった。
 
おそらくマリナさんの中にも
「話したい気持ち」と「話したくない気持ち」が
混在し、葛藤していたのではないか、と私は推測する。
 
しかもマリナさんの場合、
主体が剥奪されていることが濃厚に疑われ、
主治医からは離人的(りじんてき)と言われるから、
本人が
 
「私は自分が
 話したいのか、話したくないのか、決められない
 
という状態だったことも考えられる。
 
このように、
自分の気持ちが決められないとき、
気持ちは、あとから
その人の耳に注入される他者の言葉によって
決まってくることが往々にしてあるのではなかろうか。
 
こうなると、あとはマリナさんと距離を近づけ、
より多くの言葉を彼女の耳にそそぎこんだほうが
マリナさんの主体を乗っ取る場合もあるだろう。
 
その後のストーリーは、それで決まっていくのだ。
 
長男の放逐(55)実存の絆」で詳しく書いたように、
私はマリナさんにきわめて近い或る共感をおぼえていたが、
こうなると、
男性の私は圧倒的に不利だった。
 
もはや私には
マリナさんに言葉を届けることができなくなった。
 
ましてや、
彼女たちの女性クローズドの自助グループに入っていって、
落ち着いた雰囲気のなかで、
この日のことをじっくり振り返る機会など
あるべくもなかったのである。
 
 
イメージ 2
 
一か月後。
 
私は、被災地支援のため、
東京から400㎞離れた宮城県三陸海岸にいた。
 
東京とはまるきり異なる冷たい海風に吹かれながら、
私はそこで
度肝を抜かれるような言葉を聞いた。
 
私たちの主治医、精神科医、齊藤學(さいとう・さとる)
 
「私、ぼそっと池井多がマリナさんをセカンド・レイプした」
 
と東京で言っている、というのである。
 
思わず私は耳を疑った。
 
 
・・・「長男の放逐(57)」へつづく
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