VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

長男の放逐(59)床に落とされたピザ

長男の放逐(58)」からのつづき・・・

 

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

 

by ぼそっと池井多

 

 

私のマリナさんへのインタビューを

セカンド・レイプと断ずることで、
塞翁先生(仮名)が図ったと思われるトカゲのしっぽ切りは、
じつは塞翁先生の精神療法の
重要な一面を語っている。
 
私のいうの一面である。

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塞翁先生が好んで、くりかえし語る

TVドラマの一つのシーンがある。
 
けっして名場面とはいえない、
おそらく数秒にも満たないような短いシーンである。
 
私自身は見たことがないのだが、
あまり何度も語られるので、
まるで自分が見たかのように
そのシーンが目に浮かぶようになってしまった。
 
自分でその作品を借りてきて観る気には
いささかもならない。
 
フレンズというアメリカのTVドラマ作品らしい。
 
学生寮かどこかで、
ジェニファー・アニストン演じる主人公のお嬢さまが
自分が持っているピザを運んでいるときに、
ふと手がすべって、床に落としてしまう。
 
もちろんそのピザは、もう食べられない。
 
隣を見ると、男友達は自分のピザを持ったままであり、
おいしそうな湯気を立てている。
 
ジェニファーは、癪にさわって、
男友達のピザを床に叩き落としてしまう。……

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たったそれだけのシーンなのだが、
塞翁先生はこの場面を評して、
 
「もう、そのときの
 じつにかわいい
 じつに…」
 
と、うっとりため息まじりに何度も語るのである。
 
 
私は聞いていて、そのたびに
「冗談じゃないよ」と思う。
 
男と女、女と男は平等だろう。
少なくとも学校ではそう習ったぞ。
自分の責任は、自分で取るものだろう。
自分のピザをひっくり返したのは、自分のせいだろう。
なんで、ぼくのピザまで
ひっくり返されなくちゃいけないの。
 
……融通の効かない非モテ系男である私は
四角四面にそう考える。
 
ところが塞翁先生にとっては、どうやら
女性は責任を取らないでいいばかりでなく、
責任を取らないで甘えてきた方がかえって
かわいい
とポイントが高まるようなのである。
 
これはもう、緊急事態と言わなくてはならない。
 
 
 
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この違いは、
そのまま塞翁先生と私の
女性観の違いを物語る。
 
女性観の違いは、
そのまま成育環境の違いへさかのぼられる。
 
塞翁先生は幼少期から思春期にかけて
受け容れてくれる女性たちに囲まれていた。
 
四人の姉上をもった末っ子。
兄弟姉妹の中で唯一の男の子として可愛がられた。
 
五人の母親を持った男の子のような存在である。
そのうち四人は、生々しく若い。
 
さらに、中学生のときには女性の家庭教師によって
性の世界へみちびかれる。
この家庭教師は、小学校のころは
担任の先生であったというから、
やはり母に準じる存在であったろう。
 
いまどき、このような体験が明るみに出れば、
たちまち淫行条例にひっかかり、
中学生の男の子は性虐待の被害者として認められる。
 
ところが、塞翁先生は
性虐待問題の最先端を研究しているわりには、
自分の体験は性虐待として語ろうとはしない。
 
近親姦の要素は、陽転したかたちで、
塞翁先生の揺籃の空気に在ったのである。
 
結婚して、できた子どもは娘が二人。
家族の中で「自分以外は女」という構図はつづいた。
 
このように塞翁先生の場合は、
人格形成をとおして、
女性とは基本的に自分を受容する存在
となったのにちがいない。
 
この感覚は、私にはない。
 
それどころか、私にとっては
女性とは基本的に自分拒絶する存在
であると思う。
 
では、男性はどうかというと、
やはり男性も自分を拒絶する存在だろう。
性的嗜好はストレート、女性を好む。
性風俗は行く気がしない。
 
私は父母私弟の四人家族で育った。
世界の中の唯一の女性は母だが、
これはじつに陰湿な支配をしてくる虐待母であった。
核家族のまわりには、血縁地縁はいなかった。
 
中学・高校と男子校であった。
セックスを教えてくれる女教師はもちろんのこと、
勉強を教えてくれる女教師さえいなかった。
 
思えば、私の患者社会に来ている男性患者は、
私と同じように
女性とは基本的に自分を拒絶する存在
という認識の基盤を持っている者が
圧倒的に多いように思う。
 
裏を返せば、塞翁先生と同じような
女性とは基本的に自分を受容する存在
という基盤を持っている男性患者は
私たちの中にあまりいないということである。
 
塞翁先生は、前者のような男性患者が持っている
女性観、社会観、世界観を
どのくらい肌身レベルでわかっているだろうか。
 
女性が世界を認識する体系は、
姉上たちを通して、
幼少期の塞翁先生へ親和的に入ってきていたのにちがいない。
 
ひるがえって、
男性が世界を認識する体系が、
本格的に塞翁先生に吸収されていったのは、
有名私学である中学男子校に進学した以降、
同輩や先輩からのことではあるまいか。
 
となると、
すでに思春期まで成長しているということもあるし、
男子同士のゴリゴリした競合関係が介在するので、
なかなか親和的には入ってこない。
 
すぐ勝ち負けに還元されてしまう。
 
私も、学校のレベルはちがうものの、
中学はやはり私学の男子校へ進んだので、
雰囲気は少なからず想像がつく。
 
……このようなわけで、
塞翁先生と私の女性観は、
どこか根本的なところで違っていると思うのである。
 
 
 

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