VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

長男の放逐(61)匕首の確認 ~ 性風俗嬢のプライド

長男の放逐(60)」からのつづき・・・
 
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
 
by ぼそっと池井多
 
2012年10月31日に収録し、
やり逃げ
セカンド・レイプ
と曰く付きになった映像は、
そのまま公開されず「お蔵入り」となった。
 
私はただちに映像ファイルのコピーを
塞翁先生(仮名)に提出していたが、
どうやら、
塞翁先生はそれらをつぶさに見たうえで
「お蔵入り」という判断を下した
というわけでもなさそうであった。
 
「マリナさんがやり逃げというからお蔵入りにした」
ということなのだろうが、
長男の放逐(57)」に詳しく書かせていただいたように、
やり逃げの状況は私が作ったものではない。
 
私としては、塞翁先生が撮った映像を全編見たうえで、
私のどこが悪かったかを具体的に指摘してほしかったが、
その検証はなされないままに
やり逃げ」「セカンド・レイプ
という評価だけが残った。
 
無念であった。
 
 
 
 
いっぽうマリナさんとは、
医療機関の待合室でばったり出会った。
 
マリナさんからしたら、
私はやり逃げした男ということになっている。
 
二度と再び見つけるやいなや、
彼女はさぞかし憤怒をたぎらせて詰め寄ってくるだろう、
と人は思うであろう。
 
ところが、そんなことはまったくないのである。
 
「ああ、こんにちは」
「こんにちは」
「ここ、いいですか」
「どうぞ、どうぞ」
 
ふつうに挨拶して、隣に座った。
 
この一瞬の叙景から、
人は何を汲み取とうとするだろうか。
 
ある人は言うかもしれない。
 
マリナさんは解離していて
いっしゅの多重人格だから
やり逃げの被害を受けたときと
同一の人格ではないために
平気で加害者の隣に座れるのだ。
かつてマリナさんは母から虐待を受けたときも、
近親姦の加害者である父のところへ
自ら逃げていったくらいだから、と。
 
また、ある人は言うかもしれない。
 
それは性風俗嬢として働いていた人の習性だ。
自分を侵害する男と思ったら、
逆にその男の懐(ふところ)に飛びこんでいくのが、
性風俗嬢なのだから、と。
 
 
では、私自身はどう解釈するか。
 
簡単である。
 
マリナさんにとって私は加害者でないのだ。
 
私を加害者に仕立てているのは、
江青さんや塞翁先生など
周囲の人間たちにすぎないのだと思う。
 
むしろ私の方に、
 
「塞翁先生がセカンド・レイプだなどと怒るように、
 マリナさんが持っていったふしはないの?」
 
という疑念が残っていた。
 
しかし、加害者あつかいされている以上、
私からそれを問える機会はなさそうだった。
 
 
 
 
 
隣に座ったマリナさんは、やがて言った。
 
「映像はお蔵入りになって、
 もう見られないんですか。
 映像のコピーをほしいんです
 
自分が近親姦の実在について証言しているさまを
母と妹に見せたいのだという。
 
そのマリナさんの気持ちには
強いこだわりが感じられた。
 
「なかったことにしたくない」
という一念であろうか。
それとも、
過去の傷をプラスに転じている自分の力を
母や妹に見てほしいという気持ちであろうか。
 
映像はお蔵入りにされ
誰も見てはいけないことになってしまったが、
映っている本人が
その映像を見られないなどというのはおかしな話なので、
私はマリナさんに
私の責任下において映像をコピーしてさしあげることを約束した。
 
そのやりとりが終わってから、
ふとマリナさんは心の棚の奥から言葉をひっぱりだすような、
ゆっくりとした口調になって、
こう言った。
 
 
「ぼそっと池井多さんがあのインタビューで
言いたかったことは、
結局、風俗チェリーだから
恥ずかしかったっていうことですよね」
 
 
私の頭は一瞬、フリーズした。
意味を解しかねたのである。
 
 
日本語としては何一つ不備はないが、
何を意味しているのかわからない付加疑問文であった。
 
マリナさんにはめずらしく
「…ですよね」という確認の語調である。
 
何を確認したいのだろう?
 
もし、この質問のうわべだけを掬い取るならば、
 
「いいえ、ちがいます。
 私は風俗チェリーであることを
 恥ずかしいとは思っていませんけど、
 それがなにか?」
 
と問い返すことが、私の正直な答えになるはずだった。
 
私が「風俗チェリー」ということに関して、
どう考えているかは、
前に(*2)書かせていただいたとおりである。
 
 
 
しかし、私は瞬時に、
「いま、そう答えてはいけない」
という感覚にとらわれた。
 
マリナさんの語調に、
怨嗟と熟考の余韻が感じられたからである。……
 
 
 
 
 
マリナさんは、かつて
主治医、塞翁先生(仮名)との対談でこう語っている。
 
「風俗の初心者なんて、
 いくらでも簡単に料理できます。
 もう、どのようにでも」
 
ひごろ平板で無感情なマリナさんの声が、
生々しい力(りき)みを帯びたため、
そこに、マリナさんの屈折した矜りが光った。
 
自分で選んでやっていると言わなければならないが、
どこか自分で選んでいないまま性風俗嬢として
そのスキルを磨いてしまった者の矜り、
とでもいおうか。
 
裏返せば、
そこには、男性に対する敵意がよどみ、
婉曲な恨み節が鳴っているようにも聞こえた。
 
性風俗で働く女性たちは、
男性を潜在的なお客さんとして
うわべの好遇をほどこしているかたわら、
基本的に男性を憎んでいる人が多いのではないか。
 
仕事上の達成をすればするほど、
自らを貶めると捉えているからである。
 
全身をつかった性風俗嬢の技の数々をもって
男たちから精を抜き去ることで、
マリナさんは何かへの復讐を果たしているのだろう。
 
父ではない、
もっと漠然とした何かへの復讐を。
 
客となった男たちは、
彼女の全身を好きなようにもてあそび、
金で彼女を支配したつもりになっただろうが、
じつはその瞬間、
マリナさんは男たちの精を支配していたのだ。
 
精は、精神にも、精気にも、精子にも通じる。
英語でいえば「スピリット(spirit)」。
形而上的な、なおかつ超形而下的な存在である。
 
思えば、私が性風俗に行く気にならない理由は、
母に支配されてきた私は、
これ以上、精を支配されたくないからではないか。
 
男たちが性風俗嬢の優位に立ったと思う瞬間、
プライドとエクスタシーが
同時に彼女たちの頭上にまぶしく光り輝くであろう。
 
それは、
バタイユ『マダム・エドワルダ』や
ドストエフスキー罪と罰』のソーニャへ向けるような
男たちが概して抱きやすい娼婦崇拝とは
一味ちがう想像である。
 
そもそも1990年代以降の日本では、
少女も主婦も当たり前のように性を売るようになってしまって、
女性の中で「娼婦」などと特化した存在は
なくなってきているのではないか。
 
現代ならばデビューできなかったのではないか。
 
マリナさんにとって
性風俗へ行ったこともない私のような男は、
自分に挑戦してくることもない、
ケチで、臆病で、みみっちい、
いわばクソ面白くもない男であって、
きっと人間的にはるかに劣位におかれた存在なのだ。
 
「結局チェリーだから
恥ずかしかったっていうことだった」
 
と考えれば、
マリナさんは私を貶めることができる。
 
私を貶めた反動で、
ちょうどシーソーで相手を低くすれば自分が高くなるように、
マリナさんは自身が矜持のある高みへと持ち上げられる。
 
そうなることで彼女は何かを得るだろう。
 
この前のインタビューで、
私が渡さそうとしなかったと彼女が誤解している何かを。
 
あのインタビューを私のやり逃げと表現した、
マリナさんから私が「取るもの」だけ取り、
「渡すもの」を渡さなかったと考えた、
その渡さなかった何かを得るだろう。
 
それを得ようとして、
マリナさんはまるで匕首(あいくち)のように、
 
結局チェリーだから
恥ずかしかったっていうことですよね」
 
という確認の言葉を私に突きつけてきたのではないか。
 
私には、それ以外の解釈は思い浮かばなかった。
 
だとしたら、彼女が矜りを取り返すために、
いま私がその恥を引き受けてあげよう、と思った。
 
私が感じていた実存の絆(*3)
言葉で言っても伝わらないかもしれないが、
 
お前は風俗チェリーだ。
 お前なんて簡単に支配できるんだ。
 お前を劣位に置けるんだ」
 
という世界観を支えてあげるという選択ならば、
もしかしたら彼女に伝わるかもしれない。
 
 
それをもってマリナさんは、
やり逃げされた感覚を修正され、
「取るべきものを取り、渡すべきものを渡した」
と充たされるのではないか。……
 
……もちろん、言葉にすればこれだけ冗長になる思考も、
これを読むのと等しい時間をかけて
私の頭で進んでいったわけではない。
 
人の逡巡がことごとくそうであるように、
これは須臾(しゅゆ)の間のメリーゴーランドであった。
 
私は力なく笑っただけで、
マリナさんの言葉をあえて否定しなかった。
 
これで彼女の確認を認めたかたちになった。
 
しばらく沈黙がつづいた。
 
私はマリナさんに嘘をついたことになるのかもしれない。
しかし、問い返されれば、
真意を語ればよい。
 
私の中にやましさは残らなかった。
 
待合室への放送で私の名が呼ばれ、
私は席を立って失礼した。
 
 
 
・・・「長男の放逐(62)」へつづく
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