VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

長男の放逐(66)ザスト被災地支援の内幕<5>お嬢様の大冒険 ~ ゾルゲのように

長男の放逐(65)」からのつづき・・・

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

by ぼそっと池井多

 

ゾルみたいに
車を発進させながら、真子さん(仮名)は言った。
 
タイヤが地面の小石を踏みしだく音が
助手席の私につたわってくる。
 
窓の外には、先ほどまでお話を聴かせてくれた
被災者の源さん(仮名)夫婦が
ごていねいに外へ出て、手を振って
私たちを見送ってくれていた。
 
車の外と内では、
あまりに違う話題が空気を占めていたことになる。
 
私はその両方を咀嚼(そしゃく)しなければならなかった。
 
レンタカーを運転する真子さんの口から
ゾルゲ」が出たのは、
この日、仙台を出てから、じつに6度目であった。
 
十浜地区のあちこちの集落を駆け足でまわっている。
どうやら、
ゾルみたいに被災地をまわる」
という意味で言っているようである。
 
戦前の日本で活躍したソ連のスパイである。
彼のスパイ人生は、
スリリングな冒険譚に描かれることが多い。
 
 
いったい何の関係があるか、といえば、
何の関係もないのであった。
 
よくはわからないが、どうやら
十浜地区にやってくる二、三日前に、真子さんは
リヒャルト・ゾルゲについての映画か何かを見たらしい。
 
それで真子さんの頭の中は、
ゾルゲでいっぱいのようなのであった。
 
問題は、
 
なぜここで
真子さんの口からゾルが出てくるか、
 
である。
 
 
イメージ 1
 
被災者の心のケアとは、
何だかんだ言っても「傾聴」に始まることは、
前にも書かせていただいた(*2)
 
 
とくにその時期は、
「震災後アルコール依存の予防」
という課題が、私たちにとって重要な柱であった。
 
どこの仮設住宅のどこの爺さんが酒を飲んだくれている、
といった情報は、
人は容易に他言するものではないから、
綿密な聞き取りを進めていかないとたどりつけない。
 
その情報にたどりつくために、
私はまず十浜地区をくまなく歩き、
地形を頭と体にたたきこみ、
土地の言葉をおぼえ、
作業を手伝わせていただき、
ともに食卓を囲ませていただき、
被災者の方々の世界を内側から共有することをめざした。
 
それに比べ真子さんの方法は、どうやら
スパイとして外から情報を効率よく摂取することに
躍起となっているようだった。
 
それで
ゾルみたいに
という言葉が何回も飛び出してくるのである。
 
ゾルゲみたいに
 スパイとなって被災者の話に耳をそばだてて
 被災地をまわる」
 
という意味と思われる。
 
おそらく彼女の頭の中では
この被災地支援そのものが、
見てきたばかりのスパイ映画の再現であり、
さまの大冒険になっているのであった。
 
 
 
 
真子さんでなくても、
人はよく、映画を見たあとに、
頭の中がその世界で一色に染められていることがある。
 
しかし、自分の内的世界を、
それを共有していないとわかっている他者を前に
ポンポンと豆鉄砲のように連射して語るかどうかは、
人はみな、必ずしも真子さんのようではない。
 
天真爛漫な子どものころならいざ知らず、
大人になるにつれ、
しだいに人は、注意深く内的世界を柵でとじこめ、
人に語るときは遠慮して小出しにするようになる。
 
すでに四十をすぎているのに、
頭の中に在るものを
臆面もなく豆鉄砲のようにポンポンと連射する真子さんの発話は、
 
「自分のいうことは
 目の前にいる他者
 必ずや受け容れられる
 
という前提に厚く裏打ちされているように思われた。
 
それはすなわち、
彼女の姫さま育ちに起因するように思うのである。
 
私は、三陸海病院(仮称)の院長、スタッフたちの
真子さんへの接し方(*3)を思い出した。
 
 
真子さんがひとたび
ゾルゲ!
とでも言えば、何だかわからないままに、
「ははぁ~」
と平身低頭する...とはいかないまでも、
「ああ、ゾルゲですね」
と柔らかく受け容れる人々に囲まれて育ったのだろう。
 
まかりまちがっても、
 
「な~に言ってんだ、お前。バカか」
 
などと否定したり、無視したりする人は
周囲に少なかったのではないか。
 
それは、彼女の強大な父、
塞翁先生(仮名)の学派の中で生き残っていくための
彼ら弟子たちの生き残り術でもあっただろう。
 
思いついたことに抑制のフィルターをかけない、
真子さんの豆鉄砲話法は、
こうして育ってきたのではないかと思うのである。
 
だとすれば、
私とは、なんという違いであろうか。
 
私の母は塾をやっていたから、
私をとりまく人々の中で、
私も「先生の子ども」という特別な位置をあたえられていた。
 
そこまでは真子さんと同じである。
 
しかし、言うことなすことが
母によって支配の道具とされてきたので、
私は、幼稚園のころにはすでに、
思いつきのままに言葉を発しないように用心していた。
 
思いついたことは自分の中に秘め、
相手にわかってもらえると自信がつくまで
たっぷりを熟成し、発酵させようとする。
 
しかし、たいがい忘却がせまってくる方が早く、
発酵は失敗し、ただの腐敗におわり、
想念は流れ去っていくことが多い。
こういうときは不全感として鬱積する。
 
思えば、私のうつの一部は
そうしたメカニズムに起因しているようにも思われる。
 
かといって、真子さんのように豆鉄砲になることが
健康であり回復であるとは、
どうも考えられない自分がいた。
 
 
もし、私たち患者が、
真子さんのように自分の頭の中にあることを
外界との隔たりも考えず豆鉄砲のように連射したら、
へたをしたら妄想性障害を疑われるのではないか。
 
しかし、カウンセリング会社の、
押しも押されぬ社長である真子さんには、
そのような疑いがかけられるべくもない。
 
そんなところにも、私は
治療者(経営者)と患者」を分ける
見えない境界線を感じるのであった。
 
私は、三陸海病院のスタッフがするであろうように、
真子さんを受け容れて、言った。
 
「そう。
 ゾルのように次の集落へ行ってください。
 
 仙台へ帰る前に、
 一人でも多くの話を聴いてくださいね」
 
 
 

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