VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

長男の放逐(73)ザスト被災地支援の内幕<11>お嬢様の大冒険 知られざる対立

長男の放逐(72)」からのつづき・・・
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
 
by ぼそっと池井多
 
 
十浜地区(仮称)の高台で
津波に流されずに残った民宿
長瀞荘」(ながとろそう、仮称)が、
私たちの初めのころの設営地であった。
 
真夜中、トイレに起きて、
窓から外を見ると、そこは
ただひたすら何もない漆黒の闇であった。
 
十浜地区において津波
谷に狭められて最大29メートルの高さに達し、
地区の8割がたが流失した。
 
津波で流されてしまった面積は、
もはや人の暮らしの気配のないガレキ(*1)の山であるので、
このように夜中に起きてみると、
何もない闇と映るのである。
 
*1:「ガレキ」は「震災廃棄物」「生活残留物」などと
言い換えるべきだという議論がある。
自分たちのかつての生活用品が「ガレキ」と
呼ばれることは被災者にとって悲しみの上塗り、
とはじゅうぶん承知しており、
それゆえに「ガレキ」という語をつかわない
発信者たちの仕事に敬意を表しつつ、
逐一妥当な言い換えを考えつくだけの力量がないために
一般的な表現として本記事シリーズでは
「ガレキ」を使うことをお許しいただきたい。
 
民宿「長瀞荘」も、
浴場のある一階は津波に洗われ、
窓ガラスは波に破られたままで、
壁には漂流物が擦過した生々しい跡が刻まれている。
 
それでも、もともと高い土地に建てられていたために、
二階と三階は無事であり、
家屋の骨組みがしっかりしていたことも幸いし、
民宿を続けることができたのだという。
 
ふと、夜中のトイレに、
プーンと煙草のにおいがする。
 
見ると、扉を閉められた大便所の上から
ひとすじの紫煙が立ちのぼっている。
 
館内は禁煙である。
玄関を出た外に灰皿が用意され、
喫煙者はそこで吸うことになっている。
 
この真夜中にトイレで隠れタバコとは、
いったい誰だ?
 
一般観光客などいない。
民宿の二階に泊まっているのは
私たちだけである。
 
となれば、
煙の主は、同じ階、別の部屋に泊まっている
ワイエフエフ(仮称)社長、真子さん(仮名)でしかありえなかった。
 
部屋で吸うと臭いでバレる。
だけど、一階に降り、外まで出ていくのは面倒だ。
というわけで、トイレで吸っているのだろう。
 
私は昔、アフリカ大陸を放浪している間に、
タバコが手に入らないので吸わなくなった。
そのまま四半世紀以上が経つわけだが、
いわゆる禁煙ファシストではない。
 
しかし、このときばかりは思ったものである。
 
なんてこった。
 
民宿の人にバレたらどうするつもりか。
 
それでなくても、被災地の人たちは
私たちの細かいところをよく見ている。
 
「支援」「心のケア」
などと正義漢ぶった看板をかかげて
被災地の外から入ってきている私たちの正体を見極めようと
住民の人々は、じつに細かいところを見ているのだ。
 
他でもない、この真子さんの呼びかけで始まった
ザストの被災地支援であったが、
気がつけば私がプロジェクトの責任者となっていて、
現地の人々からのクレームはすべて
私に来るようになっていた。
 
 
 
 
 
被災地支援というと、とかく「善いこと」であって、
支援者はみんな無私な善人であり、
被災者もみんな聖なる犠牲者である、
といったイメージを持つ人も多い。
 
年月が経って、最近は変わってきたのかもしれないが、
震災後、はじめの二、三年は、
テレビで報道される被災地支援のニュースは、
みんなそんな内容ばかりで
私は吐き気がしていたものだ。
 
私はあえて言う。
 
支援者も、被災者も、
人間であるかぎり当たり前だが、
みな基本的にエゴイスティックな存在である、と。
 
その前提に立たなければ、
真の支援は見えてこないものだと思う。
 
 
 
 
 
 
この民宿「長瀞荘」の人々のように、
家を津波で流されずにすんだ方々も、
もちろん被災者(*2)である。
 
*2:「被災者という言葉で一括りにされたくない
という方がたくさんおられることは承知しているが、
一般的な日本語であるので、使うのをお許しいただきたい。
なお、「被災者」という概念は東洋的なものと私は考えている。
たとえば海外メディアなどでは「victim(犠牲者)」
「survivor(生き残った者)」という語が使われるが、
どちらも「被災者」と一対一対応していない。
 
ただし、仮設住宅に入る必要はないため、
震災後のご自宅に住んでおられる。
 
このような被災者は、「在宅避難者」と呼ばれていた。
 
いっぽう家屋敷を流されてしまった人々は、
初期の避難所生活を経て、
仮設住宅に住むことになった。
 
行政は、どの住民にも等しく
サービスを提供するのが原則である。
 
しかし、被災地の外から入ってくる支援者からの民間支援は、
この平等原則を踏まなくてよいため、
在宅避難者の人々には行き届かないこともあった。
 
そうなると、在宅派の人々は、
仮設派をうらやむことがある。
 
在宅派のあるおばあさんは、
明からさまな言葉で私という支援者に言いつのった。
 
支援の人たちは、この十浜地区にやってきても、
 みんな仮設に行っちまう。
 モノ持ってぎて、みーんな仮設に配っちまって、
 こっちにはなんにも来やしねえ。
 
 震災が起こってすぐのときゃ、
 わたしら在宅の者が、にぎりめし作ったり、
 家を流された人泊めでやっだり、
 いろいろやってやったのに、
 仮設が建ったら、だあれも来やしねえっちゃ。
 
 ここの集落は在宅地獄だ。
 あそこの集落は仮設天国
 
「在宅地獄」「仮設天国」という表現は、
このおばあさんのオリジナルとは思えなかった。
そのように言っている、もっと若い層が
背後にいる、ということではあるまいか。
 
それに対して仮設の人はいう。
 
わたしらは家屋敷を流されてんですよ。
 あの人たちみてえ、家が残っただけでもいいでねえすか
 
ごもっともなのである。
 
ちなみに、津波で亡くなった方々は、
自分の家にいて津波にあったとはかぎらないので、
在宅派、仮設派どちらにも
とても言葉にできないような
悲惨な亡くなり方をしたご家族や縁者がいらした。
 
 
こうした在宅派vs仮設派という反目がただようなかで、
支援者たちはどうするか。
 
私たち、民間の支援者は、
財団や企業から助成金をいただいて、
支援活動をおこなっているので、
 
「いただいたお金は、
 このように遣わせていただきました」
 
と、できるだけわかりやすく活動報告をしなければならない。
 
活動報告には、
支援の状況をつたえる写真を添えることになっている。
 
報告が認められない場合は、
助成金が出ないか、もしくは返金しなくてはならない。
 
となると、小さなNPOにとっては
財政的にパニックとなる。
 
そんな事態にならないために、
財団への活動報告に使う写真は、
できるだけ「いかにも」支援活動をしている
と見える写真を撮りたくなるのである。
 
となると、どうしても仮設住宅へ行くのである。
 
 

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悲しいことに、
あの寒々しい薄青色の不愛想で画一的な仮設住宅は、いかにも被災者の方々の窮屈な生活を訴えるのに、もってこいなのであった。
 
だから、支援団体はそこを舞台に
写真うつりのよい「絵になる支援」をやろうとする。
 
在宅派への支援を写真に撮っても、
背景に写っているのは「ふつうの家」に見えてしまい、
あまり「支援やってます」という感じが出ない、
などととらえるのである。
 
もちろん、そうした家屋も
中に入れば津波の痕跡は痛々しいのだが、
外から撮る写真には写らない。
 
メディアも同じようなことを考えるから、
 
「被災地支援は仮設住宅でおこなわれているもの」
 
といったイメージがさらに社会的に増幅していく。
 
そういう傾向が見えたので、
活動の初期において私は、
できるだけ在宅派と仮設派の両方の集落を行き来して、
どちらにも偏らない活動を心がけた。
 
仮設派の方々は、仮設住宅にあつまっているが、
在宅派の方々は、もともとあった家の位置がそうであるので、
みごとに点在している。
だから、この「長瀞荘」のように
在宅派のキーパーソンと密接な距離を保つようにした。
 
ところが、これがまた微妙にむずかしい。
 
在宅派の集落へ行ったときには、
仮設派の集落へ通っていることはいっさい言わず、
仮設派の集落へ行っているあいだは、
在宅派の集落の話はいっさい出すわけにいかなかった。
 
できるだけ敵対勢力とつながっていることは悟られないように、
それぞれの集落に支援をおこなわなくてはならないのである。
 
十浜地区はとくに
在宅派vs仮設派の反目が厳しかったのだろう。
 
トランプでタワーをつくるように、
精妙に支援作業を進めていった。
 
ばかばかしいと思われるかもしれないが、
これが重要なことであった。
 
「敵とつながっている団体」に
心のケアなどしてもらいたくない、
と住民の方々は考えるようなのである。
 
これが、慾もエゴもある、
人間を相手にする支援活動の実態なのであった。
 
ところが、やがてこれが、
一つの騒動を巻き起こすことになっていったのである。
 
・・・「長男の放逐(74)」へつづく
 
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    こんにちは。被災地支援の記事興味深く読ませてもらってます。本文とは離れてしまいますが、背景を教えていただきたいのですが、真子社長の呼びかけで始まったということは、支援する側の主体は(株)ワイエフエフでNPOザストは側面支援というかお手伝いと考えてよいですか?また、そうであればワイエフエフの社員の人たちはどのように支援にかかわったのでしょうか? ワイエフエフはメンタルヘルスのプロとして、被災された方々の心のケアをメインにすえた被災地支援を行ったのかと思いますが、具体的にはどのような支援がなされたのでしょう? ザストHPには被災地支援の報告がアップされていて、会員の方々の傾聴ボランティアの様子などが写真で見られます。同じようにワイエフエフも被災地支援の報告など見られるところはありますか? お手数おかけしますが、教えていただけると支援の全体像が見えそうなのでお伺いした次第です。よろしくお願いします。 削除

    sma***** ]

    2015/11/17(火) 午後 0:08

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  •              

    sma*****さま コメントをどうもありがとうございます。

    ザストの被災地支援は、真子社長の言い出しっぺにより、私J.I.が事業責任者となって助成財団に申請したことから始まりました。したがって活動主体はザストで、ワイエフエフと三陸海病院が専門家の立場から協働するという予定でした。そのあたりの事情は、

    硫黄島からのメール」
    http://blogs.yahoo.co.jp/vosot_just/65004941.html

    に書かせていただいたとおりです。

    時間が経つにつれて活動形態は変転を重ねていきました。結論からいえば、ワイエフエフ社員の方はお一人も私たちの支援には実質的に加わりませんでした。それはなぜかといったことも、いずれ書き残せたら、と思っております。
    今後ともよろしくお願いいたします。 削除

    チームぼそっと

    2015/11/17(火) 午後 1:27

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