VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

イスラム国をめざす若者たち(10)パリ同時多発テロ事件

一つの戦争が始まってしまった。
 
フランス・ロシア・アメリカなどによるIS空爆
 
パリのコンサートホールで自動小銃を乱射した
容疑者の一人、サミー・アミムールという青年について
このように報じられる。
 
「静かで、礼儀正しい青年だったよ」。容疑者宅の隣に住むリシャル・ベラセムさん(65)は取材にそう語った。アルジェリア出身の両親と、姉、妹の家族5人暮らし。容疑者はエレベーターで近隣住民と乗り合わせると、気軽にあいさつを交わすような「ふつうの若者」だったという。(*1)
 
*1:朝日新聞 電子版 2015.11.18 05:10
 
 
人は
 
静かで礼儀正しい青年なのにあんなテロをした
 
と考えたがる。
 
 
 
しかし、
 
静かで礼儀正しい青年だからあんなテロをした
 
と考えた方が、
問題の本質に早く到れるだろうと思う。
 
 
パリ同時多発テロについて考えることと
私たちトラウマ・サバイバーの生の声を
要因や症状による分けへだてなく発信することは、
私のなかで完全につながっている。
 
 
私たちは、
 
「自分のことばかり考えて、
 政治のことなんかどうだっていい」
 
というわけではない。
 
ミクロに自分のことを考えることが、
マクロに国際政治を考えることにつながっているのである。
 
 
人が、すべて自分のまわりのことを解決できていれば、
戦争を起こす必要がない。
 
 
この戦争を
「文明と野蛮の対決」
ととらえたり、
「文明と文明の戦争」
と考えたりしているうちは、
人類はこれを終結させることはできないであろう。
 
このような衝突、軋轢、格差をふくめて
これが、こんにち私たち人類の「文明」である
という前提に立たなければならないと思う。
 
 
 
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    【このような衝突、軋轢、格差をふくめて

    これが、こんにち私たち人類の「文明」である

    という前提に立たなければならないと思う。】

    カレエダも全く同感です。
    更に言うなら、
    どんなに理想的な社会が成立したとしても、犯罪はなくならないのと同様に戦争もなくならない。このことを前提に考えないと憲法9条平和論などという馬鹿々々しい空論が恥ずかしげもなく世に憚ることになるのだと思います。

    ・ 削除

    カレエダ ]

     

    2015/11/18(水) 午後 2:42

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  •   

    カレエダさま コメントをどうもありがとうございます。

    パリを訪問したアメリカのケリー国務長官は、
    「この戦いは文明どうしの戦いではない。
    文明と野蛮の戦いだ」
    などと言っています。(BS1 11月17日 14:52 http://p.jcc.jp/news/10268515/

    こういう認識が政府高官にあるかぎり、戦いは終息しないでしょう。
    安易な考えの人は誰でも、自分の価値観が所属する体系が文明であり、自分と相対する価値観は野蛮と考えたがるものです。

    古代ギリシャの歴史家トゥキディデスは「高貴なる野蛮」などとかつて言ったものですが、現代ではオリエンタリズムの亜種のように評されるこの言葉も、同時代のケリー国務長官のような政治家にむけて警世の声として発せられたものではないか、と私は想像します。 削除

    チームぼそっと

     

    2015/11/18(水) 午後 3:47

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  •   

    顔アイコン

    ケリー長官もオランドもブッシュも同類ですね。
    あえて言うならオバマプーチンも安倍ちゃんも・・
    文明と野蛮の戦いとは思いませんが、コレが文明だとも思いません。
    現代文明はどこかで狂っており、それに絶望を感じている人間の方がむしろ正常じゃないでしょうか。 削除

    迷えるオッサン

     

    2015/11/18(水) 午後 5:32

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  •   

    迷えるオッサンさま コメントをどうもありがとうございます。

    「現代文明はどこかで狂っており、それに絶望を感じている人間の方がむしろ正常じゃないでしょうか。」
    それはおっしゃるとおりだと思います。

    古代、エジプト文明黄河文明の時代は、それぞれの文明が空間的にも時間的にもへだたって別個に存在していましたが、現代はそういうわけにいかず、私たちの世界全体がひとつの文明です。

    現実の社会に絶望した青年たちが、昔の日本であれば西方浄土にあこがれ、ひと世代前であれば東側の世界にあこがれ、いまはISという対抗価値にあこがれるのかもしれませんが、どこまで行っても逃れられない人間的絶望というものがあることでしょう。

    戦争のような成育環境で育った者が、成長後に同じ環境を自分の生活圏に作ってしまうために、そうした人間的絶望が作られるとも考えております。 削除

    チームぼそっと

     

    2015/11/18(水) 午後 7:53

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