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長男の放逐(74)ザスト被災地支援の内幕<12>お嬢様の大冒険 ~ 通り魔の女

長男の放逐(73)」からのつづき・・・

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

 

by ぼそっと池井多

 

そのような民宿「長瀞荘」(ながとろそう, 仮称)に、

私は、真子さん(仮名)と、
いまザスト(仮称)の実権をにぎっている岡村美玖さん(仮名)の三人で、訪れたことが一度だけある。
 
まさかそのときは、
この岡村さんがやがて陰で動いて
私をザストから追い出すことになる(*1)人だとは、
夢にも思わなかった。
 
 
近年の私の眼には、
岡村美玖という人は、
いっしゅの通り魔のように映っている。
 
「なぜこの人が私に刃物を向けてくるの?
 いったい私があなたに何をした?」
 
という疑問を持つ間も与えず、
いきなり背後からナイフで刺してきて、
毎日を暗転させた通り魔。
 
……。
……。
 
岡村さんと初めてお目にかかったのは、
ザストの被災地支援の一年目の活動が、
社会的にも認められて、
二年目も活動助成金が出ることになったころである。
 
真子社長の姉貴分として
横から出てきたのが岡村さんであった。
 
私たちザスト隊が東京から十浜地区(仮称)へ向かうに際し、
 
あら、私も行ってもいいかしら~
 
と、にこやかに責任者の私に近寄ってきたのだった。
 
このときの、愛想のよいやわらかな態度は、
のちに私を含め患者たちを虫けらのように
冷たく撥ねつける態度とは、
とても同一人物のものとは思えないくらい違う。
 
ザストの人でもないのに、
交通費・宿泊費をザスト持ちにするのだから、
只でお連れするわけにはいかない。
 
「それでは、」
と私は条件をつけた。
 
十浜地区の、ある二人の重要人物の対立が、
ザストの支援計画の障壁となっていたので、
彼ら二人の和解を図ってほしい、
という重要なミッションを
ザスト隊の隊長として私は岡村さんにお願いした。
 
真子さんがさかんに
「すごい人だ」
と私に岡村さんを紹介したので、
そのくらいのことはできるだろう、と思ったのである。
 
過大評価であった。
 
結果からいえば、
岡村さんはこのミッションを果たさなかった。
 
形だけ関係者の話を聞いただけで、
往復の交通費・宿泊費だけは享受していった。
 
また、真子さんが言うほど
「すごい人」とも思えなかった。
 
おそらく真子さんから見れば「すごい人」なのであって、
私たちから見れば「ふつうの人」なのである。
 
 
では、彼女はいったい何のために
十浜地区に入ったのか。
 
じつは、岡村さんは
東日本フェミニスト連盟(仮称)という別団体の用件で、
十浜地区のある人に会いたかったので、
私たちザストは「足代」としか見ていなかったようだ。
 
「ザストを、そうやって使えばいいじゃん」
と真子さんが示唆した可能性もある。
「時給25,000円」(*2)といった発言からも、
真子さんにとってザストは
そういう存在にすぎなかったと思われる。
 
 
また、もし現地で岡村さんがそういう予定ならば、
私が現地活動の責任者なのだから、事前に
 
「十浜地区に着いたら、私はやりたいことがあるんです。
東日本フェミニスト連盟の仕事で、
○○仮設住宅の○○さんとお会いして
30分ほど話したいことがあるんですが、
どこか時間を取ってくれますか」
 
とお願いをしてくれるべきであったと私は考える。
 
ところが、そのような相談はなく、
現地に入ると、それが当然であるがごとく、
自分の都合で動くのであった。
 
前にも書いたように、私は運転ができない。
 
ハンドルは、岡村美玖の妹分である真子さんが握っている。
 
すると、私に指揮権などまるでないかのように
彼女たち二人は行動するのであった。
 
 
「責任者である私が
 このようにないがしろにされるのは、
 私が患者だからではなかろうか」
 
と疑う私は、はたして被害的であろうか。
 
 
もし、私が患者ではない人生をあゆんで、
この年齢に達し、同じ責任者を務めていたら、
岡村さんははたして同じように私を扱っただろうか、
と考えるのである。

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近代以降の精神医療が抱えるテーマの一つは、
患者の「支配からの解放」と、
治療者・患者の関係の平等化だと思う。
 
フロイトが批判される理由の一つは、
その支配性である。
 
つまり、治療者が、
 
「あなたはこう思っているんです」
 
と断言したら、
「そうだ」ということになってしまう点である。
 
「いいえ、先生。それはちがいます。
 私はそう思ってません」
 
と患者がいうと、
 
「それは患者であるあなたが否認しているだけです」
 
と治療者はいうことができ、
ますます治療者の説を強める結果になってしまう。
 
これを私は
「否認の、否認による、否認」
もしくはDDD(*3)と呼んでいる。
 
*3:DDD:
Denial of Denial by Denial
 
私自身はフロイトの思考をなぞることで強迫が治ったので、
何かにつけフロイトを擁護する人ではあるのだが、
フロイトの作った治療者・患者関係には、
DDDの危険があることもまた強く認める。
 
DDDの危険なしに
精神分析のうま味だけ吸い取るには、
私がやったように
セルフ精神分析をするのが最も安全だと思うが、
DDDがある以上、
 
人間はみな平等
 
という理念から出発した
近代の産物である新しい精神医療からすれば、
 
「やっぱ、これ、まずいんじゃないの」
 
という批判が巻き起こるのだろう。
 
こういう背景があるから、
精神医療に関わる人と、その周辺の人々は、
表向きはさかんに患者との平等を実践しているかのように動く。
 
たとえば「患者」という呼称をやめて「クライエント」、
あるいはデイナイトケアの「メンバーさん」
という言い方をする。
 
ところが、なかには
「そういう言い方をしているから、あとはもういいだろ」
といった揺り戻しが働いて、
呼称という表層以外ではよけいに
患者の人間的価値を見下したような
態度を出してくる治療者・経営者もいる。
 
表層を改善することにより、
かえって意識の改善が棚上げにされてしまう
といったこともあるのだろう。
 
また、どんな差別でもそうだが、
表面的な糊塗をほどこすために、
よけいに差別がわかりにくい深層へ
おしこめられてしまうこともある。
 
 
私自身はむしろ、
 
「外見より中身が大事。
 呼び方は『患者』でもいいから、
 ちゃんと人として対等に扱ってよ」
 
と思うのである。
 
 

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十浜地区から帰ってきたあとも、
心寒くなることはままあった。
 
岡村さんが、
「十浜地区に行った時の写真を送って」
というので、
彼女の写っているぶんだけ選り分けて、
圧縮ファイルにワンパックして送ってさしあげた。
 
そんな作業をやったことのある人はわかると思うが、
ちょっとした手間である。
 
なのに、御礼のメールはおろか、
「届きました」「受け取りました」
の一言もない。
 
岡村さんがファイルをダウンロードしたことは
サイトの履歴から確認できるが、それだけである。
 
「お前は患者なんだから、
 言われたことを黙ってやってりゃいいんだよ。
 
 人間として対等に
 私とつきあおうなんて
 おこがましいことは思うな!」
 
と言われているようで、
心寒くなったのである。
 
 
 
また、このころ
岡村さんは、ザストのビデオカメラを借りていって、
自分の団体、東日本フェミニスト連盟の集会で使用した。
 
そして、内部のデータを削除することなく
ザストに返してきた。
 
「なんでこんなものが入っているんだよ」
 
と私は訝りながら消去していったが、
ザストのデータでないことを確認するために、
一枚一枚すべて開いてみないわけにはいかない。
 
そこに写っていたのは全員が女性であったが、
東日本フェミニスト連盟の集会の参加者たちは、
自分たちが参加したこと、言ったことを
関係のない団体の男性である私に見られたことを
よもや知るまい。
 
こんなことをいうと、
いかにも私がまた何か悪いことをしたみたいに
聞こえるかもしれないが、
私は何も悪くありません。
 
私がいうのもおかしいが、
私だったからまだ良かったものの、
ほかの男性だったら悪用できる情報も含まれていたのである。
 
私だったら、岡村さんのようなことはしないだろう。
だいたい他団体の機材など、安易に借りないし、
もし借りたとしたら、内部データは消去して返すと思う。
 
私もザストの在任中、ミスがなかったとはけっして言わないが、
何か感覚がちがうような気がするのである。
 
逆にいま、私たちザストの個人情報を
一手ににぎっている岡村さんは、
同じことを他団体にやっているのではないか、
と不安になる、
……といったら、これはまた私の不安妄想であろうか。
 
 
 

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では、なぜこのような岡村さんが
ザストを支配するようになったのか。
 
のちに2015年5月、塞翁先生は、
ザスト通信編集長をはじめ、いくつかの要職から私を切って、
かわりにこの岡村さんを採用するにあたって、
私の診察の中でこのように説明した。
 
「岡村さんは、仕事がコンシスタント。
 毎回、ちゃんと撮影に出てくる。
 それから、私への透明性。」
 
コンシスタント(consistant)とは、
ふつう「一貫性がある」などと訳されるが、
ようするに毎回、撮影の仕事に出てきた、ということを
塞翁先生は言っているのだろう。
 
塞翁先生が比較したのは、
ザストが過去にやっていた「赤ちゃんの島」(仮称)という
プロジェクトにおける私の撮影の働きぶりと、
リカモリング制度(仮称)が始まってからの岡村さんの撮影である。
 
 
「ちょっと待って、プレイバックプレイバック!」
 
と言いたくなる。(世代が知れる。)
 
単純にそれらを比較してもらってはたまらない。
 
まず私は給料をもらっておらず、
岡村さんは人もうらやむような給料をもらっている。
 
まあ、それはいい。
私にとって最終的に大事なのはお金ではない。
 
忘れてほしくないのは、
真子さんの呼びかけで始まった被災地支援の責任者をも
私は同時にかかえていた、
という事実である。
 

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また右の図のように、
塞翁先生への連絡にも
私の場合は、
間に二人をはさんでいた。
 
いっぽう、岡村さんは
塞翁先生の秘書に直接やりとりするのを許されている。
 
しかも、どの日程で
赤ちゃんの島の撮影や会合があるか、
私に直前まで連絡が来ない場合があった。
 
前日まで十浜地区で仮設住宅をまわっていて、
翌日、東京で「赤ちゃんの島」があるといわれても
私は対応できない。
 
また、塞翁先生が採用した
「私(塞翁先生)への透明性」
という基準に関しても、
連絡網のとちゅうにフィルターを入れられた私と、
入れられない岡村さんで比較すれば、
岡村さんのほうが透明性が高まるのに決まっているのだった。
 
このような悪条件を背負わされて
岡村さんと比較されたら、
それは私の仕事ぶりのほうが
劣っていると見えるのは当然である。
 
きっと、ここでも真子さんの
 
「岡村さんはすごい人」
 
との前宣伝が塞翁先生に働いたのにちがいない、
と私は推し量っている。
 
真子さんとしたら、私ごときの患者と働くよりも、
自分の姉貴分と働いたほうが楽しいので、
そう言うのに決まっている、と思う。
 
このような判断で私を切って岡村さんを入れた
塞翁先生は
はたして人間が見えておられるのだろうか。
 
 
「これだけたくさんの人間を診てきたのだ。
 
 だから私には人間が見えている」
 
というようなことを
塞翁先生はよくおっしゃる。
 
断言的に放たれるこの言葉は、
多くの患者が塞翁先生の指示に
信を置く根拠ともなっていることだろう。
 
 
しかし……。
 

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 ワイエフエフ(仮称)のホームページの
トップメニュー「コラム」からたどると、
いちばん下に一つだけ執筆者の顔写真を掲げていない
シリーズ記事がある。
 
「自分らしい生き方とは……」
と始まるタイトルの全10回にわたるシリーズ記事である。
 
この筆者が岡村美玖さんである。
 
一人だけ顔写真を掲げない、ということから、私は
「表に出ず陰で動く」
という彼女の習性と
「担当者名を名乗らない」
というワイエフエフの社風を連想する。
 
シリーズ記事はどれも、
出来のよい女子学生が書いた大学のレポートのようで、
よく言われることをつなぎあわせたような、
すべてにおいてそつがなく、立派なことが書いてある。
 
この文章群から私は、二つの特徴を感じ取る。
 
一つめは、私の知る岡村さん自身の行動がすべて
書かれている言葉を裏切っていて、
 
「いいことおっしゃいますね。
 鏡で反射して全部あなたにお返しします
 
と言いたくなるものだということ。
 
二つめは、
これだけふんだんに言葉を排出しているのに、
何一つ自分を語っていない、ということである。
 
もしかしたら、この二つの特徴は、
一つのコインの裏表なのかもしれない。
 
すなわち、自己開示をしないから、
偉そうな、もっともらしいことばかり書けるのである。
 
岡村さんの記事群のように、
心の問題を論じるにさいして、
筆者自身の心的問題を何一つ吐露しないように書く、
というのは、
知性化された一つの否認のかたちだと思う。
 
自分を語れない者は、
ほんとうに人の痛みを分かち合うことはできない。
 
それは、岡村さん自身が経営している
リカモリング制度(仮称)の主旨であるだろうに、
金儲けとしてのみ関わっているためか、
彼女自身はそれを実践できていないのである。 
 
岡村さんの本名は、
急進的なキリスト教徒の親に育てられたのだろうか、
と想わせるような字を書く。
 
だから、そういう成育歴を持つ作家・中村うさぎのような
父親との関係があったのではないか、
と私は揣摩している。
 
資料のメール(*4)に見られるような、
まるで銀行の帳簿決算のように、
心のケアを必要としている患者たちの人生や生きがいを
無表情にゴミ箱へ直行させるような人間性の背後には、
そうした過去への怒りが埋もれているとも感じられる。
 
 
中村うさぎ同志社と、ややキリスト教色のある大学へ進んだが、
岡村さんは関西大学で、そうではなさそうだ。
 
厳格なキリスト教家庭から脱出するまでの
彼女自身の成育歴における体験を語り始めるとき、
岡村さんはきれいごとではない、
血の通った言葉を書けるのではないか。
 
ワイエフエフ事業部長、岡村美玖が、
リカモリング制度の事業者として
ふさわしい精神世界を持つのは、
おそらくその後のことである。
 
 
・・・「長男の放逐(75)」へつづく

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  •           

    顔アイコン

    ザストの被災地支援活動は、心ない人たちに食い物にされていた部分があったのですね。かつて経済後進国で開発援助プロジェクトに関わった私の経験においても、似たようなことがありました。身内と思っていた人の思いがけない行為で迷惑したり悩まされたり傷ついたり。

    それにしても、ワイエフエフと社長さんの言うところのすごい人の傍若無人ぶりは目にあまります。被災地の人たちの心のケアはどうしてしまったのでしょうね。協力関係においても、パートナーとは程遠い印象です。

    あと、私も時々経験しますが、見下されたり軽くあしらわれたり。それは私の問題ではなくて、相手の問題だと思ってます。そういうことをする人は、無理やり優位を確保することで、自分の中で人間関係のバランスを保とうするのではないかと思います。JIさんは、詳細にすごい人の行動と背景を分析してるので、私が言うまでもないことですが。私は、最近はそういう類の人とは深く関わらないように心がけています。 削除

    sma***** ]

    2015/11/19(木) 午後 9:06

    返信する
  •           

    sma***** さま コメントをどうもありがとうございます。

    おっしゃるように、そういう類の人とは関わらないのが、ほんとうは生き方として賢明なのでしょう。
    しかし、実質的に仕事をしている者がクビになったり、治療者の関心のない症状の患者がていよく追い出されたり、はたまた暴力的にリンクを切られて迫害されたりしているザストの現状を思うと、これで済ませたくはないと思うのです。
    私は、「そういう類の人」と関わらないことには社会的生存の基盤がないところに生きてしまっています。
    また、ほかの会員たちにも、いままで表面に出てこなかった、いろいろな事実を知っていただきたいと思うのです。
    今後ともよろしくお願いいたします。 削除

    チームぼそっと

    2015/11/19(木) 午後 10:04

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