VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

長男の放逐(75)ザスト被災地支援の内幕<13>お嬢様の大冒険 ~ 一本の電話

長男の放逐(74)」からのつづき・・・

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

 

by ぼそっと池井多

 

さて、やがて私をザストから追い出す張本人となる
岡村美玖(仮名)さんと真子(仮名)さんと私は
設営地である長瀞荘につくと、
いつものとおり大女将の丁寧なもてなしを受けた。
 
「このたびもご支援まことにご苦労さまでごぜえます」
 
「またお邪魔させていただきます。
 どうぞよろしくお願いいたします」
 
私も深々と頭を下げる。
 
民宿とはいうけれど、
旅館と名乗ってもいいくらい、
出る料理にも、またこの大女将にも風格があった。
 
これまで無数の観光客をさばいてきた
酸いも甘いも噛み分ける職業人としての貫禄である。
 
 
「なじょすか(どうですか)、
 今回はどっちサ回るんでがすか」
 
大女将が訊いた。
 
「一泊二日の予定で、あちこち回って、
時間があったら町役場にも、うかがいたいと思っております」
 
私は、礼を失しない程度に
あいまいにお答えした。
 
前(*1)に述べたような理由で、
支援にたずさわる者の予定を
たとえお世話になっている民宿の大女将にも
詳しく語れないのである。
 
 
大女将のほうも、
私たちの予定を根掘り葉掘り聞くのが目的ではなく、
挨拶がわりにちょっと訊いてみているのにすぎない。
 
だから、私のあいまいな答えにも、
そのまま引き下がる風情を見せた。
 
「ああ、そうでがすか。
 ごくろうさんでごぜえます。
 何度か来て、皆さん、だいぶ十浜にもなじみましたか」
 
大女将は私たち三人に目を配しながら言った。
三人は、それぞれ別々に大女将を見知っていた。
 
「ええ、おかげさまで…」
 
と私はにこやかに答えた。
 
窓の外には、三陸の荒い海がひろがっている。
波が岩を打ちすえる音が遠くからとどろいてきた。
 
 
 
イメージ 1
 
 
すると、その時である。
 
ふいに横から、
真子さんが一言を放った。
 
それは、まったく予想だにしない一言であった。
 
 
もう二宮さんから、電話もらちゃったりしてぇ…
 
 
ちょっと待て! と心あわてて、
私は思わず真子さんの顔を盗み見た。
 
きっと風ヶ谷仮設住宅の代表者である
二宮トキ(仮名)さんから
真子さんにも電話が一本、行ったというのだろう。
 
たしかに二宮トキさんは、
じつにまめに電話をする人であった。
 
メールをお使いにならない世代ということもあったが、
トキさんは、それが支援者に対して自分がやるべき仕事と
思い定めておられるふしもあった。
 
私自身は、
電子メールというものが世の中に出現するはるか前から
自分の時間にいきなり横から乱入してかきみだす
電話というものが大嫌いで知られていて、
メールが一般的になってからは
さらに電話を使わなくなった。
 
いちおう、ガラケーと呼ばれるのか
縄文時代のような古い携帯電話は持っているが、
とても使っているとはいいがたい。
ひごろは鞄の片隅に埋もれており、
外出するときに相手と落ち合うための
トランシーバーとしてのみ機能している感がある。
 
そんな私が、被災地支援の三年間は
連絡のため携帯電話を多用しなくてはならないのは、
大いなる精神的負担であった。
 
二宮トキさんのように、
とくに緊急の用もないのに電話をくださる方には
内心でははなはだ閉口していたのだが、
それを口に出していえば、
私が「ちょっと変わった人」だということがバレてしまうし、
「支援は仕事」
と思っていたから、
けんめいに受けた。
 
トキさんに悪気がないことはわかっているのである。
 
被災地支援というものに対して、
被災者の方が持つ姿勢はさまざまである。
 
「支援なんて受けない」と自立心の塊のような方もいる。
「もらえるものは何でももらう」という方もいる。
 
二宮トキさんは、
「これは信頼できる団体だ」
と見定めるや、積極的に支援を受けることにしている方であった。
 
「風ヶ谷集落の将来のため、
今のうちに、できるだけ多くの人と
つながっておかねばなんねっちゃ」
とおっしゃったこともある。
 
そのようなお考えのもとに、トキさんは
信頼できる団体を通して名刺をもらった人には
誰にでもまめに御礼の電話を入れるのであった。
 
私が真子さんをトキさんに紹介したので、
真子さんにも電話を入れたのだろう。
 
だから、電話が来たからといって、
何もとりわけ真子さんが気に入られた
ということではなかったのであるが、
真子さんにとっては、その電話一本が、
なにやら支援者として認められた証のように
感じられたのだと思う。
 
そして、それをたちまち長瀞荘の大女将の
「十浜地区になじんだか」
という質問に対する答えとして
示そうとしているのである。
 
すなわち、
 
「ええ、なじんでますよ。
もう被災者の方から電話がかかってくるほど、
私と十浜地区は深くむすびついているのです」
 
と印象づけようというのだろう。
 
たかだか被災者の方から電話を一本もらったくらいで、
すぐそのようにアピールすることじたい、
じつは、真子さんが
ほんとうの支援の修羅場を知らない証であった。
 
また、電話一本もらったという小さな事実にすがりついて、
自分が支援者であることを示そうとしている焦りが、
逆に、真子さんが一つの後ろめたさに
背後から追われていることを物語っていた。
 
すなわち、
自分がこの支援事業の言い出しっぺでありながら、
あまり十浜地区という現地にやってこず、
私という一人の患者に丸投げしている、
という後ろめたさに。
 
……。
……。
 
しかし、それは支援の現実からいえば、
とんでもないことであった。
 
そもそも二宮トキさんが仕切る風ヶ谷仮設(仮称)は、
前(*1)にお話しした分類からいうと、
「仮設派」の代表格であった。
 
 
いっぽう、大女将が切り盛りしている
長瀞荘(仮称)は「在宅派」の代表格である。
 
それだけでも関係は悪いのに、
さらなる事情があった。
 
歴史的にみても、
風ヶ谷集落と長瀞集落は、
山林の所有権や水利をめぐる紛争などで、
明治時代から宿敵のような関係にあった。
 
震災当日の夜は、
隣の集落からコメやガソリンを奪いに来るのではないか、
と男たちが境界の高台に火を焚いて
自警していたなどという物騒な話もある。
 
そこへ加えて、
風ヶ谷集落の二宮トキさんは
むかし町会議員を勤めた時期があるのだが、
長瀞荘の親戚も町長候補だったことがあり、
同じ自民党系といえども、
おたがい対立する会派に属していたのであった。
 
そのようなわけで、
同年代の二人の女性、すなわち
長瀞の大女将と風ヶ谷のトキさんは、
昔から犬猿の仲だったのである。
 
このような事実は、
誰も表に出して体系的に語ることはなく、
何回も十浜地区に通って
片足だけ住民のようになるうちに、
しぜんと耳に、肌に、頭に入ってくるものである。
 
もちろん、十浜地区にめったにやってこない真子さんは
知るよしもない事実であった。
 
 
……。
……。
 
 
もう二宮さんから、電話もらちゃったりしてぇ…
 
と、真子さんがわけもわからぬままに口走った一言を
海千山千の大女将が聞き逃すわけはなかった。
 
大女将は、したたかにそこを聞き捕らえ、
顔を曇(くも)らせ、
やにわに声を低くして、こう訊いた。
 
「二宮さん?
 
 この十浜には二宮さんて、たくさんいるけんど、
 
 どの二宮さんだべか」
 
 
私は、背筋が寒くなった。
 
 
 

・・・「長男の放逐(76)」へつづく

vosot.hatenablog.com

関連記事

vosot.hatenablog.com

vosot.hatenablog.com

vosot.hatenablog.com

  •               

    顔アイコン

    ミステリー小説みたいに面白い、次が楽しみ・・(失礼) 削除

    迷えるオッサン

    2015/11/21(土) 午前 9:59

    返信する
  •               

    迷えるオッサンさま コメントをどうもありがとうございます。
    本人としては、ミステリーというよりホラーでした。 削除

    チームぼそっと

    2015/11/21(土) 午前 10:07

 

All Right Reserved (C)VOSOT 2013-2020