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長男の放逐(77)ザスト被災地支援の内幕<15>お嬢様の大冒険 基本的守秘義務が守れない治療者 寒気をしのぐ夜

長男の放逐(76)」からのつづき・・・
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
 
by ぼそっと池井多
 
 
精神医療の世界では守秘義務というものがある。
 
「ある患者がしゃべった医療情報を、
 治療者はむやみに他の患者へしゃべってはいけない」
 
ということである。
 
この守秘義務の概念が、
治療者側によって乱用されることがある、
と私は思っている。
 
たとえば関連NPOであるザスト(仮称)の年次総会において、
冒頭に
 
「今から話すことには守秘義務を課します」
 
などと治療者・経営者側が一方的に宣言するのは、
守秘義務という概念の乱用である。
 
総会の議論の内容や
決算報告の数字に疑問を持ったならば、
その疑問に関する対話を総会の外に持ち出すことは
法的に守秘義務違反でも何でもない、と思われる。
 
そもそも守秘義務とは
患者側の個人情報を守るための仕組みであって、
治療者側を守るためのものではない。
 
その延長でいえば、
患者が自分の診察やカウンセリングなど
セッションの様子を録音や撮影するのを
治療者が「守秘義務」を理由として
禁止したり、難色を示すのも
おかしなことだと思われる。
 
治療者は、よくそれを録音する。
そして、それを学会やスーパーヴィジョンなど
患者がいないところで再生して
ほかの人々に聞かせる。
 
治療者と患者が人間として平等ならば、
患者にも同じ権利があってよいはずである。
 
つまり患者も治療者とのセッションを録音にとって
治療者がいないところで再生してもいいはずである。
 
これを治療者がいやがるのは、
じつは「守秘義務」といった問題ではなく、
自分の治療が第三者に聞かれたくないからではないだろうか。
 
つまり、サルトル風にいえば、
治療者は自分が主体として「見る存在」「聞く存在」でありたく、
客体として「見られる存在」「聞かれる存在」になりたくない、
ということである。
 
これは治療関係において
治療者が主体であり、
患者を客体にとどめようとする企てともなる。
 
守秘義務」という制度は、
その企てを正当化するためにあるわけではない。
 
いくら来談者中心主義(*1)などといっても、
それは必ずしも患者を主体にするものではない、
ということもいえる。
 
*1:来談者中心主義:
クライエント中心療法(Client-Centered Therapy)ともいう。
診察やカウンセリングにやってきた「患者」
(とあえて私は書く)に話させることを中心に、
セッションやセラピーなどをおこなうこと。
極端な場合、しかるべき態度を身につけた治療者であれば、
何も言わず、ただそこにいるだけ
(現存, プレゼンス, presence)でよいとされる。
しかし私に言わせれば、姿が見えない
ブログの読者の皆さまなども
りっぱな治療的プレゼンスである。
 
 
たとえば、いまどきの外科手術は、
ちゃんとした病院ならばガラス張りで
外から見える手術室でおこなわれるという。
映像に録画もされる。
 
ところが、精神科領域のセッションは、
いまだにガラス張りでおこなわれることはない。
 
多くの場合は、
患者の側が精神疾患というものに偏見を持ち、
世間体を恥じて
治療的なセッションを密室でおこなわれることを望むのだが、
患者がそのような時代遅れの偏見を捨て、
恥の概念を超越していれば、
なにも密室でおこなう必要はないはずである。
 
いっきに
「精神科の診察室をガラス張りに改築しろ」
とは言わないが、
せめて患者の側からの
録音や撮影は許可してほしいものである。
 
 
 
 
 
 
いっぽうでは、「守秘義務」という概念をめぐって
このような問題もある。
 
私たちが被災地支援としておこなった「心のケア」は
いちおう精神医療ではない。
したがって守秘義務という概念は
その活動の中において法制化されていない。
 
しかし、被災地支援「心のケア」は、
「精神医療」と限りなく
似かよった構造を持っていることは確かである。
 
被災者の方が被災体験を語る。
支援者がそれを傾聴する。
そのことで、いくらかでも
被災者の悲しみや絶望が癒えていくとしたら、
それは活動の効果である。
 
精神医療では、
患者が自分の体験を語る。
治療者や援助職がそれを傾聴することで、
いくらかでも癒えていくとしたら、
それは治療の効果である。
 
このように被災地支援「心のケア」と精神医療は
構図や機能が同じなのである。
 
治療者が、ある患者から聞いたことを、
うっかり他の患者に話してしまってはいけないように、
支援者は、ある被災者から聞いたことを、
うっかり他の被災者に話してしまってはいけない。
 
真子さんが
まったく必要性もなく
「二宮トキさんから電話が来た」
ということを対立する側に言ってしまったことは、
法的な守秘義務違反ではないかもしれないが、
それに準じる失態、
いわば精神医療の基礎がわかっていないような失態であったと思う。
 
 
なぜ「準じる」などと
ワンクッション置いたような言い方をするか。
 
それは、被災地支援という行為が、
平時からみれば例外的な現象であるからだ。
 
それゆえに、貴重な実験のチャンスでもあった。
 
すなわち、ひごろ治療者・患者という垣根の
向こう側とこちら側にいる者たちが連携し、
一つの大きな社会的な事業を成し遂げられるかどうか、
という実験の場であったのである。
 
その実験で、とことん良い結果を残そうと
私は全力を尽くしたつもりであったのだが、
治療者・経営者側は私と同じ姿勢ではなかった。
 
やはりそこに私は、
 
「しょせんは患者ごときが何をぬかすか。
 われわれと対等にわたりあおうなどと思うなよ」
 
といった態度を感じてしまうのである。
 
また、ひがみや被害妄想と言われれば、
それまでなのだが。
 
 
 

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真子さんの口走った一言は、
私たちザストの三年間にわたる支援活動のなかで
大きな曲がり角になってしまった。
 
それまでは民宿「長瀞荘」(仮称)が
私たちザストを優先的に泊めてくれたばかりでなく、
「支援に来てくださってるのだから」
などと、宿代を少し安くしてくださったりもしていた。
 
しかし、次の訪問時から
長瀞荘の態度が一変した。
 
まず、大女将も若女将も、
われわれとはほとんど言葉も交わしてくれなくなった。
宿代は定額より多めになった。
 
出てくる食事も、
これまでの温かい心のこもった客膳ではなく、
冷えた余りものになった。
 
いや、そんなことで不平は言うまい。
 
私たちは観光に行っているのではないのだから、
食事は、何でも出してくれただけでも
ありがたくいただく。
 
この何もかも流されてしまった被災地で
雨露や寒気におびやかされることなく
暖かく夜が明かせる部屋をあてがってくれるのなら、
それだけで御の字だった。
 
ところが、そのまた次の訪問時からは
泊めてくれさえもしなくなった。
 
いつ電話で問い合わせても、
工事関係者で満室だと断られるのである。
 
そのくせ、調べるとその日、
他の支援団体は泊まっている。
 
泊まった団体の人に聞くと、
 
長瀞荘? ああ、空いてましたよ。
まだ3つぐらい部屋あったと思うな」
 
などという。
 
私たちは1つ部屋があれば、
男女共用でタコ部屋のようになって眠れるのに。
 
ようするに、真子さんのあの一言から
ザストは長瀞荘からおつきあいを切られたのであった。
 
長瀞荘に泊まれないとなると、
東北の冬の夜の寒さを
どこで越すかが切実な問題となった。
 
おおかたの宿は津波で流失しているうえに、
残った数少ない宿も、
支援団体や工事関係者の取り合いの的である。
 
だからこそ、人間関係に気をとがらせながら、
設営の拠点として長瀞荘を大事にしてきたのだった。
 
十浜地区の周辺には他に空いている宿はなく、
しかたがないので、
1時間以上も車で移動した都市の
ビジネスホテルまで朝晩を往復するようになった。
 
とちゅうで食糧なども買うので
毎日4時間近くが往復に取られるようになる。
 
時間的な制約から
どうしても十浜地区の中で夜を明かそうとすると、
仮設小屋のなかで寝袋にくるまり
野宿に毛が生えたようなかたちで眠るしかない。
 
めっぽう寒い。
東京よりマイナス5度は気温も下がる。
仮設小屋は壁がうすく、
寒気はもろに部屋のなかに染み入ってきた。
 
ストーブをつけっぱなしで寝るわけにいかない。
危険だし、空気も悪くなる。
 
私たちは衣服のうえに携帯カイロを貼り、
そのまま寝袋に入って寝た。
ほとんど雪山登山のビバークである。
 
問題は、こうした労苦を
失言を放った真子さん自身はいっさい体験しない
ということであった。
 
真子さん自身は、あの失言を起こしてからは
もう二度と十浜地区に来なくなったからである。
 
したがって、長瀞荘の冷や飯を喰ったのも、
仮設小屋で寒さにふるえて眠ったのも、
その種をふりまいた真子さん本人ではなく、
みんなわれわれ患者のザスト隊メンバーであった。
 
「ネットカフェでも眠れるよ」
 
と自慢げに言っていた真子さんは、
このように本当にシビアな夜明かしは
一晩たりとも経験していない。
 
 

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また、このような一件があって、
私たちザストも
なかば不本意ながら
仮設派中心の支援活動にならざるをえなかった。
 
長瀞荘の機嫌をそこなってからは、
在宅派へのアプローチは
私たちの力量では無理であったからである。
 
それゆえに、私たちの支援の
曲がり角となったと感じるのである。
 
さらに、どこからどう伝わったのか
仮設派の風ヶ谷集落で、三十代の女性、佐恵子さん(仮名)に
 
「ザストさんに話したことは
 どうせ長瀞あたりに筒抜けなんでしょ?」
 
と言われ、私は唖然とした。
 
言葉をおぎなって解釈するならば、
佐恵子さんが言いたいのは、
 
「あなたがたザストは心のケアとか言って
 私たち仮設派の風ヶ谷集落に来る。
 
 でも、あなたたちに話したことは
 どうせあなたたちがそのまま
 私たちと敵対する在宅派である
 長瀞集落に行ってしゃべっているんでしょ。
 
 それじゃあ、安心して何もしゃべれないですよ」
 
という意味なのである。
 
「そんなことはありません。
 私たちはみなさんからお聞きしたことは
 けっして他の集落で話したりしてません」
 
と私はあわてて否定したが、
彼女は「そうかしら」という疑いの目を捨てなかった。
 
なぜ彼女が、こんな疑いを持つようになったか。
 
誰かが
 
「ザストは、風ヶ谷集落で聞いたことを
 長瀞集落でしゃべった」
 
などと言ったからとしか考えられない。
 
となれば、そんな噂の根源となりうるのは、
真子さんの
あの小さな一言しか思い当たらなかった。
 
なぜならば、
われわれ患者から成るザスト隊は、
私の監督が行き届いていて、
けっしてあらぬことを他の集落で口走るような者は、
一人もいなかったと
私が責任者として断言できるからである。
 
真子さんと岡村さんには、
そうした私の監督は行き届かなかった。
 
なぜならば、
私は身分が患者なので、
彼女ら二人だけは
私を「上の者」として尊重してくれなかったからである。
 
そういうと、また
「おおげさだ」
「被害妄想だ」
と言われるのかもしれないが、
よぶんな言葉の虚飾をみんな取ってしまえば、
結局そういうことではないだろうか。
 
もちろん、真子さんが言ったのは、
 
「風ヶ谷集落の二宮トキさんから直接電話が来た」
 
という、たった一つの小さな事実だけであったが、
あのように戦々恐々とした被災地の時期において、
そんな一言が二言になり、十言にも百言にもなり、
 
「どうせザストは風ヶ谷で聞いたことは
 ぜんぶ長瀞でしゃべっているのにちがいない」
 
などと話が大きくなっていったことは
想像にかたくないのである。
 
それは、やはり被災地とひんぱんに往復し、
現地の空気を肌で感じていなければ
わからなかったことだと思う。
 
「ただ、被災地と東京を
行ったり来たりしているだけじゃないか」
 
と、あのころはさかんに馬鹿にされたけれども、
それはそれで、大きな価値があったのである。
 
被災地支援における信頼関係とは、
まるで精妙なガラス細工のように
かくももろく、こわれやすいものであった。
 
カロンの変(*2)にしても、
この失言事件にしても、
私が細心の注意をはらって現地に作り上げるものは、
いつも片っ端から真子さんに壊されていくのであった。
 
 
やがて私は、
こんな過激な思想を持つようになる。
 
「もう被災地支援には、治療者は要らない」
 
 
 
 
 
・・・「長男の放逐(78)」へつづく

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    顔アイコン

    いわゆる、自分のことを語り、他者の話に耳を傾ける複数の人が集まるミーティングでは、そこで聞いたことを外に持ち出さないルールがありますが、それはお互いの安心安全を守るためと聞いています。そういう場での録音や録画は、安心安全を侵す恐れから禁止されていると理解してます。
    医者と患者の間での守秘義務については、どこの医療現場でも、前提としてあるものだと思うし、そこでの録音録画については、お互いの了承があればあってもいいのではないでしょうか。
    ところで、マコさまですが、社長だけでなしにカウンセラーとかセラピストなんかもやってるのですか???もしそうならびっくりです。
    前回も書いたのですが、ここで読んでいる限りなのですが、彼女が気の毒だと感じるのは、間違った場所に居てしまう間の悪い人だからかなと。親父さんから引き受けた仕事よりも、24時間営業の牛丼屋さんのほうがよっぽど生き生きしてるんじゃないかって気がしました。そこでは必要とされている自分を全身で感じるのではないかなって。ブログを読んでの個人的な印象です。 削除

    コオイムシ ]

    2015/11/29(日) 午後 10:15

    返信する
  •           

    コオイムシさま コメントをどうもありがとうございます。

    守秘義務が患者の個人情報を守るものとして機能しているうちは、おそらく何の問題もないでしょう。問題は、治療者にとって不利益なことを封じ込める手段として守秘義務が使われるときです。

    真子社長はアメリカの大学で心理学を専攻しただけでなく、「門前の小僧」として幼いころから数々の心理技法を会得されてきたと思いますが、セラピストとしていま活躍しているかどうか私は知りません。しかし真子社長の言動は、ひじょうに「技法的」というか、内実のともなわない、その場かぎりのうわべだけのものである傾向があるように思います。これが一般に「社交」と呼ばれる人間行動かもしれません。彼女の技法的な態度からくる違和感を、いちど詳しく考えてみたいと思っております。
    今後ともよろしくお願いいたします。 削除

    チームぼそっと

    2015/11/29(日) 午後 10:55

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