VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

鬱である人・鬱でない人(9)年賀状

鬱である人・鬱でない人(8)」からのつづき・・・

 by ぼそっと池井多

 

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年賀状を書かなくなって
15年以上が経つ。
 
精神科につながって
治療に専念する生活へと人生を変えてから、
それまで曲がりなりにもつながっていた
「仕事」がらみの相手との交流も
しだいに絶えていった。
 
このように書くと、
なにやら私が「かわいそうに」見捨てられたかのような
やや被害的な印象をあたえるかもしれないが、
そうではなく、
先方から年賀状をいただいても、
私が返事を出さないものだから、
しだいに賀状のやりとりが絶えていったのである。
 
 
なぜ、私は年賀状を出さなくなったか。
 
理由はいくつかある。
 
 
まず、一つめの理由として、
 
「あけましておめでとうございます
 
おめでとうございます
 
などと連呼しても、
いったい何がめでたいのか
言っている本人がよくわからないのである。
 
しょせん、めでたいのは自分の頭の中ぐらいであって、
世の中を見回しても
あんまりおめでたい状況はころがっていないのに、
めでたい!」
めでたい!」
と叫びあうことに
大いなる疑問を抱くようになってしまったためであった。
 
 
 
二つめの理由として、
 
「去年はコレコレの達成をおこないました」
 
「今年はナニナニをめざして奮闘中です」
 
などなど、
よく人が年賀状に書くような
他人さまに自慢できるようなことは何一つしていない、
ということがある。
 
 
 
そもそも、
いま生きているだけでも精いっぱいで、
 
 今年の目標は……
 
なんぞという単語を見ただけで
たちまち吐き気をもよおす始末だから、
「達成」や「奮闘」にまつわる
上記のようなフレーズは書けるわけもない。
 
 
たとえ、なにがしかの達成や奮闘をしていたとしても、
ひとの自慢話など誰も聞きたくないだろうから、
この年賀状を受け取る相手もうれしくないだろう、
という配慮が、
年賀状を書かなくなった三つめの理由であろう。
 
 
 
うつで動けません」
 
精神科に通ってます」
 
「母親に虐待されたトラウマが取れません」
 
といった、こちらの数々の情けない本性をいつわって、
嘘と演技で塗り固めた人づきあいをするのが、
いやであったから、
というのが四つめの理由であろうか。
 
 
また、
自分の実情をわかってもらっていない人々と交流していても、
こちらの生活のあちこちに無理が生じるのみで
いいことがないように感じられてきたから、
というのが五つめであろう。
 
 
 
六つめの理由として、
もしかしたら、これがいちばん重要なのだが、
そもそも、
 
「今年もよろしくお願いいたします!」
 
などと大声で叫ぶような威勢のいい年賀状を書いても、
書いている本人である私が、
うつで、何もする気がなく、
いったい「何を」よろしくなのか、
わかっていないのである。
 
 
よくよく考えてみると、これは
とくに「何を」よろしく、というわけではなく、
ただ単に、
 
「何かあったときは助けてね」
 
「ぼくちゃんのこと、忘れないでね」
 
というつもりで
 
「今年もよろしくお願いいたします!」
 
などと書いているのではないか。
 
だとすれば、
これは私がかなりミジメな存在であるということになる。
 
 
自分がミジメになるような書状を、
なぜ正月早々、出さなくてはならないか。
 
 
 
また、
 
「今年もよろしくお願いいたします!」
 
と書いておけば、
この年賀状の受取人は何かあった時に私を助けてくれるのか、
というと、
世の中そんなに甘いものでもないとも思われる。
 
 
となると、
 
「今年もよろしくお願いいたします!」
 
と書いたところで、
いざというとき助けてくれないのであれば、
いったい何のために
そんな文句を何十枚も書いて
あちこちに発送しなければならないか、
という話になる。
 
 
 
思い返してみれば、
 
「今年もよろしくお願いいたします!」
 
と何十枚も書いて送っても、
その年のうちにじっさいに会うのは一人か二人で、
ほとんどはその一年のあいだに会うこともなく、
いったい何のために
年頭に「よろしく」と頼んだのか
わからないうちにまた年末を迎えるというのが
毎年の恒例になっていた。
 
また、その年のあいだに会った「一人か二人」も、
なにも年賀状を書いたから会った、ということはなく、
年賀状を書いても、書かなくても、
やはり会ったと思われるのである。
 
逆に、年賀状を出さなかった人間に関しては、
その年のうちに、
「一人か二人」どころか、
もっともっとたくさんの人数会っているのである。
 
したがって、
年賀状を書く書かないと、
その年のうちに人に会う会わないは、
因果関係がなさそうに思われてくるのであった。
 
 
 
となると、
いったい何のために、
 
「今年もよろしくお願いいたします!」
 
と何十枚も書いて送っているのか
さっぱりわからなくなってきて、
かつては100枚近く書いていた年賀状も、
すっかり書かなくなっていったのである。
 
 
 
 
 
 
ところが、このように不義理な私であるにもかかわらず、
相変わらず年賀状をくださる人々がいる。
 
まことにありがたいことである。
 
しかし、私としては
返事をさしあげるために新たに年賀はがきを買いに行く
なんぞという奇特なことをするはずもなく、
メールで返事を済ませようとする。
 
だが、たとえメールでも、
嘘と演技で塗り固めてしまっては、
かつての窮地に
ふたたび自分を追いこむことになってしまう。
 
 
 
そこで、
 
「去年はコレコレの達成をおこないました」
「今年はナニナニをめざして健闘中です」
「今年もよろしくお願いいたします!」
 
なんぞと、心にもないことは
けっして書かないようにする。
 
 
心のかよわないお仕着せのあいさつではなく、
ほんとうに心のこもったことを書こうとする。
 
すると、ふしぎなもので、
なかなか文章が思い浮かばないことがある。
 
たった一人の年賀状の返事に
ウンウンとうなって
ひと晩かかることもある。
 
こうなってくると、
 
「毎年、正月がくるたびに、
 いったいなぜ、人はこんな苦しいことを
 やらなくてはいけないような世の中を
 われわれは作ってしまったんだろう」
 
などと、
これまたしきりに疑問に思って悩むのである。
 
 
 
 
鬱病仲間は、誰しも
多かれ少なかれ同じような状況であるから、
そういう人からはたいてい年賀状などは来ないものだが、
どういうわけか今年は一人、
こんなメールを送ってきた人がいた。
 
ぼそっと池井多さん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
いかがお過ごしでしょうか。
お互いに無理なく楽しみながらいきましょう。
さて、これにはいったいどう応えたものかと
ハタと思考を立ち止まらせ考えたものだが、
やはり心にもない嘘は書けないと、
このように返信させていただいた。
 
どうも近所が静かだと思ったら、
世間ではなにやら正月とかで、
ふだん働いている人も、ここのところ休んでいるようです。
そちらもそうですか。
 
 
  •               

    顔アイコン

    私も何賀状を出さなくなって10年近くになります。
    理由は11年前にタイ移住、最初は出していましたが離れているもので、早いのは12月中に着いたり逆に遅いのは3月になったりバラバラで年頭の挨拶の意味を成さないと思ったからです。それでも2・3年は何人か着ていましたが去年は孫の義理賀状1枚、今年はたぶんゼロでしょう。
    でも賀状は止めましたが、ブログ賀状やメール賀状は適度にあってそのつど慣用句の「明けましておめでとう御座います。今年もよろしくお願いいたします」と記しています。
    普段全くご無沙汰していますので生きている異常は最低限のお付き合いだと思っています。

    今年もどうぞよろしくお願いいたします〔笑) 削除

    迷えるオッサン

     

    2016/1/3(日) 午前 11:10

     返信する
  •               

    迷えるオッサンさま コメントをどうもありがとうございます。

    たしかにブログに賀状を掲げるのは、いっぺんで済んでしまうので便利ですね。

    けっきょく年賀状には「生存確認」「現在地情報」の意味があるのでしょう。しかし、相手が生きているか、どこに住んでいるかを知りたいのは、世間では往々にして「どこかでビジネスにからめられないか」との下心に基づく場合が多いので、私のように社会的に働いていない人の生存や現在地を知っても、あまり役に立たないだろうと思うわけです。

    あと「よろしく」というのも便利な日本語ですよね。
    今後ともよろしくお願いいたします。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/1/3(日) 午前 11:22

     返信する
  •               

    顔アイコン

    カレエダも年賀状を書かなくなって15年以上になると思います。ぼそっとさんがおっしゃっている理由もよく解ります。カレエダが書かなくなったのもそのようなことでもあると思いますが、一番大きな理由は面倒くさいことです。

    賀状書き余生十日も食いつぶし

    という句とともに賀状は書かないことを宣言、それ以来1枚も書いていません。
    それでも賀状をくださる有り難い人もあります。
    自分では書かないくせに貰うととても嬉しい。
    自分らしく生きるということは、一面では我儘に生きるということですね。カレエダは周りの人に恵まれて、わがままを許してもらっています。
    もうすぐ人生を終わろうとしていますが幸せな人生でした。幸せな人生になるかどうかはわからなくても、自分らしく生きるほかありませんね。あとは運に任せるということではないでしょうか。

    ・ 削除

    カレエダ ]

     

    2016/1/3(日) 午後 8:08

     返信する
  •               

    カレエダさま コメントをどうもありがとうございます。

    御句は、笑えるようで笑えない、笑えないようで笑える、味わいの深いものですね。自らの信条として毎年、年賀状を書いている方は、ぜひその美しき文化的習慣を保っていかれるのがよろしかろうと思いますが、「みんな出しているから自分も出す」といったように右顧左眄して書いている者は、一度その習慣を見直してみるとよいと思います。

    カレエダさんのように、然るべき覚悟をもって人生をまもなく終わろうとされている方がおっしゃると、同じことでもさすがに重みが増すというものです。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/1/3(日) 午後 9:32

     返信する
  •               

    貰って嬉しい年賀状なら
    当然 出してあげるのが人情かと
    そんな事思う今日この頃。

    そんなにも捻くれた感情を
    正当化しなくても良かろうにと
    貴殿の書き込みを見て
    その様に思いました。 削除

    - ]

     

    2016/1/4(月) 午後 3:02

     返信する
  •               

    一億総破廉恥ゲイ世界さま コメントをどうもありがとうございます。

    この世には、年賀状を「貰って嬉しい」と感じない人間がいるというところがミソなのだと思います。年賀状をもらってしまうと、「返事を出さなきゃ」なり、返事を出さないと「負い目に感じる」なり、なにか負債が生じると感じる人間がいる。そこをどう考えるか、という事柄かとぞんじます。

    ご指摘のとおり、私は「捻くれた感情を正当化」しているわけですが、それはおそらく私だけではないことでしょう。しょせん人はみな自分の思考や行動を、だれしも無自覚なうちに正当化して生きている動物だと思います。いちばん正当化しやすいのは、「みんながやっているから」という理由づけでしょうね。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/1/4(月) 午後 7:30

     
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