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ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

長男の放逐(79)両手に発汗 ~ セイブ収録のあとマリナが飲み会で真っ白に 江青の私への嫉妬炸裂

長男の放逐(78)」からのつづき・・・
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
 
by ぼそっと池井多
 
 
NPO法人ザスト(仮称)で始まった
性被害者のためのプロジェクト「セイブSAVE(仮称)」は、
 
第1回 2012年2月22日
    聞き手:塞翁先生(仮名)
    語り手:江青さん(仮名)
    
 
第2回 2012年5月2日
    聞き手:塞翁先生
    語り手:マリナさん(仮名)、江青さん
    
という内容で映像収録を開始した。
 
撮影場所は塞翁先生の診察室、
撮影班は私をふくむ現在の「チームぼそっと」の原型である。
 
 
前回「六割の質問(*1)の最後あたりに出てきた
マリナさんにとっての1回目の収録とは、
このセイブ第2回を指す。
 
 
セイブ第2回の収録のあと、江青さんが塞翁先生に
 
「飲みに行きませんか」
 
と声をかけた。
 
こんなふうに「飲みに行きませんか」というのは、
ようするに塞翁先生に「おごってください」というのと
ほぼ同じことなのだが、
とうてい厚かましくて、私なら言えないと思うことを、
スルスルっと臆面もなく切り出せてしまうところが
江青さんのすごいところだと私は思う。
 
大家族の次女として育ち、
接客業で人間関係能力をつちかった江青さんは、
第一子の長男として育ち、
無愛想な鬱男となった私と違って、
周りの人々を味方につけていくのがじつにうまい。
 
これが、のちに
私が患者社会で嫌われ者の逆賊に仕立て上げられていく
素地となろうとは、
よもやこのころは考えなかった。
 
現在のわれわれの患者社会を知っている人は、
耳をうたがうであろうけれども、
この時点まで江青さんと私の関係はむしろ良好であった。
 
セイブ第1回の収録のあとは、
二人だけで飲みに行ったほどである。
 
そのとき江青さんは、
撮影した私の慰労というつもりだったのか、
二人分の飲み代を全額おごってくれようとしたが、
 
「これはあなたのためにやっているプロジェクトでなく、
私自身のためにもやっていることだから」
 
と私は主張し、二次会は私が出して、
出費が対等になるようにつとめた。
 
当時の私にとっては自然な成り行きのつもりであったが、
関係がこじれて現在のようになってしまうと、
あそこで払いをイーブンにしたことは、
じつに大きな意味を持つ。
 
私は江青さんに人間的な「借り」はないので、
胸をはって反論が言える。
 
岡村美玖(敬称略、仮名)のように
私に「借り」がありながら、
平然と私を押しのけて権力を握り、
「上」の立場から私を切り、
さらには私が視界に入ると己れのやましさを思い起こさせられるから、私を刑務所という自分から見えない世界へ送ってしまおうと陰で画策する(*2)ような破廉恥な人間とは造りがちがうのである。
 
 
 
 
 
 
 
さて、江青さんの塞翁先生への飲み会誘い出しは成功し、
こうして先生、江青さん、マリナさん、私の四人が
クリニックの近所にある「芸能界」(仮称)という店で、
麦焼酎を呑むことになった。
 
ひごろは頑固なまでに日本酒しか呑まない私であるが、
宴主である塞翁先生が麦焼酎をボトルでオーダーし、
ワインのソムリエールである江青さんも麦焼酎となると、
もともと自分の意見が言えなくて
空気を読んで周りに合わせてばかりいる軟弱な人間なので、
私もやっぱり操を曲げて、その麦焼酎を呑むのである。
 
この店は、店の名が示す通り、
近所に住むタレントなどがよく来る店だと言われていて、
私も夜に入ったのは初めてであったが、
患者たちがよく行く「鳥家族」(仮称)といった安酒場とは
さすがに内装が多少ちがうものの、
そんなに特別な雰囲気ではなかった。
 
また、私がシルエットにあこがれるミューズ山野さん(仮名)が
よくこの店で「うわばみのように飲む」という話を、
何度か私は塞翁先生から聞いたことがあるので、
この店に来れば、
ミューズがうわばみになる瞬間に
立ち会えることができるのではないか、
と私はおおいに期待に胸をふくらませて入ったのだが、
残念ながらこの日は、ミューズはこの店に来ていなかった。
 
 
店の中に入ると、
塞翁先生の真正面に江青さん、
また先生の左隣にはマリナさんが座り、
私は先生と対角線上のななめ前に座った。
 
じつは、この座席決めの時点で、
私は脇役に徹し、
塞翁先生の真正面と真横という特等席を
二人の女性にゆずって差し上げたのだった。
 
マリナさんにとっては、はじめての収録であり、
また映像の中で性風俗で働いていたことをカミング・アウトした
ということも関係あるのか、
お疲れ会が始まったとたんに、
どっと疲れが出て気分が悪くなってしまったようで、
冷や汗を吹き吹き、
とても飲みどころではなく、
ほとんどその場に座っているだけの状態となってしまった。
 
これではお気の毒なので、
 
「ちょっとそのへんに横になっていたら」
 
などと言ってあげたいところだが、
あいにく座敷ではないためそうもいかず、
 
「酒でも飲んだら、少しは気分もよくなるよ」
 
などと言ってあげたいところだが、
酒を飲み始めて気分が悪くなっている人に対してそれは、しょせん自分のペースに巻きこもうとしている手前勝手な弁にすぎず、
けっきょく冷や汗を流しているマリナさんを横に放置して、
宴は、冷酷な私たち三人だけでぐいぐいと進められていった。
 
 
 
そうした中で、ふと私は
こういう話を塞翁先生にすることになった。
 
そう、そう、先生。…フロイトといえば、
 私はひとつ、海外ひきこもりの最中に
 面白いことを聞きかじったことがあるんですよ。
 
 アフリカ大陸を放浪していたんですけどね、
 ある村の子どもたちが、
 こう言うんです。
 
 『あの丘に登って小便しちゃいけないよ。
 
  あそこで小便すると、
  おっ母さんが死んじゃうんだって』
 
 そういう言い伝えが代々、
 その村に語り継がれていたってことですよね。
 
 私はこれを聞いた時に、
 フロイトの『トーテムとタブー』を思い出したりして
 ぞっとしました。
 
 こういうことって、あるんだなあ、と思いました。
 
 私はずっと母の死を恐れていました。
 
 『そんなことしたら、お母さん、死んでやるからね』
 
 と母に言われ続けてきたからです。
 
 もし母が死んでしまったら、
 もう自分は生きていけないと思っていたからです。
 
 多くの子どもは、同じように思っているでしょう。
 子どもたちにとって『母の死』は、
 何にもまさる恐怖の源なんです。
 
 そのアフリカの村では、
 子どもたちが小便をしちゃいけないといわれていた丘は
 村人たちの水源でした。
 
 きっと
 『水源を汚しちゃいけない』
 とまともに言っても、
 子どもたちは言うことを聞かないので、
 子どもたちがもっとも恐れる『母の死』を持ち出し、
 
 『あそこでおしっこしたら、
  お母さんが死んじゃうんだってさ』
 
 という言い伝えが彼らの部族(*1)のあいだで
 できあがったんでしょう」
 
*1:私は「部族(tribe)」という語を
差別的だと思わない。
 
すると、塞翁先生は、
 
「面白いねえ!
 それは面白い!」
 
と言って、目を輝かせたのであった。
 
塞翁先生は、高校生のころからフロイトを読んでいる
筋金入りのフロイディアンである。
 
私などは、しょせん大人になってから
ぼちぼちと読みかじりをしている輩にすぎないから、
見識の差は歴然としているが、
しかし、フロイト独特の思考様式といったものが、
お互いのあいだに通じていると、
やはりこういう話ははずむ。
 
上記の挿話を読んで、
「面白い」と思ってくださる読者の方がいたら、
やはりその方も、
フロイトを読んだことがあるなしに関わらず、
りっぱなフロイディアンであると思う。
 
ところが、その様子を横で見ていて、
江青さんが露骨に不機嫌になっていったのである。
 
江青さんは、見るからに顔も首元も赤くなっていき、
全身から発汗しているように見えた。
呼吸が早くなり、
今にも泣きそうな、
何かに焦っているような面持ちになっていった。
 
私からみれば、
彼女が焦らなくてはならない理由はないので、
そんな江青さんをただ怪訝にチラ見するしかなかった。
 
正方形のような位置関係で座っている四人において、
私から見れば、
左手には江青さんが呼吸が早くなって赤く熱く発汗し、
右手にはマリナさんが具合が悪くて真っ白な顔になり
これまた冷や汗で発汗しているようである。
 
 
「両手に発汗」
 
という状態になった。
 
 
しかし私は、なぜ江青さんが真っ赤になって発汗しているのか、
さっぱりわからなかった。
 
 
ところが、後になって、
江青さんはこの時、私に嫉妬していたのだ、
ということがわかるに至る。
 
後日、江青さんはその旨を
憎々しげに語ったというのである。
 
「なに! あれ。
 
 なんで、ぼそっと池井多のあんな話に、
 塞翁先生はあんなに身を乗り出して
 
 『面白いね。へえ、あんたの話は面白い
 
 なんて言うの?」
 
 
このプロジェクトの主役はあくまでも自分であり、
ぼそっと池井多なんぞは単なる撮影係であり、
塞翁先生はいつでも自分に関心を向けていなければならない、
という認識が江青さんにあったのだと思われる。
 
 
いまの内戦の原型がここにあると思う。
 
 
 
 
 
 
集団療法やグループ療法について語られるとき、
こうした患者社会内部の嫉妬や権力闘争は、
みごとに表向きへは淘汰(とうた)されてしまう。
 
「みっともない話」「みにくい話」
として表には出されないのである。
 
きっと治療者の論文にも書かれないことだろう。
 
患者たちの間の嫉妬や権力闘争は、
集団療法の持つ負の側面である。
 
これがなければ、集団療法
あたかも夢の治療法のように語ることができるし、
嫉妬や権力闘争のない患者社会は、
まさしくユートピアのように描くことができる。
 
しかし、それでは真実を考えることはできない。
 
治療者への転移が必ず起こり、
また患者がみな承認欲求に飢えているのであれば、
患者間の嫉妬や権力闘争が起こるのもまた
必然なのである。
 
これなしで治療だけが進む、
ということはありえないのだ。
 
私は、たとえ醜い、滑稽な側面であっても、
こういうことを言葉にするべきだと思う。
 
また、それは患者だからこそできることである、とも。
 
治療者は、上から見下ろしていて、
患者社会の渦中に身を置いているわけではないので、
見えない領域が生じるのである。
 
 
フロイトも、その業績の多くは
失敗という、負の側面を直視することによって生まれている。
 
患者社会の中の嫉妬や権力闘争は、
おそらく未来の治療技法の宝庫である。
 
 
 
 
・・・「長男の放逐(80)」へつづく

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