VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

鬱である人・鬱でない人(10)ポジティブだからいいってわけじゃない

鬱である人・鬱でない人(9)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
どうも、前々からおかしいと思っていた。
 
うつの人は、もっとポジティブに、
 もっと前向きに何事も考えるようにしましょう」
 
とは、まるでお題目のように昔から
しょっちゅう言われることである。
 
ずっと、うつで生きてきた私も、
うつの苦しみから逃れるために
一時期は「ポジティブ」「前向き」ということを
さかんに心がけるようにしていた。
 
たとえば、
「根拠のない自信を持つ」
というような、
あやしげな自己啓発セミナーなどでのおなじみのメニューである。
 
しかし、一度たりとて
まともに効果があった試しがない。
 
「ポジティブ」「前向き」になると、
よけいに自分が浮足立ってしまって、
自分の在り方が「上げ底」状態になり、
世界がむなしく見え始め、
かえってうつが深くなっていたのである。
 
そんな私の感覚が、
けっして私ひとりのものではないことを語る、
こんな実験結果が発表された。
 
実験の後にうつ病の症状を測るためのテストをしたところ、ポジティブな空想をした学生は点数が低かった。しかし1カ月後には、よりポジティブな空想をしていた学生の方が、ポジティブではない空想をしていた学生よりも、うつ病の点数が高くなっていた。(*1)
Huffington Post 2016.02.06 11:26 JST 
 
 
ここで研究者が言っている。
 
プラス思考を求める傾向が、
人々や社会の長期的な幸福
マイナスの影響を与えているのではないか、
という疑問を投げかけています。
 
私のように
もともとポジティブ教の信者でない者には、
当たり前のことである。
 
それは、たとえばこのように証明できる。
 
あなたがポジティブ思考にとらえられて、
「根拠のない自信」を持ち、
自分の実力以上の仕事についたとする。
 
とうぜん、押し寄せてくる仕事は実力を上回るので、
どこかで手抜きとなるか、
あるいは他人に押しつける結果となる。
 
手抜きをしたぶんは、あとから責任を取る羽目になり、
他人に押しつけたぶんは、あとから寄せ波が返ってくる。
 
こうして「長期的な幸福にマイナスの影響」を与えるのである。
 
 
 
 
うつは苦しい。
 
人はみな、うつから逃れようと、
あらゆることにすがりつく。
 
薬物も、行為嗜癖も、ポジティブ思考も
みな、すがりつく対象である。
 
しかし、自己ができていないうちにやたらすがりついても、
結局その場かぎりのごまかしで終わってしまう。
しっぺ返しはあとで来る。
 
人生は、そんなにかんたんな造りをしていない。
 
 
 ・・・「鬱である人・鬱でない人(11)」へつづく
 
 
  •       

    「鬱である人は、決められない人だから、結局、何者にもなれない」「鬱である人にとって、往々にして未来は過去にあるのだ。」

    ぼそっとさんのこの言葉に接して、私はドストエフスキーの『地下室の手記(地下生活者の手記)』を思い浮かべました。

    ドストエフスキーは手記の冒頭このように述べます。

    「ぼくは意地悪どころか、結局、何者にもなれなかったー意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、虫けらにも、かくていま、ぼくは自分の片隅にひきこもって、残された人生を生きながら、およそ愚にもつかないひねくれた気休めに、わずかに刺激を見出だしている」

    この作品の翻訳者江川卓は、エチモロジー(語源学)から、この作品の裏の意を「ネズミ穴から出た(時の)回想録」と解きますが、自らをネズミになぞらえ、自らの境遇を穴蔵と比喩する主人公の未来は、正しく過去にあります。

    つまり、この作品は、鬱病患者の手記ともいえます。ぼそっとさんはドストエフスキーにあまり興味を抱かれてないようですが、彼もまたACだったように思えます。(つづく)

    痴陶人 削除

    痴陶人 ]

     

    2016/2/6(土) 午後 6:38

     返信する
  •       

    先日ぼそっとさんは、心の病にとっての文学の効用というようなことを言われましたが、心の病は、フロイト的に極端に言うなら、無意識の自覚以外にはなく、他者のカウンセリングによる自覚に限界があるとしたら、それ以外の方法は、語ること、書くこと、読むこと以外にないと思います。

    そしてぼそっとさんのやられているチームぼそっととしての試みは、Re鴨リング(患者をカモり再利用笑)システムなんぞより、ずっと正しく意味あることのように私には思えます。

    地下室の手記」の主人公は鬱病だった。ぼそっとさんの言葉に触れなくとも、我々は漠然とそう思っていますが、ぼそっとさんの言葉によって、病理学的な裏付けを得ると、何故ドストエフスキーのこの作品と三島の「仮面の告白」に私があれほど惹かれたかを
    瞬時に理解できました。

    つまり、この二作はフィクションでありながら鬱病患者あるいはACの人間の内面世界を描いたドキュメンタリー(症例)であるということです。同じような症状に悩まされていた私にとって、この二作は、自分を理解する、つまり無意識の自覚に役立ったのだと思います。

    痴陶人 削除

    痴陶人 ]

     

    2016/2/6(土) 午後 6:41

     返信する
  •       

    痴陶人さま コメントをどうもありがとうございます。

    集中力のない私は、ドストエフスキーで読んだのは、比較的に短い『罪と罰』『賭博者』だけ、あとは『カラマーゾフの兄弟』を「読み飛ばした」だけなのですが、私のような者がもっと読むべき言葉の宝庫である予感をひしひしと覚えました。とくに痴陶人さんが引用された『地下室の手記』の冒頭は、まさしく隅から隅まで私自身のことを書かれているようで驚愕して拝読しました。

    おっしゃるとおり、ドストエフスキーは、一つの「男の哀しみ」を生きた鬱病者であり、ACであったことでしょう。『地下室の手記』と『仮面の告白』をACの内面叙述である、というのは、まことに頷けることであり、さらにリカモリング制度などよりもはるかに肥沃な世界が言葉の海に広がっているというのも、たいへん正しいご指摘だと思います。

    そうですよね。無意識の意識化が治療ならば、語ること、書くこと以上の治療はない。…

    仮面の告白』は、いずれ私が「ここかな」と思う箇所を抜き出し掲載し、痴陶人さんに解説していただくかたちを取ろうかと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/2/6(土) 午後 8:16

     返信する
  •       

    痴陶人さま コラボですか。いいですね。
    明後日、2月8日には叩き台となる関連記事を出せると思います。
    今はYahoo!IDをお持ちでない読者の方はコメントが読めないようなので、痴陶人さんからのコメントが入ったら、誰にも読めるようにそれをコピーして記事へ追筆していくようにいたしますので、お暇なときにおつきあいください。
    楽しみにしております。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/2/6(土) 午後 11:04

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