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長男の放逐(93)ザスト被災地支援の内幕<17>お嬢様の大冒険 赤と黒 ~ 真子社長の金銭感覚

長男の放逐(92)」からのつづき・・・
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
 
by ぼそっと池井多
 
 
昨日、北のほうにある全体主義国家の
軍の参謀総長にあたる人が
処刑されたらしいというニュースを聞いた。
 
参謀総長といえば、軍という組織のなかでも
かなりトップに近い、上の人である。
 
どういう人だったかは知らないが、
 
「そんなに上のほうに行かなければ、
 処刑されることもなかったろうに」
 
と思ういっぽうで、
 
「処刑じゃなくて放逐で済んでいるのだから、
 まだしもありがたいと思わなければ」
 
などとも考える。
 
そして私の回想は、
ふたたび2013年当時をさまようのである。……
 
 
 
 
 
 
シワブの献金への疑問は、
江青さん(仮名)が私に通帳を突きつけてきたことで、
それ以上、問えなくなってしまった。
 
私を黙らせたのは、通帳ではない。
沸かした薬缶(やかん)のように真っ赤な江青さんの形相である。
 
この10.15講和会談の席上で、
反対に、金のことで私に切り込んできたのが、
塞翁先生であった。
 
*1:10.15講和会談
塞翁先生とシワブとぼそっとの間で
2013年10月15日に持たれた和平会談。
 
 
私が、被災地支援の金を横領している、というのである。
 
当時、ザストの監査役であった
公認会計士の三枝先生(仮名)が、
私が被災地から持ち帰る領収書がいいかげんだから、
「池井多(仮名)が懐に入れている」
と言っている、という話であった。
 
とんでもない話である。
 
被災地支援の現場で発生したさまざまな出費に際し、
その場で被災地の方に切っていただいた領収書のなかには、
たしかに平時の東京では考えられないようなものが
いくつかあった。
 
たとえば、社判の押印がなく、
サインだけのものがあったりした。
 
しかし、
社判などというものは、津波でながれてしまっている」
という被災地の現状が、
どうして想像できないのだろうか。
 
そんなものは、三枝先生が私に疑惑を持ったなら、
問い合わせてくれれば、
一つ一つ私は説明しただろう。
 
被災地には、塞翁先生の娘、真子さん(仮名)も、
頻繁ではないが、何度か私といっしょに入ったから、
真子さんに訊いてくれてもよかった。
 
「…いや、待てよ」
 
と、ここで私は思った。
 
もしかして、真子さんが
何かを塞翁先生なり、三枝先生なりに言ったのだろうか。
 
ふいに私の脳裡に、
その10.15講和会談の約5か月前、
東京から遠く離れた宮城野の田園の光景がよみがえった。
 
もうすぐ桃生豊里インターにさしかかろうとする
一帯の景色である。
 
なぜ、ここの光景が頭にうかぶのだろうか。
 
……そうだ。
 
ここで私は、真子さんの
あの不可解な言葉を聞いたのだった。……
 
 
 
 
 
 
クルマの運転ができない私は、
仙台で借りたレンタカーのハンドルを
真子さんにゆだねていた。
 
(*2)にも少し書いたが、
私は被災地に午前から入るときには、
体力と精神力をたくわえるために
前の夜は仙台のビジネスホテルに一泊するのを常としていた。
 
 
 
もちろんその夜は、国分町へ飲みに出たりもしない。
ひたすら資料を読み、
翌日からの支援活動に備えるのである。
 
そのことに触れて、真子さんはさかんに
 
「自分だったらネットカフェに宿泊して済ませられる」
 
ということを、何度か繰り返して言った。
 
その意味ありげな言い方が、
いったい本音では何を言いたいのか、
私は先ほどから解しかねていた。
 
私が経費をつかいすぎている、とクレームをつけたいのか。
 
それとも、自分は見かけほど「姫さま」ではなく、
そんなタフな冒険ができる、とでも誇りたいのか。
 
真意を測りかねながら、私は助手席で空気をうかがっていた。
 
すると、そのうちに
真子さんはもっと解しかねることを言ったのである。
 
高いビジネスホテルに泊まったことにすれば、
 領収書が出るからね。
 先に東京から予約いれておけばいいし
 
右耳から流入するそんな言葉をかかえこんで、
私の頭のCPUは完全にフリーズした。
 
― どういう意味だ?
 
助手席からは、
そう言っている真子さんの顔は見えない。
かといって、わざわざ振り向いて見るまでもない。
ハンドルを握る真子さんも、
前方を見つめたまま、言う。
 
声の調子から、
私から何かを探り出そうとしているようにも
聞こえる。
 
 
― 「高いビジネスホテルに泊まったことにすれば
 ということは、
 ほんとうは私は泊まっていない、と言いたいのか。
 
そもそも私が泊まるのは、
助成金契約に基づいて1泊6000円のビジネスホテルと決めていて、
けっして「高い」ホテルではなく、
やましいことは何もない。
 
それとも、真子さんは
ネットカフェと比べて「高い」ビジネスホテル、といったのか。
 
だが、もっと問題であるのは、
「泊まったことにすれば」
と仮定形で語られているところであった。
 
 
― ほんとうは私は泊まっていなくて、
 そのぶん私が金を浮かした、
 と真子さんは考えているのだろうか。
 
しかし、じっさいに泊まらなければ、
領収書は出ないだろう。
当たり前のことだが、泊まったから領収書が出たのだ。
 
さらに、
「先に東京から予約を入れておけばいいし」
とは、どういう意味だろうか。
 
たしかに私は、仙台駅に降り立って、
マッチ売りの少女のようにホテルを一件一件訪ね歩き、
「今夜、部屋は空いてませんか」
と探したわけではない。
 
前もって東京からネットで予約したのである。
 
しかし、だからどうした、というのだ。
 
先にネット予約しておけば、
じっさいに泊まらなくてもホテルの領収書が出て、
私は宿泊代を丸もうけできる、とでもいうのだろうか。
 
 
……。
……。
 
 
よく、世の中の詐欺事件に関して、
ニュースなどで詐欺のからくりを説明されると、
 
「へえ、なるほど。
 そうやれば、そういうこともできちゃうんだ」
 
と感心することがある。
 
私のように根が善人ではない不逞の輩は、
そういう話を聞くと、
じっさいに自分がやろうとは思わないが、
ある種の知的好奇心が働いて
技術に関してはへんに納得したりするのである。
 
ところが、いま、
真子さんが暗に「指摘」したつもりになっているらしい
その詐欺の方法は、
どう考えてみても、技術的に
詐欺として機能することじたい
私には納得がいかないものであった。
 
腑に落ちない、気持ちの悪さをおぼえながらも、
真子さんの運転するクルマがやがて高速を降りたのを契機に、
あまり深く突き詰めないうちに、
その話は棚上げになっていたのである。
 
それが5か月の時間を経て、
こうして塞翁先生の診察室でおこなわれた
10.15講和会談などという席で、
「私が被災地支援の資金を懐に入れている」
という疑惑を正面からぶつけられると、
不思議とあのときの真子さんとの会話が
つい先ほど聞いたもののように思い出されるのであった。
 
もっと正確にいえば、
あのとき違和感をおぼえたときに眺めた
車窓の外の田園のまばゆい緑が、
眼前の光景のように生々しく浮かび上がってきたのである。
 
もしかして、ああいうことが重なって、
私に横領の嫌疑がかかっているということだろうか。
 
 
……。
……。
 
 
無念であった。
 
私は被災地支援の修羅場を経験して、
けっして「いいひと」になど成りきれない自分を知っていたが、
足元の東京、ザストでは、
そこまで悪人に思われているのかと思うと、
無念の極みであった。
 
江青さんは私に、
「おこづかいになっているんですか」
と言われて、顔を真っ赤にして怒り、
私は塞翁先生に、
「被災地支援の金を懐に入れている」
と言われて、やはり怒っていた。
 
しかし私は、
江青さんのように顔を真っ赤にしてはいなかった。
 
赤というより、もっとドス黒い怒りが
私の内奥に渦を巻いた。
 
これが、10.15講和会談の要点であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
けれども、せっかく「講和」のために持たれた場であるから、
私は努めて、その終わりには
江青さんに和平を投げかけた。
 
シワブの成り立ちについて
私に不明な点が多く残るのだから、
私たちは意見が一つになったわけではない。
 
しかし、意見の違いをお互い認めながら
平和的に共存するのが大人の道ではあるまいか。
 
陰にこもらず、意見の違いを表にだして、
明快に議論しあいながらやっていく道を選ばなければならない。
 
そこで私は、こう申し上げた。
 
「日本人は意見がちがうと共存したがらないけど、
 我々はちがう意見でも遠慮なく言い合って共存しましょう」
 
江青さんの誇りに訴えよう、としたのである。
 
江青さんは若いころ、
シェフの夫を追いかけてフランスへ修業に行った。
そのことを、つとに誇りに思っておられるようである。
 
私も前半生においてフランスには何かと縁があり、
あの個人主義的な文化風土は身に覚えがあった。
 
だから、そこを共通項として
お互いがザストという場で平和共存できないかと願った。
 
またセクハラだとか言われてしまうとまずいから、
握手こそ求めなかったが、
まさに心はそのような気持ちで、
紳士然とした態度で、そう申し上げたのである。
 
江青さんは、何も言わなかった。
 
塞翁先生は、ご満足げであった。
 
こうして、10.15講和会談は終わり、
それぞれは帰途につき、
和平は実現されたかに見えた。
 
ところが、このときの私の言い方が、
また次の長距離弾道ミサイル発射につながるものであるとは、
まったく予想していなかったのである。
 
 
 
・・・「長男の放逐(94)」へつづく

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