VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

長男の放逐(99)治療者も当事者?

長男の放逐(98)」からのつづき・・・
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
 
by ぼそっと池井多
 
 
患者階級の誕生(*1)に書かせていただいた
2013年11月20日までのメールのやりとりで、
江青さん(仮名)が「最終版」として送ってきた原稿に
もちろんザスト通信(仮称)の実質編集長として
私は不服であった。
 
「最終版」とは、ようするに確定稿という意味らしい。
 
「ここから一字一句たりとも変えることはまかりならぬ。
もし、変えたら塞翁先生に頼んで、
お前をクビにしてやるぞ」
 
という気配が感じられた。
 
ほんらい稿を確定するのは、
編集長である私の仕事である。
 
ところが、私たちの治療共同体では
相手が江青さんのように上級患者となると、
下級患者の編集長は寄稿者の下におかれるのである。
 
江青さんの文章を、私はまったく承服できなかった。
あれから3年以上経って、いま感情が鎮まってから読んでも
やはり承服できない。
 
江青さんは、シワブの活動内容について、
また自身が作ったサイトの宣伝を兼ねて、こう書いている。
 
成長するための様々な知識を広める”という趣旨で、SIWAb.の活動を通じて繋がった“何か気付きを与えてくれそうな人々”との対談を企画していきたいと考えています。こちらも既に、強盗・強姦被害者であり、証拠を勝手に処分し捜査を中止してしまった警察を相手に、国家賠償責任の裁判を起こした経験のある方との対談を撮影した『Series1』をUPしています。(*2)
*2.『ザスト通信』80号(2013年11月発行)p.7, l.12-15
 
強盗や強姦の被害者は、
たしかにそれはつらいだろう。
国家賠償請求の裁判を戦うことは、
たしかにそれは大変だろう。
 
声を発信する必要はあるだろう。
 
しかし、シワブでやらなくてもいいだろう
「シワブは近親姦被害に特化する」
と塞翁先生は(少なくとも私には)言っているのだ。
 
江青さん自身も、そのページの上のほうで
 
ザストというユニオンの一部として、『近親姦虐待の問題に向き合うといったらSIWAb.』と世間が認識しやすいように、“近親姦虐待に特化したグループ”として、独立したホームページも作成しました。(*3)
*3.『ザスト通信』80号(2013年11月発行)p.7, l.3
 
と書いているのである。
 
あっちこっちで、言っていることがちがうじゃないか」
 
と思った。
 
成長するための様々な知識を広める
 
などといえば、それは道ばたを歩いているネコを見ても、
成長するための知識は広まるのである。
 
何か気付きを与えてくれそうな人々
 
などといえば、それは通りすがりのおじいさんでも、
何か気づきを与えてくれそうなのである。
 
苦しまぎれの言辞を弄し、黒を白と言いくるめ、
江青さんはすべてを自分の正当化に持ってこようとしている。
 
それでいて、正しいことを指摘する私を
「自分を正当化している」
というのである。
 
恐ろしいのは、行司役である塞翁先生は
江青さんに軍配をあげるのであった。
煎じ詰めれば、
その結果、私は治療の場を失ったのである。
 
さらに、私がどうしても引っかかった表現に、
こういう箇所がある。
 
ザストの仲間でもある性虐待の被害経験のある当事者2人と加害経験のある当事者の方、治療をしている当事者として、それぞれの主治医である塞翁先生に加わっていただき、語り合いをしました。(*4)
*4.『ザスト通信』80号(2013年11月発行)p.7, l.17
 
ここは、2013年11月19日の江青さんの
塞翁先生への診察のあと、
江青さんによって書き加えられた箇所である。
 
ということは、
塞翁先生が診察で書くように指示した文言か、
はたまた、
塞翁先生のチェックが終わったあとで江青さんが書き加えた文章であるか、
そのどちらかである。
 
江青さんも、
 
専門家である塞翁先生にご相談しながら、きちんと責任をもって運営しています。(*5)
*5.2013年11月17日 江青さんのメール
 
などとわざわざ宣言してくるくらいだから、
よほどの根拠があっての用語の選択であろう。
 
しかし、私にいわせていただくならば、
こういう案件においては
当事者とは被害者本人(被害当事者)と加害者本人(加害当事者)しかおらず、
治療者をふくめ第三者は、
当事者にふくめるべきではないのである。
 
それとも「治療をしている当事者」ということは、
塞翁先生もかつて近親姦の加害か被害の当事者で、
それを乗り越えて治療者になった、
ということだろうか。
 
それとも、ただ単に、
江青さんは、自分と塞翁先生の距離をちぢめたいから、
「治療をしている当事者」という苦しまぎれの表現で、
むりやり塞翁先生を当事者に「引き寄せた」のだろうか。
 
だとしたら、とんでもないことである。
 
「当事者」という語は、
そんな私情で、軽々しく使えるものではない。
 
 
 
私は江青さんに強く抗議したが、
この稿は「最終版」ということで取り合ってもらえず、
多くの不本意を残したまま、
私は編集長としてこの「ザスト通信」80号を発行せざるをえなかった。
 
 
これは、数年にわたる私のザスト通信編集長の仕事のなかで、
最大の悔恨の一つである。
 
私は、臆病にも、
 
「ここで、これ以上、江青さんに刃向かったら、
 ザスト通信編集長をクビになってしまうかもしれない」
 
と心のどこかでおじけづき、
中途半端なところで妥協してしまったのである。
 
それから5か月して、
私はほんとうにザスト通信の編集長を
解任されてしまった。
 
どうせクビになることがわかっていたら、
あのとき患者生命を賭けてでも
江青さんの「最終版」なるものを退けて、
私の納得できる稿で確定し、
発行しておけばよかったと悔やまれるのである。
 
 
 
 
 
 
ザスト通信80号が発行されてからも、
私はこの一件で煮え切らず、
塞翁先生の診察でも複数回にわたって
この疑問を口にさせていただいた。
 
江青さんは、
 先生も近親姦当事者って書いているんですよ。
 私は、これ、絶対にちがうと思うんですけどね」
 
などといきり立って申し上げるのだが、
塞翁先生は、
 
「ああ・・」
 
と言いかけて後をにごしたり、
黙ってかぶりを振ったりするのみなのである。
 
「それは江青さんがまちがっているね。
 よしっ。私からひとつ、彼女を問責してやろう」
 
といった力強い言葉は絶えて出てこないのである。
 
 
塞翁先生がこれほど「当事者」問題の否定に消極的なのは、
やはりどこかで当事者意識をお持ちなのだろうか、
と私は考え始めた。
 
塞翁先生は、
「あっちとこっち」ではちがう話をしているようだから、
江青さんには、もしかしたら診察などの密室で、
 
「私も近親姦当事者だからね」
 
などと江青さんに甘い言葉を投げかけて
転移を強化しようとしたのかもしれない。
 
ときどき塞翁先生は、
 
「私が治療者として今日あるのは、
 人生ですれちがってきた、さまざまな女性たちのおかげ…」
 
と、茫洋とした回顧の入りまじった口調でおっしゃる。
 
その延長で、近親姦問題を研究対象にされているわけである。
 
その回顧の中に、私は
まだ中学生だった塞翁先生を性の世界にみちびいた、
元担任の女教師の方という姿を幻視する思いがする。
 
小学校のときからの担任となれば、
その女教師は、まさに母親に準じる存在であり、
「近親」といっても差し支えない存在であったはずだ。
 
そこで塞翁先生は「良い思い」をしたからこそ、
後年、それを補完するべく、
反対の思いをした近親姦被害者を
救済しようと志ざしたのであろうか。……
 
……。
……。
 
こうして江青さんが原稿に書いた「塞翁先生当事者」論は、
私たちの間にさまざまな連想の波及を
呼び起こすことになっていったのである。
 
 
 
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    2016/2/29(月) 午後 11:41

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