VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

被災地の内と外(11)私にとって被災地支援とは何であったか

被災地の内と外(10)」からのつづき・・・
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
by ぼそっと池井多
 
 
このシリーズとしては、
長らく記事を書いてこなかったが、
 
「私にとって被災地支援とは何であったか」
 
という、ほんらいこのシリーズで描きたかったことについて
以下のように他のシリーズで書かせていただいてきた。
 
万が一ご関心のある方などいらっしゃればご参考いただきたい。
 
 
 
精神科に通う患者として被災地支援に加わる、
ということの難しさは、活動後の宴会から始まっていた。
 
 
塞翁先生の娘、真子さんは独自の思想を抱きながら
被災地支援に邁進していた。
 
 
被災者の方々へ向けて、真子さんの口から放たれた一言が
私を凍りつかせることになる。
 
 
被災地支援とは、現地に入っているあいだだけでなく、
そこへ至るまでの準備の時間も含めてのことである。
 
 
いかに現地で力を出し切るか。それは途中の時間の使い方や
経費の配分にも影響してくる。
 
被災地ではどこに泊まるか、ということが
考えなくてはならない問題の一つであった。
 
被災地内部の事情も、よく考えなければ
何も活動できないという実態があった。
 
被災者の方から真子さんにかかってきた一本の電話。
それに対して、真子さんが示した行動とは。
 
 
真子さんの口から放たれた、わずかな一言。
それがその後の私たちの支援活動の行先を決定した。 

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……被災地全般を見渡していえたことは、
 
「いいことをしたい」
「いいひとになりたい」
 
などと思って被災地支援に乗り出す者には
ろくな人間がいなかったということである。
 
それでは、何であったか。
 
私は、はじめから被災者に自己の鏡像を見ていた。
 
私のように
昭和30年代に建てられたあばら屋に棲む貧困者は、
首都直下型地震が来れば
まっさきに家屋の下敷きになるだろう。
 
そのときに、一刻も早く救助されたい
という無意識の願望のために
私は被災者の方々の話に全身で耳を傾けていたのである。
 
「傾聴なんて、なんと無駄なことを」
 
と嗤う者は、嗤えばいい。
 
そこ以外のどこに
はたして救済があったであろうか。
 
……。
……。
 
 
被災地支援という
とらえどころのない活動の回顧は、
今後も、また時期がめぐってきたら
続きを書かせていただきたいと思っている。
 
 
東日本大震災からちょうど5年という、
この非常に区切りのよいタイミングで、
震災関係のことをあれこれと書くのは、
あたかも
 
私は被災地支援に関わりました
 
というアリバイを強調するかのようで、
私はあまり好まない。
 
 
 
・・・「被災地の内と外(12)」へつづく
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