VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

被災地の内と外(13)熊本地震とプレート境界説

被災地の内と外(12)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
いまだ余震が続いている、
昨夜の熊本地震でブロ友のカレエダさんが被災された。
 
本棚の本がすべて落ちてきて奥さまが埋まり、
部屋の中がメチャクチャになったが、
幸い命に別状はないとのことで
家の中の写真を公開しておられる。(*1)
 
*1.カレエダさん『震度6強を体験
 
ここで考えなくてはならないのが、
熊本地震の直前に放送された
NHKスペシャル 地震列島」(*2)
である。
 
 
 
内容をかいつまんでいうと、
 
「いままで活断層の上があぶない、
 と言われていたが、
 じつはプレートの境目にこそ大きな地震が起こる、
 というように地震発生に関する考え方が大きく変わった」
 
という放送である。
 
そして、番組のなかで紹介される地震予知地図を見ると、
熊本がしっかりあてはまっているのである。
 
これは、本放送が4月3日であったらしいが、
私は録画でしばらく日が経ってから観たので、
まさに実際に起こっている熊本地震と同時並行して
 
「だから熊本にも地震が起こるって言ったでしょう」
 
と言っているかのように見えてしまった。
 
さらに番組のなかでは、ある科学者が、
2011年、東日本大震災が起こる二日前にそれを予知したが
 
「発信する手段がなかった」
 
と悔いているシーンがあった。
 
私たち素人は
とかく地震学の無力をなじるけれども、
科学者の側ではすでに知られている事実も多く、
「発信」が遅れたため犠牲者が出るということも多い、
と考えてもよさそうである。
 
どんなつまらない事実でも
「発信する」
ということの大切さをあらためて考えさせられた。
 
 
 
 
「水を沸騰させると水蒸気になります。
 それは、昨日やっても、今日やっても、
 同じ結果になります」
 
ということを
 
科学的再現性がある」
 
という。
 
人は地球を、
地震が起こる前の状態に戻すことができないから、
「水がいつでも水蒸気になる」
ことを証明するようには、
地震発生に関しての科学的再現性は主張できない。
 
しかし、プレートの動き方などに関して
とことんデータを収集していけば、
地震の予知は可能になる、という期待がある。
 
そういう帰納と演繹が、いまの地震学における、
「科学的再現性」なのだろう。
 
ひるがえって、児童虐待と精神医学に関してはどうか。
 
「一人の子どもが、私のような虐待を受ければ、
 必ず私のような人生になります。
 それは、とくに私という人間が
 怠け者だからではないのです」
 
といくら声を大にして主張したところで、
 
「それじゃあ、一人の子どもを
 まったくお前と同じように育てて、
 お前のようになるかどうか、
 実験してみよう」
 
というわけにいかない。
 
その意味で「科学的再現性」がないのである。
だから、いろいろと反論がなされる。
 
「やっぱり怠け者なだけだ」
「そんなの、本人の心がまえ一つだ」
「人のせいにしている」
「病気を演じているだけだ」
 
などなどといった反論が。
 
 
しかし、ちょうど地震学において
「プレート・テクニクスにかんするデータをとことん収集する」
という科学的行為を進めていくことによって、
「水がいつでも水蒸気になる」
というのではない、
もう一つの「科学的再現性」にたどりつけるかもしれないように、
じっさいに虐待を受けておかしくなってしまった者たちが、
催眠や暗示など治療者の操作が入らない「生の声」を
より多く発信していくことによって、
これまた、もう一つの「科学的再現性」にたどりつけるのではないか。
 
そういう期待を、私は持っている。
 
 
 
 
 ・・・「被災地の内と外(14)」へつづく
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