VOSOT ぼそっとプロジェクト

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治療者と患者(48)私が転院しない理由

治療者と患者(47)」からのつづき・・・
 
 
 
「そんなに追放されかかっているなら、
 さっさと自分から別の医療機関
 転院すればいいじゃないの。
 
 なぜ、いつまでも
 そんな治療共同体にぶらさがっているの」
 
と、さまざまな方よりご質問をいただく。
 
事情が透けて見えるのか、
現在、同じクリニックに通っている患者仲間からは、
そういうご質問はないが、
そうでない方からは、じつによく頂くFAQなのである。
 
そこで今日は、それにお答えさせていただく。
 
いつもながら
登場する固有名詞は実在せず、
ここに書かれていることはすべて虚構である。
 
そこに何がしかのリアリティを感じるとしたら、
それは読者であるあなたの感受性と想像力が
優れている証拠だと思う。
 
 
 
 
 
 
塞翁先生が、じつはもう私の家族を治す気がないのだ、
ということがわかったのが、
2014年の夏であった。
 
その経緯もまた、ちょっとしたドラマであるので、
また別の機会に述べられたらと思うが、
そこで慨嘆をおぼえながらも、
今日まで転院しないできた私には、
いくつかの理由がある。
 
 
 
理由の一つめについては、
まず私たちの医療機関のシステムから
お話ししなければならない。
 
「さいおうクリニック」とはいうけれど、
院長は塞翁先生ではない。
 
塞翁先生は理事長であり、
現在の院長は奈良橋先生という。
 
昨年までは、太沢先生という女医が院長であった。
彼女が院長職を降りたのは、
「いつでも独立開業できるように」
というスタンバイなのだろうか、
私にはよくわからない。
 
太沢先生とも一度、深くお話ししてみたいものだ、
と思いつつ、
一つの建物の屋根の下で15年近くの歳月が流れ、
とくにお話しをする機会も持たず今日に至っている。
 
 
さいおうクリニックに通う者は、
主治医はみんな塞翁先生ということになっている。
 
しかし、塞翁先生の診察予約は
昔はあまり取れなくて、
4-5週間待たされることがざらにあった(*1)
 
*1.塞翁先生の診察が私にとってどういうものであるかは
 
いっぽう向精神薬の処方は
原則として2週間分が上限である。
 
そこで、2週間以内に1回、診察して
患者には薬を処方する医師が、
それぞれの患者に割り当てられている。
 
多くの患者は、この医師を主治医と呼んでいるが、
それは塞翁先生と混同するのではないかと思い、
私は処方医と呼んでいる。
 
こういう処方医をやっておられる医師は、
クリニック全体では5-6人いるのだと思うが、
出勤日の少ない非常勤の医師は、
ときに私が名前も覚えないうちに入れ替わる。
 
私の処方医は、現院長の奈良橋先生である。
 
この奈良橋先生と私のあいだには
ラポール(信頼関係)が構築されていると
少なくとも私は思っている。
 
奈良橋先生は、いつも私が必要とする薬を出してくれる。
これが、ありがたい。
 
これは、聞きようによっては
とんでもないことになる。
 
もし私が処方薬依存症であったなら、
「患者が求めるままに薬を出す主治医」
ほど有害な存在はない。
 
しかし、そこは私もいろいろと気をつけているし、
リッチーさん(*2)のように
処方薬依存症について詳しく教えてくれる仲間もいるので、
私もむやみやたらと薬はねだらない。
また、できるだけ漢方をまぜるようにしている。
 
 
 
 
奈良橋先生のほうも、私がいろいろ考えたうえに、
 
「今日はこの薬を、この分量で出してください」
 
とお願いしているのがわかっているから、
そのとおり出してくださる。
 
この信頼関係は15年かけて築いてきた貴重なものであって、
もし私が他の医療機関に転院するとなると、
こういうものをまたゼロから作り直さなければならない。
 
それが、しんどい。
 
 
 
 
 
 
理由の二つめは、
私の成育歴と現在の状況が重なることから来る。
われわれの言葉でいう「外傷再演」である。
 
原家族において私の母は、
白を黒といい、それを通そうとする人であった。
 
父は公正な裁定をしてくれずに、
いつも母を支持した。
 
母のほうが学歴が高かったし、
父は母が恐ろしかったのである。
 
したがって、つねに白が黒としてまかりとおり、
白を白と唱えた私がいつも煮え湯を飲まされた(*3)
 
 
 
弟は、八歳下であったので、
たしかな「自分」というものは持っておらず、
母と父に寄っていっては向こう側にすり寄り、
私に寄ってきては私にすり寄った。
 
私が原家族を放逐されたのには、
この弟が私を憎んだからでもあるのだが、
弟も大変だったのだろうと思う。
 
しかし、今は弟への共感はさておく。
 
 
ひるがえって、現在の治療共同体はどうだろう。
 
江青さんの私の職域への侵犯(*4)から始まって、
現在のザストの運営への異議(*5)に到るまで、
私は、いまに到るまで
自分の言っていることが正しいと思っている。
 
*4.「覚醒するモグラ」参照。
 
*5.「再び問い合わせ」参照。
 
 
 
しかし、それを公正にさばいてくれる存在がいない。
 
本来、それをしてくれるはずの塞翁先生は、
近親姦戦争が始まって(*6)からは、
白を白と言う私を処罰し、
白を黒と言う相手方を擁護する。
*6.「覚醒するモグラ」参照。
 
 
そのため私は
屈辱的なかたちで数々のポストを剥奪され(*7)
ついには共同体から放逐されかかっている、
というわけである。
 
 
 
 
その成れの果ての末端の戦闘が
新旧激突(*8)であった。
*8.「新旧激突
 
 
もし私が、
このままおとなしく何も言わず治療共同体を去るとなると、
原家族から放逐されたのと
まったく同じシナリオを再演することになるだろう。
 
 
これで私が転院したならば、
新しい医療機関の新しい精神科医は、
きっと私にこう言うであろう。
 
 
「それは、それは。ひどい目にあいましたね。
 
 でも、それはもう過去のこととして忘れましょう。
 そして、ここで
 一からあなたの治療をやり直しましょう」
 
 
それは、
ありがたい言葉として私の心に響くかもしれない。
けれど、
そうすると、この17年は私にとって何であったのか。
 
「原家族のことを忘れましょう。
 過去の怒りを忘れましょう」
「いいえ、それができないのです」
 
とやっているうちに17年の歳月が過ぎ、放逐され、
たどりついた新しい医療機関で、また
 
「前の医療機関のことは忘れましょう。
 過去の怒りを忘れましょう」
 
が始まるのである。
 
それでは、きりがないだろう。
 
私の人生はその繰り返しで終わってしまう。
 
むしろこの17年間を糧として、
現代日本において精神医療とははたして何であるのか
ひとりの患者として掘り下げ、
私をとりまく状況と斬りむすんだほうが
私というちっぽけな人生の使い道として
豊かであるように思えるのである。
 
 
 
・・・「治療者と患者(49)」へつづく
 
 
 

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