VOSOT ぼそっとプロジェクト

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長男の放逐(129)母の贖罪

長男の放逐(128)」からのつづき・・・
 
by ぼそっと池井多
 
 
強姦致傷事件で逮捕された
高畑裕太容疑者の母親、
高畑淳子さんが
今日の午前おこなった記者会見で、
私は次のふたつの言葉を評価する。
 
この状態でお芝居をやる自信はないですが、
舞台に立って、
今月、今年いっぱいは地方の方に
舞台をお見せするのが、
私の贖罪だと思います
(*1)
*1.高畑淳子会見詳報
 
雲隠れして逃げてしまうことなく、
ちゃんと姿を見せて務めを果たすことこそ
「責任を果たす」
ことだという姿勢はえらいと思う。
 
さんざんザストをかきまわしておいて、
総会で逃げてしまった岡村部長、真子社長は
爪の垢でも煎じて飲むべきであろう。
 
いろいろ情報が入ってくるにつれて、
やはりこの事件においても、
母親の息子への過干渉ぶりが気になっているが、
それがどうであれ
ともに更生していこうという姿勢は評価できる。
 
 
 
 
 
 
私が評価する二つめの言葉。
 
--(息子さんには)どのような言葉をかけましたか?

 (……中略……)

 「社長と(裕太容疑者の)姉と私で会いましたが。
…不謹慎で
こんなことを言ってはいけないのかもしれないですが…

私はどんなことがあっても
あなたのお母さんだからね。

お姉ちゃんはどんなことがあっても
あなたのお姉ちゃんだからね』

と。
申し訳ありませんが、そんなことを言いました」
(*2)
*2.同上
 
以前(*3)もお話ししたように、
私自身は逮捕や起訴をされないですんだけれども、
犯罪をおかした前歴がある。
 
 
4歳から5歳にかけて、
母親に連れていかれた先のスーパーで、
ラップされている肉や魚のパックに、一つ一つ
 
 プチッ、プチッ、
 
と指で穴をあけていたのだ。
 
それも、一回や二回ではない。
買い物に連れ出されると、
いつも家の外で毎回そんなことをしていた。
 
母は、同じスーパーの店舗のなかで買い物をしていた。
 
店の人は、まさかこんな小さな子どもが
何食わぬ顔でそんなことをしているとは
つゆほども知らず、
私に目もくれることもなかった。
 
その隙に、私は丹念に
一つ一つのパックに穴をあけていったのである。
じつに周到なテロリストであった。
 
私が穴をあけたパックは、
店の人にとってはもう売り物にならなかっただろう。
 
一つのケースの中の肉や魚がぜんぶ売り物にならない
となれば、これは大損をなさったはずである。
りっぱに器物損壊に問われることだと思う。
 
幼い私は意識してやっていたわけではないが、
家の中でおこなわれている虐待を
家の外の人たちに知ってもらおうとして、
無意識が私をあやつって、
そんなことをさせていたとしか言いようがない。
 
 
「そんなことをさせた」
 
などというと、
いかにも自分の責任がないかのような
いかにも自分の責任をぬけぬけとまぬがれるかのような
言い方に聞こえるかもしれないが、
けっしてそういうつもりはない。
 
 
「それは私がおこなったことだ」
 
ということと、
 
「それは無意識が私にさせたことだ」
 
ということは、
私にとっては矛盾しないのである。
 
空ける穴、一つ一つは、
幼き私の言葉にならない怒りであった。
それと同時に、商品へのレイプであった。
 
 
私の場合は、スーパーを舞台にした小さなテロで済んだが、
そのまま大きくなってしまうと、
身体も大きく、能力も大きくなるから、
おこなう行為も、とんでもないテロになる。
 
秋葉原事件の加藤智大死刑囚などは、
その延長線上にあるのではないか、と思うのだ。
 
彼は、自分の家の中で何が起こっていたかを
社会に訴えたかった。
 
しかし、「訴えよう」と思う時期がおそすぎたので、
あんなとんでもない事件を起こしてしまったのではないか。
 
犯行のあとで、加藤智大が矢継ぎ早に出版している本は、
おくればせながら、
家の中で起こっていたことを「言葉にする」という試みだが、
皮肉なことに、
それはあのような事件を起こし、死刑が決まった男だから、
かろうじて「売れる」。
 
たとえば、私が書いても「売れない」のである。
 
同じように、現在進行形で家庭のなかで虐待されている者が同じような本を書いても「売れない」。
 
社会からテロを根絶したいのなら、
この現実をなんとかしなければならないと思う。
 
……。
……。
 
強姦致傷におよんだときの高畑裕太容疑者は
泥酔していたようである。
 
そういう状態にあるとき
人は無意識が表面に浮き出てきて
幼児期の人格でふるまうようになる。
 
人格が幼児期で、身体が大人だから始末がわるい。
 
 
幼児期の私のスーパーを舞台にした小さなテロ事件は、
ついに犯行が露見するにはいたらなかった。
 
だから、私は家の中でおこなわれていることを
社会に訴える機会をひとつ逸したともいえる。
 
もし犯行が露見していたら、
私の母親はどのような対応をしただろうか。
 
何でも自分に都合よく考える母親は、とても、
 
「この子の犯行の原点には、
 私がこの子にやっていることが関わっている」
 
とは考えなかっただろう。
 
そして、逆立ちしても
 
どんなことがあっても
 私はあなたのお母さんだからね
 
などと私には言わなかったのではないか。
 
げんに、私がお世話になっている福祉事務所の担当官が、
数年前、私の母親に連絡を取り、
 
「お宅の息子さんは、
あなたにされたことの怒りで身動きならず、
うつになってひきこもりになり、
生活保護を受けて精神科に通っています」
 
と知らせても、
私の母はおざなりの応対しかせず、逃げ回り、
そのうちに返答もしなくなった。
 
「それはたいへん。
 わたしが過去にやったことが
 なにか影響しているのかもしれません。
 わたしも一緒に解決を考えます。
 わたしもその精神科に通います」
 
といった言葉はひとことも出てこなかった。
 
おそらく私の母親は、
もし、担当官がここでしつこく関わりを求めたならば、
 
「成年に達しているのだから
 もう本人がやったことの責任は本人が取るべきだ」
 
という議論へ逃げたことだろうと思う。
 
しかし、これは一つの「すりかえ」なのだ。
 
すなわち、
 
どんなことがあっても
 私はあなたのお母さんだからね
 
という言葉をかけることは、
 
「成年に達しているのだから
 もう本人がやったことの責任は本人が取るべきだ」
 
という議論とは別の次元の話だということだ。
 
私はあなたの母であることから逃げません。
 だから、あなたも
 あなたの責任を果たすことから逃げないで。
 いっしょに贖罪を考えましょう
 
と、二つはみごとに止揚されるのである。
 
 
 
高畑淳子さんは、自身も女優で有名人であり、
発する一言一句はやがてマスコミの知るところとなる、
ということを意識的に計算して、
そんな立派なことを言ったのではないか、
と考えることも可能である。
 
また、容疑者との接見の場では、
事務所の社長など家族外の他者もいたことから、
りっぱなお母さんを演じてしまったのではないか、
と考えることも可能である。
 
そういうことを疑いだしたらキリがないが、
しかし、接見の場でそう言ったことは、
言わないこと、逃げてしまうことよりはよかったと思う。
 
そのひとことを胸に、
容疑者本人もまじめに事件や被害者に向かい合おう、
と思えるのではないか。
 
 
・・・「長男の放逐(130)」へつづく

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  •            

    私もお母さんは立派だと思います。そして、ニュースを見てて彼は何らかの障害があるのかも?とも感じました。 削除

    myd*7 ]

    2016/8/27(土) 午前 0:16

    返信する
  •            

    myd*7 さま コメントをどうもありがとうございます。
    あれは障害といってもよいものでしょうね。治療の対象だと思います。 削除

    チームぼそっと

    2016/8/27(土) 午前 8:06

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