VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

長男の放逐(142)暗渠の声

長男の放逐(141)」からのつづき・・・

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

by ぼそっと池井多
 

暗 渠 の 声

ぼそっと池井多

ザスト通信82号(2013年3月)掲載


母が経営している英語塾に、私と同じ中学1年生の由紀子さんという女の子が入塾してきた。
「どうせだったら」ということで、私とペアを組まされ、生徒2人:教師1人の準個人指導で母が英語を教えることになった。

私は、中高一貫の男子校に通っていたので、日常生活に女の子という存在がなく、同じ年頃の女子のことは何も知らなかった。いっぽう由紀子さんは、ふつうの公立中学校と比べても生徒が早熟でマセていることで有名な、ある大学に付属する男女共学の中学校に通っていた。

じじつ、音楽の話題一つ出ても、その差は明らかとなった。テレビを見せない家風から、日本の流行歌すら聞かなかった私が、まるで知らない大人びた洋楽を、由紀子さんはそうとう聞きこんでいることが、何気ない会話の端々から伝わってきた。
男のことも、男女のことも、知り尽くしている様子である。

そのため、私が由紀子さんに抱いた感情は、脅威を通り越して恐怖に近かった。少なくとも恋愛や憧憬が入り込む余地はなかった。

こうして母の英語の授業とは、まるでこちらから向こう側は何も見えず、相手からはこちらが丸見えであるマジックミラーを隔てて、同学年の異性と1対1で向き合う時間として続いていった。

しかも、母は何かにつけ、私をさかんに煽(あお)るのだった。
「もうすぐ由紀子さんの誕生日よ。お前、何か贈らなくていいの? そういうとき男の子は何か贈るものよ」
「なぜぼくが由紀子さんに贈り物なんかしなくちゃいけないの」
などと訊けば、また母は、
「お前は理屈っぽい。屁理屈ばかりこねて」
と機嫌が悪くなるので、しかたなく母の言うとおりにした。

やれクリスマスだ、やれホワイトデーだ、と同じようなことが繰り返され、由紀子さんからも形だけのお返しをもらったが、それらのやりとりはすべて母の英語の授業の中で行われ、母はそれを見て会心しているようだった。

いま思えば、母の当初の動機は、息子が思春期を迎えて、どこかにエロスのはけ口が必要だから、自分が管理できるところにそれを作ろうと考えた、ということだったのだろう。
しかし、母親のような人は、立場が優位であることを用いて、支配している者を自らが発散する道具として利用するようになるのだった。

西洋かぶれだった母は、アメリカ風のアップルパイを焼くことがあった。できあがったアップルパイは、油っこくて甘たるく、私たち家族では食べないので、母の知り合いのアメリカ人の家に貢ぎ物のように持っていく。じゅうぶん一人で持っていける代物だが、持っていく役目は、「おつかい」と称して私と由紀子さんが二人で請け負わされた。行く途中には公園があり、私がここで由紀子さんに何か良からぬアクションを起こすことを、母は期待していたのだろう。

まさにアップルをパイ生地に詰め、オーブンに入れ、素材が適度に溶け合い、焼き上がってくるのを楽しみに待つように、母は私と由紀子さんを詭計(きけい)というオーブンに仕込み、和合なり野合なりが起こるのをひそかに待っているのだった。
うっすらとそれに気づいたので、私もやすやすと母の企てに乗るまいとしたが、かたや自分が思春期であるという生物的事実はいかんともしがたく、また童貞であった私は、恋に恋してもいたのだった。

三年間、母は何かにつけて私と由紀子さんを二人だけにする機会を持った。欲望がないではないが、警戒していた私は、なかなか着火しなかった。

私も由紀子さんも高校受験は体験せず、それぞれの中学校にくっついている高校へエスカレーター式に上がった。しかし、私の学校と違って、由紀子さんの高校の校舎は電車で1時間半の遠い田舎にあったため、由紀子さんは高校進学を島流しにでもあったように嘆いたらしい。

ある日、母は私たちの住む市の盛り場を出して言った。
「あそこに、自由にレコードが聞けるフロアができたんですって。高校生でいっぱいだってよ。由紀子さんは音楽が好きなんだから、あんた、誘って連れていってあげなさい」
私はなにか気が進まず、しきりに渋ったが、
「由紀子さんも誘われるのを待っているわよ」
と急かす母によって、どうやら外濠はすでに埋められ、私は立場的に由紀子さんを盛り場へのデートに誘わなくてはならない雲行きになった。
「いや、これはぼくの人生ですから」
と線を引くには、私はあまりにも主体を奪われすぎていた。

思えば、私の人生は義務に追われていた。
何かにつけて、私は母に、
「お前、このお母さんに何をしてもらったかわかってるの? 責任を取りなさい!」
と責められていた。責められなくてよいのに責められる時間が、私の常態を成していたのである。

酒鬼薔薇聖斗は、中学校の文集に「懲役13年」と書いたらしいが、その感覚が私はじつによくわかる。人生とは、不自由な牢獄に閉じ込められ、無限に続く仕事を課せられている時間であった。人生とは義務であり、生まれながらにして処せられた無期懲役であった。

早く自由になりたい。自由になるために、目の前に積まれた仕事を早く片づけてしまいたい。片づければ、そのぶん次の仕事がやってくるだけなのに、その時はそこに考えが到らず、目の前の仕事をしゃにむに片づけようと思ってしまう。

「ここで誘わないのは失礼よ」
などと母に言われると、これ以上、他人に失礼を演じて責められたくないという一念から、とうとう私は由紀子さんを盛り場へのデートに誘うことにした。




ある日、由紀子さんと私との英語のレッスンが終わり、由紀子さんが帰っていくとき、私は裏口から彼女の帰路を追いかけた。
このとき、なぜ私は母に知られないように裏口から出たのか? 
それは、しょせん母の手のひらで踊るものだとしても、せめて母の見えないところで遂行したいという、少年なりの悲しい抵抗であった。

息を切らして由紀子さんに追いつくと、私はしどろもどろになって用件を伝えた。
すると由紀子さんは、うさん臭そうに私を眺めて、
「あのさあ。そういうの、やめよう」
とだけ溜め息まじりに言うと、くるりと背を向けて帰っていった。
私は、
「これは、ふられたってことか」
と考えた。落胆するどころか、とたんに肩の荷が下りたようで、気分が軽くなった。これで責められることはない。

ところが、その一件を、由紀子さんが家に帰って、さっそく自分の母親に話したらしく、たちまち彼女の母を経由して私の母の耳に入ってきた。
その件と同時に、彼女の母が伝えてきたことがある。それは、由紀子さんが私の母の塾をやめたいという意向であった。
理由は、中学時代と違って、高校は遠くて、通学に体力も時間も使い果たしているから、とのことである。少なくとも、私のせいではなかったはずだ。
しかし、母はそれを、
「お前があんなことするもんだから」
と言い始めたのである。

おそらく母にとって塾経営は自己実現の場であり、「自分のお庭」だった。その塾の生徒が一人、それも息子と同じクラスに配し、手塩にかけていた由紀子さんがやめていくのは、沽券(こけん)にかかわる事態だったのだろう。
しかも、負けん気の強い母は、自分の失点に帰することがない。悪いのはすべて私にし、いま風の言い方をすれば、16歳の私が、母の生徒である16歳の女性にセクハラをして、その結果生徒がやめてしまった、という解釈に持っていくのだった。
「そんな濡れ衣をぼくに着せようというのか!」
として、私が猛然と反駁(はんばく)するかというと、それもできなかった。なぜならば、同世代の男女共学の中学生たちがやっていると聞く「デート」なるものに、男子校に通う私がまったく興味がなかったわけがないからだ。
微量の疾(やま)しさが、私の体内に残っていた。私の性欲は、母の手中に握られていた。だから、私は言い返せなかったのだ。

すると母は、我が意を得たりとばかりに図に乗り、
「お前が由紀子さんに手を出して、ハレンチな色恋沙汰(いろこいざた)なんか起こさなけりゃ、あの子は今もうちへ通ってくれていたでしょうに」
などというようになった。

「色恋沙汰」という言葉から、少年だった私は、何か薄汚れた中年の痴情のもつれのような響きを感じた。母のそういう表現に自分が塗りこめられ、貶(おとし)められていくようだった。

母の機嫌を損ねないことだけを考えて生きている父は、事実関係をまったく検証せずに言った。
「お前は、まったく情けないねえ。恥知らずなことしやがって」
私は、由紀子さんにデートの申込みなどしてしまった自分をひどく愧(は)じた。なんであんなことをしてしまったのだろう、と舌を噛み切りたいような悔恨にさいなまれた。

8歳下の弟はまだ幼く、私の訴えを聞く者はおらず、私は黒い感情を鬱積させた。とうぜん、母や父にも服従しなくなる。親と私の関係は険悪になった。
それに対して、母は、
「反抗する気なのね。ここは一つ、親の権力のあらたかさを骨の髄まで知らしめてあげる」
と思ったのであろう、ある日、私の背筋が凍りつく復讐の挙に出てきたのである。






学校から帰ると、何やら白いものが私の机の上に載っていた。それを見るなり、私は全身の血液が逆流した。ついで顔が真っ赤にほてっていくのが自分でもわかった。
それは、前夜の自分を受け止めたティッシュペーパーを丸めた塊だった。
このころの私は、そういう行為は、命に替えても他人に知られてはならないくらい恥ずかしいことと考えていたので、いつもは親が寝静まってから、わざわざトイレに捨てにいって、水洗で流し、証拠を完全に隠滅するのだった。
ところが、その前の夜は、おこなったのが布団の中だったこともあって、面倒になり、
「あとで始末すればいいや」
と考え、丸めてゴミ箱の下の方へ捨てておいたのだった。念のため、目につかないように、他の紙屑をたくさん乗せておいた。ところが、どういうわけか、私が学校へ行っている間に、母がそれを見つけ出し、拾い上げ、机の上にさらしたのであった。
いったいどうして母はその所在を知ったのだろう。母が何かの拍子でゴミ箱の近くまで来たとき、生臭いにおいがしたのだろうか。それとも、初めから当たりをつけてゴミ箱の中を探ったのだろうか。
いずれにせよ、この措置は、
「こんなことしてちゃだめでしょう」
と親として教戒を垂れるのを装いながら、骨の髄では母が性的な嗜虐を楽しんでいる気配があった。

そうであるがゆえに、なおさら、湿気をはらんだティッシュの塊は、私の「存在そのもの」であるように感じた。なぜか。性に関わることは、自分を持っていかれるほど快感であり、恥だからである。
江戸時代には、獄門さらし首という刑罰があったらしいが、罪人となった自分の首が血だらけの醜いまま公衆の面前にさらされるとは、このような気持ちであろうか、とも思った。

あまりにショックだったので、私は何事もなかったかのように、それをトイレに捨て、遅ればせながら完全に証拠を隠滅したが、いくら隠滅しても隠滅しきれない何かがあるように感じられた。
母がそれを置いた私の机の上は、何度も布巾で拭いたが、それでも足らないように思えて、しまいにはエチルアルコールを持ってきて消毒した。

その後は、それに関することに過敏になった。
たとえば、台所から母が父と話している声が聞こえてくるとする。はっきりとは聞き取れないが、
「あの子は、どうせまた由紀子さんのこと考えて、やっていたのよ」
と話しているように聞こえてくる。半分、それはさすがに気のせいかと思いながらも、そんな気がして仕方がない。

ここで私が台所へ出ていって、
「いったい何のことだ!」
などといきり立って問えば、母は決まって、
「あ~ら? なんでもないわよ。お前こそどうしたの。そんなにあわてちゃって」
などと私をからかい、挑発してくることだろう。
すると私は、母の描いたシナリオにはまっていき、墓穴を掘るのである。だから、こちらからそのことを話題にするのは危険である。しかし、話題にしないで、なかったことにすればするほど、私は自分の根幹にあたる部分、「存在そのもの」を母に奪われたままである気がした。
私はそれを取り返したいと思った。しかし、具体的にどうすれば取り返せるか、わからなかった。






平均的な高校生と同じく、私はそれまで書店に立ち寄ると、メジャーな男性雑誌の明るいグラビア写真を、おそるおそる立ち読みする習慣があった。
しかし、あの事件のあと、私は一転して凶暴な気分に駆られることが多くなり、趣味が荒くなった。
書店のいちばん奥にある、えげつない表紙が立ち並ぶ、成人向けのコーナーに足が向かった。そして、どこぞの暴力団が資金源に作っているかのような、やさぐれた三文雑誌の一冊に手が伸びた。
中には、写真の顔も判別できないという、ザスト通信も負けないくらい粗悪な印刷で、被写体の女性が何かの脅しを受けて、人気(ひとけ)のない暗渠(あんきょ)のような場所に連れこまれ、縛られたり犯されたりしている写真が何枚も掲載されていた。
私はほとんど発作的に、成人をよそおってその雑誌を買い込むと、そのまま家に持ち帰った。

今度こそ母に見つからない場所に隠そうと思った。ゴミ箱の中が探られているのだから、押し入れの中はもうダメである。本棚の裏、ベランダの屋根の上、あげくの果ては、家を離れて近所の小学校の校舎裏の貯水タンクの影……。
「さすがにここまでは母の手が及ばないだろう」という場所を求めて、私は近所をさまよった。
しかし、どこに隠しても、しばらくすると不安になった。あの母のことだから、結局その場所も見つけてしまう気がしたのである。そうなると、もう居ても立っても居られなくなり、さらにわからなそうな場所を求めて、物を移動した。

いつのまにか私は、見るもくだらない雑誌一冊を、前代未聞の高価な稀覯本(きこうぼん)であるかのように扱っていた。
それでいて、雑誌そのものに、私は深いところで何ら価値を認めておらず、また私がほんとうに大切にしたいものも、どうやらそんな物ではないということは、頭のどこかでおぼろげにわかっていた。
しかし、私は血眼になって、秘匿の場所を求め続けた。
『暗渠の声』完。
 
 
 
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