VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

性虐待と主体(22)立ち上がるAV女優たち

られたいおんな
メスブタ日記 真性M熟女
熟女出し
 
など、SMものや熟女ものシリーズで知られるAV女優で
現在は脚本や制作も手がけるという神田つばきさんが、
最近、議論の的になっているAV業界について
女性の立場で興味深い発言をおこなった。(*1)
 
毎日新聞 2016.9.24 11:29
 
神田つばきさんは6歳の時、好きだった男の子に
「縄跳びで縛っていい?」
と聞かれて、断ってしまった。
それ以来、ずっと縛られたい願望が消えなかったという。
 
離婚も経験して、
「これからはやりたいこと全部やろう」
と思って、AV業界へ入っていったらしい。
 
彼女が語る半生の物語は、
私たち塞翁教団の患者村の公式にしたがって料理すれば、
たちまち性虐待被害とその外傷再演として解釈されうる物語である。
 
すなわち、
6歳のとき「縛っていい」と聞いてきた男の子は、
男性だから「加害者」ということになり、
彼女はその「心的外傷」が残ったために
大人の女になってから
「AV女優になる」
というかたちで症状を出した、
と解釈される物語である。
 
幼少期に近親姦があった女性が
成人後に性風俗嬢になると
ただちにそれを外傷再演と解釈するのと同じである。
 
ところが、神田つばきさんの口調には
被害者としてのかげりがまったくない。
 
女性がそういうものを見たいと思い、
エロに関心を持つのが「後ろめたいこと」でありすぎる。
そう思い、「東京女子エロ画祭」というイベントを
2011年から主宰しています。
一般の女性にエロスを表現した作品を送っていただき、
皆で採点するのです。

アダルト業界の問題がなくならない裏には、
(AVや性産業は悪だという)差別がやはりあると思います。
特に日本では、性の文化というのは
男性がずっと消費者、女性は供給者に固定されている。
「エロ画祭」は女性を性の客体から解放し、
つかの間でも主体側に立って
自由に表現してもらおうという試みです。(*2)
*2. *1に同じ
改行、太字、色字、( )内は引用者による 
 
 
性虐待の被害者が虐待として主張する、
まさに同じ事象や行為に、
もっと女性が参加すべきだと訴えるのである。
 
では、ほんらいあるべき性虐待被害者と
神田つばきさんでは何がちがうのだろうか。
 
事象へむかう意識の在り方といってよいだろう。
 
すなわち、彼女は主体的で、
被害者は客体的であったのだ。
 
彼女はつづけてこう語る。
 
ずっと供給側に回っていると、
やがて消費物」のように男性女性を見るようになる。

そういうことが続けば、
出演強要のような問題はこれからもどんどん、
たぶんAV以外の世界でも出てきて、
性の文化は衰退していきます。

人と人が体で愛し合うことに価値を見いださなくなっていく世の中で、女性が「産めよ増やせよ」と言われる。
そんな残酷な悲しい未来を子供たちに残したくありません。
(*3)
*3.同上
 
 
近親姦から性風俗へ行った女性患者を
「被害者」として「救出」し、
シングルマザーという一人の社会的弱者に仕立てることによって
自らの救出劇を完成させようとしておられるように見受けられる、
ある精神科医とは一つの対比をなしている。
 
 
渋谷区で開かれた、そのトークイベントでは、
 
S級熟女 人妻調教コレクション
月刊熟女
 
などで知られるらしい元AV女優で
現作家の川奈まり子さんも出席し、こう語った。
 
「AVは売買春の一形態」とうたう人権団体が
出演者を「救済する」と言っている。
おとしめながら救済などできるのか
(*4)
*4. *1に同じ
 
これは、まことに鋭い問題提起だと言わなくてはならない。
 
私は本ブログ「必殺☆周囲がため(*5)において
私たちの患者村とAV業界の類似構造について語ったが、
主体と客体の問題を考えるのに、
AV業界というものは非常にわかりやすい図式を持っている。
 
 
AVという言葉ではないが、
痴陶人さんも過去に児童虐待とSM業界の類似構造について
言及されていたことがあった(*6)
 
 
したがって、AVやSMといった図式を背景として、
川奈まり子さんのような発言がなされると、
私たちは連想をふくらませて、
この世界のいろいろな事象に同じ構造を見出していくのである。
 
いうなれば、私たちの日常にひそむオリエンタリズムである。
 
オリエンタリズムは、一般には
近代において西洋が東洋を見る目のように理解されているが、
じつはこれは「主体と客体」の問題であり、
べつに西洋と東洋などと地球規模に視野を広げなくても
私たちの日常生活にいくらでも見られるものである。
 
 
すなわち、川奈まり子さんの上記の指摘は、
 
「治療者が患者をおとしめながら救済する」
 
「豊かな先進国のNGOなどが
貧しい国の未開な人々をおとしめながら救済する」
 
「親が子をおとしめながらメシを喰わせ上級教育を受けさせ育ててやる」
 
といった構図をも、
あばきだす位置をかすっているのだ。
 
じつは「救済したいからおとしめている」のではないか、と。
 
人はみな、どこかで自分の人生に価値があると思いたいから、
価値あることをやりたいと願う。
 
ところが、普遍的に価値あることなど、
どこにあるのかわからない。
 
その結果、「やらなくてもいいこと」を、
「やらなくてはならないこと」に錬金して生きている。
 
「やらなくてはならないこと」というのが
もしほんとうにあるとしたら、
それは普遍的に疑いようのない価値があると
期待できるからである。
 
そして、「救済する」とは、
たいてい「やらなくてはならないこと」の上位に来る。
 
救済は大義名分にひびき、
人を説得しやすいからである。
 
しかし、その「救済する」という行為を実行するには
相手が救済される必要がある立場にいなければならない。
 
そこで、救済される必要がある立場へ移動させるために
対象をdegrade(格を下げる、おとしめる)するのである。
 
自分が救済者となりたいから、
救済という行為を捻出するために相手をおとしめるのである。
 
自己の存在価値を獲得するために、
相手をおとしめるのである。
 
数々のチャリティ活動がそうである。
多くの被災地支援もそうであった。
 
……。
……。
 
じつは、私はAV産業にとってまったく良き消費者ではない。
 
いままでの人生で一本も購入したことがないのである。
 
それでも最近とみに盛んになってきた
AV産業内部から発信は、
表現の自由と人権問題、性と文化、主体と客体など
人間世界の森羅万象を考えるのに、
多くの有用な思考軸を与えてくれているように思うものである。
 
 
 
  •         

    顔アイコン

    「自己の存在価値を獲得するために、相手をおとしめる」
    この言葉は私の胸をグサッと刺しました。
    昨日私は「空爆池で水泳をするシリアの子供たち」の写真に魅かれてブログを更新しましたが、状況を説明しながら書いていくうちに、“こんなところで泳ぐしか出来ない戦場下の悲惨な子供たちの暮らし”を強調してついついかれらを貶めていたことに気づきました。
    私が最初にこの写真に惹かれたのはそんな後付けの上から目線ではなく、こんなミサイル爆撃跡地に出来た池でも天真爛漫に水浴に興じている子供たちを素晴らしいと感嘆,出来れば私自身も彼らと一緒に泳ぎたかったと思ったからでした。
    それなのにブログ更新となるとうえから目線、もとより救済など出来るはずもするつもりも無い唐変木ゆえ・・<あの元気に遊んでいた子供たちはどうなっただろう・・運よく逃げられたらイイがなあ・・・でも逃げ場はあったのだろうか?>などと逃げまくるばかりでありました。やあ・お恥ずかしい。
    参考にトラバを献上。 削除

    迷えるオッサン

     

    2016/9/25(日) 午後 6:49

     返信する
  •         

    迷えるオッサンさま コメントならびにトラックバックをありがとうございます。

    しかし、それは考えすぎというものでございましょう。

    少なくとも私は本記事を書いたときに、オッサンさまのことを微塵も頭にありませんでしたし、今でも結びつきません。

    シリアの子どもたちはかわいそう。だけど、私たちは何もできない。しかし、存在を知ってあげることはできる。……そのように思います。

    そこで「何かができる」と安易に考えると「救済するためにおとしめる」輩となるでしょう。

    オッサンさまのシリアの子どもたちが泳ぐ記事は、平和ボケしている人々にはおおいに価値があることでしょう。

    「被災者を救う」などと被災地支援へ行っていた輩のほうがよほど「恥ずかしい」はずです。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/9/25(日) 午後 7:01

     返信する
  •         

    > J.I.

    「 AV業界の問題 」は、「 AV業界 」がある限り、なくならないのではないか?

    女性を、男性の「 消費物 」として扱うのが「 性産業 」なのだから。 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2016/9/27(火) 午前 1:22

     返信する
  •         

    > J.I.

    「 性の( 産業 )文化 」において、女性が主体になるということは、女性が買い手になることではないか?

    しかし、買おうとする女性が少ないから、それは、産業として成り立たないのではないか? 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2016/9/27(火) 午前 1:34

     返信する
  •         

    > J.I.

    塞翁先生が、

    「 挿入 • 射精原理主義者 」

    だとしたら、

    「 縛っていい? 」

    と訊かれたぐらいでは、性虐待の被害者だとは、お認めにはならないだろうな。 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2016/9/27(火) 午前 1:43

     返信する
  •         

    > J.I.

    被害者に主体性があれば、虐待は虐待ではなくなるのだろうか?

    だったら、君も、主体的に、お母さんの言いなりになっていればよかったんじゃないのか? 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2016/9/27(火) 午前 2:23

     返信する
  •         

    > J.I.

    他人を助けようと思うことは、その相手を貶めることなのだろうか?

    だとしたら、その軽侮は必要悪ではないか? 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2016/9/27(火) 午前 2:34

     返信する
  •         

    > J.I.

    その衰退を防ぐべき性文化とは、何だろうか?

    「 人と人とが身体で愛し合うことに価値を見出 」すためには、性産業が必要なのだろうか? 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2016/9/27(火) 午前 9:49

     返信する
  •         

    流全次郎さま

    >女性を、男性の「 消費物 」として扱うのが「 性産業 」なのだから。

    そういう認識しか持てない男性に異議を唱えるために、女性たちが立ち上がったのだと思います。


    >「 性の( 産業 )文化 」において、女性が主体になるということは、女性が買い手になることではないか?
    しかし、買おうとする女性が少ないから、それは、産業として成り立たないのではないか?

    ナンセンス。


    >塞翁先生が、
    「 挿入 • 射精原理主義者 」
    だとしたら、
    「 縛っていい? 」
    と訊かれたぐらいでは、性虐待の被害者だとは、お認めにはならないだろうな。

    塞翁先生がコイタス・セントリズムであることは、コイタスのない性被害を認めないということではありません。



    >他人を助けようと思うことは、その相手を貶めることなのだろうか?
    だとしたら、その軽侮は必要悪ではないか?

    「立ち上がるAV女優たち」の後半をよくお読みください。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/9/27(火) 午前 10:42

     返信する
  •         

    流全次郎さま

    >被害者に主体性があれば、虐待は虐待ではなくなるのだろうか?

    なくなるでしょう。


    >だったら、君も、主体的に、お母さんの言いなりになっていればよかったんじゃないのか?

    なぜこの質問につながるのでしょうか。

    私が主体を剥奪されていなかったら、母の言いなりになっていません。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/9/27(火) 午前 10:43

     返信する
  •         

    > J.I.

    「 性産業に従事している女性たちが、そういう仕事をするようになった原因は、彼女たち自身にある。
    彼女たちは、自己責任で、そういう仕事をしているのだから、彼女たちを救う必要はない。
    自業自得だ 」

    そういう風に考えてしまうと、彼女たちを救うことはできない。

    その意味では、確かに、

    「 AV業界の問題の背景には、『 そういう仕事をしている女性たちが悪い 』という、AV女優たちに対する差別がある 」

    し、

    「 相手を貶( おとし )めながら救済することなど、できない 」

    だろう。 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2016/9/27(火) 午前 10:47

     返信する
  •         

    > J.I.

    「 君も、主体的に、お母さんの言いなりになっていればよかったんじゃないのか? 」

    「 なぜ、この質問に繋がるのでしょうか?

    私は、主体を剥奪されていなかったら、母の言いなりになっていません 」

    主体を剥奪されずに母親の言いなりになることもできたのではないか?

    俺は、父親に、よく、こう言われていた。

    「 自分の意志で、俺に従え 」 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2016/9/27(火) 午後 0:24

     返信する
  •         

    2016/9/27(火) 午後 2:10内緒さま コメントをどうもありがとうございます。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/9/27(火) 午後 2:17

     返信する
  •         

    ゚・☆Marie☆。.♪さま コメントをどうもありがとうございます。

    世代連鎖させる方、させない方、いろいろいらっしゃるようですね。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/9/27(火) 午後 2:20

     返信する
  •         

    > J.I.

    神田つばきさんは、主体的に、不特定多数の男達の性虐待の対象になっているのではないか? 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2016/9/27(火) 午後 2:54

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