VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

治療者と患者(87+)疾患の連続性

治療者と患者(87) 」からのつづき・・・

長男の放逐(151)抑うつと強迫の関係」からもつづく・・・
by 痴陶人 × J.I.
 
痴陶人
何故そのような現象が起こるのかの一つの推理に、心の病の様々な症状が、症候群的に存在しているのではないかというものがあります。

例えばもぐらの穴のように、それぞれの症状は中で一つに繋がっているということです。

穴から顔を出したもぐらを叩いたり、穴を塞いでも、もぐらは繋がった穴道を通って、別の穴から顔を出す。

ぼそっとさんの強迫が治り、鬱が主病として残るというのも、強迫の穴が塞がったから、鬱の穴からもぐらが頻繁に顔を出しているからかもしれません。

例えば免疫不全を巻き起こす、白血病は、口内炎や内出血、血が止まらないなど様々な症状を起こすわけです。

それを別個に口内炎という症状だけを見て投薬しても、根本の病は直らない。むしろ、投薬治療は、薬物依存を引き起こし二次的な薬害にもなる。ここが、リッチーさんの危ぶまれているところでしょう。

白血病は、白血病を治さねば、その症候群も治らない。当たり前のことで、実は精神医療も既に一旦ここに至っています。

人間は、欲望を抑圧すると、欲望の捌け口を求めて、無意識にその代替行為を巻き起こす、フロイトは人間の精神機構(システム)を解き明かした訳です。もぐら穴を塞ぐのではなく、内部の巣を埋めないことには、心の病は治らないことを既に発見している訳です。

精神医療界も、そんなことは充分承知している。けれど、それを治すのは、手間隙、時間がかかる。

もぐらが外に出てくるのは、巣穴に問題があり、巣穴を何とかしなければならない。

つまり、もぐらの親子関係であったり、もぐらが過去に置かれた家庭環境、社会環境、時代環境を改善しなければ、主病は治らないということです。このブログでよく語られる生育歴ですね。

しかし、それをするのは、患者の人生に関わるということです。関わったところで治る保証はない。

これでは商売にならない。精神科医は、関わる以前のところでお茶を濁すしかない。

ところが、その領域に足を踏み入れた精神科医がいた。その一人が塞翁先生だったと私は、思うわけです。

患者の人生を引き受ける、そういう治療法が家族療法であり、ぼそっとさんの話を聞いていると、その覚悟を引っ込めた感もありますが、近親姦や性犯罪者に限っては、まだ続けておられるようでもあります。

もう一つ、病名が医師によって変わる理由は、その扱っているものが、精神、心だということですね。

スタッフ細胞を証明しないでも済む科学世界、相手にしているのが癌細胞ではなく、神や鬼といった存在しないかもしれない存在だからです。

精神医療が、宗教になるのは、ある意味の必然でもあるわけです。フロイトからユングに移行した時点で、既に精神医療は、神秘主義の要素を加えています。

存在しない世界だから何でもいえるわけです。フロイトの偉大なところは、存在しない世界ではあるが、普遍的な一定の機構を措定したということでしょう。少なくとも、その場かぎりではなく、いっていることに一貫性がある。

フロイトは古い、そんな傾向があるようですが、私は、今こそフロイトに回帰すべきだと思っています。
 
J.I.:
 
痴陶人さんのおっしゃっていることは、
ひとことで言えば力動論ということですね。

今日、ガンでさえストレス起源だといわれるようになり、
「精神腫瘍学」という分野も語られるようになってきました。

そのような中で、
すべての疾患は「もぐら穴」でつながっているという理論は
以前よりもはるかに一般に理解されやすいでしょう。
もちろん、私も基本的にそのように考えています。

病名とは何か」では、
「風邪」を「水虫」と診断するという、
極端な例を記事に出しましたが、
これさえも、もともと生活の管理がいいかげんにならざるをえないほど抑圧をかかえこんでいる人間が、
風邪が治った勢いで不摂生をきわめ不潔な生活をしていれば水虫にもなろうということで、
風邪と水虫ですら「もぐら穴」でつながったスペクトラム(連続体)と考えることはできるのです。

私が幼時に苦しんだ喘息も、皮膚炎も、
今ではすべて母からの虐待による精神疾患の同形異像の表出だと考えています。

それは、屁理屈でそう考えているのではなく、
自分なりに完全に納得のいくものとして、そう考えています。

そういう思考法をとる私ですから、
痴陶人さんのおっしゃっている意味は重々わかるつもりです。

しかし、そのうえで私は、
強迫と鬱はべつの病気だと申し上げているわけです。

視点を置くレイヤーの問題かもしれません。

私は1998年ごろにセルフ精神分析で強迫が取れてからは、
しばらく鬱もなく、調子がよかったのです。

近年は
「治療者に被虐待体験を理解されない」
「治療共同体に虐待される」
という予想外の状況に追い込まれ、
ふたたび鬱にかたむいていますが、それでも 
23歳、25歳のときにやった鬱に比べるとまだ軽いと思っています。

つまり、強迫があるときに患った鬱よりも、
強迫のない今の鬱の方が軽いのです。

これだけでも、
鬱が強迫の単純な代替物でないことがわかります。

もっと深いことは、
10月1日「抑うつと強迫の関係
の映像に挿入した図のとおりです。

また、強迫がとれる段階で、
自分の力動的な構造はあらかたわかってしまうので、
もぐら穴がどのように自分という地中でつながっているかもわかってくるのです。

フロイトは古い、そんな傾向があるようですが、私は、今こそフロイトに回帰すべきだと思っています。

おっしゃるとおりです。
 
私がよく引用するフランスの精神科医ジャック・ラカンは、
まさしくそう言いつづけました。

彼の合言葉は「フロイトに帰れ」でした。 
 
ということは、鬱はもぐらの巣穴の問題(お母様との関係)と無関係ではないにせよ、あまり関係なく起こる別のもぐら穴として存在しているということでしょうか?体質的、気質的な何かだと?

そういえば、ホルモンのバランスを崩した更年期障害の人にも鬱は起こるとよく聞きますし、私に起こった鬱紛いも、そういった要素がなくはないとも思えます。


[ 痴陶人 ] 2016/10/9(日) 午前 8:22
 
そこまで位相(レイヤー)を深めて考えれば、
たしかに私の強迫も鬱も、母親との関係から来ています。

しかし、たとえば幼少期の喘息や皮膚炎も、
母親との関係から来ています。
 
そして、喘息が寛解すると皮膚炎に移行する、
というような相関関係はありませんでした。
 
この位相では、喘息と皮膚炎は別の疾患だといえるでしょう。
 
同じような位相から見れば、
強迫と鬱は別の疾患だということです。

鬱は多くの場合、
複合的な要因から発症するでしょうから、
更年期障害という観点も排除してはならないでしょう。
 
罹ったかどうかもよくわからない、強迫や鬱に関して、言うのもなんですが、強迫は生きるために起こる障害、不安や緊張といった何か、鬱は、途方感、絶望感といった、タナトスの領域に思えるのですが、違いますか?

[ 痴陶人 ] 2016/10/9(日) 午前 11:10
強迫も鬱も、
自分が自分でありつづけるための防衛
から来ているといってよいでしょう。
 
その意味では、
両方とも「生きるために起こる障害」なのです。
 
しかし、何が生きるためか、
というところで、
いろいろ分かれてくるのだとお思います。

タナトスはエロスの連続体ですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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