VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

被災地の内と外(19)津波注意報解除

被災地の内と外(18)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

 

今朝の福島県沖を震源とする大きな地震による
津波の警報や注意報が
つぎつぎと現地では解除されつつある。
 
5年前の東日本大震災のときの津波が、
私が支援活動していた十浜地区では
最大29mの高さに達した。
 
「それに比べて今回はたかだか1mか」
 
などと、都会の人は軽く見がちであるが、
じっさい1mの水位が
自分たちの日常生活の場を覆うことを考えてみていただきたい。
 
すでに水没である。
 
たとえ30cmの潮位でも、
人は立っていられない。
 
5年前の津波におそわれた地区の人々のなかには、
いま現在、フラッシュバックなどに
見舞われている方も多い。
 
あの悪夢が一気によみがえってきているのだという。
 
しかし、一方では、
5年前の写真や動画をもちいて、
いかにも、あのような惨劇が現在進行形で
東北で起こっているかのように
ネット上で演出している輩もみられる。
 
そういう輩は結局、自分に注目してほしいだけだろう。
 
また、今日のようなことがあると、
たちまち現地の知り合いに
電話をかけまくる元・支援者がいるらしい。
 
そういう元・支援者にかぎって、
肝心なときには腰を据えた支援などしていない。
 
現地の人たちの生活を熟知していないから、
人が避難で忙しい時に電話をかけて、
「大丈夫ですか?」
などと訊くのである。
 
そういうときに電話することで、ちゃっかりと、
「なんちゃって支援者」から「ほんものの支援者」に
成り上がろうとしているのである。
 
危険というものを、実物大で評価する。
危険を危険と評価する。
 
それが、安全な街づくりといえるだろう。
 
危険を危険と認識しないことが
もっとも危険である。
 
そういう意味で、塞翁療法で患者に持つようにすすめている
 
「根拠のない自信」
 
というものが、もっとも危険だと私は思う。
 
 
 ・・・「被災地の内と外(20)」へつづく
 
 
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    顔アイコン

    私は、
    根拠のない自罰に縛られている人が、
    根拠のない自信を持って、自罰から解放されるのは、
    いいこと、効果のあることだと思います。 削除

    ラディッシュ ]

     

    2016/11/23(水) 午前 5:38

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    ラディッシュさま 2件のコメントをどうもありがとうございます。

    もし「根拠のない自罰」に縛られているのなら、その自罰の「根拠のなさ」を本人にわからせてあげればよいだけです。私が当事者だったら、そうしてほしいです。

    「根拠のない自信」をもって「根拠のない自罰」から解放されるのでは、化粧の上にさらに厚化粧を重ねるようなもので、いつかはボロが出るでしょうし、ほんとうの治癒にはなりません。


    >何も事実を知らないのでもなく、
    事実のもみ消しに回っているのでもない

    ならば、厳然とある事実を否認するのはなぜでしょうね。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/11/23(水) 午前 10:34

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    ゚・☆Marie☆。.♪さま コメントをどうもありがとうございます。

    おっしゃるとおりです。
    「根拠のない自罰」の「根拠のなさ」がわかるようになれば、持ち合わせる自信も根拠のある自信となってくるのです。

    「根拠のある自信」は、「根拠のない自信」とちがって、ちょっとやそっとでは崩れないという利点があります。

    ログインするかしないか、というのは、あまり関係ないようですね。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/11/23(水) 午後 1:43

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    顔アイコン

    根拠の無い自信。
    若者や未熟者は皆それを持ちたがる。
    畢竟、それは見栄であり、一文の得にも成らぬ。
    根拠の無い自信など蓄える暇が有れば、真の実力を鍛えるべし。 削除

    [ 無念流 ]

     

    2016/11/23(水) 午後 2:21

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    無念流さま コメントをどうもありがとうございます。

    おおかた、おっしゃるとおりとは存じますが、一点だけ引っかかるのが「鍛える」という動詞です。

    昭和育ちの私にとりましては、これが体育会のシゴキなどを連想させ、ともすれば虐待につながりかねない言葉だと感じました。

    なにやら話題がそれてきたようですが、私が本記事で申し上げたかったのは、

    「危険を危険として認識しなければ、
    真の『安全な街づくり』などできない」

    ということでした。

    昨日の福島県地震で、東日本大震災の被災地はある意味で復興の真価が問われていました。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/11/23(水) 午後 3:03

     返信する
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    ラディッシュさま 2件のコメントをどうもありがとうございます。

    >根拠のない自信とは、根拠のない自罰から解放される程度のことだと、思っています。

    じつは、私にはそうとも思えないのです。その根拠となる話をいくつか、いずれそのうち語りたいと思っております。

    自尊心であれば健全です。ただし自尊心はあくまでも「根拠のある自信」だと思います。まあ、言葉のあやといわれれば、すべては溶かされていきますが。

    >現場を医療機関だから、そんなことありえない聖域と思わないで

    そうですね。医療現場は山寺や修道院ではありませんものね。削除

    チームぼそっと

     

    2016/11/24(木) 午前 10:38

     返信する
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    > J.I.

    俺も、「 根拠のない自信 」とは、自尊心のことかと思っていたが?

    自尊心の根拠って、何だ? 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2016/11/25(金) 午前 11:53

     返信する
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    > J.I.

    NNNドキュメント「 5万人に1人の私 」を視ると、「 自尊心の根拠 」について、少し解るような気がする。 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2016/11/25(金) 午後 0:12

     返信する
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    根拠のない自信。私の40代までの人生はこれに支えられていました。そして、ある意味それがある内は、幸せでした。

    ところが、この根拠≒過信、自惚れ、勘違い、現実を思い知ってから、人生は一転して、暗澹たるものとなりました。

    根拠のない自信を治療の根幹に置くことは、薬物治療的効果はあるかもしれません。麻酔、麻痺の効果はあるでしょう。

    しかし、これが切れたとき、その虚無感は恐ろしいと思います。患者に禁断症状に似たパニックを起こさせることにもなるかと思います。

    10代、20代、30代、まだやり直しのきく内は、それも一つの治療法となるかもしれませんが、40代以降の患者さんに、その処方は、薬物が切れたときのことを考えると私は、ゾッとします。

    50代という、人生の第三コーナーを回った時点で、禁断症状を起こした私の体験からは、お奨めできる治療法ではないですね。

    塞翁先生との一七年、これまたぼそっとさんにとっては、麻酔、麻薬だったかもしれません。

    その悔しさは、第三コーナーを回った同い年の私にはわかるような気がします。 削除

    痴陶人 ]

     

    2016/11/25(金) 午後 8:09

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    痴陶人さま コメントをどうもありがとうございます。

    安全神話を過信しない防災都市」から、ちょっとした連想で塞翁先生が患者たち、…とくにリカモリ生たちに植えつけている「根拠のない自信」に言及したところ、予想以上に話題が広がりました。

    これについて私も思う所は多くあるので、そのうち述べていきたいと思っております。 削除

    チームぼそっと

     

    2016/11/25(金) 午後 10:22

     
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