VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

性虐待と主体(25)娘からの嘆願書

性虐待と主体(24)」からのつづき・・・
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
 
by ぼそっと池井多
 
 
私たちの患者村の外、一般市民の皆さまは、
このニュースを聞いて奇異に思っておられるだろうか。
 

<父から性的虐待

娘が減軽求め嘆願書 大阪地裁認めず
 
毎日新聞 12/1(木) 10:55配信(*1)
 
 
 18歳未満の娘に長年にわたり性的虐待をしたとして、児童福祉法違反罪に問われた実父の男の判決公判で、娘が記したとして弁護側から提出された刑の減軽嘆願書を、大阪地裁が情状証拠として認めなかったことが分かった。嘆願書で娘は「被害感情はなく寛大な処分を求める」としていたが、荒金慎哉裁判官は「提出されること自体が不自然」と判断し、懲役4年(求刑懲役6年)を言い渡した。【宮嶋梓帆、村田拓也】
改行、色字は引用者による。
以下の引用でも同じ。
 
「えっ? えっ? どういうこと?」
 
と頭が混乱している人のために、
このように整理させていただく。
 
これは、私たち精神科患者村の業界用語でいうところの
近親姦
の案件である。
 
継父ではなく、
実父から実娘への近親姦である。
 
記事はつづく。
改行や太字は引用者による。
 
40代の男は2008年、
離婚していた妻と当時小学生だった娘と同居を再開。
 
直後から性的虐待が始まった。
 
娘は中絶手術も受けている。
 
男は、
 
しつけから始まった愛情表現で、
性的欲求を満たすつもりはなかった」
 
と釈明していた。
 
しかし、判決は
「身勝手で不合理な弁解だ。反省の態度はうかがえない」
と退けた。
 
いったん離婚していたのに、
なんらかの理由があって、
妻と同居することになったようである。
 
そのあとで、娘への近親姦が始まった。
 
もともと、娘と近くに居たくて、
離婚した妻とふたたび同居することにしたのではないか。
 
妻とは険悪で、妻は娘に嫉妬していたのではないか。
 
妻と娘が、女同士の対決になっている。
夫(父)という、一人の男を取り合っている。
 
そんな構図を想像するのである。
 
これは、多くの近親姦の案件で共通する構図である。
 
小学校だった娘は妊娠までした。
 
「しつけから始まった愛情表現で、
性的欲求を満たすつもりはなかった」
 
これを裁判長は
身勝手で不合理な弁解」
と言っているわけである。
 
ここで注意しなければならないことは、
「性」がかかわる虐待というと、
それだけ虐待の重度が大きい、
というイメージを、人は抱きがちである。
 
しかし、冷静に考えてみれば、
「性」がからむと、たしかにセンセーショナルだが、
べつに虐待が「重い」わけではない。
 
そういう根拠は見つからない。
 
そのうえで考えると、
性器の挿入をともなわない虐待も、
たいてい
「しつけから始まった愛情表現で…」
といった弁明が、
加害者である親からは、なされるものだと思う。
 
性器の挿入をともなわない虐待だが、
私の母などは、もしも法廷に引きずり出されたら、
まさにそう言うであろう。
 
それを「身勝手で不合理な弁解」と切り捨てる裁判長の弁は、
私からすれば小気味よく聞こえるが、
性器の挿入をともなわない、同じ構造の虐待にも、
同じように司法判断してほしいものである。
 
さて、次を読んでみよう。
 
弁護側は公判で「娘に被害感情はない」として、
執行猶予判決を求めていた。
 
母親と娘がそれぞれ署名した嘆願書2通を
情状証拠として提出。
 
文面はパソコンで作成されていた。
嘆願書は母親と娘が話し合って作成したとみられる。
 
ここがもっとも謎に満ちた部分である。
 
もし、この事件をとりあげる
ノンフィクション・ライターのような人があらわれたら、
この部分の取材に少なくとも一年は要するであろう。
 
いっぽうでは、私のような患者村の中の人間にとっては、
もっともわかりやすい部分でもある。
 
被害者である娘に被害感情がない、
というのは、ほとんど当たり前に近いことである。
 
虐待されている子どもは、
自分がされていることが虐待だと認識していない。
だから、被害をうけているという自覚がない。
 
それよりも、
親という存在への思慕が先立ってしまうのである。
 
加害者である親は、
この思慕を悪用して虐待をつづける。
 
それは、性器の挿入をともなわない虐待であった、
私の母もまったく同じであった。
 
だが、
「文面がパソコンで作成されていた」
というからには、
妻(母親)が積極的に動いたことが察せられる。
 
妻には、
娘と関係した夫への処罰感情はなかったのだろうか。
 
記事はつづく。
 
これに対し、荒金裁判官は
「健全な父子関係を構築できず、
性道徳を持てないまま現在に至っているのは明らか。
被害女児の健全な育成に与えた影響は甚大だ」
と指摘。
 
その上で、
「特段の措置が講じられたわけではないのに、
このような嘆願書が提出されること自体が不自然」
とし、嘆願書による情状酌量を認めなかった。
 
前半の裁判官の言葉は、
幼少期に近親姦をうけた女性が、
なぜ成人後、性風俗へ就職することが多いかを
端的に説明している。
 
私たちの患者村の用語で、
なぜ「近親相姦」といわず「近親姦」というか、
というと、理由はこうである。
 
塞翁先生は、性虐待をうける子どもは、
たとえ合意しているように見えても、
「そういうことはやってはだめ」
と教えるのは親や大人の責任であるとし、
「相」の字を取って、近親姦と呼ぶようにしている。
 
患者である私たちも、そう「教えられる」。
 
しかし、私はたんに「教えられた」から、
それに従っているのではない。
 
私なども、母親から虐待を受けても、
家出するなどして、
母親から虐待を受けない位置へ自分を移動・脱出させるなどの
具体的行動を起こさなかったかぎりは、
 
「虐待されることに合意していた」
 
などととらえかねない。
 
となれば、これはとんでもないことである。
 
「親に育てられるのがいやならば、
孤児院や養育施設というものがある」
などという社会的知識は、
たいてい子どもにはないものであるし、
たとえあったとしても、
子どもが自らそこへ逃げこむことは稀だ。
 
さらに、たとえ子どもが自ら逃げていっても、
虐待親に連れ戻されてしまうのが現実である。
 
したがって、
子どもは、その家庭の子どもであることによって、
虐待されることを拒否できない状況にいる。
 
それをもって合意とみなされたり、
「相」互的なものとみなされるのでは、
子どもはたまったものではない。
 
だから私も、
近親「相」姦ではなく
近親姦と呼ぶことに同意しているのである。
 
しかしながら、
娘がかなり成熟してから合意のうえでおこなう近親の性行為は、
やはり近親相姦といえるのではないか、と思う。
 
そのように、近親姦と近親相姦の境界線は、
非常にむずかしい。
 
合意の有り無しが問われる
セクハラの案件よりも、輪をかけてむずかしい。
 
私を治療共同体から追い出す最初のきっかけを作った
近親姦団体シワブの代表、江青さんですら、
 
「自分は父とは近親姦だったが、
 兄とは近親相姦だった」
 
という主旨のことを書いている。
 
近親姦という呼称を主張する急先鋒ですら、
近親相姦という概念の存在は認めているわけである。
 
さらに、塞翁先生自身、
フェミニストの論客たちに怒られるのがこわい」から、
近親相姦ではなく近親姦というようにした、
と、以前、告白していたことがある。
 
 
 
 
 
 
 
 
「このような嘆願書が提出されること自体が不自然」
 
という裁判長の弁は、つとに考えさせる。
 
だがそれは、司法というシステムを考えたときに
「不自然」であるのにすぎず、
人間というものを考えたときには、
まったく「不自然」ではない。
 
娘は、たとえ父が加害者だとしても、
父を怨み、憎み、攻撃する対象であるとは、
割り切れていないのである。
 
幼い娘の心の中には、
いまだ近親姦した父を思慕している心があり、
いくら「弁護士の先生」が、
 
「お父さんは敵だからね」
 
などと教えても、
葛藤と混乱のさなかにいるのだ。
 
近親姦被害者マリナさんの証言では、
父にされたことの快感をおぼえていて、
自分から父におねだりにいったこともあるという。
 
だからこそ、裁判長のいう
「健全な育成に与えた影響は甚大」
ということになるのだが、
それで被害者である娘が加害者である父を敵視するかというと、
それはまったく別問題であると考えなくてはならない。
 
離婚裁判でも何でも、
調停という段階をとおりすぎた案件に関しては、
いまだ「愛憎、相半ばす」といった相手方に対して
法廷で戦わなくてはならないのが裁判である。
 
もともと敵か味方かなどとはっきり分けられない人間関係を、
竹を縦に割ったように明確に分け、
原告席と被告席で対峙させるのが、
リーガル・マインド(法的思考)である。
 
反対に、葛藤を葛藤のままに認め、
敵も味方もない混沌の中へおとしこみ、
白か黒かはっきりさせないことを美徳と考えがちなのが、
心理畑の人間である。
 
私たち患者村では、
猫も杓子もみんな治療者になりたがっているから、
この心理畑の思考が幅を利かせている。
 
しかし、それ自体、不健全なことである。
 
リーガル・マインドと心理畑、
この、どちらにかたよっても、
人間はまともにやっていけないと思う。
 
記事はつづく。
捜査関係者によると、娘は
「違和感はあったが父親の怒りを買うのが怖くて
言い出せなかった」
と警察に供述。

母親は
「うすうす(虐待に)気付いていたが、聞かなかった」
と話している。
 
このくだり、むしろこの案件は
「典型的な」児童虐待だったといえるのではないだろうか。
 
あまりにも
「あるある」
「虐待とはそういうもの」
といいたくなる要素がみっちり詰まっている箇所である。
 
弁護人は嘆願書について、
「被告と被害児童の双方の不利益にならないと考え、
証拠を提出した。
作成の経緯は守秘義務があり答えられない」
と取材に話した。
 
ここが、いかにも意味深そうである。
 
なぜ、原告の弁護人が被告の減刑に加担するのか。
 
原告自身がそういう気持ちになるのはわかるが、
いやしくとも弁護人は法曹界の人間であり、
先に述べたリーガル・マインド(法的思考)を備えているはずだろう。…
…などと嚙みつきたくなるくだりである。
 
しかし、そんなことは、
この弁護人は百も承知なのだろう。
 
「作成の経緯は守秘義務があり答えられない」
と弁護人が語る、その経緯に、
この事件のすべてが隠されていると思う。
 
そして、それはどんな取材者が入っていっても、
容易に明らかにはならないだろう。
 
むしろこの弁護人は、
司法的に矛盾し、法的に不自然なことをしてまでも、
そうしてあげるほうが、
のちのち被害者の女の子にとってよいだろう、
と苦渋の判断をしてのことであった、と私は思いたい。
 
この女の子は、自分の被害が直視できていないぶんだけ、
これから先、回復を要する道のりは長いかもしれない。
 
同記事には、いちおう識者コメントとして、
このような解説がついている。
 
◇日本子ども虐待防止学会事務局長・山本恒雄さん

 家庭という閉ざされた空間で起きる性的虐待は、家族関係の崩壊を恐れた子どもに被害を隠そうとする心理が働く

 幼少期から虐待を受けた場合、子どもは被害感情を持てないことが多い。違和感に気づいた子どもを「悪い子だ」として、自分の共犯者に仕立てる親すらいる。すると、子どもは自分にも落ち度があると言い聞かせるようになる。虐待が発覚することで両親との関係が悪化しないよう、被害をさらに隠そうとする子どももいる。

 虐待を受けた子どもは、自尊感情や主体性を持てなくなる傾向がある。性的虐待の場合は特に、被害を認識できるのが何年も後になることが多い。大人になってから当時の記憶が突然よみがえり、深刻なトラウマ症状やうつ、不眠といった心身の不調に見舞われたり、自殺に至るケースもある。

 周囲が被害に気づいたら、児童相談所や警察に相談するなど、早期に手をさしのべることが重要だ。専門的な支援を受けながら、自分の身に起きたことを理解して気持ちを整理していくことが、回復と再被害の防止につながる。
 
「虐待を受けた子どもは、
 自尊感情や主体性を持てなくなる」
 
それを「持てる」ようにするのが、
トラウマ・サバイバーたちへの精神医療であるはずだ。
 
ふたたび主体性を取り上げ、デクノボウと化し、
自尊感情をこなごなにするようなのは、
精神医療として失格なのである。
 
 
 
 
  •        

    はじめまして。

    偶然にも貴方の記事
    を拝見いたしました。

    イギリスではサッカー
    チーム内部の

    性的虐待が問題視
    されています。

    今まで明るみに
    出なかった

    家庭内虐待は非常に
    多いのでしょう。 削除

    39819 ]

    2016/12/3(土) 午前 10:40

    返信する
  •        

    39819さま はじめまして。ご訪問ありがとうございます。

    そうですか、イギリスのサッカー界ではそんなに性的虐待が問題になっているのですね。アメリカのバスケットボール界でも同じようなことを聞きました。

    お察しのように、明るみに出ていない家庭内での虐待は非常に多いです。

    日本において性的虐待のとらえ方がまちがっている点は、「被害をうけるのは女性だけ」という先入観があり、また「性器の侵襲があるかないか」だけがクローズアップされているところです。

    その点、イギリスでは、サッカー界が問題とされているくらいですから、男性の、もっと広範で偏りのない性虐待の概念が持たれているのでしょう。

    それだけ日本は遅れているのかもしれません。 削除

    チームぼそっと

    2016/12/3(土) 午前 11:09

    返信する
  •        

    顔アイコン

    私も此の事件にぼそっとさんの御推察通りだと思います。これから度の様に精神医療を行ってゆくか注目してゆきたいですね。 削除

    goodじいさん ]

    2016/12/3(土) 午後 1:08

    返信する
  •        

    goodじいさんさま コメントをどうもありがとうございます。

    いま日本の精神医療は曲がり角に来ていますね。
    どのような精神医療になっていくかについては、私たち患者にも責任が一翼があると思っております。 削除

    チームぼそっと

    2016/12/3(土) 午後 2:08

    返信する
  •        

    近親姦は、塞翁先生の造語だったのですね。いやあ、「情緒的近親姦」や「父親と寝た息子」「時を味方につける」「根拠のない自信」など、先生のキャッチコピーの才には驚かされます。

    それはともかく、天童荒太の「永遠の仔」でも描かれていましたが、私は近親相姦における母親の存在に興味があります。

    例えば、三島由紀夫の狂気の源泉が、祖母夏子によるものだという文学界の定説を私は母倭文重のものだと考えるわけです。

    人は主犯と共犯という見方をしますが、私は、犯罪に於いて共犯者は、充分主犯だと思うわけです。

    ぼそっとプロジェクトの動画インタヴューの出演者の方々において、面白い傾向を私は見ています。

    虐待の加害者は、皆さんはっきりと自覚されてます。

    例えばぼそっとさんは、お母様、ナガレはお父様、ニャロさんもお父様。そして、この三人は、加害者の配偶者を、ご自分同様の被害者とみなされています。

    ところが、リュウさん、タダさん、アヤさん、映像出演者ではありませんが、missさんなどは、トラウマの発症は皆初めは、お父様であるにも関わらず、寧ろ恨んでいるのは、母親ということですね 削除

    痴陶人 ]

    2016/12/3(土) 午後 2:13

    返信する
  •        

    ところが、リュウさん、タダさん、アヤさん、映像出演者ではありませんが、missさんなどは、トラウマの発症は皆初めは、お父様であるにも関わらず、寧ろ恨んでいるのは、母親ということですね。

    主犯共犯という見方をしているから、病気が治らない部分はないでしょうか。

    子供の教育は、父母同等に与えられた義務です。虐待を傍観している共犯者こそが被害者本人にトラウマを生ませるということも大いにあるのです。

    救ってくれなかった大人ということですね。

    共犯者を自分同様被害者と思うことなく、加害者と考えることに、快癒のヒントがあるような気がします。 削除

    痴陶人 ]

    2016/12/3(土) 午後 2:15

    返信する
  •        

    > J.I.

    4年後、この父親と娘とは、また、寝るようになるのだろうか?

    娘がそれを望むなら、他人は、介入するべきではないのだろうか?

    終戦後の、昭和天皇裕仁と日本の庶民との関係を、思い起こさせる。 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

    2016/12/3(土) 午後 6:16

    返信する
  •        

    > J.I.

    離婚の原因も、娘に対する近親姦だったのかもしれないな。 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

    2016/12/3(土) 午後 6:27

    返信する
  •        

    > J.I.

    女性が、かなり成熟してから、近親者と、合意の上で性行為をする場合、その女性は、幼い頃から、将来、そういうことをするように、教育されてきたのではないか? 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

    2016/12/3(土) 午後 6:37

    返信する
  •        

    > J.I.

    この弁護士は、被告人である父親の弁護士だろう。

    娘は、完全に、父親の側 • 弁護側に立って、父親の刑を軽くしようとしているのだ。

    その弁護士は、自分の依頼人の刑が軽くなりさえすれば、それでいいのさ。

    「 被告と被害児童の双方の不利益にならないと考え、証拠を提出した 」

    などと言いつつ、娘の将来のことなど、まったく考えていない。

    「 作成の経緯は、守秘義務があり、答えられない 」

    自分から娘に、「 裁判所に嘆願書を提出してください」と持ち掛けた「 経緯 」があるから、「 答えられない 」んじゃないのか?

    もっとも、娘から、「 父の刑を、できるだけ軽くしてください 」と頼まれたのだろうが。 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

    2016/12/3(土) 午後 7:22

    返信する
  •        

    痴陶人さま コメントをどうもありがとうございます。

    私が評価している、1990年代の塞翁先生の考え方によると、家族というのは一つの力学上の「システム」である、といいます。

    私は、有機物の分子構造のようなつながりを持つ立体をイメージします。どこか一点だけに負荷がかかると、その人は「家族のゴミ箱」になります。

    二者を軸として考えると、どうしても加害者/被害者という区分けから始まりますが、家族ぜんたいで見ると「主犯」「共犯」という概念が融解していって、最終的に「システムとしての家族」という見方にたどりつくのだと思います。 削除

    チームぼそっと

    2016/12/4(日) 午前 1:41

    返信する
  •        

    流全次郎さま コメントをどうもありがとうございます。

    かりに父親の弁護人が法廷戦術として書かせたものであったとしても、やはり母娘の側にも感情的な動機がなかったとは思えない案件ではないでしょうか。

    ただ、被害者の娘さんは、
    「またお父さんと性的関係を持ちたい」
    ということを言ったのではなく、たんに
    「お父さんの刑を軽くしてください」
    という嘆願書を書いただけ、という点は押さえておくべきでしょう。

    まだ地裁判決ですから、今後の動向が見守られます。


    > 幼い頃から、将来、そういうことをするように、教育されてきたのではないか?

    「教育」と「育成」と「洗脳」は、いつでも紙一重だと思います。
    塞翁療法、リカモリ講座を見ればわかるように。 削除

    チームぼそっと

    2016/12/4(日) 午前 1:53

    返信する
  •        

    ラディッシュさま コメントをどうもありがとうございます。

    近親姦や性虐待の被害者は、自らの成長のために、加害者の減刑嘆願書を提出するべきだということですかね。

    もしも、そうであるなら、時の権力者であるマリナさんや、近親姦の女王である江青さんあたりに、そうおっしゃってみてはいかがでしょう。

    おそらく私と同じように患者村から追放され、ザスト通信にも投稿できない言論統制を敷かれることでしょう。 削除

    チームぼそっと

    2016/12/4(日) 午前 1:55

    返信する
  •        

    顔アイコン

    私は、記事の内容に対して、コメントしたのではなく、最後の精神医療~の一文と、それに関するコメントについて、コメントさせて頂いたつもりでした。
    おこったまま時が止まっているように見えたのは、いけいださんのことです。成長していくと、最終的に相手(加害者)に左右(影響)されなくなると思います。せんせいがよく言っているように、「親のことなんか頭に思い浮かばなくなる、考えもしなくなる」みたいな感じでしょうか。
    近親姦の訴訟については、大変なんだろうなくらいの感想は持ちましたが、それ以上考えていませんでした。
    ネットや雑誌に載っている記事から自分のことを考えることも大切だとは思いますが、私の場合は、リアルな人間関係もしっかり自分を成長させてくれました。ネット上の人間関係は、半リアルくらいでしょうか・・・

    私が、いけいださんに肝心なこを伝えようとすると、どうもいけいださんが誤解される(異なる理解をされる)ようなんですが・・・読まれている皆さんは、どう思われますか? 削除

    ラディッシュ ]

    2016/12/4(日) 午前 5:21

    返信する
  •        

    顔アイコン

    修正入れます。
    私が肝心なことを伝えようとすると、私の説明下手か、言葉不足か、いけいださんが誤解(異なる理解)をされるようなのですが、読まれている皆さんどう思われますか? 削除

    ラディッシュ ]

    2016/12/4(日) 午前 5:24

    返信する
  •        

    顔アイコン

    ラディッシュさんの言葉☆そんっな意味の言葉では無い。 削除

    ゚・☆Marie☆。.♪ ]

    2016/12/4(日) 午前 10:01

    返信する
  •        

    ラディッシュさま コメントをどうもありがとうございます。

    その記事へのコメントという形でいただいたので、その記事へのコメントだと解釈したわけですが、それはちがっていたということですね。

    「怒ったまま時を止める」というのは、どだい不可能なことだと思います。時は、人の手を離れて流れていくものでしょう。塞翁先生の「時を味方につける」という加害者哲学は、そこから発しているのではないでしょうか。

    私は患者村で、原家族との関係を再現させられましたから、過去の感情がよみがえってくるのは当たり前だと思います。ラディッシュさんのおっしゃっていることは、私へではなく、塞翁先生へ言うべきことではないのでしょうか。「先生、ぼそっと池井多さんは先生の医療ミスですよ」と。

    しかし、私もこのようにぼそっとプロジェクトで「言葉にする」という自己治療をおこなっておりますから、治療機関による外傷体験の上塗りが、やがて治癒していく可能性もあります。そのときには、あなたのいう「止まった成長」が、また動き出すかもしれません。 削除

    チームぼそっと

    2016/12/4(日) 午前 11:50

    返信する
  •        

    ゚・☆Marie☆。.♪さま コメントをどうもありがとうございます。

    こちらの許可なく、勝手に過去のコメントを削除してしまうあなたには、議論に参加する資格はないと思います。議論というものは、記録に残してこそ、価値があるものです。

    あとで勝手に発言を削除してしまうのは、人より優位に立とうとして口先で「治ったAC」などと自称しながら、中身はまったく「治ってないAC」で、大人としての責任という概念がわかっていないからに他なりません。

    あなたの過干渉は、おそらく息子さんにもされているのでしょうが、相手を助けてあげるように見せかけて、じつは自分への救いと承認を相手から引き出そうとする姑息な取引なのです。それを感じ取る者は、あなたの過干渉には応じません。

    あとで勝手に削除するような発言は、はじめから投稿しないでください。「治ってないAC」のための本プロジェクトでは、ハウスルールとして責任ある言動を参加者皆さまにお願いしております。
    「責任ある未熟」。これが、治癒や成長に向けてのキー・コンセプトです。
    守れないコメンターは「荒らし」と認定します。 削除

    チームぼそっと

    2016/12/4(日) 午前 11:53

    返信する
  •        

    顔アイコン

    勝手にではありません。片っ端から削除したいなどと言ったのは貴方。受け入れたのが私。貴方には解りません。さようなら♪ 削除

    ゚・☆Marie☆。.♪ ]

    2016/12/4(日) 午後 0:31

    返信する
  •        

    ゚・☆Marie☆。.♪さま 私が言ったのは、「片っ端から削除してしまいたくなるが、そんなことをしたら社会は立ち行かなくなる。だから、しない」という内容でした。

    「削除してしまいたくなる」というのは私の感情で、あなたのものではありません。それがおわかりにならないあなたは、自他の境界が引けておられません。

    あなたのことは、あなたが語らなければ、しょせん誰にもわからないのです。
    「貴方には解りません。」
    などと言っているうちは、あなたがバカにする未熟、「治ってないAC」以外の何者でもありません。

    「さようなら」というのも、たしかこれが5回目です。
    そのように、その場かぎりで人の気を引いているうちに、イソップ物語オオカミ少年になってしまいますよ。
    他者への過干渉のエネルギーを、どうぞご自分へ向けてあげてください。 削除

    チームぼそっと

    2016/12/4(日) 午後 10:15

    返信する
  •        

    ラディッシュさま

    > 成長していくと、最終的に相手(加害者)に左右(影響)されなくなると思います。せんせいがよく言っているように、「親のことなんか頭に思い浮かばなくなる、考えもしなくなる」みたいな感じでしょうか。

    同じことを、近親姦江青さんやマリナさんに言えますか?


    >私が、いけいださんに肝心なこを伝えようとすると、どうもいけいださんが誤解される(異なる理解をされる)ようなんですが・・

    それは、私が述べようとしていることをはずしてラディッシュさんがコメントされているためでもあると思います。
    あなたにとっての「肝心なこと」と、私にとっての「肝心なこと」がちがうのです。 削除

    チームぼそっと

    2016/12/5(月) 午後 2:42

    返信する
  •        

    顔アイコン

    提出されること自体が不自然との裁判長の言葉。これがもし、提出されたまま受け入れられ、被害感情もない、つまり被害は大したことないし、父親もああ言っているのだから、と通ったらと、かんがえると。そのほうが、怖いです。 削除

    [ うさぎ ]

    2016/12/5(月) 午後 7:11

    返信する
  •        

    うさぎさま コメントをどうもありがとうございます。

    そのときに被害感情がなくても、あとで膨大な被害感情が出てくるとなると、それは大問題ですね。

    本人が完全に同意していて、あとあとにいたるまで被害感情がないとなると、また違ったケースとして考えなくてはならないほどの柔軟性が、私たちの側に求められるかもしれません。

    本ブログでは、以前も似たようなケースを考察させていただきました。もしご関心があれば、次もごらんください。

    2016年5月14日掲載「マヨルカ島の風 ~ 快感と主体」
    http://blogs.yahoo.co.jp/vosot_just/65303286.html 削除

    チームぼそっと

    2016/12/5(月) 午後 7:34

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    片っ端から削除してしまいたくなるなどと言われ、そのまま自分のコメントを置いておく気にならないから削除した。それは私の感情であり、削除は私の自発的な行動であり、君とは一線を画してる。君は削除こそしなかったものの、削除してしまいたくなった。そんな風に思われたら馬鹿にされていると思うのは私の方ではないか?ここら辺が解らない人間だから「貴方には解りません。」大体ラディッシュさんのコメント、どこをどう読んだら「近親姦や性虐待の~~云々~~提出するべきだ」などと解釈出来るのか・・彼女のコメントは「幼いころに主体性を~~云々~~成長も止まってしまう」と言うことだけ。そこには近親姦も性虐待も、ましてや減刑嘆願書のことなど全く触れられてない。肝心なことが違うと言いつつ、それを混同してすりかえるのは常に君。さようならが5回目?あれで3回ネw余計なお世話ではあったが誤解や、その正当化にばかり精を出し、本来の目的を忘れているかのような君に少しは期待したが無駄だった。ちなみに息子は私の様にひねくれてないヨw勝手な妄想は止めて貰いたいが妄想するのも君の自由☆良いお年を~🎶 削除

    ゚・☆Marie☆。.♪ ]

    2016/12/6(火) 午後 5:03

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    ゚・☆Marie☆。.♪さま コメントをどうもありがとうございます。

    「さようなら」などと言いつつ、やっぱりまた出てこられましたね。

    もともとあなたは、あちこちのカウンセラーブログを渡り歩き、他のブログの悪口をいうことでこちらを持ち上げ、「どこどこのブログは優しくて、こう言ってもらった、ああ言ってもらった」などという形で、こちらが言うべき言葉を暗に指定しながら、こちらから言わせようという、コントロール慾の強い方でした。

    弊ブログは、カウンセラー商売の客引きでやっているわけではありませんし、あなたの姑息な取引が透けて見えたので、そのような誘いにはいっさい乗らずに、あなたが本性をお出しになるのをじっと待ったわけです。

    (下コメントへつづく) 削除

    チームぼそっと

    2016/12/6(火) 午後 8:38

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    (上コメントからのつづき)

    あなたの自他境界が引けないうちは、息子さんはまだ表には出していなくても、内心でほんとうに大変だと思います。

    なお、あなたが削除したつもりになっておられるコメントは、すべてキャプチャーで保存しておりますので、ブログ主の権限としてそのうち記事の素材として使わせていただきます。

    私が
    「片っ端から削除してしまいたくなる」
    と思っただけで、あなたがそれを実行に移してくださるのなら、今度は私はこう思います。

    「もう二度と出てきてほしくない」 削除

    チームぼそっと

    2016/12/6(火) 午後 8:39

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    Marieさんへ
    私といけいださんとのズレについて、第三者からのコメントありがとうございます。
    Marieさんといけいださんのズレもあるようですが、解消されていくといいですね☆ 削除

    ラディッシュ ]

    2016/12/8(木) 午前 5:46

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    江青さんが誰だか、私は知りません。NPO法人のホームページから、それらしき方のコラムを見つけて多少は読みましたが、そのコラムも数年前のものでした。(動画は見ていません)もしこの方だとしたら、私は直接の面識はないと思います。マリナさんは、思い当たる方がいて、その方とは多少言葉を交わしたこともあります。
    ので、この二人に『成長していくと、最終的に相手(加害者)に左右(影響)されなくなると思います』という言葉を言えるかと言われれば、二人に関する知識が上記であることを前提におけば、言えます。
    ただ、近親姦やレイプが、身体的暴力にかかわる為、法的な問題にからむことも事実であると思います。
    いけいださんは、(過去のいきさつがあったからでしょうが)しきりに近親姦と比較したがりますが、やはりそこには身体的暴力と精神的暴力の差(法整備等)は出てくると思います。
    だから、上記に関しても、訴訟等の怒りや愛着の時期を経て、加害者に影響されなくなるという言い方も出来ると思います。
    (続く) 削除

    ラディッシュ ]

    2016/12/10(土) 午前 5:30

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