VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

性虐待と主体(26)ラディッシュさんへのお返事祭り

性虐待と主体(25)

治療者と患者(108)」からのつづき・・・

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

by ラディッシュ × ぼそっと池井多
 
江青さんが誰だか、私は知りません。
NPO法人のホームページから、
それらしき方のコラムを見つけて多少は読みましたが、
そのコラムも数年前のものでした。(動画は見ていません)

もしこの方だとしたら、私は直接の面識はないと思います。

マリナさんは、思い当たる方がいて、
その方とは多少言葉を交わしたこともあります。

ので、この二人に
「成長していくと、最終的に相手(加害者)に左右(影響)されなくなると思います」
という言葉を言えるかと言われれば、
二人に関する知識が上記であることを前提におけば、言えます。


[ ラディッシュ ] 2016/12/10(土) 午前 5:30
 
私は、ご本人にはご本人の苦しみがあるだろうから、
江青さんやマリナさんにそういうことは言いません。
 
私が、江青さんに怒っているのは、
そういうことではないのです。
 
「成長すると左右されなくなる」
などということは、他人から言われなくても、
本人がそういう段階へ来れば、
しぜんとそうなることでしょうから、私は言いません。
 
どうも、あなたのおっしゃっていること全般から、
 
「私は回復しました。
 あなたはまだね」
 
というような、上から目線を感じます。
 
あなたの今の生活には、
まったく何も問題はないのでしょうか。
 
ほんとうに回復しているのなら、
なぜこのようなつまらないブログにコメントしてくださるのでしょうか。
 
あなたがどんな偉い方か存じませんが、
しょせん人は、以前の症状が少しずつ減っていく程度で、
「完全な回復」などというものは、
生きているうちはない、と私は思っています。
 
「完全に回復する」ということが、もしあるとすれば、
それは死ぬ瞬間です。
 
生きているうちは、人間は成長と回復をつづけ、
死ぬときになってすべてを受け容れるのです。
 
逆にいえば、
「すべてを受け容れていない」
ということは、
その人が生きている証しです。
 

ただ、近親姦やレイプが、身体的暴力にかかわる為、
法的な問題にからむことも事実であると思います。

ぼそっと池井多さんは、
(過去のいきさつがあったからでしょうが)
しきりに近親姦と比較したがりますが、
やはりそこには身体的暴力と精神的暴力の差(法整備等)は出てくると思います。
 
やはりそこには身体的暴力と精神的暴力の差(法整備等)は出てくると思います。
 
これは、もう少し詳しく説明してくださると、
どういうことですか。
 
これだけでは、さっぱりわかりません。
 
だから、上記に関しても、訴訟等の怒りや愛着の時期を経て、加害者に影響されなくなるという言い方も出来ると思います。

となると、
一生を社会への訴え、法整備についやすか、
みきりをつけて、自分の人生を楽しむかということでしょうね。

社会へ訴えながら、
自分も成長していく路線をねらってるのでしょうか。
 
虐待されて、怒りで身動きできなくなっている人は、
怒りを出すことが、
「自分の人生を楽しむ」ことにつながります。
 
したがって、
「社会への訴え、法整備についやす」
ことと、
「みきりをつけて、自分の人生を楽しむ」
ことは、
対立する選択肢ではないと思います。
 
同じ「怒りを出す」といっても、
秋葉原男や宇都宮の爆弾じいさんのように、
他人を殺傷するかたちで怒りを出すのは困ったものですが、
言葉にして出す、訴訟を起こす、といった
知性化した怒りの出し方ならば、
いったいどうして責められましょうか。
 
人間は、サルであった時代から、
おそらくなんらかの形で怒りを出してきました。
 
もちろん、もともとは取っ組み合い、殺し合いでしょう。
 
「そんな愚かなことはやめよう」
 
と、じっさいに古代原人が言ったかどうかわかりませんが、
考えたのにはちがいなく、
肉体的暴力を使わないで怒りを表現する方法へ、
人類は文明を進歩させてきたのです。
 
スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットという人は、
 
「文明とは、暴力を、より後の解決手段へまわす装置である」
 
と言っています。
 
本質を突いた言葉だと思います。
 
ところが、ここへ到ってhashuさんなどは、
 
ペンの暴力
 
などといいかげんな用語をつくりだして、
怒りを持つ者の怒りを封じ込めようとしておられるわけです。
 
それは、人間とは、文明とは、人類の歴史とは何かを
まったく考えに入れていない
幼稚な見識にほかなりません。
 
 
>社会へ訴えながら、
自分も成長していく路線をねらってるのでしょうか。
 
それが何か、問題でしょうか。
 
成熟した現代人の生き方は、
みんなそこへ収斂していくのではないでしょうか。
 
 
しかし、精神的なことを法的なものすることは難しいでしょうね。
人の感情をも縛ることになると思いますので。

私も、自分が親になることの可能性を考えたら、完璧な親になんてなれないと思うし、目指したくないので、賛成しかねます。

せんせいがいう少子化とかに関係なく、子育てに問題が出るでしょうね。
ACは、子供が産めなくなる!?というのは極論ですが、
虐待はなくさなければならないけど、どこからが虐待なの?という議論につきるでしょうね。


[ ラディッシュ ] 2016/12/10(土) 午前 5:32
 
このへん、何をおっしゃっているのか、
よくわかりません。
 
 
(「治療者と患者(107)対立と懐柔」について)

どうなんでしょうね?楽になってほしい…というよりは、
私の場合は、
「もつれた糸をときほぐしたい」
という感じでしょうか。
そういうおつもりであれば大歓迎です。
 
ぜひ、もつれた糸をときほぐしてください。
 
ただし、「もつれた糸をときほぐす」とは、
一方の言い分ばかりを通すことではありませんよね。
 
こちらの主張も
ちゃんと汲み取っていただかなくてはなりません。
 
とくにラディッシュさんは、
私という患者への扱いは、
塞翁先生の治療ミスではない
という立場をえらばれたのだから、
ぜひそのお立場で、
こちらの主張を汲み取っていただければと存じます。
 
私は、これだけ時間が経って、
少し冷静に考えられるようになってきて、
ようやく「塞翁先生の治療ミス」ということで、
すべては解釈できると思うようになったのですけれども。
 
 
でもこれは私の欲求で、いけいださんは、
私の言葉を使うと
「もつれたままでいいんだ。もつれていてこそ俺なんだ」
というようなことをおっしゃっている感じがするので、
私は私で、余裕ができたら自分のブログでも始めようかな…
なんてことを思い始めた今日このごろです。


[ ラディッシュ ] 2016/12/10(土) 午前 5:41
 
古参の患者さんのようなので、失礼ですが、
まず欲求と欲望のちがいはわかっていらっしゃいますか。
 
そこで、だいぶあなたのおっしゃりたいことが分かれてきます。
 
あなたがご自分のブログをお始めになるのはめでたいことで、
それこそ開店祝いの花輪でもお送りしたいところですが、
 
「もつれたままでいいんだ。もつれていてこそ俺なんだ」
 
などと私が申し上げているわけではありません。
 
ただ、本記事、上の方でも述べたように
なんにももつれたものがなくなって、
すべてが解決して、完全に回復するのは、
人間、死ぬ瞬間だと思いますので、
生きている以上、好むと好まざるとにかかわらず、
「もつれたもの」
は、誰しも心の内に持っているものだと思います。
 
それは、あなたにもあるのではないでしょうか。
 
 
鬱である人・鬱でない人(19)動けない存在・不可能性への配慮」より

「ですから、私にとっては動けなさのひきこもりが、人生そのものなのです。」・・・

この方にとっては、働くということがプレッシャーのように感じます。

心の中の声(インナーマザー)の
「働かなければ」「働きなさい」
という声に反発している、
それがプレッシャーで動けなくなっている、
ということが見て取れますが、
このことが言葉で語れるくらいになってくると、
本当は自分の心の中の声で、
周囲の人間が必ずしもそう思っているわけではないことに気付き始めると思います。

そのままの自分を受け入れられた感覚をもてると、
働かなければというプレッシャーからも解放され、
やりたいことがわかると思うし、
やりたいことが現実的なことに落ち着くころには、
いわゆる人なみに、働いたり、結婚したり、していることが多いと思います。


[ ラディッシュ ] 2016/12/10(土) 午前 5:49
 
そういう側面もたぶんにありますけれども、
しかし、そのインナーマザーの声の源は、どこでしょうか。
 
もちろん、
幼少期の母子関係から原型はつくられるのでしょうけれど、
そういうことを申し上げているのではなく、
いま、2016年現在の日本社会で、
世間の声として
 
「ひきこもりなんか、やっていてはいけない」
ニートなんて、非国民だ」
 
というものがあるのではないでしょうか。
 
インナーマザーの解決は、個人でなすべきことですが、
世間の声は、やはり当事者たちが社会へ訴えることによって
変わっていくと思います。
 
げんに、私は十年以上前から
インターネットで同じようなことを言っているわけですが、
ここ十年だけ取っても、
ずいぶん社会は変わってきたと感じています。
 
 
 
ぼそっと池井多 :
治療者と患者(108)枯葉さんへのお答え」より

ラディッシュさんが、塞翁先生から治療的利得を得たことはよくわかりました。

私はラディッシュさんの被治療体験を否定するものではありません。

ただ私は、患者村においてラディッシュさんが体験しなかったことを体験したのです。

ラディッシュさんは、私のケースを塞翁先生の医療ミスだと思いませんか。


[ ぼそっと池井多. こと ぼそっと池井多 ] 2016/12/10(土) 午後 2:03
医療ミスだとは思いません。

そもそも医療ミスという発想には、驚きましたが。
私は、治療の過程かなとは思っていますが、私が体験しなかったことを体験したということを考えてみました。私の体験に照らし合わせてみると、私は今までに数社、(自分の居場所にできなくて)やめました。今の会社には、一番長く勤められています。クリニックからも、数回離れようとしましたが、戻っています。
いけいださんが、クリニックを私にとってのやめた会社のように去る場所にするのか、私にとってのクリニック、成長していく場とするのかは、言うまでもなく、いけいださんが選ぶことだと思います。
私の場合は、幸いにも、クリニックとのつながりのおかげで、職場を成長する場に変えられていった気がしています。まだ、クリニックにはお世話になりますけどね!


[ ラディッシュ ] 2016/12/11(日) 午前 5:55
ラディッシュさま コメントをありがとうございます。

医療ミスだとは思いません。

ということは、
ラディッシュさんは、
「私が塞翁療法から得ている治療的な不利益は、
すべて塞翁療法が意図するものだ」
と考えておられるということですね。

助成金を持ってこいというから持ってきたところ、
岡村美玖に命じて私を追い出させる。
オープンダイアログだの何だの言っておきながら、
対話も何もなくリンクバナーを切る。
「(母親に虐待されたなどという)そういうことは
肛門姦されてからいうべきだね」
などという。
マリナさんの証言を収録しろ、というから、それをしたところ、「セカンド・レイプだ」と皆の前で私を犯人扱いする。
会員みなが投稿できるザスト通信に、私だけ記事を書かせない。
原稿料を出すからウィキペディアの原稿を書いてこいというから、書いてきたところ、「これは入社試験だ」と音沙汰無しで、自信を失わせる。

……などなど枚挙にいとまがありませんが、
これらすべてのことは塞翁先生のミスではなく、
塞翁療法そのものである、ということですね。


2016/12/11(日) 午前 10:11
 
 
ほんらいの「性虐待と主体」のテーマ範囲から
はみだしてしまいましたが、
ラディッシュさんへのお答え祭り、ということで
まとめてみました。
 
お返事ありがとうございました。

上から目線・・・でしたか。
それは大変失礼いたしました。
調子に乗っていたようですね。ごめんなさい。

私としては、上記二人に関しては
「成長していくと、最終的に相手(加害者)に左右(影響)されなくなると思います」
という言葉を、
「いう必要を感じません」
というのが答えでした。

もともと、上記の言葉は、
いけいださんの文章を読んでいて感じた言葉なので、
二人に関しては言う必要を感じていませんでしたが、
いけいださんの質問をみたときに、
「俺にはいえるだろうが、二人には言えないだろう」
という感じに読み取ってしまったので、
いうことが可能か不可能かという意味で、
可能です=言えます、と書いたつもりでした。

私が、このブログにコメントさせていただいている理由の一つは、
以前にも書かせていただきましたが、
自分がどのように成長してきたか、
どのような考え方をもつようになったか
を言葉にするいい機会だと思ったからです。

私は、自分が完全に回復しているとは思っていませんが、
自分の成長について言葉にすることは、
このブログでやらなければならないことでもないので、
これからはできるだけコメントを控えさせていただきます。
いろいろありがとうございました。

コメント上で、声をかけてくださった方々、
どうもありがとうございました。

今日初めて、訪問者の履歴からたどれる方のブログを
のぞかせていただきました。

私が誰だか、心当たりのある方は、
よろしければクリニック等で見かけた際には、
お声をかけて頂けると嬉しいです。

これからは、調子に乗らないよう気を付けながら、
語る場所を探しながら、成長に努めたいと思います。

最後になりましたが、
私はいけいださんとMarieさんとのやりとりを見ていて、
いけいださん自身も自分がNPO法人でご活躍の時に、
羨まれていたとの自覚はあるようですが、
いけいださんのがんばりが、会員すべての人に対して、
公平に受け入れる姿勢だったのか疑問に感じました。

コメントを削除する権利は、コメント者にあると思います。
なんのためのパスワードなのでしょうか?


[ ラディッシュ ] 2016/12/11(日) 午後 4:31
 
ラディッシュさま コメントをどうもありがとうございます。
 
あなたが調子に乗っているなどとはまったく思っておりません。
 
あなたは、自分が思っていることを忠実に言葉にできる、素晴らしい方です。
 
人は、自分の言葉に責任を持てるのであれば、何を言ってもいいでしょう。
 
 
……いうことが可能か不可能かという意味で、可能です=言えます、と書いたつもりでした。
 
なるほど、納得しました。
 
それでは、その問題点につきましては、
明日の朝、私の考えを記事にしたものを出させていただきます。
 
 
自分がどのように成長してきたか、どのような考え方をもつようになったかを言葉にするいい機会だと思ったからです。
 
それはすばらしいですね。
 
本ブログの中で、一つのシリーズをお持ちになりませんか。
そこであなたがどのように成長してきたかをぜひ連載で書いてください。
 
あるいは、私たちのように映像でそれを語るというお気持ちはありませんか。
 
 
いけいださん自身も自分がNPO法人でご活躍の時に、羨まれていたとの自覚はあるようですが、いけいださんのがんばりが、会員すべての人に対して、公平に受け入れる姿勢だったのか疑問に感じました。
 
貴重なご批判をどうもありがとうございます。
 
私は自分のザストでの働きぶりが、
会員全員に受け入れられていたなどとは
まったく思っておりません。
 
私の時代も、ザストの内部は勢力争いの渦でした。
 
私は、ずっと事務局に
へばりついているわけにはいきませんでしたから、
とうぜん春日局派にはなりません。
それで、いつも批判にさらされておりました。
 
ときには、オバサンたちによる陰湿ないじめも受けました。
 
しかし、少なくとも私は、
自分の気に入らない投稿をザスト通信に載せない
などという野蛮なことはしなかったはずです。
 
ザスト事務局時代の私に、
いろいろ至らない点があったのは重々承知しています。
 
至らない点は、声に出して批判してくださればよいのです。
 
ザストには
「対話する」「議論する」
という文化がないと思いませんか。
 
それで、「オープンダイアログ」などと言っているのですから、
まったくお笑いです。
 
 
 
コメントを削除する権利は、コメント者にあると思います。
なんのためのパスワードなのでしょうか?
 
もちろん、パスワードは、
コメンターが自分のコメントを削除するためのものでしょう。
 
 
しかし、ブログ主の側にも、削除のボタンがあります。
だから、コメントはコメンターとブログ主の共有の財産なのですね。
 
とうぜんコメンターの方も削除する権利の一端をお持ちであるわけですが、
一方だけの都合で削除してしまうのはおかしいと思います。
 
 
 
 
 
 
よい議論は、人を成長させますよね。
 
アメリカなどでは小学校から「議論」という時間がありますが、
日本人も、もっと議論を楽しむ習慣を身につけるべきだと
私はかねがね思っております。
 
あなたの鋭いコメントのおかげで、
私もだいぶ成長させていただいております。
 
これからはコメントを控えさせていただ」く必要など、
まったくありませんので、
これからもどうぞコメントをお書きくだされば幸いです。
 
私はあなたが誰だか皆目わかりませんので、
おそらくクリニックですれちがったときも、
私はあなたを通り過ぎるでしょう。
 
あなたから見れば、「無視した」と感じるかもしれませんが、
そういうことではありませんので、
あらかじめお含みおきいただきたいと思います。
 
しかし、あなたが誰か、とくにわかろうとも思いません。
 
あなたは私にとってラディッシュさん以外の何者でもなく
本名やお顔などは、どうでもよいことだと思っております。
 
先ほど提案させていただいたように、
本プロジェクトの中であなたの物語を
ラディッシュさんとして、
書くなり、語るなり、してみるおつもりはありませんか。
 
 
 
・・・「性虐待と主体(27)」へつづく

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