VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

性虐待と主体(29)ミクロな権力構造

性虐待と主体(28)」からのつづき・・・

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

by ぼそっと池井多

 

 

性虐待と主体(25)」で取り上げた
大阪の近親姦裁判(*1)の報道が12月1日であった。
 
改行、色字は引用者による。
以下の引用でも同じ。
 
その2日後には、同じく近親姦で、
このような事件があった。
 
 
*2.毎日新聞 2016.12.3 14:27配信
 
記事の冒頭を読んでみよう。
文中の改行や太字、色字は引用者による。
 
ナツキさん(19)=仮名=は小学生の頃の記憶がほとんどない。
兄から受けた傷痕が、澱(おり)のように残っているだけだ。

5歳上の兄のわいせつ行為が始まったのは
小学校に入ってすぐの頃だった。

県内のある住宅街。
家族が寝静まった頃、部屋の扉が音もなく開いて、
兄が入ってくる気配を感じた。

何をされているのかは分からなかったが、気持ち悪かった。

やめてほしい。ぎゅっと目をつぶり、祈った。
「早く終わりますように」。
最後に兄はこう言って部屋を出て行った。
「誰にも言うなよ。言ったらおまえを殺すか、おれが死ぬかだ」

以来、それはほぼ毎日、続いた。
 
この群馬兄妹近親姦事件ケーススタディとして、
人間がおりなす組織、共同体の中にはたらく
力学について考えてみようと思う。
 
 
 
 
 
 
17年前、私は患者として
塞翁先生の門を敲(たた)いた。
 
わけもわからず、宗教的救いを求めて、
門を敲いたわけではない。
 
医療機関の門を叩くからには、
医療を求めて敲いたのであった。
 
それは当時、塞翁先生が唱えていた
治療理論に納得したからである。
 
 
もともと私は、医者へはあまり行かないほうである。
 
風邪をひいても、
身の回りにあるもので喉の腫れを取ったり、
額を冷やして熱を下げたりして、
まずは自分でなんとかしようとする。
 
しかし、そのことに限界を感じ、
「もう、これ以上はプロでないと無理だ」
となったときに、医療機関へおもむくのである。
 
これは、私のみならず、
世の人がみんな無意識に踏んでいる手続きではないのだろうか。
 
私は生活保護の医療扶助で医療費を払ってもらっているので、
あまり言えた義理ではないのだが、
およそ人間的な問題を何でもかんでも医療化しようとする
近年の社会的風潮に、私は強い懸念をもっている。
 
人との会話をもとめる人は、
酒場へいくかわりに精神科へ行くようになり、
外見だけ美しくなりたい人は、
ジョギングするかわりに美容整形外科へ行く。
 
それで、医療関係や製薬業界は儲かるかもしれないが、
そうでない産業分野の人から富が削られることでもあるし、
免疫機能のような生理作用をふくめて
人間それぞれがもともと持っている
自立的な力がダメになっていくことであろう。
 
そのように考える私だから、
病的な原家族の問題で悩んでいたことについても、
のっけから精神科という医療機関に頼ることなどしなかった。
 
まずは自分たちで1999年に家族会議を開き、
やるところまでやって、
「これ以上はダメだ」
となってから、
これぞと思う精神医療の門を敲いたのである。
 
それが、塞翁先生の家族療法であった。
 
 
 
 
 
 
それは、家族という小さな共同体組織を
一つのシステムと見なすところから始まる。
 
システムは構造を持つ。
 
構造では、大きさよりも形が問題になる。
 
たとえば物理学でいえば、
ミクロな次元では
一つの原子の中に陽子があって、まわりを電子が回っており、
マクロな次元では
一つの恒星系の中に恒星があって、まわりを惑星が回っている、
というラクタリティ(*3)に注目する。
 
*3.ラクタリティ:fractality
大きさが違っても形や構造が同じであること。
相似性。
 
 
太陽系と原子では、
大きさは、文字通り「天と地ほどもちがう」が、
同じ構造を持つというところが大事なのである。
 
人間の集団も、
家族、夫婦などのミクロな単位から、
企業、宗教、国家などのマクロな単位まで
同じ構造を持っている。
 
そのことが、そこで起こる
さまざまなことを考えるのに役に立つ。
 
仲間の体験も、
メディアで報道される数々の事件も、
そこに同じ構造をみいだすことによって
人はみずからの問題を解き明かす、よすがとすることができる。
 
そうしたことは、
構造主義や家族療法が出てくる以前から、
人は気づいていたことだと思う。
 
たとえばフロイトの著作では、
『トーテムとタブー』
『文明への不満』
などにそれを如実にたどることができる。
 
塞翁先生も、10年ぐらい前までは、
 
「もしフロイトが長生きしたら、
きっと家族療法へ行っていただろう」
 
と言っていた。
 
そういう塞翁先生は、家族療法から
リカモリ制度という貧困ビジネスへ行ってしまった。
 
フロイトも晩年は、お金にがめつかったんだよ」
 
昨年の12.7会談で塞翁先生は私に
なにやら言い訳めかして、そういったが、
だからといってフロイトがもっと長生きして、
塞翁先生がいうように家族療法へ行った後も、
もっともっと長生きしたとしても、
フロイトが最終的にリカモリ制度へ行ってしまったとは
私はぜったいに考えられない。
 
フロイトは、治療者が患者を、
治療者の業界人にしてしまうことを
きびしく戒めていた。(*4)
 
 
それが患者が自立した人生を歩み始めるのを妨げ、
その先にあるものが宗教であることを察知していただろうし、
また、これは宗教への一種の敬意から、
宗教の危険性も知り尽くしていたのである。
 
 
 
 
 
 
 
このような人間関係のフラクタリティから、
冒頭に掲げた群馬兄妹近親姦事件(*2)を考えてみたい。
 
*2.毎日新聞 2016.12.3 14:27配信
 
 
前回「性虐待と主体(28)」で、
 
性暴力とは、なにも性慾だけによって起こるものではない。
そこには、二者の人間関係における力関係の要素も、
必ずや作用しているものである。
 
と書かせていただいたが、
 
誰にも言うなよ。言ったらおまえを殺すか、おれが死ぬかだ
 
という兄の言葉は、それを裏づけている。
 
兄妹、と一口にいっても、
その関係性はさまざまであろうが、
この兄妹の場合は、
兄が権力を持っている。
 
こういうときに「権力」という語をつかうことを
日本人はためらうかもしれないが、
英語でいえば「power」であり、
兄妹、家族、治療空間、患者村といえども、
人間関係にはすべからく権力構造があることを
私たちは忘れてはならない。
 
妹の権力が劣位でなければ、
この近親姦事件はまたちがってきたと思われる。
 
たとえば、私のブロ友、サティさんは、
幼少期に十も齢が上の従兄にクリトリスを舐められ、
さらに彼の性器をすりつけられる体験をしている(*5)
 
*5.サティさんのブログ「ひと夏の経験
 
 
ところが、私の患者村でいわれるような
近親姦被害者らしき後遺症はいっさい呈していない。
 
これは、塞翁先生がいうような
性器の挿入や侵襲が
近親姦後遺症の発症の鍵ではないことを示している。
 
サティさんの例は、
 
(1)行為者と被行為者のミクロな権力構造において
 彼女がけっして劣位ではなかったこと
 
(2)そのため彼女の意識の在り方が
 行為に対して主体的になりえて、
 外表は受動的であっても、
 内面的に能動的であったこと
 
により、性虐待による心的外傷にはならなかった、
と考えられるのである。
 
 
このように、ミクロな権力の優劣は、
性別・年齢などにもまったく拠らないこともわかる。
 
事件があったころのサティさんは、
体格からしても十歳上の従兄よりはるかに小さく
肉体的な力は弱かったであろう。
 
そういう意味での力の差は、
群馬兄妹近親姦事件の兄妹より
はるかに大きかったように思うのである。
 
しかし、そのことと
性虐待として成立するか否かは
まったく関係ない。
 
プロレスラーのような大男が、
かよわい少女と性行為をしたといっても、
体格の差だけをもって強姦であるなどと
決めつけられないのと同じである。
 
このように、心的外傷にかかわる議論は、
物理的な「侵襲」「挿入」「接触」の有無ではなく
あくまでも本人の心象による被害申告を第一の基準として
考えられるべきなのである。
 
男性患者が、
 
「母に強姦された」
 
と愁訴するならば、
 
「この患者は、何をもってそう訴えるのか」
 
ということを、全力で汲み取ろうとするのが、
ほんらい治療者がなすべき仕事であって、
それを反証することに精力をかたむけるようになっては、
これはもう治療者失格なのである。
 
しかも、反証の根拠を治療者みずからが捏造するとあっては、
もはや精神医学の名を冠する資格もない。
 
ここに、私の
塞翁療法における近親姦優越主義への批判が
凝縮されているといってもよい。
 
もともと、NB(ナラティブ・ベイスト)(*6)な精神療法は、
外表からの事実認定ではなく、
あくまでも語り(ナラティブ)という
クライエント本人の主観的な体験想起にもとづいて
治療という対処がおこなわれていく
ということであったはずだ。
 
 
*6.「NB / EBとは」参照。
 
かつてNBの最先端を行っていたはずの塞翁療法が、
やがて、みずからNBの基本を裏切るようになったのが、
近親姦優越主義であるとも言えることであろう。
 
 
 
 
 
・・・「性虐待と主体(30)」へつづく

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