VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

井の中の丼(2)強迫地獄

井の中の丼(1)-8」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
幼稚園のころから萌芽がみられた
私の強迫神経症は、
小学校高学年、この中学受験の時期に
日増しにひどくなっていった。
 
まず就眠儀式である。
 
夜、寝る前に、
私なりの方法で長々とお祈りをささげないと気が済まなかった。
 
それは私固有の奇妙な新興宗教だった。
 
このために、寝る時間はさらに遅くなった。
 
じつにさまざまな症状で私の毎日を阻害したが、
なかでも受験生である私にとって
著しく不都合だったのが書字障害であった。
 
たとえば「口」という字のように、
字画で一つの空間を囲い込むときには、
必ず真ん中に「・」を打たなければ気が済まなかった。
 
打つ本人の心情からすると点(てん)、「・」であるが、
じっさいに書かれるものは視覚的にチェック「✔」に近い。
 
これで、せっかくきれいに書いた字は汚くなる。

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逆にいうと、汚くなるだけで済む。
この段階では「誤字」とは見られない。
 
これだけ聞いても、一般の健常人の方々は何のことやら
さっぱりわからないだろうと思う。
 
基地外の書く文章だと思うだろう。
 
そうなのだ。
これは基地外の文章である。
関係ないと思う方は、読み飛ばしていただきたい。
 
いっぽう、これまでフロイトをはじめ
治療者による強迫性障害の解説は多く書かれてきたが、
患者本人が自分の内的世界を描写したものはたいへん少ない。
 
治療者によって加工されてしまった叙述よりも、
患者本人がちょくせつ叙述したもののほうが
治療者の野心が介在しないぶんだけ
はるかに精神医学の情報としての信頼性は高いはずである。
 
そういう意味で、価値がわかる人には
それなりに価値のあることを書いているつもりである。
 
 
 
 
 
 
さて、「口」がいくつも重なる「田」の場合はどうか。

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まるで、笑っているような字になる。
誤字ではないが、正しい字として認識されることも少ない。
 
百害ありて一益なしのこのような習癖を、
私はやめることができなかった。
 
それが強迫神経症
こんにちでいう強迫性障害なのである。
 
これも宗教のように、
いちおう自分なりの理由がある儀式であって、
いかに多くの人に奇妙に思われようとも、
「そうしなければいけない」のであった。
 
のちに強迫が治りかけるまで、
私はこうした自分なりの戒律の数々を
他者に説明することができなかった。
 
思うに、説明」とは
三者にもわかるような
客観性をそなえていなければならない。
 
そこがまた、「言い訳」とちがうところだ。
 
また、本人と、利害が一致して気心の通じている親しい者だけがわかる、「肚芸会話」「空気会話」ともちがう。
 
ところが、病気の最中であると、
この客観性を完全に獲得することが
一種の自己禁忌になってしまうのである。
 
逆にいうと、強迫性障害の人は、
客観性の獲得が「回復」「治癒」へのステップであるだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、このような前提のもとに、
私の過去の症例から、
たとえば「井」という字を書くときの
意識の流れを叙述してみたい。
 
本シリーズ「井の中の丼」というタイトルは
ここに由来する。
 
「井」という字は、
どうしても「井」の中央に「口」という
四方を線で囲まれた閉空間ができてしまう。
 
すると、それが気になって仕方がないのである。

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どのように「気になって仕方がない」かというと、
閉空間は密閉されているから、
そこから出ようとするものが
どんどん膨らんできてしまうからである。
 
そういう妄想は、当時の私自身が
抑圧されていたことを物語る。
 
自分の中の抑圧を、外在化していたのである。
 
自分が救われたい人が、
「ひとを救いたい」
と思うようなものである。
 
……さて、ここから先、いよいよ
読んでも理解できない人は、読み飛ばしてかまわない。
それだけ価値のある叙述だからである。
 
もし、漢字の閉空間をそのまま放置しておくと、
そこが風船のようにどんどんふくらんで、やがて破裂して、
中から母親を乗せた霊柩車が出てきてしまうという妄想に
私はおびやかされつづけていた。

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当時、霊柩車は
おそらく仏壇の色をイメージしたのであろう、
黒と金色の、きらびやかな宮型の車体が主流であった。
 
今日のように人目につかない地味な車体と異なり、
これはいやでも街中の視線を集める派手さがあった。
 
仏滅など、葬儀の多い日には、
町のいたるところで霊柩車に出くわした。
 
強迫神経症のなかでも「不吉恐怖」のあった私は、
これをたいへん忌み嫌った。
 
霊柩車のなかには死者が横たわっていて、
そこからは死の粉が噴き出され、
霊柩車の通った跡の道に漂っているように感じてしまったのである。
 
そういうところでは、
死の粉を吸いこんでしまわないように、
息もしないで、目を伏せて足早に通り過ぎた。
 
近代生化学の祖パスツールが細菌というものを発見する以前の
昔の人々のように、
「死穢(しえ)」というものの実在を感じていたのだった。
 
しかも、霊柩車の中に母親が寝かせられているという妄想は、
のちに考えれば、
すなわち母の死を象徴しているのであった。
 
漢字で閉空間を書くと、
抑圧されているから、
そこがどんどんふくらんで「母の死」が出てきてしまう。……
 
それを避けるために、
私はあらかじめ鉛筆の先でみずから突いて、
そこに「✔」というかたちになる点を打ち、
ちょうどふくらんでいく風船に穴をあけてしぼませるように
閉空間をガス抜きしたのである。
 
すると、漢字がおりなす閉空間には
ことごとくチェック「✔」が打たれた見た目となるのである。

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閉空間がふくらんできてしまう、というのは、
私自身が否認していた、抑圧された願望である。
 
すなわち、
私を虐待する母の死を、
私は潜在意識で望んでいたのである。
 
しかし、それを認めてしまっては大変だから、
私は必死に否認していた。
そのため、葛藤が奥深くへもぐりこみ
やがて変質して、数々の強迫症状となって
表へ出てしまっていたのであった。
 
自分の生命を楯にとって、母に
「死んでやる、死んでやる」
と脅迫されても、子どもの私はいかんともしがたい。
 
そういう、いかんともしがたい葛藤をもたらすことによって
私を虐待してやまない者がいなくなることを願う、とは、
考えてみれば、人という生物として当たり前のことである。
 
しかし当時は、まだ尊属殺人などという罪名もある時代で、
私も、自分の母の死を願っているなどとは
ゆめにも思っていない。
 
「そんなはずはない」
「そんな願望は自分にあってはならない」
「ぼくが母の死を願っているわけがない」
などと思っている。
 
だから、
みずから自分のほんとうの状態を
認められなかったわけである。
 
こうした否認は、
すべての強迫の患者のどこかにあるのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
のちに私は、30代にふたたびひきこもった時、
フロイトを読みふけった時期がある。
 
フロイトの『夢判断』は有名であるが、
それはなにも夢にだけ適用されるものではない
と私は思っている。
 
阿坐部村へ行くと、
りっぱに目を見開いて身体は起きているのに
催眠にかかっている患者たちでいっぱいである。
 
そのことでもわかるように、
人が寝ているのと起きているのは、
そんなに大差があるわけではない。
 
少なくとも、裏と表のような正反対ではない。
 
多くの人は、起きながらにして、かなり眠っており、
逆に、人は眠りながら、かなり起きているものである。
 
したがって、『夢判断』の理論は、
そのまま起きている患者の妄想解釈に応用できると思う。
 
それが、いずれ私が自分自身を患者として
強迫性障害を治療していった、
いわゆる「セルフ精神分析」のアルゴリズムであるが、
当時、中学受験のころの私は、
そんなことは「夢にも」思っていない。
 
自分なりに「しなければならないこと」にとらわれ、
「井」という漢字一つも書けないで、
どうしても「丼」になってしまう。
 
万事、その要領で
閉空間に点を打ちながら漢字を書いていくので、
採点者の眼には間違いと映る。
 
とくに漢字テストのように、
正しい字画が書けているかどうかを問う問題のときには
私本人は正しい答えを熟知し、そう書いているのに、
強迫という症状によって片っぱしから×バツ)となった。
 
そのため私は実質上100点の答案を出しているはずなのに、
いつもせいぜい20点ぐらいしか取れなかった。
 
強迫神経症という名の税関に、
税率80%の関税をかけられて、
いつも点数を輸入していたようなものであった。
 
やりたくないことを、やっていたわけだが、
人は、
「自己責任でやっているんだろう」
というのであった。
 
 ・・・「井の中の丼(3)」へつづく

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  •           

    こんにちは。私の母の話しなのですが

    子供の頃、左手で字を書いたら、
    親にきつく叱られて、
    右手で書くように矯正(強制)させられた
    そうなんです。

    それ自体は、話しを聞いていても
    (学校の先生にまで、左手で鉛筆持って
    書いていないか、
    ギッと監視されて、えらい目にあったんだ、
    苦労をしたんだなぁ)と、
    子供の頃の母に、そんな気持ちが湧いて
    同情や共感もするところなんですが、


    テレビで、左ききの人が出てくる度に、
    「右手で書く人間の方が偉いぞ」
    と言わんばかりに
    昔の、矯正話しをしてきますので

    何十年と聞いてる内に、私自身が
    「元々右ききなんだぞ。
    エッヘン、偉いだろ。」

    と、いつしか、そんな意識が根づいていたことに
    気がつきました。
    (四十近くになって辺りを見渡せば、
    どうも、右ききの私を
    そんな風に見ている人はいなさそうで・・)

    母の話しと、私の話しが、
    ごっちゃになってしまいましたが、 削除

    恋する天使.。 ]

     

    2017/1/7(土) 午後 4:46

     返信する
  •           

    ❱そこからは死の粉が噴き出され、
    霊柩車の通った跡の道に漂っているように感じてしまったのである。

    霊柩車の跡は、死の粉・・・

    そちらの世界に、
    自分が引きずり込まれていくかのような・・・
    恐怖ですね。


    なぜか思わず、私が子供の頃、字を書いている時に
    「何を鼻歌なんぞ歌ってる!
    真面目に、しっかりノート見て、
    鉛筆持って、書かんかい!」と、
    母に頭をしばかれながら、
    夏休みの宿題をしていた、
    あの時の恐怖と、重なりました。

    (笑)。 削除

    恋する天使.。 ]

     

    2017/1/7(土) 午後 4:50

     返信する
  •           

    恋する天使さま コメントをどうもありがとうございます。

    私は強迫から治ることができましたが、強迫をわずらっていたころの感覚は、けっして忘れることがないばかりか、このように描写していると、非常に生々しいものとしてよみがえってきます。

    強迫の人は、自分がキチガイであることを、どこかで知っています。わかっていながら、治せないのです。

    いったい、世の中のどれくらいの人々が、こうした感覚を共有してくださるのか、私はたいへん関心があります。

    もしかしたら、今日の私の記事などは、まったく理解されないかもしれないとも思っています。 削除

    チームぼそっと

     

    2017/1/7(土) 午後 5:04

     返信する
  •           

    顔アイコン

    大変興味深く読ませていただきました。
    漢字の閉空間にチェックを入れないと気が済まないということは、普通の人には理解できないことだと思います。しかし、ぼそっとさんの説明を聞いたら、なんとなくわかる気がします。ぼそっとさんの心理分析は的確なものではないかと思います。
    分かってくれる人が今はどんなに少ないとしても、ぼそっとさんが体験者として発言することは貴重であり意義深いと思います。
    カレエダは全くの素人ですが、ぼそっとさんの分析や考察は大変優れていると思います。
    これからの続きを楽しみにしています。

    ・ 削除

    カレエダ ]

     

    2017/1/8(日) 午前 1:01

     返信する
  •           

    カレエダさま コメントをどうもありがとうございます。

    過分なお言葉、まことに恐れ入ります。 削除

    チームぼそっと

     

    2017/1/8(日) 午前 10:11

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