VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

性虐待と主体(33)自己任命して動く者たち<前篇>

性虐待と主体(32)」からのつづき・・・
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
by ぼそっと池井多
 
 
群馬兄妹近親姦事件(*1)を例にとりながら、
集団にまつわる人間の行動現象を考えている。
 
 
 
この群馬の家族において、母親が、
 
うそでしょ。
 お兄ちゃんがそんなことするはずない
 
といって、妹がスクールカウンセラー
兄からの近親姦を訴えたことを否定した。
 
それは家族という小さな共同体組織から
妹による内部告発を、
母という体制護持派がつぶそうとした動きであった、
と解釈することができる。
 
この内部告発をつぶそうとする動きは、
その体制から利得を得ている体制護持派
利得を得ていない内部告発
利害対立から起こるものである。
 
前回は、そこまでたどらせていただいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
ここで、自己任命という概念について
述べさせていただきたい。
 
自分で自分に何かの役割を任命して動き出すことである。
 
一つの集団や組織共同体のなかで
とくに上から指示があったわけでもないのに、
下の人がある種の使命感をもって
勝手に背負いこんで動いてしまうことである。
 
これが、良い方向に作用すれば、
 
「いちいち言われなくても動く人」
「役に立つボランティア」
 
ということになる。
 
使命感をもっているので、
遠足中の幼稚園児が隊列から外れるような
てんでばらばらの動きではない。
 
もっと集団や組織共同体の全体に役立つかに見える
仕事のような、ミッショナリーな動きである。
 
 
この自己任命には、
 
1.先読み型
 
「きっと上の人はこういうことをやってほしがっている」
 
と、上の人の希望を下の人が先読みして勝手に動く場合
 
 
2.僭称型
 
「ほんとうは自分がそうしたいのだけど、
 『上の人がきっと望んでいるから』という理由にすれば、
 大義名分化され、自分が判断責任を取らないで済むから」
 
と、上の人をダシにして下の人が勝手に動く場合
 
の2種類があると思われる。
 
 
この2種類は、きっぱり二分できるものでもなく、
往々にして、両方が動機に入り混じっているものである。
 
そして両方とも、
責任主体をあいまいにする共依存の温床である。
 
大きな例を考えていくならば、
まず第二次世界大戦前の大日本帝国を舞台に、
中国大陸で暴走していった
関東軍大陸浪人たちが挙げられよう。
 
最高責任者である昭和天皇が指示を下したわけでもないのに、
 
「陛下は、きっとこう思召しておられる」
 
と大陸侵攻を自己任命して暴走したわけである。
 
「結局、自分たちがやりたいから、やったんだろう。
あとで天皇のせいにするなよ」
 
とでもツッコミたくなる暴走である。
 
 
 
上級信者たちの自己任命があったのでは、
と私は考えている。
 
地下鉄サリン事件は、裁判が長期にわたったけれども、
けっきょく明らかにされなかった部分が大きい。
 
とくに、地下鉄にサリンを撒くなどという凶悪テロを、
教祖である麻原彰晃自身がどこまで具体的に指示したのか、
という点は明らかにされなかった。
 
もしかしたら、麻原彰晃
 
「地下鉄にサリンを撒け」
 
とは明確に指示していないのに、
村井秀夫など幹部、上級信者たちが
 
「尊師はこう思っておられるにちがいない」
 
などと勝手に考え、
それらの行動を自己任命した可能性もある。
 
そのあたりが公判で明らかになることが期待されたのだが、
教団ナンバー2の村井秀夫が刺殺されてしまったこともあり、
深い闇の中へ葬り去られてしまったわけである。
 
 
 
 
 
 
 
 
今回、取り上げているこの群馬兄妹近親姦事件の家族においては、
けっして兄が母に、
 
「母さん。『お兄ちゃんがそんなことするはずない』って
 学校で言ってきてよ」
 
と頼みこみ、それを引き受けて、
母がそれを言ったというようには思えない。
 
「お兄ちゃんがそんなことするわけがない」
 
というのは、
母が近親姦の隠蔽を自己任命した結果のセリフである。
 
被害者である妹を犠牲にしても、
母は、家族という体制を維持したいために、
妹の内部告発をつぶす役割を自己任命したのである。
 
 
私の原家族においても、
1999年の家族会議において、
私が母の虐待を明るみに出そうとしたところ
父が出てきて
 
ママがそんなことをするはずがない
 
というのであった。
 
「お父さまは、昔の母親の虐待の現場に居合わせなかったでしょう。
なのに、どうしてそんなことをするはずがないなどとわかるんです」
 
と問うても、
 
ママがそんなことをするはずがない
 
の一点張りであった。
 
そして、
 
「……するはずがない」
 
は、いつのまにか、
 
「……していない」
 
と、家族のなかでは既成事実化していくのである。
 
これは、私の父が、
たとえ夫婦関係の中で虐げられていても
家族という体制から利得を得ているために
体制の護持を図ろうとして、
事実を否認していたのだと考えられる。
 
ところが、それは父が夫婦関係の中で
虐げられつづけていくことを選択していることでもあった。
 
いわば、私の父は、
男性版「殴られ続ける私」なのであった。
 
そういう環境で育ったために、
あたかも「男性というと、加害者」であるかのような
前提を基本にくみこんでいる患者村へやってきてからも
私はあちこちで強い違和感をおぼえるようになっていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
その患者村では、自己任命はどのように現れるだろうか。
 
それについては、後篇で見ていきたい。
 
 
 
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