VOSOT ぼそっとプロジェクト

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性虐待と主体(34)自己任命して動く者たち<後篇>

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
by ぼそっと池井多
 
それでは、
その患者村では、自己任命はどのように現れるだろうか。
 
私が、数々の不正や不平等を暴こうとすると、
昨年の11月あたりまで、さかんに
hashuさんやラディッシュさんが発言に出てこられたものである。
 
もちろん、このVOSOTでは、
閉鎖的な言論統制が敷かれているザストなどとちがって、
開かれた議論を旨としている。
 
建設的であるならば、コメント・発言そのものは大歓迎である。
 
しかし、議論が開かれているからこそ、
それをどのように位置づけるかは、
発言者、コメンターの側と、
私、ブログ主のあいだで見解が分かれることもあろう。
 
おそらくhashuさんやラディッシュさんたちからしてみれば、
ご発言の主旨は、
「指摘してやろうと思った」
「楽にしてやろうと思った」
ということだったのだろう。
 
じじつ、そのようにおっしゃっていたこともある。
 
しかし、私から見れば
彼らの動きは、先の群馬の家族の例における
内部告発をつぶそうとする母親の動き」
に相当するものとして見えたのである。
 
この群馬の母親も、
近親姦を告発した妹を
「楽にしてやろうと思って」
『お兄ちゃんがそんなことするわけがない』
と言っていた可能性は大きいと思う。
 
 
その後、hashuさんは
みずからご自分でおっしゃっていたことが
トンチンカンであるとお認めになったので(*2)
私としては、しつこく彼を批判するつもりはない。
 
65605225.html#65606383
 
ようするに、
「楽にしてやる」にせよ、
内部告発つぶし」にせよ、
私との間にある種の言論の摩擦が起こっていたのは
確かであろうし、
そのことからすでに一つのことが導き出せるのである。
 
簡単なことだ。
 
私は、いまの患者村の体制から利得をえておらず、
hashuさんやラディッシュさんは、それを得ているのである。
 
利得というと、やや強い言葉に聞こえるかもしれない。
 
このお二人の場合は、
リカモリ制度の宣伝をしたいわけでもなさそうだし、
リカモリ生ですらなさそうである。
ラディッシュさんはプレ講座だけ受けたとおっしゃっていたが)
 
上級患者としてザストの幹部に居座っているようにも聞こえない。
 
だから、利得といっても
ひじょうに淡いそれであるだろう。
 
もう一点、私が関心を傾けるのは、
hashuさんやラディッシュさんが、
私がいうところの「内部告発つぶし」に出てきたのは、
昨年12月末に塞翁先生が患者たちに
 
VOSOTに対抗して、ザストでももっと発信せよ
 
と反撃の挙兵を呼びかける(*3)よりもずっと前だった、
という事実である。
 
 
つまり彼らは、
「塞翁先生に頼まれて動いた」
わけではないのである。
 
ザスト幹部にのし上がった痴漢の押上さんのように、
リカモリ受講料免除など明からさまな利得は何もないのに、
自己任命によって私の口をふさぐべく
リスキーな発言をしてくださったというわけである。
 
もしかしたら、hashuさんもラディッシュさんも、
塞翁先生の診察のなかで、
 
「先生、わたしは
 ぼそっと池井多の口を黙らせようとしました」
 
と手柄を自己申告して
少しでも塞翁先生の覚えがめでたくなるように持っていき、
患者村の中におけるポイントを稼ごうとした、
くらいのことは、していたかもしれない。
 
していても、なんら責めるつもりはない。
 
阿坐部村の患者は、みんなそんなものだと思う。
 
しかし、たとえそれでもやはり
塞翁先生の呼びかけに応じて
VOSOTつぶしの兵を挙げた、
というのとは、ちょっと話がちがう。
 
呼びかけられる前から、
勝手に兵を挙げていたわけである。
 
やはり自己任命であったといえよう。
 
 
 
 
 
 
中国の歴史物語などを読んでいると、
よく一つの王朝が滅びるとき、
最後の皇帝は身体じゅうを切り刻まれる。
 
征服者である新しい王朝の皇帝に、
 
「わたしは鼻を持ってきました」
「わたしは耳を持ってきました」
「わたしは指を持ってきました」
 
などと、すでに惨殺された前皇帝の身体の一部を
褒美ほしさに持参する者が
たくさん現れるからである。
 
日本のように、首級を取ればおしまいなのではなく、
昔の中国では身体の一部がそれぞれ手柄に化けるので、
このような次第となる。
 
征服者へ先帝の身体の一部を持参する者は、
征服者からみたら憎いであろう、
先帝の身体を切り刻むという役割を
自己任命しているわけである。
 
 
そこで征服者は、
 
「そんなこと、頼んでないだろ」
 
と素っ気なく返すこともできるのだが、
そんなことをやっていると、
それからの新しい王朝の開闢(かいびゃく)に支障をきたすので、
 
「余がわざわざ頼んでいなかったのに、よくぞやってくれた」
 
と鷹揚に受け取り、褒美を取らせるのである。
 
 
やはり自己任命する者は、
たとえば阿坐部村であれば塞翁先生という王から、
 
「私がわざわざ頼んでいなかったのに、よくやってくれた」
 
というかたちの存在承認をもらえることを
どこかで期待しているものではないだろうか。
 
また、そういう者たちは、
あるていど王である塞翁先生を
自分の中に内在化させているか、
少なくとも、内在化させている気になっていると思う。
 
しかし、塞翁王国の場合は、
開闢したての新しい王朝ではないため、
王はいつも鷹揚とはかぎらない。
 
自己任命して勝手に動いた患者の行動が、
結果的に王の気に召さなかったりした場合などは、
王は自由に見解をひるがえし、
 
「そんなこと、私は言ってない。
 わかってないねえ、あんたは」
 
と、自己任命した者を切り離すのである。
 
こうなると、トカゲのしっぽ切りとなる。
 
自己任命した者が、
たとえば江青さんのように
塞翁先生の指定症例を持っていると、
患者が持っている権力が少し強まるので、
治療者もむげにトカゲのしっぽ切りをしなくなるが、
ただの患者であれば、
そのへんは塞翁先生は
けっこう自分のことしか考えていない。
 
こう考えると、自己任命する者は、
一つの賭けに出ることになる。
 
当たれば、
 
「私がわざわざ言わないのに、よくやってくれた」
 
と塞翁先生からお褒めにあずかり、
外れれば、
 
「そんなこと、私は言っていない。
 わかってないね、あんたは」
 
といってトカゲのしっぽにされるのである。
 
塞翁先生は、
自分が王でありつづけるために、
ほどほどに無能で弱々しい女性が好きなのであり、
自己任命の賭けに出るような有能な人材は、
男性の場合はとくに
よほどの大当たりでもなければ、
トカゲのしっぽになることを覚悟しなければならない。
 
 
・・・「性虐待と主体(35)」へつづく

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  •                  

    > ぼそっと池井多

    「 阿坐部村の患者は、みんな、そんなものだと思う 」

    俺は違うぞ。 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2017/1/12(木) 午後 10:32

     返信する
  •                  

    流全次郎さま なるほど、見上げたものです。

    ナガレさんは、塞翁先生にポイントを稼ごうとしたことがいっさいない、というわけですね。 削除

    チームぼそっと

     

    2017/1/12(木) 午後 11:12

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