VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

長男の放逐(157)精神医療に求めたもの~強迫から家族療法へ

長男の放逐(156)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多
 
 
聞き手 ぼそっと池井多さんは、精神医療の在り方について
 多くの発言をされておられますが、
 精神医療に、あなたは何を期待したのですか。
 
ぼそっと池井多 精神医療に求めたものは、
 私の場合、ひとことで言えば
 「家族療法」
 です。
 
私は1995年から1999年まで
ほんとうにひきこもりで
家から出られないくらいの鬱になりまして、
そのときに、私たちの患者社会でいわれるところの
「底つき」
という状態になりました。
 
それで、
「自分はいったいどうしてこうなるんだろう」
と根本から考え直しました。
 
そのとき自分には、
精神疾患分類としては二つの症状群がありました。
 
私は治療者ではないので、
最近の学術的な病気の呼び名はご容赦いただきますが、
ようするに「強迫」と「抑うつ」です。
 
そのうち「強迫」は、
さいころから成育歴の中でいろいろな理由によって
生成されていったものなので、
とても一口には語れませんが、
一端を語ると、
母親が自分の「死」というものをちらつかせて
幼い私を脅迫することで子育てをしてきた。
 
なにか私が言うことを聞かないと、すぐ
「じゃあ、お母さん、死んでやるからね」
と母がいう。
 
それで、幼い私はふるえあがって、
母親の言いなりになってきました。
 
そういう支配の形態がずっとありました。
 
そうすると私は、
「母の死」という現象の到来を恐れると同時に、
心底ではそれを望むわけですよね。
 
このへんは、
いまも強迫を病んでいる方がこの映像を視聴していたら、
「とんでもないことをいう奴だ」
と怒っておられるかもしれません。
 
わかります。
 
昔の私が見ていたら、
「こいつ、とんでもないこと言いやがって」
と怒ったでしょう。
 
そういうことで怒るような私であったうちは、
強迫が治らなかったわけです。
 
ここに気づくのに、私は37年もかかってしまったのでした。
 
じっさい強迫だったころの症状の詳細を語り出せば、
それはそれは些末なことばかりになるのだけど、
いろいろあります。
 
ブログにも何回か書いておりますが、
「人工脳震盪」
という表現で書いている行為が、まずありました。
 
首を勢いよく縦に振って、
自分で自分に軽い脳震盪(のうしんとう)を起こして
すーっと意識が遠のく。
 
すると、その直前に自分が何を考えていたか、
わからなくなるわけですよ。
 
最近、私はもう脳の老化が始まって
短期記憶力が衰え始めて、
「ちょっと前に自分が何を考えていたか忘れちゃった」
ということが多くなって困っているのですが、
それを人工的にわざわざ起こしていたのです。
 
今から考えれば、
「なんと、もったいないことをしていたのか」
と思うわけですが。
 
それから「井の中の丼(2)」に書いた書字障害であるとか
もっと月並みな症状ですと、
確認強迫、不潔恐怖だとか、
症状はいろいろありました。
 
このように強迫とひとことで言っても、
その症状を細かく見ていくと、
強迫によっていろいろなことをやっているものです。
 
それら、全部ちがう細かい症状の根っこを探っていけば、
すべて一つの幹に結びついていたわけです。
 
しかし、日常の毎日のなかに、
「すべて一つの幹に結びついている」
というところまで
自分の症状に向き合い、深める時間を持てなかったのです。
 
「持たなかった」と言った方が正しいが、
人はどうでもいいことをつぎつぎと入れて、
ほんとうにやらなくてはならないことを後回しにする
というのは、よくやることだと思います。
 
それが先ほど述べた、1995年から99年までの
底つきひきこもりの中で
一日中寝たきりに等しい生活の中で、
他にやること、やれることがないから、
向かい合うしかなくなったのでした。
 
まるで森田療法の「絶対臥辱期」みたいなものです。
 
あと、当時私が住んでいた団地の中に
その市の図書館の小さな分館があって、
そこはひきこもりの私でも、
ほとんど人に会わずに行ける距離だったものだから
そこへ通ってフロイトを読んだのですね。
 
なんといっても、
いちばん近いお店やコンビニや自動販売機よりも
図書館が近かったのです。
 
フロイトは難しい、
というイメージがあるかもしれませんけれども、
フロイトは、かなりの文章家で、
難しいことをできるだけ簡単なことばで書いてくれています。
 
たしかに、フロイト全集を全部読もうと思ったら
それは大変なことだと思います。
 
しかし、私はなにもフロイトを研究する学者ではないから、
全部を読む必要はない。
 
金太郎飴のように、ところどころを切って、
そこだけ読んだだけなんですけれども、
フロイトの場合は、ところどころだけでも深く読めば、
だいたい
「この人が言いたいことはこういうことなんだな」
というふうにわかるように書いてくれています。
 
「なんだ、そういうことか」
ってなわけで、
それに合わせて自分を、
底つきで深めていったら強迫が取れました(*1)
 
*1.これはけっしてめずらしい例ではないと思う。
まず、岸田秀が同じことをやっている。
岸田秀の場合はフロイトの専門家だから
そうするのは当たり前だろう、と考える人もいるかもしれないが、
本ブログの読者であるgoodじいさんさんも
同じことをやったとコメントで書いておられた。
 
1999年、さいおうクリニックにつながったときに
自分の方法論を他の強迫の患者仲間に言ってみたのですが、
誰も感動してくれませんでした。
 
そのときは、
 
「なぜ、みんな強迫の患者は、
私が強迫を自分で取れたということを聞いて
もっと感動してくれないんだろう」
 
と思っていましたが、
いま考えてみれば、それはそうですよね。
 
やはり、医療という場に来て
強迫を治そうと思っている人は、
その治療者…そこでいえば塞翁先生によって治されたい
と思っているわけで、
 
「自分で強迫を治しちゃったら、元も子もないだろう。
何のためにクリニックへ通っているか、
わからなくなっちゃうじゃないか。
よけいなことを言いやがって」
 
ってなわけですよ。
 
だから、今に到るまで私が強迫を治した物語というのは、
何度か語っているのですけれども、
ぜんぜん脚光を浴びていません。
 
私としては、べつに強迫によって世の中の脚光を浴びたい
ということでもないので、
どうでもいいんですけどね。
 
ただ、ほんとうに強迫を治したいと思っている人が聞いたら、
それなりに参考になるだろうな、とは思います。
 
ほんとうに強迫を治したいと思っている時点で、
その人の強迫は4割ぐらい治っているのかもしれませんが。
 
ただ、ついでに言ってしまうと、
強迫はそれぞれの人の宗教だから、
治し方の原理は同じだけど、
人それぞれの治し方があるんだと思うのですね。
 
だから、私の実例も参考にはなるでしょうけれど、
万人が使えるマニュアルにすることはできないわけです。
 
あと、治るからには必ず
精神分析でいう治療抵抗に相当するものがあります。
 
下りエスカレーターを一気に頂上まで逆走するような
しんどさがあるのです。
 
だから、方法は認めても、
実践しようという人はいないかもしれません。
 
流全次郎さんなども、
 
「それはすばらしい。
 君が強迫から治った方法を日本全国に広めるべきだ」
 
とは言ってくれるけれども、
 
「ぼくに教えてくれ。
 ぼくが、その方法で強迫を治したいから」
 
とは言わないわけです。
 
 
 
 
 
 
 
 
それで、ご質問に返ると、
私が精神医療に何を求めてつながったかというご質問でしたが、
強迫が取れて、
自分というものの精神的な成り立ちがわかると、
いかに自分が虐待されて育ってきたか、ということが
まざまざとわかってきたのです。
 
それまでは、
「自分は男性だから、そんなことないだろう」
とか数々の先入観によって
ある深さから先の真実には立ち入らなかった。
 
それが、見えてきたわけです。
 
そこで、原家族に手紙を書きました。
 
「私は母親にこういうふうに虐待されてきて、
あなたたち家族のゴミ箱にされてきました。
それで現在の私があります。
 
私たちの家族がこのようであるのは、
あなたたちも病気だからです。
 
これは私の病気なのではなくて、
私たち家族の病気なのです。」
 
という内容でした。
 
「片づけられない私」のマキさんがおっしゃっていますけども、
 
「これは、私が病気だからじゃない。
私の家族が病気なんだ」
 
という言葉。
 
まさに、この言葉に集約される認識に、私もたどりついたのです。
 
そして、
 
「この家族の病いを治そうじゃないか。」
 
という呼びかけの手紙を書いて家族会議を持ちました。
 
しかし、私が素人の立場でそういうことをいっても
誰も信じないし、
考えようともしない。
 
これは、誰か権威のある第三者がそこへ入ってきて
 
「こいつが言っていることは多少正しいんだから、
 ちょっと、あんたたちも考えなさい」
 
と言ってくれないとダメだな、という結論になりました。
 
そういうわけで
私はさいおうクリニックという治療機関につながって、
治療者のプロとしての介入を望んだのです。
 
そこから先にあるものは家族療法であったことでしょう。
 
というわけで、
私が精神医療に望んだものは家族療法でした。
 
 
 
・・・「長男の放逐(158)」へつづく
 
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    > ぼそっと池井多

    もちろん、君が、自分の強迫神経症強迫性障害を治した方法を、教えてもらいたい。

    しかし、フロイトの著作を読めば治るとは、信じられない。

    それが本当なら、その治療法が、もっと普及しているはずではないか?

    仮に治るとしても、そのためには、相当高度な知性が必要だろう。

    「 夢判断 」も、「 精神分析入門 」も、よく解らなかった。

    治療抵抗の問題もあるし、その方法で治すことができる患者は、極一部ではないか? 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2017/1/28(土) 午後 0:58

     返信する
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    > ぼそっと池井多

    「 1999年、さいおうクリニックにつながった時に、自分の方法論を、他の強迫の患者仲間たちに言ってみたのですが、誰も感動してくれませんでした。

    その時は、

    『 なぜ、強迫の患者はみんな、私が、強迫を自分で取ったということを聞いて、もっと感動してくれないんだろう? 』


    と思っていました 」

    自分には無理だと思ったのではないか?

    「 方法は認めても、実践しようという人はいな 」かったのではないか? 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2017/1/28(土) 午後 1:10

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