VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

ザスト通信を読む(101)掲載されない原稿『王国の傾頽』

ザスト通信を読む(100)」からのつづき・・・
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
 
by ぼそっと池井多
 
 
塞翁先生が
 
ザスト通信はこの原稿を必要していません
 
という理由のもとに
ザスト通信92号への掲載を阻んだ私の拙稿
 
王国の傾頽(けいたい)
 
をお送りします。
 



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後継者は患者から
 
ザスト通信91号、p.2に塞翁先生は書いている。
 
「私の治療上の後継者は医師や心理士ではなく、私のクライエント(依頼人)の中から出るという勘が働きました。いや、これはカンというより、事実に迫られたのですね。若い医師や心理士の中に私の試みを継ごうとする人はいない。しかし依頼者の中にはいる」
 
塞翁先生は、リカモリング・アホバイザー養成講座に大金を払いこむ者たちを増やそうとして、こんなことを言ってみたのだろう。
しかし言葉の錬金術を剥いでみれば、
「治療転移している者しか後継者たりえない」
というのは一つの独我論である。
他の医師や心理士から後継者が出ないのは、塞翁療法なりシラスなりといったものが、学習するものではない、もしくは後継できないと判断されているから、と考えるのが自然である。
 
私は、18年も塞翁療法を受けてきた。治ったどころか、よけいに悪くなっている。だから、塞翁療法に治療的効果があるとは思えない。
しかし、いま百歩ゆずって、仮に治療的効果があるとしてみよう。
それでも塞翁療法は、塞翁先生が塞翁先生という成育歴をもった人間としてそこに存在することで、はじめて行使されうる何かであり、他の人間に伝承することなどできないし、もし「できた」と名乗り出る人がいるならば、それはその人がその人なりの人生遍歴から新たに創造した何かなのである。
したがって何十万円も受講料を払う必要はない。
 
では、患者たちの中から、リカモリ講座へ申し込む者が後を絶たないのはなぜであろうか。
AとB、2つのタイプに分けられると思う。
A型は、塞翁療法なりシラスなりといったものを、学習し伝承することが可能だと信じこんでいる人たちである。そういう人たちには、どこかの講座へ出かけていくよりも、まずは自分の頭でモノを考えるという基本をやってみることをお勧めしたい。
 
B型は、A型よりは賢くて、もともと塞翁療法など伝承できるものではないとわかっていながらも、あえてリカモリ講座へ大金を払いこむ人たちである。
この人たちは、本気で塞翁療法の後継者になろうなどとは考えていない。表と裏を使い分け、患者の仲間うちでは、いかにももう治療者になったような口をきくこともあるが、ひと皮むけば、将来的に治療者として喰っていく覚悟などさらさらない。
 
ならば、なぜこういう人たちが大金を払うのであろうか。
それはまず、60万などという金額は、貧困層の私から見れば大金というだけで、彼らから見たら端金(はしたがね)だから、ということがある。今の日本は格差社会で、金はあるところにはあるのだ。さらに彼らは、その金は阿坐部村での「居場所代」、もしくは塞翁先生への「上納金」と割り切っているからである。
 
それを払ってさえいえば、たとえ塞翁先生が治療意欲を示す症例を持っていなくても、患者社会の中で居場所を保証される。私のように「もっとも悪い患者」などという烙印を押され、ザスト通信にも声が発表できなくなるような痛い目に遭わされないですむ。
 
1918年9月、フロイトブダペストで開かれた第5回国際精神分析会議で、このような演説をおこなった。
 
「私たちがきっぱりと拒んだのは、救いを求めて私たちのもとに来た患者を、私たちの私有物にし、(中略)私たちの理想を患者に押しつけ、高慢な創造主のごとく、私たちの似姿に患者を仕立て上げて大いに満足する、という行いです」フロイト全集, 岩波書店, 第16巻, p.101)
 
まさに塞翁先生はフロイトがここに述べた正反対、「私たちの似姿に患者を仕立て上げ」る「高慢な創造主」へと向かっている。そしてその背景には、塞翁先生が若き日にアメリカで見たヘイゼルデンという更生施設の幻影がある。
 
しかし、ヘイゼルデンには個人崇拝じみた出発点はなかったし、回復患者たちも治療者の後継者だったわけではないと聞く。また、回復患者による更生施設であれば、ダルクをはじめ日本にはすでにたくさんあり、リカモリ王国が「日本初の試み」などでもないのである。
にもかかわらず、塞翁先生が自らの使徒たちからなる王国を建設したい動機は、煎じ詰めればただの覇権主義、自我の肥大、ひらたく言えば「なわばり意識」にすぎない。
 
 
 
治療王国の成り立ち
 
ザスト通信91号、p.3に塞翁先生は書いている。
 
「例えば診察室外での『患者』との接触を厳禁として、そのような事態を外科医における『汚染』として扱う、精神分析がその典型です。(中略)私は今、自分を精神分析家と思っていません。つまり、ある時期、充分意識的に小柴本グループと袂を分かったのです」
 
これは結局、何をもたらしたであろうか。
「治療空間を診察室に限らない」とする方針は、やがて集団療法へとつながっていった。
診察室から塞翁ミーティングへ、クリニックからYFFやZUSTをふくめた治療共同体へと治療空間は拡大していき、私たちが属する治療王国を形成した。
これは精神医療の政治化であり、祭政一致であった古代シャーマニズムの現代的な復活といってもよいだろう。
早い話が、宗教なのである。
 
精神医療の政治化とともに、患者たちの間には、けっして表立って語られることのない序列と階級が発生した。
そのなかで近親姦や性犯罪など、塞翁先生が症例的に珍重する患者が共同体の中で特権を持つようになった。
かんたんに言えば、そういう症状を持っている患者は人間として、そうでない患者の上に置かれるのである。
そうでない患者は、いくら能力や人徳があってもていねいな治療が受けられず、「おでんのダシ」などと呼ばれて、そうである患者を治療するための道具にされるだけである。
 
異議でも唱えようものなら、治療関係を断ち切られ放り出される。
このことが患者の自己評価を下げ、鬱屈感を増幅させ、症状をさらに悪化させていく。
しかし、そういう事例は学会やフォーラムなどで発表されることはない。
もともと症例に関心のない患者であるため、塞翁先生とすれば、症状が悪化したところでかまわない。
患者自身のせいにすればいい。
 
患者たちにとって、王国の中の生活行動すべての動機となるのが治療転移である。
この治療転移をお金に換えるシステムとして考案されたのが、リカモリング・アホバイザー制度であるといってよい。
 
だが、このような指摘をする私のような患者は、たちまち言論を封じられる。治療転移した患者たちの無意識に、こういう思考が働くのである。
「塞翁先生は、池井多のような患者の口を黙らせることを、きっと望んでおられる。
でも、そういうきたない仕事に、先生はご自分の御手をよごしたくはないだろう。
よし。ならば、私がその汚れ役を引き受けてあげる。それで塞翁先生からもっと承認がもらえるならお安い御用だ。
もともと池井多なんて、私にとってどうでもいい人間だし、仲間と思ったこともない。
池井多に恨まれようとも、私が失うものは何もない。
かつてZUSTの幹部だった池井多も、今や何の力もなく、恨まれたところで怖くも何ともない」……
 
こうして行われたのが、たとえばVOSOTのリンク切りや、ザスト通信への原稿のにぎりつぶしだったというわけである。
 
おまけに、そういう暴力にはいっさい個人責任が問われないですむ。なぜならば、ほんらい別の目的で治療空間に保障されている「個人情報の保護」を口実に持ち出せばよいからである。
 
塞翁先生にしてみても、せっかくの自己陶酔に水を差す私のような者を不活性化してくれる患者は大歓迎である。いざとなれば、
「私は知らない。患者が勝手にやったこと」
といえばよい。
いわゆる「トカゲのしっぽ切り」であるが、しっぽ切りされる方は治療転移しているので被害として訴えず、マゾヒスティックな悦びすら感じるのである。
 
ここに、ぜったい表に出ることのない治療者と患者の共謀が生まれる。
そして、この共謀の絆こそが、王国を分断統治するパイプラインである。
犠牲となる患者のほうは、幼少期には原家族から踏みつけられ、長じてのちは治療王国に痛めつけられるわけである。
 
こうした精神医療による外傷再演は、塞翁先生が小柴本グループと訣別せず、そのまま治療空間を診察室に留めていれば起こらないで済んだことであった。
 
 
 
『王国の傾頽』了。
 
 
 
・・・「ザスト通信を読む(102)」へつづく
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