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海外ひきこもりだった私(7)ブラック労働と民主主義 ~ 地方新聞の妙

海外ひきこもりだった私(6)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
地方新聞というものは、
珠(たま)のような言葉の宝庫である。
 
地方にいる、中央にあらがう、というだけで
すでに在野的なジャーナリスト魂の真価が
発揮されている場合がある。
 
大手新聞によくある
権威づけられた切迫感がないために、
余裕をもって問題を掘り下げている場合もある。
 
先日も、ふとこんな言葉に出会った。
 
長時間労働で疲弊した人は新聞を読む気力もなく、
物事を深く考えなくなる。

少しの情報だけで自分の意見を決める。
それが世論になってしまう。

欧州では家族で食事を取りながら会話をしたり、
広場やカフェで自由に議論をしたりする。

時間に余裕があるかどうかは、
民主主義の成熟と深く関わっている可能性がある
(*1)
福井新聞 2017.3.20  07:20
 
正直をいうと、
記事の内容に感銘を受けたのではない。
 
いわゆるパワハラ、過労死、ブラック労働の問題であって、
今日の日本では、残念ながら
どこにでもある課題を論じている。
 
ただ、この、まとめの一節に
なにやら豊かなふくらみを感じた。
 
上記に引用した、たった8行の一節である。
 
せまく、狭窄し殺伐とした労働問題が
ふいに大きな曠野に走り出たように
広い視点から描かれているように思ったのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
私が海外ひきこもりであった時期、
いやがおうでも向かい合わなければならなかったのは、
同じ世代の若者であった。
 
ときに列車や長距離バスのなかで、
ときに一部屋8人もつめこんだ安宿の部屋のなかで、
私は国籍のちがう若者たちと
時間をつぶさなければならなかった。
 
彼らはとにかく議論を好んだ。
 
「議論とは、人が戦うのではなく、
論を戦わせるものだ」
 
という当たり前のことを
私は彼らを通じて、
このそとこもり海外ひきこもり)の日々で
深めたのかもしれない。
 
ちょうど夏目漱石がロンドンへ留学して、
人々が議論している姿から学んだことを、
明治維新から100年以上も経った時代に
ヨーロッパ・アジア・アフリカを放浪しているうちに、
私は学んでいたのだろう。
 
上に引用した福井新聞の記者が書いているように、
たしかにどこの国でも、
家族は食事の時間にテレビなどつけず会話をしていたり、
広場やカフェでは人々が議論を楽しんでいた。
 
チェスやカードを楽しむ人のかたわらで、
議論を楽しんでいる人の姿が必ずあったものだ。
 
それは、
ヨーロッパでも、アラブでも、インドでも、アフリカでも、
けっこうどこの国でも同じであった。
 
そういう姿は、日本ではほとんど見られない。
 
むこうのカフェにあたるものとして、私は
昔、日本の下町の長屋に出ていた夕涼みの縁台を想うが、
あそこで同じように議論している日本人は見たことがない。
 
 
 
 
 
 
 
 
近年、民主主義そのものの退化がいちじるしい。
 
マクロ的に見れば、
いうまでもなくトランプ大統領である。
 
連鎖反応のように、ほかの先進諸国でも
人々は自分の頭で考えることを放棄し、
アメリカ、イギリスにつづいてフランスでも
極右的な指導者が誕生しそうな勢いである。
 
ミクロ的に見れば、
私が属する精神科の治療共同体である。
 
「精神医療は医者が主体だ」
 
などとアナクロニスティックなことを豪語する、
いわば医療右翼の患者たちが主流となっていく。
 
治療者が言論統制を敷き、
私のような医療左翼っぽい患者は、
患者村の機関誌に声を発表する場も与えられない(*2)。
 
 
韓国では、
韓国のラスプーチン、崔順実(チェ・スンシル)が逮捕され、
とうとう大統領の逮捕まで到ったが、
私たちの患者村のラスプーチン、岡村美玖は相変わらず健在で、
私のような貧困層の患者を相手に権力をふりまわしている。
 
リカモリ講座の収益である
推定年4000万円の行方は杳(よう)として知れないままである。
 
マクロもミクロも、
どちらも、なんとも心寒くなるような
民主主義の痩せ細りである。
 
そして、それは、
「忙しくなること」
とどこかで関係しているのではないか……
 
そんな想念が、
日常生活のあちこちで
ふとフキノトウのように頭をもたげることがあった。
 
しかし、なにやら論理的に飛躍のように思えて、
私は深く追求しなかった。
 
追求し始めると、
膨大な経済理論が必要となるような気もした。
 
ところが、それが上記の引用にじゅうぶんに示されている。
 
「ここに言い尽くされている」
などというと言い過ぎだが、
ほどよく関連が述べられている気がするのである。
 
考えてみれば、かんたんなことだ。
 
ブラック労働は、人から思考を取り上げる。
 
主体の剥奪も、人から思考を取り上げる。
 
すると、人は議論をしなくなるのだ。
 
安直に、目の前に突き出された単発的な情報だけを材料として、
判断をくだすようになる。
 
先のことも、他人のことも、壁の向こうのことも
何も考えないで判断をくだすのだ。
 
それがたとえば、
根拠を示さぬ断言調の物言いであり、
あるいは、ネトウヨのような
思考時間の短い、論理展開にとぼしい、
即断即決の人たちの発言である。
 
その集積が世論となる。
 
その世論が右傾化を産み出すのである。
 
民主主義は、
最小公倍数のようなものだから、
たどりつくためにはほんらい最大の手間暇がかかる。
 
手間暇を節約しよう、とすることは、
物事の効率化につながり、
見かけ上は市場原理や資本主義と
相性が良さそうに見えるものである。
 
ところが、そのプロセスでは、
目に見えない必要性を切り捨てている、
ということに、
思考時間の短い人たちはなかなか気づかないのである。
 
ひきこもりは、
即物的な生産をしないぶん、貧しいかもしれない。
 
しかし、時間があるぶん、
生煮えな即断即決をしないですむ。
 
目先のことだけにとらわれて、
誤った指導者など選ばないですむ。
 
 
上記の福井新聞の記者は、
 
長時間労働が増えれば民主主義がやせほそる」
 
ということを言っている。
 
そして、それはけっして
 
 
式のこじつけの理屈ではない。
 
 
同じ論理の延長として、私はこう思うのである。
 
 
ひきこもりが増えれば民主主義が成熟する
 
 
 
 
 
  •       

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    「ひきこもりが増えれば民主主義が成熟する」
    ぼそっと通信を見ているとそんな気持ちになります。
    即断即決できず思考時間の豊富なひきこもりこそ真実が見えるのでは?・・と 削除

    迷えるオッサン

     

    2017/3/28(火) 午前 9:07

     返信する
  •       

    迷えるオッサンさま コメントをどうもありがとうございます。

    ご賛同に感謝いたします。 削除

    チームぼそっと

     

    2017/3/28(火) 午前 11:08

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