VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

当事者性を考える(10)松戸ベトナム人女児遺棄事件と「当事者性」神話の崩壊

当事者性を考える(9)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

 

同じ年頃の娘をもつ親として、
こういう事件は許せません
 
といったコメントが、
これまで、子どもを犠牲者とした痛ましい事件が起こるたびに
同じ小学校の親や保護者などから発せられてきた。
 
そして、そういう声には、
ある種の抗いがたい、
疑ってはいけない、
正義の確かさのようなものがあるために、
共鳴を呼んできた。
 
いや、その確かさがあるために、
人々は安心して
そういう声に共鳴してきたのかもしれない。
 
ところが今回、
千葉県松戸市に住んでいたベトナム人
あどけない女児を殺害遺棄した容疑で、
同じ小学校の保護者会の会長が逮捕された事件では、
この確かさが一挙に崩壊した。
 
だから、動揺が広がっているのだと思う。
 
いいかえれば、
「同じ年代の娘をもつ親」
という当事者性の神話の崩壊である。
 
 
 
 
 
 
私の患者村で広がっている
リカモリング・アホバイザー制度とは、
いうなれば、
 
私もあなたと同じ当事者です。
だから、あなたのことはわかります
 
という、
いわば当事者性を真正面から印籠のようにかかげて
対象を取りこんでいくものである。
 
しかし、当事者性などというものは、
一皮はがせば何物でもないということを、
残酷にも今回の事件はあらわにしたとも言えるだろう。
 
当事者性は、一つの道具であって、
表にも使えれば、裏にも使える。
 
当事者性を看板にかかげて
たくみに相手の心のすき間に入りこみ
支配下へ入れることはいくらでもできるし、
また、それを「技法」などと名づけて、
もっともらしく正当化することもできるのである。
 
 ・・・「当事者性を考える(11)」へつづく
 
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    最後の一節は、まことにもってその通りでしょう。当事者性は相手につけいる手段に過ぎない。 削除

    goodじいさん ]

     

    2017/4/17(月) 午前 8:10

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    goodじいさんさま 2件のコメントをどうもありがとうございます。

    おっしゃるとおりです。

    しかし、
    「当事者性は相手につけいる手段に過ぎない。」
    ということだけを前提とすれば、保護者による見守りほど児童に危険なことはないから、すぐにもやめましょう、ということになるでしょう。

    だから、問題はややこしいのだと思います。 削除

    チームぼそっと

     

    2017/4/17(月) 午前 10:49

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